──翌日。
御者と共に馬車で夜を明かしたテオドールは、馬の餌やりを手伝っていた。しかし、どうにも話好きらしい御者からあれやこれやと延々話しかけられてしまい、やや辟易していた。
何度も水汲みに出掛けたのは、そんな御者から逃れるためだ。テオドールは、あまり雑談が好みではなかった。
「えぇ? 切っちゃうの?」
街道近くの小さな川に革製の袋を沈めて水を汲んでいたテオドールは、その声に顔を上げた。しかし、見える範囲に姿はない。
「……」
シェリアとミレーナの水浴びが、そろそろ終わっている頃合だ。
水浴びをしていると思わしき音はなかった。
代わりに、少し離れた位置から声がしている。
「う、うん。目立ってしまって、その……」
言いよどむ声はシェリアのものだ。
テオドールは革袋の口を紐で縛りながら、静かに耳をすませた。
「短くすれば、フードに隠すのも簡単だから……」
──その髪を隠せ。
彼女にそう言ったのは、テオドールだ。
フードを被らせ、極力目立たないように、部屋から出ないように。
そのような言い方をしてしまったことがある。
テオドールは眉間に皺を寄せた。
「隠すように言われたの?」
ミレーナの声が続く。
テオドールは溜め息を押し殺した。
守るために言ったはずの言葉で、彼女を追いつめてしまったら意味がない。
「……ううん」
しかし、シェリアは否定した。
「そうじゃ、ないけど……」
静かに落ちる彼女の声は、曖昧に言葉を濁してしまう。
テオドールは、革袋を縛った紐を握り締めたまま、ただ声を聞いていた。
「……そこまでしろなんて、言わないんじゃない?」
反してミレーナの声はあっさりとしたものだ。
部外者だから、だろう。
ミレーナは第三者の立場で発言することができる。
「アンタはアンタだよ、シェリア。綺麗な髪なんだからさ、大切にしなって」
テオドールは静かに天を仰いだ。
彼女を魔女だと誤認したのは、自分だけではない。
だが、少なくとも、テオドールのたった一言によって彼女は職を失った。
謗りから逃れてやっと辿りついた先、僅かな生活の糧さえ奪ってしまったのだ。
魔女──。
たった言葉が、彼女から何もかも奪い取った。
そして、その一端をテオドール自身も担ってしまったことは、紛れもない事実。
魔女だと叫んだ瞬間の、彼女の目。
震えて竦み上がり、ひどく怯えた彼女に向けられた周囲の眼差し。
追いかけた先で、地面にへたりこんで震えていた姿が瞼の裏に焼きついている。恐怖のあまりうずくまっていた彼女に、テオドールはひどい言葉を投げつけたのだ。
しかし、今はもう彼女のことをよく知っている。少なくとも、そのつもりだ。
彼女は、シェリアは、──
「……」
ぐっと口を引き結んだテオドールは、革袋を肩に担ぎ、来た道を引き返した。
「──テオっ」
背後から掛けられた声に、テオドールは足を止めた。
耳によく慣れたそれは、透き通るような声だ。
テオドールが振り返った先には、ミレーナに連れられたシェリアがいた。
朝日を受ける銀の髪は、まるで清らかな水のようだ。何故、夕暮れの頃合に見た彼女の髪を、金などと見間違えてしまったのか。
テオドールは、革袋を握る手に力を込めた。
「あ、あの、ごめんね。時間、掛かっちゃって……」
控えめに声を出し、申し訳なさそうに眉を下げる彼女に対して、テオドールは何も言わない。
追いついたミレーナが、そのまま二人を追い越していく。
「……テオ?」
緩やかに首を傾げれば、銀の髪がさらさらと細い肩から落ちた。
彼女はただの少女だ。
極悪人でも滞在人でもない。平穏に暮らしていく権利は彼女にもあるはずだ。
魔女に似ている──たったそれだけのことで、何もかも奪われ、謗りを受けなければならないはずがない。
「……シェリア」
テオドールの声は、少し震えていた。
彼女を連れ出したのは、テオドールの判断だ。
あの時、あの瞬間、あの街で、シェリアに魔女の汚名を着せたのはテオドールの一言だった。
ミレーナに預ければ、守ってもらえるだろうか。
魔女だと罵られることもなく、震える刃に怯えることもなく、硬い地面で眠る必要もない。そんな生活を、与えられるだろうか。
「どうかしたの……?」
不安げな眼差しを受け、テオドールは思考を止めた。
「……いや。何でもない」
自分が留まれと言ったなら、彼女は従うだろう。
テオドールには、そう思えた。
そこに彼女の意思はない。
身勝手な話だろう。
魔女だと決め付けて、疑って、餌にするために連れ出したのだ。
それを今更、平穏に暮らして欲しいから置いていく──などと。
偽善にもほどがある。
テオドールはもう一度、首を振った。
「……食事にしよう」
「うん」
ここから次の街まで、半日も掛からない。
昼ごろには到着するだろう。
朝方に聞いた話を思い出しながら、テオドールは傍らに並んだシェリアを見下ろした。
願わくば。
どうか。
ミレーナの放った言葉が、本当であるように。
テオドールには、そう祈ることしかできなかった。