「お気をつけて、いってらっしゃいませ」
馬車に荷物を預けて先にシェリアを乗せたあと、背後から掛けられた声に引き留められる形でテオドールは動きを止めた。
魔女──その単語がミレーナの口から出た時、唯一顔色ひとつ変えなかったメイドだ。
今も決して愛想が良い表情ではない。
まだ若い部類に入るように見えたが、テオドールには女性の年齢はいまいち掴めなかった。
「……疑っているのか」
テオドールは低い声で問い掛けた。
責めるつもりはなかったが、そのように受け取られても仕方がない声色ではある。
しかし、メイドは気にした様子も見せはしなかった。
「いいえ」
答える声は淡々としていて、とても落ち着いている。
「ミレーナ様は、"彼女ではない"と仰いましたので」
答えは簡潔だった。
しかし、テオドールにとっては、それで十分だった。
ミレーナの判断こそが、このメイドにとっての指針。
これ以上は野暮だとテオドールは礼だけを告げて馬車に乗り込んだ。
示された馬車は、確かに乗り合い馬車よりも随分と広い。
座面には応接間のソファと同じような素材が使われている。特注のものだろうということは、すぐに知れた。
先に乗っていたシェリアの隣に腰を下ろしたテオドールは、後ろに繋げられた荷馬車の音を気にしている。
「──お待たせ」
開かれたままのドアをくぐってミレーナが乗り込んできた。
シェリアとテオドールの視線が、そちらへと向く。
外側から先ほどのメイドがドアを閉じる様子が見え、テオドールは軽く会釈をしておいた。
ほどなくして、馬車がゆっくりと動き始める。
車輪の音と振動を受けながら進む馬車の中に沈黙が落ちると、ミレーナは開いたままだった窓を閉じた。
それを合図にして、口を開いたのはテオドールだ。
「……船の件か」
低い声が馬車の中に落ちる。
シェリアは不安げな様子で彼を見遣った。
しかし、余計な口を挟むような事はしない。
ミレーナは首を振った。
「船のことも迷惑してるけどね。探しているのは、ずっと昔からだよ」
「因縁があるのか」
「アンタ達ほどではないけどね」
ミレーナの知ったような口振りに、テオドールは眉を顰めた。
魔女を探している大抵の人間は、恨みを持っているものだ。そうでなければ、賞金首として狙っているか。単に珍しいものとして扱っている者くらいだろう。
テオドールの様子に、ミレーナは笑った。
「そんな顔しなくても。わざわざ自分達で情報収集してるくらいなんだから、少し考えれば分かることだよ」
そうしている間に、ガラガラと響く車輪の音が馬車内に届いた。
街から街道に出たのだろう。振動の具合と外の音が変わったようだ。
「──この街道の先には、"花の街"って呼ばれてる街があってさ。そこの温室ドームに、私の知り合いがいるんだけどね」
街道に沿って馬車は走る。
速度はそれほど出ていない。
だが、歩くよりはずっと楽で、そして速いことだけは確かだ。
テオドールは首を傾げることで、ミレーネに話の先を促した。
「その知り合いってのが、ファムビルって男だよ。そいつから話を聞いてみるといい。あれもあれで、魔女を探していたからさ」
その言葉に反応したのは、テオドールではない。
シェリアの方だった。
今までにも魔女を探している者には、幾度か遭遇している。
だが、その度に彼女は魔女だと謗りを受け続けてきた。テオドールも、それはよく知っている。
手がかりがある可能性が高いにしても、気軽に訪問できる相手ではない。
二人の緊張を感じ取ったミレーナは、片手をひらりと揺らして笑った。
「大丈夫だよ。悪いやつじゃないから」
「……だが、魔女を探しているのだろう?」
「昔はね。今は仕事で手一杯でさ。私にとっちゃ、良い取引相手だよ」
「……魔女の情報を握っているのか?」
テオドールは怪訝がった。
魔女探しを諦めた男に話を聞いて、いったい何になるというのか。
無駄足になることを恐れたのではない。
シェリアに対して、その男が不要な言葉を発さないかどうか。余計なことを言わないかどうか。何かしないかどうか。テオドールにとっては、それが最も大きな懸念だ。
「ある程度は持っているだろうね。あれは優しい男だから、聞けば答えてくれるはずだよ」
そう言うと、ミレーナはちらりとシェリアを見た。
ミレーナから見ても、シェリアは愛らしい少女だ。
空を歩いた禍々しい魔女と同一の存在だとは思えない。
しかし、シェリアと魔女の顔立ちの類似を否定できるほどではなかった。
だからこそ、何かきっかけになるのではないかという狙いもミレーナには確かにあったのだ。
「さーて。明日には着くだろうけど、夜が更けたら一旦は野宿だよ」
「野宿か……」
「夜通し走るわけにもいかないからね。大切な荷物もあるし、お客さんも乗ってるしさ」
ミレーナは軽く笑って、再びシェリアを見た。テオドールもまた、彼女へと視線を向けている。
できれば宿に泊まらせてやりたかったが、仕方がない。
テオドールが口を開きかけると、シェリアの方から「大丈夫だよ」と声が返された。
「心配しなくてもー。野宿って言っちゃったけど、馬車で寝ていいからさ。ひとまず移動はしないよってだけ」
二人のやり取りにミレーナは目を細めた。
逐一彼女を気にしているテオドールのことも、そんな彼の様子をよく見ているシェリアに対しても、だ。仲睦まじい様子が、実に微笑ましい。
だからこそ、自分の行動の全てが全くの善意ではないことを、ミレーナは少し申し訳なく感じた。
「……商人なんてさ、そうそう信用しちゃいけないよ」
ひそりと笑って、ミレーナは告げる。
シェリアは困惑気味に首を傾げ、テオドールは忠告として受け取った様子で頷きを返した。