広場に飛び込んだテオドールは、騒ぎの方向を定めた直後に絶句した。
背後から幾人かが駆け寄って来る気配を感じたものの、取り合ってはいられない。
騒ぎの中心は、広場から程近い宿──人だかりは、宿の中央入り口に出来上がっている。
「──おいっ、退いてくれッ!」
人々の間に身体を捻じ込んだテオドールは、強引に宿の中へと入り込んだ。
受付がある一階のフロアには、十数人ほどが集まっていた。そのほとんどが壮年男性で、あちらこちらから苛立った声が上がる。
「オイッ、魔女を出せ!」
「同じ顔を見たって話じゃねえか!」
「魔女がいるんだろっ、聞いたぞっ」
「魔女を出せ! 追い出せ!」
男達は、今のところはまだ、せいぜい声を荒げている程度だ。
だが、これが加速すれば、暴力に発展するだろう。受付カウンターの中にいる女性は、テオドールを見つけるなり声を上げた。
「あああ、お兄さん!」
女性は、受付カウンターの奥にある扉に背を押し付けて立っている状態だ。そして、その姿勢のままで動かずにいる。
経緯はともあれ、そこにシェリアがいるのだということをテオドールはすぐに察した。
「通してくれ」
騒ぎ立てる男達を押し退けてカウンターに辿り着いたテオドールに、女性は「ごめんなさいっ」と泣きそうな表情を浮かべた。
お前は誰なんだ、どういうことだ──周囲から声が上がるものの、構っている暇などない。たとえ説明をしたところで、興奮状態にある彼らに届かないことは明らかだった。
そもそも、"魔女ではない"ことなど証明できない。
何者であるかを証明することは出来ても、否定を証明することなど不可能に近い。
何より、既に思い込んでいる者達に
テオドールは、苛立ちに任せて舌打ちをした。
そして、カウンターテーブルを乗り越えるなり、謝り続ける女性を手で制して扉を押し開く。
暗がりに包まれた一室は、無人に見えた。
だが、それは単純に目が暗さに慣れていないせいだ。
「──シェリア」
自分の身体で光を遮ったテオドールは、低い声でそっと呼びかけた。
倉庫と思わしき狭い一室の奥にうずくまっていたシェリアが、弾かれたように顔を上げる。
数秒ほどしてから、その小さな唇が彼の名前を放った。
逆光のせいでテオドールの顔がほとんど見えていなかったのだ。
確かに彼なのだと分かれば、怯えて強張っていた表情が緩む。
受付の女性と同じ──いや、それよりもずっと頼りない。
泣き出しそうな表情を浮かべる少女に、テオドールは眉間の皺を深くした。
背後のフロアでは、まだ魔女だと呼ぶ声が重なって響いている。
「無事か、シェリア」
テオドールは自分の身体を盾にするように、罵倒を繰り返している男達に背を向けたまま、倉庫の奥──少し離れた位置にいる少女へと声を掛けた。
「怪我は? 何もされていないか」
しかし、シェリアの方は頷くばかりで声を出す余裕がない。
どうして部屋から出てしまったのか。
なぜ、こんな場所にいるのか。
聞きたいことは山ほどあったが、この場で解消するべきものでもない。
そう判断したテオドールは、騒ぎ立てる男達を肩越しに振り返った。もしも彼らがカウンター内に押し寄せてしまったら、受付の女性一人では制止し切れないだろう。
だが、倉庫内には他に出入り口がない。
彼女を逃がすことさえままならない状況に、テオドールは歯噛みした。
「──魔女などいない! 誰が姿を見たんだ! 見た者を連れて来いッ!」
鋭い眼光と共に男達を振り返ったテオドールは、フロア内に響き渡るほどの大声を出した。その迫力に気圧されたらしい男達の声は、数秒ばかり途切れた。
魔女などいない。
そうだ、
暗がりの中にうずくまっている少女の髪は、傲慢な金色ではないのだ。
何度も頭の中で繰り返し、テオドールは再び暗がりに顔を向けた。
「シェリア」
テオドールは、努めて柔らかい声を出した。
怯え切っているシェリアは、自力で立ち上がることさえできないでいる。
それはあの日、酒場で裏口から逃げ出そうとした時の姿と重なった。
魔女だと叫ばれ罵られ、抵抗する術さえもない。
テオドールは、自分が犯した間違いが再び繰り返されているのだと感じ、ひどく憂鬱な気持ちになった。
男達はざわざわと騒がしい。
だが、口々に叫ばれていた言葉の内容からすれば、彼らはあくまで噂に踊らされているようにしか思えなかった。
苛立ちを吐き出すように息を出してから、テオドールは少女に手を伸ばした。
その時だ。
フロアの男達が再び騒ぎ始めた。
今度は女子供を狙うつもりか──
船だけでは飽き足らないのか──
港を呪うつもりなのか──
仕事に影響が出た者達なのだろう。
彼らの苛立ちはひどく強いようだが、それはテオドールも同じだった。
剥き出しの敵意に晒される彼女の傍に寄っていくと、彼の苛立ちは更に増した。
「テ、テオ……テオ、どうしよう……っ」
「……シェリア、大丈夫だ。お前は違う」
床に膝をついたテオドールは、震え続ける身体を抱き寄せた。細い身体は震えが止まらず、ひどく強張っている。
腰に力が入らない様子で、立ち上がるどころか床に座り込んでいる姿勢でさえも危ういように感じられた。
「大丈夫だ」
泣くまいと我慢をしている少女は、テオドールの腕にすっぽりと収まっている。こんな彼女に剣を向けようとしたのかと、テオドールの中に更なる罪悪感が増した。
小刻みに震える指先が、彼の服に引っ掛かる。その小さな手は、まるで縋りつくかのようだ。
恐ろしいだろう。怖くて堪らないだろう。
心細かったに違いない。
こんなことなら、最初から連れて歩けば良かったのだ──と、テオドールはひどく後悔した。
彼女を魔女だと決め付けた声が放つ言葉は、更に過激さを増しつつあった。
引きずり出せ、今すぐに、許さないぞと飛び交う声。
声も言葉もひどく乱暴だ。ただ聞いているだけだというのに、心が竦む心地がした。
「──静かに。私が確かめてやろう」
不意に男達の声が止まった直後、今度は受付の女性とは異なる女の声が届いた。
テオドールはシェリアを抱き締めたまま、近付いてくる足音に警戒を強めた。
そして、腰に下がっている剣へと意識を向ける。
いざとなれば、やむを得ない。
受付の女性が何事か声を出した。
だが、それは言葉になっていない。
近付いて来る足音。
ヒールらしき音がしている。男達を黙らせた女だろうか。
音が扉の前で止まったタイミングで、テオドールが振り返る。
頭ごと胸元に抱き込まれているシェリアは、何が起きているのかも分かっていない。
倉庫を覗き込んで来た女の顔を見て、テオドールは少し驚いた。
「──みんな、静かに。ここに魔女なんざいないよ。いるのは、私の客人だけだね。ほら、散った散った」
そこに立っていたのは、肩を小さくして縮こまっている受付の女性と。
テオドールが港で会った──身なりの良い女だった。