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愛? 愛ですって? 愛なんて陳腐なものよ。
腹の足しにもなりはしないわ。
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翌朝。
野宿用の寝袋を片付けて火の痕跡を始末したあと、テオドールとシェリアは行動を開始した。
まだ早朝といって差し支えのない時間だ。
朝焼けと共に鳴き始める鳥の群れが、頭上を横切って移動していく。
寝袋で十分な睡眠が取れているか。
そう聞いたところで、大丈夫だと返されるのが関の山だろう。
テオドールはシェリアの様子を気にかけながらも、一言も話さないままになっていた。
やがて林を抜けた時、街道に重たげな馬車を見つけた。
随分と、のろのろと進んでいる。
不可解さに眉を寄せたテオドールは、シェリアにフードを被るように示してから馬車へと近付いた。
「──おい、どうした。車輪でも壊れたのか?」
テオドールが声をかけると、御者は困った様子で荷台を振り返った。
幌が掛けられてはいるが、中には複数の人間の気配がしている。
「いやなに、人が多くてね。乗り合い馬車では追いつかないほどさ」
「何かあったのか?」
「魔女が出たって話でさ。俺は知らないが、そのおかげで客が激増だよ」
奴隷商かと身構えてしまったが、そうでもなかったようだ。
背に隠したままのシェリアを気遣いながら、テオドールは言葉を続ける。
「……港街の件か」
「そうだとも」
やはり、魔女が港街に出たという話は本当のようだ。
あるいは、思い込みで逃げ出している可能性もあるが。
物流に影響が出ているのであれば、少なくとも何らかの被害があった事は確かだろう。
テオドールが考え事をしていると、荷台の幌が少し持ち上げられた。
「兄ちゃん、兄ちゃん。何の用があるのか知らないが、今は近付かない方がいいぞ。魔女がいるからな」
荷台に乗っていた男が声を出すと、口々に「そうだよ」「やめときな」「おっかない」と男女の声が続いた。
覗いてみれば、荷台には家族と思わしき、年齢も疎らな者達が乗っている。
中には小さな子供も数名いるようだ。その大半は、まだ眠っていた。
「俺もそう思うよ。どうにも不穏なもんでさ。これに乗せてはやれないが、馬車も台数が増えている。そのうち、捕まえられるさ」
同意を示す御者に礼を告げ、ゆっくりと動き出した馬車を見送る。馬は普段よりも荷台が重いせいか、どことなく元気がなさそうだ。あの調子で、いったいどの街に逃げるというのだろうか。
テオドールは、喉奥に溜息を留めるだけで精一杯だった。
「魔女がいる、か」
警告されたところで、引き返すはずもない。
何せ、自分達はその魔女が目的なのだ。
しかし、そうではなかったとしても、逃げる必要はないだろう。
魔女が長らく同じ場所に留まっているとは、思えない。
馬車が遠ざかっていくと、シェリアがやっとテオドールの背後から隣へと移動した。
「……大丈夫か?」
「うん」
「なら、行くぞ」
整備された街道は歩きやすい。
靴裏に硬い感触が返るのを感じながら、ふたりは馬車とは逆向きに歩みを再開した。
「街についたら、まずは情報を集めよう」
「うん。船が、だめになっちゃったんだよね?」
「……ああ。まずは港からだ。お前は、宿で待機していろ」
どこに魔女の目撃者がいるのかは分からない。
特に襲撃を受けたばかりの街では、誤解を受けやすいともいえる。
彼女をひとりきりで宿に残すことは心配だが、連れ歩いて街の人間に刺激を与える方が不安だった。
それに、テオドールとしては、彼女には魔女に関わる話はなるべく直接は聞かせたくはなかった。情報が新しいうちに、その場を訪れる必要はある。
しかし、その分だけ彼女を危険に晒すのだという認識も確かにあった。
なにより、彼女自身が魔女と自分が似ていることをひどく気にしている。
どうすることが最善なのか。
それは、テオドールにも分からなかった。
「……うん。荷物番だね」
「そうだ」
「うん。わかった」
シェリアは基本的に従順で、物分かりも良い。
これまでの旅においてテオドールに食い下がったことなど、ほとんどなかった。
今もまた、普段から任されている役割を自ら口にしている。
「……」
いいや、そうさせているというべきか。
テオドールは肺を満たした空気を全て吐き出してしまいたい衝動に駆られ、大きく空を仰いだ。