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目覚めの悪い朝であれば 1



*



 嘘つきばかり。



 本当は、自分以外どうだっていいんでしょ?



*






「――――ッ!」


 声にならない叫びと共に、テオドールは飛び起きた。


 閉じたカーテンの隙間からは、日の光が差し込んでいる。握り締めていたものは、剣ではなく上掛けだ。

 荒れた呼吸を落ち着かせながら周囲を見回せば、ここが宿の一室であった事を思い出した。

 ギシと軋む寝台の上で背を丸め、片手で顔を覆う。


「……夢」


 テオドールは、過去を見せ付けた夢に苛立ちを覚えた。

 あれは、確かに夢だ。しかし、広がっていた光景は過去の再現。

 現実と異なっていたのは、自身が大人の姿をしていた点くらいなものだ。

 当時のテオドールは、まだ十に届かない年頃の少年。あのあたり一帯で、唯一の生き残り。


 あの少女は――"魔女"は、退屈だったのだと告げて消えた。

 退屈。

 たったそれだけの動機で、あの魔女は地図上から村をひとつ消したというのか。

 あの村だけではない。ここ数年、魔女による被害は急速に増えていると聞く。

 やはり、言葉の通りに退屈しのぎだろうか。あるいは。


 テオドールは大きく深呼吸をしてから、上掛けを退けて起き上がった。

 寝台から離れ、テーブル上に置かれた水差しからグラスへと水を注ぎ、片手でカーテンを退ける。

 窓の向こう側には、市場が開かれようとしている光景が見えた。

 まだ随分と早い時間のようだ。

 グラスの水を一気に煽ったテオドールは、再び寝台に腰掛けた。


「……」


 父も母も、他の村人達と同様の末路を辿った。

 それだけではない。

 まだ三つを数えたばかりだった弟にさえ、魔女は平然と手を掛けた。無残に引き裂かれた光景が、未だ瞼の裏に焼き付いている。

 何故だと問いを繰り返しても、夢の中で魔女は笑うばかりだ。

 無意識に揺らしたグラスの縁から、水がぽたりと落ちていく。


 魔女に村を潰された後は、森の向こう側に住んでいた叔父のもとへ引き取られた。

 叔父の病死をきっかけに出た後、一度も戻らなかったあの街にも災厄が訪れたと人づてに聞いた。

 働き手である若い男の大半が、亡くなったらしい。

 溜息をついたテオドールは、テーブルにグラスを戻して立ち上がった。

 そして身支度を整え、剣を腰に下げてから部屋を後にする。

 足を向けたのは連れのために借りた隣の部屋だ。

 しかし、まだ早朝と呼べる時間帯。少し迷ってから、ノックの為に持ち上げていた腕を下ろした。

 昨日は宿に辿り着く時間さえ遅かったのだから、もう少し寝かせてやりたいところだ。

 階段を降りたテオドールは、宿の受付にひと声を掛けてから外へ向かった。


 晴れ渡った空は、憎らしいほどに青い。


 早朝特有の、少し冷えた空気が身体を包んだ。

 賑わいの気配が濃い市場の方向へと歩みを進めれば、道を行き交う人々も増えてくる。

 人々は思い思いに言葉を交わし、挨拶をしては、それぞれの目的地へと散っていく。

 市場に入り込むと、混雑の度合いは更に増した。

 先へ進むほど人の間を縫って歩くことさえも困難になる。

 飛び交う声に注意を払いながら歩みを進めるものの、有益な情報はなさそうだ。


 テオドールが魔女への復讐を誓ってから、既に十五年が経過している。

 ありとあらゆる手掛かりを求め、様々な地を歩き回った。

 魔女の被害に遭った場所に入り込む機会もあったが、いずれにしても生存者――つまりは、目撃者が少なすぎた。

 襲撃の際、魔女は気紛れに生存者を残している。それも、大半は子どものようだ。

 その事実に気がついたのは、旅を始めて三年目の頃だった。

 鬼ごっこ――などと魔女は言っていたが、よもや恨まれたがっているとでも言うのか。


 テオドールは、いまだに魔女の狙いが分からずにいた。

 あるいは、そこに狙いや理由などないのかもしれない。

 それこそ、森の花を手折るような感覚で、あの魔女は人の命を刈り取っている可能性すらあった。だから、不可解であり、そして苛立ちが増すのだ。


「――ああ。西に、魔女が出たそうだな」


 考え事に耽っている最中、そんな言葉が耳に飛び込んだ。

 テオドールは思わず足を止めたが、誰が発した言葉なのか分からずに眉を寄せた。

 そして周囲に視線を巡らせ、声が聞こえたと思わしき方向へと顔を向ける。


「ああ、漁港の船が全ておじゃんだったそうでな。積荷もやられたと」

「そいつは、難儀なこったなぁ」

「だろう? おかげで、ほれ。こいつも小振りなもんばっかでな、俺も困ってる」

「そんな話をされちゃ、値切れねえってなもんだ」


 どうやら、単なる雑談の一部だったようだ。

 だが、店主の表情から察するに商売への打撃は深刻らしい。

 急に立ち止まったせいだろう。周囲の人々が迷惑そうにテオドールを避けていく。

 脇を通り抜けて進む人々に視線を向けたあと、テオドールは客が立ち去った露店へと向かった。


「やあ、いらっしゃい。どうぞどうぞ、見てってくれ」


 愛想の良い店主に対して、テオドールはにこりともしない。

 だが、店主の方はそのような客にも慣れているようで、気分を害した様子もなければ、そもそも特に気にした素振りもない。

 木箱の中に並べられた遠国の果実が、いったいどれほど小振りになっているのか。 テオドールには判断がつかない。結局、顔を上げるなり問い掛けた。


「主人。先ほどの話を聞かせてくれないか」

「うん? なんだい、話ってのは?」

「魔女の話だ」


 魔女。

 その単語に、露店の主人は目を丸くした。


「ああ! 魔女。魔女ねえ、俺は見たこともないんだが、漁港の船がぜーんぶ焼かれたってな話を聞いたんだよ。おかげで入ってくる品物がなぁ」


 漁港の船が、すべて被害に遭った。所有者からすれば被害は深刻だろう。

 だが、街さえ消したことのある魔女にしては随分と小さな悪事であるように感じられて、テオドールは眉を顰めた。


 単なる自然災害を、「魔女の仕業」と考える者もいる。

 何らかの災厄があれば、それを「魔女」だと呼ぶ者もいる。

 飢饉や寒波、干ばつに大雨。すべてが「魔女の遊び」だと思う者もいた。


 それらを考えると、どうにも有益な情報であるとは思えなかった。

 しかし、今のところ手がかりは無に等しい。

 今までも手にした情報の全てが正しかったわけではない。空振りは今更だ。慣れている。

 テオドールがいくつかの果実を差し出すと、店主はそれを袋に詰め始めた。

 提示された金額に頷いて革袋から貨幣を取り出そうとした、そのときだ。


「魔女といえば……船の上にいたんだと。乗ってたわけじゃないぞ。宙を歩いたそうだ。おっかないもんだよなぁ」


 店主の言葉に、テオドールは手を止めた。

 魔女が宙を、歩いた。店主は確かにそう言ったのだ。


「……それは、見た者がいるのか?」

「ああ、取引先の奥さんがね。窓から見ていたそうだ。港にいた従業員も見たってよ。バケモンかと聞いたんだが、どえらいペッピンだったってな話だ。おっそろしいねえ」


 「おまけだ」と言って、店主は橙色の果実を数個ほど袋に入れ始めた。

 その手元を眺めていたテオドールは、少し多めに硬貨を取り出してから隣に来た他の客を見遣る。

 それから店主へと視線を戻すと、礼を告げて袋を受け取った。

 背には店主からの「多いよ」という声が掛かったが、腕を振っただけで振り返りもしない。


 多く渡した分は、いわば情報料のつもりだ。

 実際に真実なのかどうか。確かめるまでは分からない。

 大切なことは、魔女に関する話を少しでも仕入れること。

 もちろん、中には事実無根の話や嘘まで紛れ込んでいる。

 しかし、魔女の存在自体が嘘のような奇怪さだ。

 どのような話も疑い、そしてどのような話も信じなければ、魔女の僅かな尻尾の先を掠めることさえ出来ない。

 旅の中で、テオドールはそう学んでいた。

 実際に被害を被ったケースの話を繋ぎ合わせていけば、おぼろげながら魔女の特徴が浮かび上がる。

 特に空を歩くというパターンは、全ての目撃者が共通して証言している内容だった。


 そして、美しい金色の髪を持ち、白皙の肌に薄らと朱色を宿し、色付いた唇で微笑むのだという。


「……」


 は美しい顔をした、恐ろしい化け物だ。

 テオドールは深い溜息をついたあと、足早に市場を抜けた。

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