「そうか。親切な天使もいたもんだね。」
アスモデウスは穏やかに微笑み、ブラックコーヒーを口に運ぶ。その表情は余裕に満ちていたが、リリスはストローをくわえたまま、不満げに口を尖らせていた。
「そんないいもんじゃありませんよ。『情報を教えてやる』って言ってたくせに、あのあとすぐにいなくなっちゃったんです。もう少し、ちゃんとしたアドバイスとかあるかと思ってたのに。」
「それは残念だったね。でも、もしかしたら、情報収集に時間が必要だったのかもしれないよ。」
「それならそう言ってくれたらいいのに……」
リリスはむくれながらも、再びメロンソーダを吸い上げる。冷たいソーダが舌に広がり、ひんやりとした甘みが気持ちを少しほぐしていく。
アスモデウスはここ数週間のリリスの話に静かに耳を傾けていたが、その目はどこか愛おしさを含むように優しく細められていた。
「リリス、あの非常事態で、よくここまで無事に過ごしたね。」
その言葉を聞いた瞬間、リリスの顔にぱっと喜びが浮かんだ。まるで飼い主に褒められて嬉しがる犬のように、彼女は顔を上げてはつらつとした声で応えた。
「はい!がんばりました!」
アスモデウスもまた微笑み、再びコーヒーを一口飲んだ。
「そして何より、運命の人が見つかったそうじゃないか。」
「まだ確定というわけではないんです。どうやったら見分けられるんでしょう?」
リリスは自信なさげに顔を少し曇らせると、アスモデウスの言葉に頼りたげな視線を向けた。アスモデウスはふと考え込むように目を閉じてから、あっさりとした口調で答える。
「そうだねえ、やっぱりフィーリングじゃないかな。唇を重ねて気持ちいいとか、吸い込んだ精魂が特別な感じがするとか。」
「……なんか、ふわっとしてますね。」
「そうだね。あとは心のつながりとかかな?」
リリスはその返答に眉をひそめ、「ますますわからなくなってきました。」と困った顔をする。アスモデウスは笑いを含んだ声で続ける。
「まあとりあえず、場数を踏んで探すしかないかな。よさげな人と一晩寝てみて、覚醒すればその人が運命の人ってことさ。」
一見軽やかで大胆な提案だったが、リリスは思わず言葉を失って目を伏せた。そんなリリスの様子を察したアスモデウスは、真剣な表情で問いかける。
「そうもいかないのかい?」
リリスは無言で頷き、少し戸惑いを含んだ声で、マルコムから言われた言葉をぽつりと口にした。
「……気になっている人なんですけど、生命力が弱ってて、あたしと寝ると死んじゃうらしくて……」
その言葉に、アスモデウスは「なんだ、そんなことか。」と肩をすくめるようにあっさりと応えた。その態度に、リリスの心にかすかな希望が灯る。
「リリス、私たちは悪魔だよ。時には人の命を奪うことだってある。」
だが、彼の返答は非情で、リリスの希望はその一言で打ち砕かれた。リリスはどこかで、アスモデウスならきっと自分の気持ちに寄り添ってくれるのではないかと期待していたのだ。その期待が裏切られた瞬間、彼女は小さく肩を落とす。
「それどころか、人間を食らって覚醒を遂げるなんて、今の時代にそんなことができれば英雄扱いだってされるだろう。何か不都合があるのかい?」
アスモデウスの声には少しの戸惑いも、揺らぎもなかった。彼にとっては「悪魔」としての常識を疑う必要などまったくないのだ。その言葉が、リリスにとっては何よりも重く感じられる。
「……先生、そんなの、あんまりです……」
リリスの言葉は小さく、けれども静かな抵抗を含んでいた。彼女はどうしても納得できず、胸の内に押し寄せる複雑な感情を言葉にするのが難しかった。アスモデウスはゆっくりと頷きながら、彼女の肩にそっと手を置いた。その眼差しは穏やかでありながら、リリスの気持ちに寄り添いきれていない冷静さがあった。