夜風が静かに舞うバルコニーで、リリスは一人の男と熱烈なキスを交わしていた。月光が二人を薄く照らし、冷たい夜気と重なって肌をくすぐる。
一度唇が離れると、男はリリスに挑発的な視線を向け、再び彼女の唇を強く奪った。リリスは一瞬息を飲んだが、男が見せる冷酷な態度の奥に感じる、彼の独占欲と自分に向けられた情熱に胸が高鳴り、何もかもを忘れるように唇を重ね返した。
その時、リリスは唇の接合部から温かいエネルギーが流れ込んでくるのを感じる。それはまるで綿菓子のような甘さで、ふわりと柔らかく広がり、口の中で繊細にほどけていく。その奥深く複雑な味わいのある不思議なエネルギーは、リリスの心と体をゆっくりと満たしていった。リリスにとってこの体験は、今までしてきたどんなキスよりも特別なものだった。
(……もしかして、この人が運命の人?)
心の中にそんな疑問が浮かんだ瞬間、ふと彼の目の奥に揺れる影が見えた。そこにあるのは深い孤独と哀しみ。彼がどれほどの孤独を抱えているのか、リリスにはまだわからなかったが、その一瞬に漂う哀愁が、彼の心をほんの少し垣間見せた。
「……エリオット?」
リリスは、胸が痛むような思いで彼の名前を呼ぶ。
だが、その瞬間、エリオットの体がふらりと揺れ、そのまま彼はリリスの腕の中で崩れ落ちてしまった。驚いたリリスは、咄嗟に彼を支え、バルコニーのソファにそっと横たえる。顔には疲労が色濃く浮かび、唇はうっすらと青白くなっていた。リリスの指がそっと彼の髪を撫でると、彼女の指は冷たくなったエリオットの肌に触れ、その呼吸が浅く弱々しいことに気づく。
「エリオット!」
彼の名を呼んでも答えはなく、リリスの心にかすかな焦りが広がっていった。どうすればいいのか、どうすれば彼を救えるのか、必死に頭を回転させていた。どうしようもなく混乱していると、背後から突然、どこか冷めた声が響いた。
「あー、そういうことか。」
振り返ると、月光を浴びた白銀の髪が闇の中で冴え冴えと浮かび上がっていた。喪服のような黒いスーツに身を包み、だらしなくネクタイを緩めた男が、リリスとエリオットを交互に見ている。煙草の煙がぼんやりと漂い、その奥にある目はどこか無表情で、興味なさそうに二人を見下ろしていた。
「それ、嬢ちゃんの“獲物”?」
唐突にそう尋ねられ、リリスは驚いて首を振った。「ち、違います!」と咄嗟に答えると、男は軽く笑みを浮かべて肩をすくめた。
「ふーん、あんなに楽しそうにしてたくせに。」
「誰なんですか、あなた。覗き見なんて悪趣味ですよ!」
男は煙草を口から離し、ふっと煙を吐く。
「仕方ないだろ。こいつの監視が俺の仕事なんだからさ。」
そう言うと、男は無造作にエリオットを指さした。その仕草に、リリスは無言で男の顔を見上げる。続けざまに男は呆れたようにため息をつく。
「こいつの寿命が急に不安定になったもんでな、様子を見ろって上から指令が来た。そしたらどうだ、まさか悪魔に魅入られてるとはね。」
男は再び煙草を一服し、真夜中の空に白い煙をくゆらせた。
「……あたしを祓うつもり?」
リリスは警戒を強め、睨みつけるように男を見上げた。
「いや、そんな権限は俺にはない。ただの監視役さ。お前が彼を“食っちまう”なら、それを上に報告するだけ。」
リリスの心臓が一瞬だけドクンと音を立て、男の冷笑が浮かんでいる口元に不快さを覚える。だが、彼女が睨み返すと男はあっけらかんとした調子で続けた。
「さ、俺のことは気にせず続けなよ。」
「できるわけないでしょ!」
リリスは唇をかみしめて男に反論した。
「サキュバスのくせにカマトトぶるな。」
「偏見だわ!」
リリスは強い調子で言い返すが、心の中に宿る不安は晴れないまま、エリオットを膝にのせてそっと撫で続けた。彼がどうしてこんなにも疲れ果てているのか、それがリリスの心の中で小さな棘となって引っかかる。何度も彼の髪に手を滑らせ、その額にかかる汗をハンカチで拭いながら、自分が何もできないことがもどかしかった。
すると、煙草を吸っていた男が、静かに言葉を投げかけた。
「なあ、嬢ちゃん。その男、あんたと寝たら死ぬぜ。」
その一言に、リリスは凍りついた。