様々な機械が整然と並ぶラボの中、デイヴィッドとリップは向かい合っていた。無機質な空間に対照的に、デイヴィッドの手元では、繊細な筆遣いが光っている。彼はリップの爪に丁寧に色を塗り、バランスよくラインストーンを配置していた。その作業は、彼がただの研究者ではなく、器用な職人でもあることを示していた。
「今日は新人さんが来るんでしょ。お出迎えしないの?」
デイヴィッドは作業を続けながらリップに尋ねた。その声には普段通りの落ち着きがあったが、少しだけ彼女を気遣うニュアンスが含まれていた。
「別に、話すことなんかないし。」
リップは肩をすくめ、無関心な態度で答えた。
「初めての後輩だろう?」
デイヴィッドは微笑みながら、筆を動かし続けた。
「後輩って言っても、たぶん年上だし。やりにくい。」
リップは不機嫌そうに顔をしかめた。デイヴィッドは一瞬彼女を見やり、再び作業に戻った。彼女が「後輩」という言葉に違和感を抱く理由を理解しつつも、あえてそこには触れなかった。
「年齢なんて関係ないさ。大事なのは、チームとして一緒にやっていけるかどうかだろう?」
「チームプレイなんて、私が一番苦手なことだって知ってるでしょ。」
リップはため息をつき、少し苛立った様子で言った。
デイヴィッドは爪に最後のラインストーンを配置し、リップの手をそっと離した。
「はい、完成。どうだい?」
リップは自分の爪をじっと見つめた。彩られた爪はラボの光の下で一際美しく輝いていた。彼女は無表情なままだったが、少しだけ口元に微かな笑みが浮かんだ。
「悪くないわね。ありがとう、デイヴィッド。」
「どういたしまして。」
デイヴィッドは満足げに微笑み、リップの反応に安堵しているようだった。そして、工具を片付けながらふと真剣な表情で言った。
「でもさ、リップ。最初からそんなに壁を作らなくてもいいんじゃないか?」
「壁なんか作ってない。ただ、興味がないだけ。」
リップは反論したが、その言葉にはどこか自分を守ろうとする意図が透けて見えた。デイヴィッドは優しく続けた。
「そうかもしれないけど、君だって最初は不安だっただろう?」
その言葉に、リップの眉がピクリと動く。
「新人さんだって、最初はそうなんじゃないかな。少しだけ寄り添ってあげてもいいんじゃない?」
リップは何も言わずに視線をそらした。デイヴィッドの言葉が的を射ていることは、彼女自身も理解していた。だが、自分が簡単に他者に歩み寄れないことを、彼に伝える気にはなれなかった。彼女は、自分が周囲とどこか違うことを常に感じていた。それが、他人と深く関わることを避けてきた理由だった。
「無理にとは言わない。君のペースで構わないから、考えてみて。」
デイヴィッドは穏やかに言い、リップに時間を与えるよう話を締めくくった。リップは静かに頷きながら、視線を自分の爪に落として呟く。
「……様子を見るだけなら、やってみてもいいけど。」
それを聞いたデイヴィッドは、柔らかな微笑みを浮かべて応じた。
「それで十分さ。君なら、きっとうまくやれる。」
ラボの静けさが二人を包み、リップは微かに頷きながら、デイヴィッドの言葉を反芻した。
「そうだ、頼まれていた武器の調整、終わってるよ。」
ふと思い出したようにデイヴィッドが言い、作業台を指さす。その表情には、いつも通りの穏やかな笑みが浮かんでいた。
「最終調整させてよ。」
彼の声は相変わらず穏やかだ。その温もりが、リップの心を微かに揺らした。リップは一瞬眉をひそめ、示された作業台に目を向けた。そこには彼女の片腕を覆う義手と隠し針が仕込まれたバングルが輝いていた。
デイヴィッドが作り上げたこの武器は、彼女にぴったりと装着される特注品だ。その緻密さには、いつもながら感心させられる。細部に至るまで完璧に仕上がり、デイヴィッドの手間と心が込められていることが、見ただけでわかる。デイヴィッドが優しく手招きする。
「ほら、こっちに来て。」
「はいはい。」
リップは冷めた声を出したが、胸の高鳴りを抑えきれなかった。デイヴィッドの丁寧な作業と彼がそばにいる安心感が、彼女にとっては心地よかったのだ。だが、それを認めることができない自分に苛立ちを覚える。
「今回も完璧に仕上げたから、早く使って欲しくてさ。」
デイヴィッドはリップの腕に軽く触れながら、作業台へ誘導した。その触れ方が、リップの皮膚に熱を走らせる。
「……仕方ないわね。」とリップは小さくつぶやき、渋々ながら彼に従う。片腕の義手を外し、デイヴィッドに差し出す。その瞬間、二人の距離がぐっと縮まった。
リップは自分のこの腕が嫌いだ。彼女の片腕は、肩から指先にかけてが毒に侵食されたように紫色の斑模様をしていて、皮膚は爛れている。
デイヴィッドが調整を始めると、彼の顔はリップの目の前にあった。近くにいることで彼の匂いと微かな息遣いまで感じ取れるほどで、リップは緊張に包まれた。反抗したい気持ちと、素直になれない自分への苛立ちが胸を揺さぶる。
「どう?きつくない?」
デイヴィッドが優しく尋ねた。リップは気持ちを落ち着けようとしながらも、「大丈夫。」とそっけなく答えたが、その声はわずかに揺れていた。
「よかった。改良してから調整が難しい部分があったから、心配だったんだ。」
デイヴィッドは安心したように微笑んだ。その笑顔に、リップの心も少しだけほぐれた。自分のためにこんなにも丁寧に働いてくれる彼を見ていると、反抗的な態度を取ってしまう自分が情けなく思えてくる。
「あんたって結構細かいよね。」
「そうかな。」
デイヴィッドはリップの目を見て優しく言った。彼が細やかに気を配るのは武器の調整だけではない気はしているものの、リップはその言葉の真意を測りかねる。
「……別にどうでもいいけど。」
リップは目を逸らし、冷たい態度を装ったが、顔が少し赤くなっているのを感じた。デイヴィッドは気づいているのかいないのか、変わらず穏やかな笑顔を浮かべながら、最終調整を続けた。
リップは彼の横顔をちらりと見て、小さくため息をついた。素直になれない自分が情けない。でも、デイヴィッドのそばにいると、不思議と心が落ち着く。それは、嫌な感覚ではなかった。
「よし、これで完成だ。」
デイヴィッドは最後のネジを締め、満足そうに言った。
「……ありがとう。」
リップは小さくつぶやいた。その声には、彼女なりの精一杯の感謝が込められていた。
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アポロは、あたたかな光に包まれていた。彼は浮遊感とともに、落ちているのか上昇しているのか、時間や空間の感覚が曖昧になっていた。まるで全てが一つに溶け合い、世界の境界線が消えてしまったかのようだった。しかし、やがて足元に固い何かが確かに触れ、アポロは地面に降り立ったことに気が付いた。
鳥のさえずりが聞こえる。アポロの目の前に広がるのは緑に囲まれた静かな場所だった。木々が風にそよぐ音が聞こえ、涼しく爽やかな風が頬を撫でる。彼は自分がどこにいるのかを理解しようと周囲を見渡した。すると、目の前には大きな屋敷がそびえ立っていた。
頑丈そうな門の前には、一人の女性が立っていた。爽やかな風が吹き抜ける中、彼女は微動だにせず、漆黒の髪を風に任せてなびかせている。その髪は、夕日を反射して艶やかに輝き、まるで大河の水面のようだった。彼女の凛とした姿は、黒いパンツスーツスタイルがよく似合っていた。チャイナ服の襟元から覗く白い肌が、彼女の健康的な美しさをさらに引き立てていた。彼女のたたずまいは厳粛でありながらもどこか親しみやすさを感じさせる。
その女性はじっと門の向こうを見据え、静かに待っていた。彼女の切れ長の目は涼やかで、黒く輝く瞳は神秘的で、吸い込まれてしまいそうになる。まるで、どんな過去もどんな未来も一瞬で見通せるかのような感覚さえ覚える。
アポロが彼女に気づき、少しずつ歩みを進める。彼女もまた、その気配を感じ取り、ゆっくりとアポロに向かって歩み寄る。長い髪が彼女の動きに合わせて柔らかに揺れ、その一挙一動がまるで舞踊のように優雅だった。彼女が口元に浮かべたほほ笑みは、上品でありながら温かく、初めて会ったはずの相手であるにも関わらず、まるで懐かしい再会のような安心感をもたらしていた。
「あなたがアポロ?」と、女性は柔らかく尋ねた。その声は耳に心地よく、穏やかでありながらも芯の強さを感じさせた。その声はまるで心に直接抱擁をされているような温もりがあり、アポロは自然と肩の力が抜けていくのを感じた。
アポロは小さく息を整え、礼儀正しく答える。
「はい。これからお世話になります。」
彼女はふっと目を細め、微笑を浮かべた。
「私はレイア。よろしくね。」
その言葉とともに、彼女はアポロの手をそっと取る。彼女の手の温もりがアポロの全身にじんわりと広がった。アポロの心に張り詰めていた緊張が少しずつ溶けていくのを感じる。
「これから、みんなを紹介するわね。」
レイアはそう言いながら柔らかな笑みを浮かべた。その瞳の中には、新しい仲間としてアポロを迎えることを心から楽しみにしている期待がにじみ出ていた。彼女の表情には、決して作り物の笑顔ではない、相手を大切に思っている真実の気持ちが透けて見えた。
レイアの言葉や仕草は、まるで古い友人に接するかのように自然で、彼女の存在そのものがアポロに安堵を与えた。これから始まる新しい生活に対する不安は、彼女の手を通じて、どんどん小さくなっていった。
「さあ、行きましょう。」
レイアは柔らかな声で言いながら、頑丈な門を押し開けた。その動きには一切の無駄がなく、しかし力強い。開かれた門の向こうには、アポロにとって未知の世界が広がっている。けれども、レイアがそばにいることで、その未知の世界は少しずつ色づき始め、新たな希望に満ちた未来を予感させた。
アポロは、レイアに促されながら一歩前へと踏み出す。門の向こうには広大な庭園が広がり、石畳の道が屋敷へと続いていた。夕日が静かに屋敷を照らし、どこか異世界のような神秘的な空気が漂っている。アポロはその光景に一瞬心を奪われたが、再び足を進めた。
「ここはラストリンクの本部。仲間たちはみんな個性的だけど、優しい人たちばかりよ。きっとすぐに馴染めるわ。」と、レイアはアポロを先導しながら、信頼感をにじませた声で語った。
しばらく歩くと、大きなドアの前にたどり着いた。レイアはそのドアを押し開けて中に入り、アポロもその背中を追いながら、胸の高鳴りを感じていた。これから出会う仲間たちはどんな人たちなのだろうか。彼の知らなかった新しい世界が、今ここで広がろうとしているのだ。
屋敷の中は広々としており、モダンな設備とアンティークな家具が調和していた。重厚な木製のドアや装飾的な柱、柔らかなカーペットに並べられた革張りのソファが、歴史の重みを感じさせる。一方で、天井の隅に設置された最新の防犯システムや壁に埋め込まれたモニターが、現代技術の存在感を見せていた。過去と現在が融合するこの場所には、独特の雰囲気が漂っていた。 アポロはその光景に目を奪われながらも、胸の中で少しずつ緊張が広がっていくのを感じていた。
どこか落ち着かない気持ちと期待が入り混じり、呼吸が浅くなる。それに気づいたのか、レイアが穏やかな表情で振り返った。
「大丈夫よ。怖くないわ。」
彼女の声は、アポロの心を少し和らげた。レイアはそのまま廊下を進み、彼を奥へと導いた。廊下の先からはかすかな話し声が聞こえてくる。活気のあるその声に、アポロは少し緊張をほぐしたが、同時に、大きな変化が自分に迫っている感覚もあった。