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第43話 『救急法』

 マイカが「子供が海に落ちた」と声がした方を見ると、そこには桟橋があり、桟橋からやや離れた海上に水しぶきが上がっていて、子供が溺れていた。

 マイカがいる場所から距離にして約100メートルくらいである。

 穏やかに見える海面だが、潮の流れが速いのか、その溺れている子供は、みるみる沖へ流されていく。


「おお!何とかせねば!」

「誰ぞ、助けに入らんか!」

「何故、こんな時に桟橋にボートが無いのだ!」


 子供が溺れているのを見ながら、その辺りににいた人達は口々に言葉は放つものの、誰も助けにいく様子はない。

 警備の近衛騎士を呼びに行った者もいたが、離れているのか、直ぐには間に合わない。


「イカン!」


 マイカは素早くネックレスとブレスレットを外し


「ハンデル、これを頼む!」


と、ハンデルに渡し、その場でヒールの高い靴を脱ぎ捨て、桟橋に向かって走り出した。

 走り出す際、被っていた帽子も取って、その場に放り投げた。

 特徴のある長い耳が表に現れる。


「エ、エルフ!?」

「彼女が、かの噂のエルフであったか!?」

「噂以上の美しさではないか!」


 人々が驚きの声を上げる中、マイカは脇目もふらず全速力で走り抜け、桟橋まで着いた。

 マイカが桟橋に着く前に、溺れていた子供は海中に沈んでしまった。

 マイカは桟橋の先端部まで行くと、そこで着ているドレスを脱いで下着姿となって海へ飛び込んだ。

 マイカはクロールで、全力で泳ぎ始めた。


「何だ、あの泳ぎ方は?初めて見るぞ!」

「速い!エルフは泳ぎも得意なのか!?」


 人々が驚嘆の声を上げる間にもマイカは子供が沈んだ辺りまで泳ぎ着き、そこで海中へと潜った。


「………」


 マイカが海中に潜ってから少し時が流れた。


「おい、潜ったまま上がってこんぞ。」

「もしやエルフも溺れてしまったのではあるまいな?」

「いや、子供が見つからんのか?」


 マイカが長い時間海中から上がってこないことへの心配の声を、人々が口々に上げていたところ


「バシャッ!」


 先に潜った場所よりも更に沖からマイカが海上へ上がってきた。右脇に子供を抱えている。


 (クソッ、沈んでから更に流されていた。それと予想以上に深くて、引き上げるのに時間がかかってしまった。)


 マイカは、体を左下斜めにするような形で海面に仰向けとなり、右胸の辺りに子供の後頭部を置いた。右腕を子供の右脇下に差し入れてかかえている。

 そこからマイカは蹴伸けのび泳ぎ、厳密にいえば、背泳ぎの平泳ぎのような足使いの泳法で泳ぎ始めた。

 右腕は子供を抱えているため使えない。

 左腕と両脚で懸命に水を掻いた。

 水を掻く度、マイカの顔は少し水面に沈むが、マイカの胸の上にある子供の顔は沈まない。

 マイカは有らん限りの全力で浜辺へと急いだ。


 マイカは引き上げた子供を砂浜の上に仰向けで寝かせ、自分は子供の顔の左横辺りに座った。


「レフィ!!」

「あぁ!レフィーっ!!」


 30歳前後の立派な身なりの男女が子供を見て叫び声を上げた。おそらくこの子供の両親だろう。


 マイカは子供の名を叫んだ男女には一瞥いちべつもくれず、子供の肩を叩きながら


「おい大丈夫か?大丈夫か!?大丈夫か!!?」


と、段々と声を大きくして呼び掛けたが全く反応がない。

 マイカは呼び掛けつつ、その子供の胸を観察していたが、子供の胸は上下運動をしていない。

 マイカは右頬を子供の鼻の穴の前まで近付け、次に右耳を子供の胸につけた。


「…呼吸も、脈も止まっている……」


「な!!?」


 マイカの呟きに、その子供の父親らしき男性は驚きの一言を発し、固まったように動かなくなり、母親らしき女性は失神してしまった。

 固唾かたずを飲んで見守っていた周りの貴顕紳士淑女達からもめ息や嘆声たんせいが次々と起こった。


 (出来るか?アキラ…いや、やるしかない!実際にするのは初めてとなるが、今まで何十回、いや、何百回と訓練してきた!)


「誰か!AED…」


 (んなもん、この世界にあるか!落ち着けアキラ!!

 相手が小さな子供であるのと、今のオレの腕力は普通の女の子でしかない事を考慮して…)


 マイカは子供の胸の中心に右手を当て、左手を右手の上に添えた。

 本来なら、右手の指の間に左手の指を差し入れて手を組むところであるが、力が入りすぎないように、添えるだけにしたのだ。


「1、2、3、4、5………」


 マイカは力の加減をしつつ、しかし、体重はちゃんと乗せるようにし、一定のリズムを保ちながら子供の胸を圧迫し続けた。


「30!気道確保、人工呼吸!」


 マイカは左手を子供の顎に手を掛けて引き寄せ、顎が上向きになるようにし、次に右手で子供の両鼻の穴をつまんで自分の口唇を子供の口唇に重ね、息を2回吹き込んだ。


「1、2、3、4、5………30!気道確保、人工呼吸!」


 人工呼吸を2回行なった後、再び胸を30回圧迫し、そして再び2回人工呼吸を行なった。


「エルフ殿は何をしておられるのだ?」

「何かの儀式儀礼か?」

「よもや、あの子をよみがえらせようとでもいうのか?」

「エルフとは、死人を生き返らせる事が出来るのか?」


 周りの人々が呟く中、マイカは胸の圧迫を続けていたが


「エルフ殿…もうよい…見ず知らずの我が子の為によくやってくれた。

 レフィはもはや……」


 その子供の父親らしき男性が、そうあきらめの言葉をマイカに掛けてきた。


「バカヤロウ!親があきらめてどうする!!

 下らない事を言うヒマがあったら、この子の名を呼べ!

 大声で名を叫んで、この子を呼び戻せ!!」


 マイカが胸の圧迫を続けながらそう叫ぶと、その子供の父親は、ハッとした表情となり


「レフィ…レフィ!レフィ!!」


と、有らん限りの大声で名前を叫んだ。


「レフィ!」

「レフィ君!」

「戻ってくるんだレフィ!」


 周りにいた人々も、それぞれ、子供の名を叫び始めた。

 その人々の叫び声に、失神していた子供の母親も気がつき


「目を覚ましてレフィーー!!」


と、大声で叫んだ。


「聞こえるかレフィ!聞こえたなら早く戻ってこい!!」


 そうマイカが叫ぶと、マイカの体が強い光を放った。

 これまでの柔らかい光ではない。強い、閃光ともいうべき眩しい白い光だった。


「あっ……」


 人々が、その光の眩しさに目をつむったり顔をそむけたりした瞬間


「グポッ!クポッ!ウポッ!」


 レフィの体が仰向けのまま上下に痙攣けいれんするかのように動き、口から水を吹き出した。

 マイカは、すかさずレフィの体を担ぎ上げ、その腹を左肩の上にもたれさせるようにし、右手でレフィの背中を、バンバンと何回も叩いた。

 レフィは口から海水の他、この会場で食べた物だろう、多量の吐瀉としゃ物を吐き出した。

 吐瀉物がマイカの背や肩、髪を汚したが、マイカは一向に気にしなかった。

 レフィは一頻ひとしきり吐瀉物を吐き出した後、全身を使い、口で大きく呼吸をし始めた。

 次にマイカはレフィを肩から下ろし、レフィの背を右手で支えながら、地面に尻をつかせて座らせ、レフィの鼻の穴を下から覗きこむと、その鼻に吸いついた。


「スゥーッ、ペッ。スゥーッ、ペッ。」


 マイカは口でレフィの鼻に詰まった吐瀉物を吸いとり、横手の地面に吐き捨てた。


 (かのエルフ…そんなことまで…何という…)


 その光景を見ながら、レフィの父親は涙を流していた。


「うっ…うぅっ……うわ、うわーん!うわぁーん!!」


 レフィが大声を上げて泣き始めた。


「生き返ったぞ!」

「なんと!奇跡だ!!」

「エルフが子供を生き返らせたぞ!!」


 周りの人々が口々に大声を上げたが、マイカはそれを上回る大声で


「お医者様はいますか!?お医者様を呼んで!!」


と叫んだ。


「私が医者だ。皇室付き侍医のコーバスだ。」


 先程から周りで様子を見ていた人々の中から一人の50歳絡みの男性がマイカの前に現れた。医者らしく白い上衣を着ている。


「今後、高熱が出るおそれがあります。

 高熱が出ると、折角の蘇生がフイになります。そうならなくても、重い障害が残ってしまうかもしれません。

 この後の適切な処置をお願いします!」


 マイカがコーバスと名乗った医師に懇請すると


「うむ、うけたまわった!任されよ!!」


と、力強く答えてくれ、彼の部下らしき数名と共に用意していた担架にレフィを乗せた。


「ベレイド子爵、御子息を離宮建物内にお運び致します。」


 コーバス医師がレフィの父親に向かってそう言い、部下達に指図してレフィを運んでいった。レフィは担架の上で大声で泣き続けている。


「エ、エルフ殿、此度こたびは何と礼を申してよいのか…」


 ベレイド子爵が話しかけてきた言葉を終わりまで待たず、マイカがベレイド子爵に


「レフィ君はショックを受けて大きな混乱状態に陥っています。

 御両親はついていってやって下さい。さ、お早く!」


と言った。


「ん!」


 ベレイド子爵が頷き、マイカに一礼してから妻と共にレフィの後を追った。

 レフィの後を追いながらベレイド子爵は


 (この恩は…いや、この御恩は、決して忘れぬ!!)


と、マイカへの強い感謝の気持ちにあふれていた。


              第43話(終)


※エルデカ捜査メモ


 マイカの前世、舞原 彰(まいはらあきら)は、もともと水泳が苦手であったが、警察学校での、足が着かない深いプールでの救急法の訓練により、苦手を克服した。

 救急法の訓練は定期的に積極的に行ない、消防局の救急隊員が太鼓判を押す程に巧くなっていた。

 さらに、定年後にトライアスロンに挑戦しようとトレーニングをしていたおかげで、水泳についても達者になっていた。



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