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第31話 『摂政エフェリーネ その過去』

 マイカとハンデルがファーハイトの宿場町に到着した頃、ラウムテ帝国帝都ホフスタッドの皇宮ヒローツパレイスの一室に、摂政エフェリーネと、その秘書、褐色ダークエルフのリーセロット、そして、リーセロットの配下で同じく褐色ダークエルフのララの姿があった。

 インハングの街から馬車で走っても二日はかかるという道のりを、ララは一昼夜で駆け抜けてきたのだ。


「どうでしたか?ララ。」


「はい、リセ。インハングの街において、伝説の高位ハイヤーエルフ様を発見致しました。

 日を待たず、この帝都に参られます。」


流石さすがです、ララ。こうも早く見つけるとは。」


「お誉めに預り、感謝致します。リセ。」


 (スイーツ目当てにサボってたところで、偶然見つけたなんて、とても言えないなあ…)


「それで高位ハイヤーエルフ様はお一人なのですか?」


「いえ、ハンデルという名の行商人と行動を共にしておられます。

 このハンデルという男、行商人組合ギルドに属する者に聞き込んだところ、闘商として名高い男のようでして…

 なんと、このわたくしめの尾行に気付いた程の者にございます。」


「何ですって!?

 ララの尾行に気付くとは、そのハンデルと申す者、只者ではありませんね。」


「はい、左様さように思います。かなりの手練てだれの者かと…」


 (ハンデル…ハンデル…よくある名だわ…)


 リーセロットとララのやりとりを側で見聞きしていたエフェリーネは、遠い過去を回想していた。


 16年前の、雪の降る朝だった。

 場所は帝国領北端に位置するアルム村。

 まだ6歳だったエフェリーネは、男に手を引かれ、村から出ようとしていた。

 その40歳がらみの中年男は、エフェリーネの親でも知り合いでも何でもない。

 男は奴隷商人だった。


「エリー!エリー!!」


 10代半ばくらいの、茶色いくせ毛の、茶色い瞳の少年が叫んでいた。

 少年は、屈強そうな大人の男に羽交い締めにされ、半ば宙に浮き、足をバタつかせている。


「お兄ちゃん!ハンデルお兄ちゃん!!」


 幼い頃のエフェリーネも、その少年に向かって叫んでいた。


「エリー!何処に行っても、必ず探しだしてやる!

 必ず、必ず迎えに行くからな!!」


 そこから何日旅をしたのかは、もう覚えていない。

 ただ、その奴隷商人の男は、エフェリーネ、いや、エリーに優しかった。

 エリーが今まで食べた事がない柔らかいパンや、美味しいチーズをくれた。

 その奴隷商人が自分に言った事でよく覚えているのは


「お嬢ちゃんのおかげで、あの村は救われたんだよ。」


という言葉だった。

 幼いエリーには、よく判らなかったが


 (自分が奴隷に売られる事が、村の人達を助ける事になるのだ。)


という風には思った。


「お嬢ちゃん、もうすぐ帝都だよ。善い人に買われると良いね。

 まあ、お嬢ちゃんみたいな器量のいい女の子は、きっと大金持ちの所に行けると思うよ。

 達者で暮らすんだよ…」


 奴隷商人の男はそう言い、最後までエリーの身の上を案じてくれていた。


「ああぁぁーーっっ!!」


 目の前に豪華な毛皮のコートを着た、背が高く体格のいい女の人が現れ、大声で叫んでいた。

 側にもう一人、黒いコートと黒い帽子を身に付けた褐色の肌の女の人も居る。


「エフェリーネ!エフェリーネ!!帰ってきてくれたのね!?」


 その背が高い女の人がエリーに向かって言った。


 (エフェリーネ?この人、だれ?あたしはエリー)


「ほら、リーセロット!エフェリーネがちんの元へ帰ってきてくれた!

 エフェリーネ、今まで何処に居たの!?」


 背が高い女の人が、側に居た褐色肌の女の人に話した後、またエリーに向かって話しかけた。


 (この女の人は何を言ってるんだろう?)


 その背が高い女の人はエリーに抱き付いてきた。エリーが何か言おうとしても


「エフェリーネ!朕の可愛いエフェリーネ!!」


と言って、エリーの話を聞こうともしない。


「これ、そこの男。あの娘は我らが引き取らせてもらうぞ。

 かねなら、いくらでも払う。」


 リーセロットと呼ばれた女の人が奴隷商人の男に向かって、そう言った。


「そ、それは困ります!そのお嬢ちゃんは正当な取引きをした奴隷で、既に奴隷庁にも届出ております。

 お金だけの問題では…」


「大丈夫だ。そちらの方にも我らが手を打つ。

 つべこべ言わずに売値を申せ。」


「い、いや、相当な御身分の方とお見受けしますが、たとえ貴族の奥方様でも、帝国の定めには逆らえない筈…」


 そう言う奴隷商人の男に、リーセロットはふところに隠し持っていた短剣を取り出して見せた。

 抜いてはいない。刀身は鞘に収まったままである。その短剣の柄に彫られている模様を見せた。


「そ…それは!?こ、皇家の…皇家の紋…」


 奴隷商人の男が言い終わるのを待たず、リーセロットが


「この事、構えて他言無用だ。判ったな?重ねて申すが、あの娘、貰っていくぞ。

 女の子の奴隷は高価と聞く。

 さすれば、これを…」


 リーセロットは黒いコートの前をはだけ、腰に付けていた革袋を奴隷商人の男に渡した。

 革袋は人の顔ほどの大きさで、リーセロットが無造作に片手で渡してきたため、奴隷商人の男も片手で受け取ろうとしたところ、袋の上部を握ったまま、あまりの重さに、下に落としてしまった。

 奴隷商人の男がおそおそる袋の口を開いたところ、中には数え切れないほど多量の金貨が詰まっていた。


「それだけあれば事足ことたろう。

 さあ、去るがよい。」


「こ、こ、こんなに!?

 え…いや、あ、あ、あ、ありがとうごぜえます。」


 奴隷商人の男は袋を両手で抱え、その重みによろつきながら、もと来た道を戻っていった。


 (それから私は帝都に…お城に連れて来られた。)


 エフェリーネの回想は続く。

 その背が高く体格のいい女性は、ラウムテ帝国第9代皇帝ヨゼフィーネだった。

 先日、一人娘のエフェリーネ姫を熱病で亡くしたばかりという。

 ヨゼフィーネは悲しみのあまり、にわかに姫が死んだことの現実から目をらしていた。

 そして、リーセロット一人を連れてしのびで街や郊外に出かけ、死んだエフェリーネ姫と同じ年頃の娘を探すようになったという。

 そして、やはり、どの娘もエフェリーネとは違うという現実に落胆する日々であった。

 そうした日々の中で、死んだ娘と生き写しのエリーと出会った。

 ヨゼフィーネは歓喜した。いや、狂喜したといってもいいだろう。

 勿論、心の奥底では赤の他人である事は充分に理解している。

 しかし、ヨゼフィーネは努めて信じようとした。

 最愛の娘エフェリーネが自分の元に戻ってきたのだと。


 それからエリーはエフェリーネとして育てられた。

 皇族として必要な教養、帝王学などを叩き込まれ、馬術や剣術などの武芸も身に付けた。

 新たに母となったヨゼフィーネも、その夫で父となったドラーク公アルフレットも、教授する際は厳しかったものの、それ以外では大きな愛情で包んでくれた。

 二人とも、教えた事がよく出来た時などには、エリーを優しく抱き締めて誉めてくれた。

 エリーは特に、父となったアルフレットが、白髪と白髯はくぜんで包まれた顔を笑み崩して、その大きな、デップりとした体に包み込むようにして抱き締めてくれるのが好きだった。


 (そう、そうして私は皇女エフェリーネとして過ごしてきたわ…

 そして、1ヶ月前…)


「エフェリーネ…もそっと近くへ…」


 女帝ヨゼフィーネは病床にあった。

 頬は痩せこけて目も落ちくぼんでいる。どう見ても末期患者だった。


 (陛下が発病されて1年。それから段々とお痩せになられて、かつての立派な体躯たいくが見る影もなく…

 特に半年前に御父上が突然たおれられてからの衰えようは、目を覆いたくなるくらいだわ…)


 エフェリーネはヨゼフィーネの枕元まで来て、顔をヨゼフィーネの口元に近づけた。


「朕は間もなく死ぬであろう。…さすれば、そなたに申し残しておくことがある。」


「そ、そんな、陛下!もっとお気を強く持たれますように!」


「いいえ…判るのです。今日中か…明日にも、朕は世を去るであろう…」


「陛下…私はかねてから申し受けている通り、帝国摂政となり、新たに即位するヤスペルの補佐を立派に勤めあげる所存です。」


「……思えば朕は其方そなたを、ずっと皇宮というおりに閉じ込めていましたね…

 奴隷の身分から解放するどころか、より強く自由を奪ってしまった…」


「いえ、そんなことはありません!陛下。

 陛下は、陛下は私を愛して下さいました!」


「ええ…愛していたわ…でも、それはエフェリーネとして…」


 一旦言葉を切ったヨゼフィーネの両眼から涙があふれてきた。


「エリーとして、ではないわ…

 ごめんなさい…ごめんなさいね、エリー。」


 この時、ヨゼフィーネが初めてエフェリーネの前名、エリーの名を呼んだことに驚き、驚きのあまりエフェリーネは絶句した。


「あのね、エリー…いいのよ、もう…

 其方の自由にして、摂政なんかにならずに、皇宮を出て、何処かで自由に暮らしなさい…

 リーセロットには、もう頼んであるの…」


「何をおっしゃいます!?陛下!

 そんなことをすれば、帝国は…」


「帝国のことなど…今、この時に至っては…まるで夢幻ゆめまぼろしのような…

…ふふふ、今までのこと、本当の事だったのかしら…?」


「陛下…」


 エフェリーネは、そのヨゼフィーネの突拍子とっぴょうしのない発言に言葉を失いかけたが、グッと口唇を噛みしめ


「陛下!私は皇帝ヨゼフィーネ陛下とドラーク公の娘です!

 生涯、皇族として、摂政として、帝国にこの身を捧げます!!」


「………」


 ヨゼフィーネは、そのエフェリーネの申し出には、もう返答しなかった。


 やや長い静寂の後


「ねえ、エリー…最後に一つだけお願いがあるの…聞いてくれるかしら?」


「はい!私に出来ることならば、何なりと!」


「お母さん…て、呼んで欲しいの…」


 思い返せば、エフェリーネはヨゼフィーネのことを「お母さん」と呼んだ事は一度もなかった。「母上」「母上様」「陛下」…先程からもずっと「陛下」と呼んでいる…


「お…お母さん…お母さん、お母さん!」


 自分に抱き付いてきて、泣きながら「お母さん」と叫ぶエフェリーネの頭をヨゼフィーネは撫でながら


「ああ…もう…これで思い残すこともない……」


と満足そうに言った。


「ふふふ…アルフレットたら…何をそんなに慌てて…」


 ヨゼフィーネの胸元に顔をうずめていたエフェリーネは、ハッと気付き、ヨゼフィーネの呟きに耳を傾けた。


「アル…子供の頃からずっと一緒……もう、絶対に離れないから………」


「お母さん!!」


 エフェリーネの言葉に、ヨゼフィーネはもう反応しなかった。


「アル…急が…なくても……す…ぐに…追いつく…か…ら………」


 その呟きを最後に、ヨゼフィーネは昏睡状態となり、そのまま意識が戻ることなく、翌朝、静かに息を引き取ったのだった。


「……殿下…殿下、エフェリーネ殿下。」


 リーセロットの問いかけでエフェリーネは我に返り、リーセロットの方を向いた。


「殿下、高位ハイヤーエルフのマイカ様が帝都に到着されたら、お召しになられますか?」


「ええ、是非会いたいものです。」


「いかに旧コロネル領の民を救うために功有りとはいえ、間接的ですし、爵位も持たれていないため、公式の謁見は無理かと存じます。

 私とララが、同じくエルフ種である縁で、お会いしたい、という理由でお呼びしましょう。

 殿下は、偶然そこへ通りかかる、というていで。」


「ええ、そのように…」


「殿下、その供のハンデルという男にもお会いなされますか?

 今まで流通の妨げとなる、多数の街道筋の悪党どもを退治してきた故、帝国経済に貢献してきたと言えますが。」


 リーセロットの横から、ララがそう言った。


「え?え、ええ、そうね。その者、確かに多くの人々を救いし誉れの者。

 声を掛けてやっても良いわね。」


 (会ってどうするの?エリー…

 同名の他人に違いないわ。だって、アルム村の人達は、今から5年前の大冷害で…

 現実を見せつけられて落ち込むだけじゃないの…)


「では、高位ハイヤーエルフ様が帝都に到着されたら直ぐにしらせがくるように手配致します。」


 リーセロットはそう言い残し、ララと共に部屋から出ていった。


               第31話(終)


※エルデカ捜査メモ㉛


 ラウムテ帝国第9代皇帝 女帝ヨゼフィーネと、その夫であるドラーク公爵アルフレットは同い年で、幼き頃から兄妹〈姉弟〉のようにして育った。

 お互いに15歳の時に結婚し、仲睦まじい夫婦であったが、中々、子宝に恵まれず、結婚して20年も経った、お互いに35歳の時に、ようやく姫を授かった。

 そのエフェリーネ姫を溺愛したが、エフェリーネ姫は6歳で儚く世を去ってしまう。

 このエフェリーネ姫の死に対するヨゼフィーネの落胆は甚だ激しいものであり、死を公表することは、改めて姫の死の事実をヨゼフィーネに突き付ける事となって、その精神が崩壊するのではないかと危惧したドラーク公により、エフェリーネの死は隠匿された。

 そしてその事は、その2ヶ月後にヨゼフィーネが連れてきた、エフェリーネに生き写しのエリーに、すり替える事に役立ち、エフェリーネが別人とすり変わったと気付く者は居なかった。

…ただ一人を除いて…








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