ハアッ、ハアッ、ハアッー。くっそおーっ!」
夜の街の中、一人の男が顔にいっぱい汗を搔き、息を切らしながら全力で駆けてゆく。
年の頃は三十歳前後だろうか、背が高く、長袖Tシャツにジーパン姿、目鼻立ちも整った感じに見える。
しかし、息切れの苦しさからか、または他の理由からか、面相が若干歪んで見える。
「いい加減諦めたらどうだ!俺からは逃げられんぞ!!。」
駆けてゆく男の後に、もう一人の男。
口髭を生やしたスキンヘッドの中年の男。
スーツの上からでも全身の筋肉が盛り上がっているのが判る、見るからに屈強そうな男だ。
いわゆる
【イカついオッサン】
だが、まつ毛の長い、女性のような
前を駆ける男と違い、汗もかかず息も全く切らしていない。余裕を持って追いかけているよいだ。
その【イカついオッサン】は、逃げる男を追いかけながら、これまでの事を回想していた。
(十年間逃走を続けていた強盗殺人犯、山楝蛇 咬ニ
この街に目を付けて正解だった。近頃、人口が大きく増えて色んな人間が流れ込んでいたこの街を。
お前をこの手で逮捕して、定年まであと一年を切った、この舞原 彰
「さあ、コージ!さっさと観念しやがれ!!」
追われているコージは建設中のビルの中へと逃げ込み、それを舞原彰が追う。
コージは階段を登り屋上に出たが、そこで体力が尽きたのか、しゃがみ込んでしまった。全身で激しく息をしている。
そのコージに舞原彰がゆっくりと近づき、静かに見下ろした。
「終わりだ、コージ。神妙にお縄につけ!」
と、後輩刑事達からも
【いちいち言葉が古い】
と言われている独特の言葉使いでコージに向かって言った。
コージは激しく息切れしながら
「待って、待ってくれアキラのおっさん。
そうだ…、オレ…、自首…自首しようと…思ってたんだよ。」
と、アキラに向かって、途切れ途切れに、そう言った。
「はあ?コージ、お前の事を、十代のガキの頃から知ってるがな、お前、昔から平気で嘘をつくヤツだったよな。
仲間に対してすら、そうだったな?
十年前、お前がリーダーだったギャング団〈サーペンス〉の隠れ家に踏み込んだ時、仲間を裏切り、あまつさえ仲間を人質にとって、お前一人だけ逃げおおせたよな。
そんなお前の言うこと、にわかに信じられるか!」
アキラは突き放すようにコージに向かって言った。
「いや。そうだった。でも判ったんだ、アキラのおっさん。
オレがそんなんだったから、十年も一人で逃げ続けなきゃならなかったんだって…
つくづくイヤになってきたんだよ、自分自身に…
生まれ変わりたいと。近頃本気で思っていたんだ。
やり直したいんだ、オレ。勿論、犯した罪を償ったうえで。
何年、何十年かかるかもだけど、真人間になりたいんだ!」
「…本当か?コージ。」
「ああ、本当だとも!アキラのおっさん!!」
アキラは黙って、暫くの間コージの顔を見つめた。
コージの目には真剣味が溢れていた。
「…判った、コージ。」
アキラがそう言うと、コージの表情が明るくなった。目には涙を浮かべている。
「オレが自首したことにしてくれるのか?」
「残念だが、それは出来ない。本当の意味での自首ってのは、その犯罪行為自体が知られる前に言うことなんだ。
警察が知った後じゃダメなんだ。」
「そうか…」
と肩を落とすコージ
「だが、これまでのことを反省して、自ら捕まりに来た、とは、上に言ってやる。」
再びコージは明るい表情となり、ゆっくり立ち上がると、アキラに向かって右手を差し伸べた。
コージが差し伸べた右手に、アキラも右手を伸ばし、そっと、だが、力強く握手した。
その瞬間、コージがアキラの手を引き寄せ、アキラの胸に体をぶつけるように飛び込んできた。
「うっっ!!」
アキラは右脇腹に強い衝撃
、焼けるような痛みを感じた。
アキラの右脇腹にコージの左手があった。何かを握っている。血が大量に流れ出していた。
アキラは全身から力が抜け、膝を折って前のめりに倒れてしまった。
うつ伏せの態勢のまま、アキラが顔を上げると、左手に折り畳み式ナイフを持ったコージが立っていた。
刀身だけでなく、柄やコージの左手にもべっとりと血が付いた様子から、かなり深く突き刺したのだろう。
「コ…コージ…貴様!」
「ハッハッハッハッ!
そうだよ!オレはアンタが言うとおり、平気で嘘が付けるヤツだよ!
捕まってなんか、たまるかよ!
おっ、そうだ。」
コージはうつ伏せに倒れているアキラの上着の内側、左脇辺りに手を入れると、アキラが装備していた拳銃を取り上げた。
「コイツがあれば、これから色々と楽しいことが出来そうだ。
あばよ!アキラ!!」
そう言い残すとコージは足早にその場から去っていった。
「ま…待て…コージ……」
遠のいていく足音を聞きつつ、アキラの意識は次第に薄れていった。
「ハハハハッ、しかし、お人好しだね、アキラのおっさんも。」
ビルから出てコージは独り言を言いながら人通りの無い路地を歩いていた。
「この、手に付いた血を何処かで洗い流さないと…
おっ、公園か?」
コージは、路地を抜けた通りの向こうに公園があるのを見つけた。
「よっしゃ、あの公園で血を洗い流そう。」
と、コージが通りに出た瞬間、右方から何かが迫ってくる気配を感じた。
コージが右を向いたところ、無灯火のトラックが間近まで迫ってきていた。
「なんでライト点けてないんだよ!」
そう言うと同時に、コージの身体は空高く撥ね飛ばされていた。
「…ん…」
うつ伏せに倒れた態勢のまま、アキラの意識が戻り始めていた。
頬に触れる柔らかい感触、青臭い匂い。アキラは目を覚ますと、自分が草むらの中に横たわっていることに気付いた。
(ビルの屋上にいた筈なのに…草?)
目覚めたてでボンヤリとしていたが
(あ!そうだ!!)
はっきりと意識が戻ると、勢いよく立ち上がり、コージに刺された筈の右脇腹を見ようとした。
「なんじゃあこりゃああ!」
アキラの視界に、丸みを帯びた二つの巨大な膨らみと、その谷間が見えた。
(な?これ、これって、おぱ、おぱ、おっぱぱ!?)
次にアキラは股間に手を当ててみた。
(ん…無い…触り慣れたモノが付いてない!
お、女だ、これは間違いなく女の身体だ!
声も女の声だし、オレが…女!?)
更にアキラは慌てて顔を手で触った。
(目が二つ、鼻が一つ…割りと高いな。
鼻の穴は二つ、口は一つ…うん、ちゃんと人間の顔だ。
耳も…ちゃんと顔の左右に一つずつあるな…ん?なんか、耳長くない?先っちょ尖ってるし…
なんか、ファンタジーのエルフみたい?…んな、まさかね?)
アキラは自分の身体の変化に戸惑いながらも、今置かれている状況を確かめようと辺りを見渡した。
(何も無い…広い、広い只の草原だ…
あれ?夜なのに、しかも月も無く、空も曇って星も見えない闇夜なのに、割りとハッキリと景色が見える…)
アキラは体を周回させるように辺りを見回していくと、立ち上がった場所から見て背後に小高い丘があるのを見つけた。
丘の向こう側が赤く光っている。
(ん?丘の向こうが明るい…)
アキラは丘を駆け上がると、丘の上に一本だけ立っている木の傍まで来た。
丘の上から見下ろしたアキラの眼下に多くの建物が燃えている様子が映った。
「これは!…村?村か!村が燃えている…
何だ、何があったんだ!?
いや、本当に、ここは何処なんだ!?」
声に出して叫んだアキラの鼻腔に焦げ臭い匂いが入ってきた。
呆然と立ち尽くすアキラだったが、建物が焼ける焦げ臭さとは別の、一種異様な匂いが漂っていることに気が付いた。
「これは…この匂いは…」
アキラの脳裏に過去の記憶がくっきりとした映像で写し出された。
激しい揺れ…多くの建物の倒壊…倒壊した建物から次々と火の手が上がり、街中が火の海と化す…
それは、アキラが新人警察官の時に経験した、未曾有の大震災の記憶だった。
(ああ…オレは知っている、この匂いを…)
「これは人が焼ける匂いだ!」
第1話(終)
※エルデカ捜査メモ①
舞原 彰(アキラ)は警察一筋に刑事一筋の人生を歩んできたため、ろくに恋愛経験がなく独身。
素人童貞である。