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第2話 ロミオと無職と卒業式!

 桜の蕾が色めき、春の足音がすぐそこまで聞こえてくる3月。


 3年間お世話になった校舎から1歩足を踏みだすなり、世界を旅してきた風が俺の身体を磨きあげるように爽やかに駆け抜けていく。




「今日でこの制服ともオサラバか……なんだか感慨深いぜ」




 右手に握られた卒業証書をポンッ! と優しく叩きながら、ふと空を見上げると、新たな旅立ちにふさわしいどこまでも続く青い空が広がっていた。


 この無限に続く空の下、ちょっと手を伸ばせばどこにでも行けそうな、そんな気がしてくる。


 周りを見渡せば、同じく卒業証書片手に涙を流しながら小さく肩を震わす者、3年間同じ学び舎で過ごした級友と談笑する者、「今までクソお世話になりましたぁぁぁぁぁっ!」とどこぞの料理人よろしく先生たちに頭を下げる者など、実にたくさんの色彩が瞳へと入ってくる。


 再び周りから視線を外し、空へと意識を戻す。


 周りの熱に少し当てられたかな?


 俺の瞳にもジンワリと涙のたまが結ばれていた。


 俺は人差し指でそっと目尻を拭いながら、どこまでも続く無限の青空に向かって、大きく声を張り上げていた。




「明日からどうやって生きればいいんですかコノヤロォォッ!?!?」




 突然の俺の奇声に周りに居た卒業生及び保護者がギョッ!? としたように見てきたが、正直ソレどころではない。


 俺は校門前で膝から崩れ落ちながらオイオイと頭を抱えて叫んでいた。




「大学受験も失敗して就職先もロクに決まらず卒業しちゃったよ俺!? どうすんだよマジで!? 卒業したくねぇよ!? 明日からクマのぷーさんどころか無職のぷーさんだよ!? ハチミツ舐めてる場合じゃねぇよ!?」

「――センパイの場合、ハチミツじゃなくて人生を舐めてますもんね? というか全然上手くないですよソレ?」

「うにゃん?」




 空から視線を戻すと、そこには我が校の女子制服に身を包んだ女子生徒が立っていた。


 心配そうな瞳で色素の薄いの髪をなびかせながら、俺の顔を覗きこんでくる女子生徒。




「せっかくの卒業式なのにそんなこの世の終わりみたいな声をあげて……どうしたんですかセンパイ?」

「あぁ……なんだ『ましろん』か」

「そうですよ。センパイの愛しの後輩、1年F組の七海真白ちゃんですよぉ~?」




 唯一この学校で俺のことを慕ってくれる後輩、『ましろん』こと七海ななみ真白ましろたんが、イタズラ小僧のようにニシシシッ! と笑いながら俺を見据えていた。


 相変わらずまだ高校1年生だというのに、他の追随を許さないダイナマイトボディだ。


 制服の上からだというのにその胸元のメロンがこれでもかと主張してきて、俺に明日を生きる活力を与えてくれる。


 おかげで少しだけ持ち直した俺は、いつものクール&タフガイなイケてるボイスで彼女に声をかけた。




「どうした、ましろん? 何か用か?」

「『どうした』はコッチの台詞ですよぉ~。お世話になったセンパイに『卒業おめでとうございます』って言いに来たら、いきなり頭を抱えて『卒業したくねぇ!?』って叫んでいるんですもん。……一体どうしたんですかセンパイ? 困りごとですか?」

「あぁ~、別に気にしなくていいぞ? ちょっと人生詰んだレベルの軽い困りごとだから」

「メチャクチャヘビーな困りごとじゃないですか……」




 呆れたような声をあげながら「よいしょっと」と可愛らしい声をあげながら膝を曲げ、俺と同じ目線の高さで話しかけてくれる後輩。




「真白で良ければ話を聞きますよ、センパイ?」

「ましろん……ありがとう、結婚しよ?」

「しませんよ?」




 そう言ってニッコリと微笑む我が後輩に、不覚にも胸がときめいてしまう。


 さすがは我が校で『聖母』と呼ばれているだけのことはある。


 この言動といい、童貞を射殺すJKスマイルといい……はっは~ん?


 さては俺に惚れているな?


 きっと俺の第二ボタンが欲しいけど恥ずかしくて素直になれず、つい思っていることと正反対のことを言ってしまうツンデレさんだな?


 おいおい、可愛いの塊かよ?


 結婚しようか?




「だからしませんってば。そもそもセンパイの第二ボタンなんかいらないですから。いやホントに」

「ちょっと? 真顔やめて、真顔? うっかり死にたくなってくるでしょ?」




 何度も真顔で「ナイナイ、ほんとにナイ」と片手をパタパタさせる我が後輩に、思わずキスしてしまう所だった。


 ほんとモテない男の心は繊細せんさいなんだから、言動には気をつけてほしいものだ。


 ちなみにどれくらい繊細なのかと言えば、King Gnuの歌い出しくらい繊細である。……メッチャ繊細じゃん俺。




「それで? 冗談はそのくらいにして、センパイは一体ナニに悩んでいるんですか?」

「別に冗談は言ってなかったんだけどなぁ……」




 とりあえず校門前でたむろするのは周りに迷惑だったので、俺たちはいつも通り2人でトボトボと家路へと着き始めた。


 小さくなっていく母校を背に、おそらく今日が最後になるであろう通学路を彼女と一緒に歩きながら、俺は今日何度目になるか分からない溜め息をこぼした。




「ハァ……実はさ? 先輩、大学受験に失敗したんだよね」

「そう言えばそんなコトも言ってましたねぇ。ってことは浪人ですか?」

「いや、そんな余剰資金は我が家に無いし、順当に就職しようと頑張ったんだけどさ……就職難のこんなご時世じゃん? 全然就職先が決まらないんだよね……」

「まぁウチは進学校ですから、就職先のコネとか何もありませんもんね」




 そうなんだよなぁ……と、思わず口からベルリンの風のごとく生温かい吐息が溢れ出てくる。


 俺の口から漏れ出た幸せが春風に乗ってどこかへ消えて行くのをぼんやり眺めていると、ましろんが「まぁまぁ」と子どもでもあやすかのように俺の背中をポンポンと叩いた。




「ということは、今のセンパイは甲斐性ナシのろくでなしだぁ」

「そーね。そこにクズとウスノロを足してもいいよ」




 我が心の師匠、シェルブリ●トのカズマさんの台詞をリアルで口に出来てちょっとだけテンションが上がったのはナイショだ。




「それにしてもマジでどうすっかなぁ。明日から俺、無職のプーさんだし……」

「マダオデビューおめでとうございます、センパイ」

「やめて、やめて。割りとマジで心に刺さるからやめてソレ」




 俺は『マジでダメなお兄さん』じゃないから?『マジでダンディなお兄さん』だから!


 いやマジで!


 ちょっ、その可哀想な子を見るような目はやめろ!


 一周回って気持ちよくなっちゃうだろうが!


 俺の中で新たなフェティシズムの扉が開いていくのを感じながら、恨めし気に後輩を睨みつけた。


 そんな先輩の気持ちなど知らんとばかりに、ましろんは飄々とした態度でさらに失礼を重ねていく。




「まぁセンパイのプーさんデビューはさておき……こんな風に2人で帰るのも今日が最後ですね。というかセンパイ、無事卒業出来たんですね? あれだけ他校生と喧嘩したりヤクザの事務所に乗り込んだりと大立ち回りしていたのに」

「ふっ、全力全開全身全霊を持って先生に媚びを売ったからな。……卒業単位ギリギリだったけども」




 それに喧嘩やヤーさんの事務所にカチコミをかけたのは君が原因でもあるんだよ?


 と、恨み言の1つでも言ってやろうかとも思ったが、何故か隣を歩く後輩から『ジトッ』とした視線で睨まれた。




「うぅ~っ!? センパイはあと2年くらい留年すると思ってたのにぃ……なんで卒業するんですか?」

「えっ? 逆になんで卒業しちゃダメなの?」




 あとナチュラルに失礼だなコイツ?


 まったく、相手が英国紳士の擬人化とも言われた俺じゃなければ今頃その唇に吸いついている所だぞ?


 俺の紳士っぷりに感謝しろよ?


 なんて事を考えていると、母校からほど近い駅前近くのアパートにある我が家へとアッサリと辿り着いてしまう。




「さて、と。じゃあな、ましろん。この1年結構楽しかったぜ? またな!」

「……はい」




 2階へと続く外階段を上ろうとした矢先、我が後輩の元気のない声が鼓膜を震わせた。


 見ると架空の耳とシッポを『へにょん』と垂れ下げながら、名残惜しそうに俯いていた。


 そんな後輩の姿に苦笑しながら、俺は乱暴にましろんの頭に手を置き、ワシワシと撫で始めた。




「うわっぷ!? い、いきなりナニするんですかセンパイ!? セクハラですか!? むぎゅぅっ!?」

「別に今生こんじょうの別れってワケでもないんだし、寂しくなったらいつでも遊んでやるよ。さいわいプー太郎のおかげで時間には余裕があるし、それに明日から春休みだしな」




 ほら笑え! と後輩の顔をムニムニ弄って遊んでいると、ましろんは「ウガーッ!?」と雄叫びをあげながら俺の手を振り払いやがった。




「ヘンッ! 別に寂しくなんてありませんもんね! むしろセンパイのお世話をもうしなくていいようになるから清々しますよ!」

「ハハハッ、このアマぁ~♪ 人が下手に出てればいい気になりやがって☆」




 んべっ! と苺のように真っ赤な舌をチロチロと動かす、ましろん。


 ちょっと可愛いじゃねぇか。


 そのままフンッ! と鼻息荒く俺から背を向けズンズンと駅の方へと歩いて行く後輩。


 そんないつも通りの後輩の姿に満足して、今度こそ階段を上るべく足をあげ――




「――センパイッ!」

「あん?」




 ――ようとして我が愛しの後輩に呼び止められた。


 俺はクルリと身体ごと振り返ると、そこにはニシシっ! とにくたらしい笑みを浮かべた彼女が手を挙げ、




「しょうがないから寂しくなったら真白が遊んであげますよ! それじゃ、卒業おめでとうございまぁ~すっ!」




 と言って駅の中へと姿を消して行った。


 なんとまぁ、最後の最後まで俺を楽しませてくれる後輩である。




「ありがとさん……」




 俺のつぶやきは風に乗るコトなく、コロコロと足下へ転がって消えていく。


 そんな自分の台詞に苦笑しながら、俺は今度こそ家へ帰るべくギシギシといやらしい音を立てる階段をゆっくりと登り出した。


 2階のアパートの一番端の角部屋、そこが我が安堂家のアジトである。




「ただいまぁ~」




 と言っても誰も居ないんだけどね、と心の中でつぶやくが、俺の思いに反して妙に間延びした声で「おかえりぃ~」と返事をしてくれる声が玄関へと響いた。




 その声は我が安堂家の大黒柱にして、現在さすらいのプロゲーマーである母と同じく単身赴任中の安堂勇二郎こと俺の親父の声だった。




「アレ? 親父、帰って来てたの?」

「お~う、ただいま我が息子よ。元気にしてた?」




 玄関をさっさと抜け、リビングへと移動すると、そこには今日もせっせと太陽光を反射させている小太りのハゲもとい、勇二郎パパンが「よっ!」と元気に俺に向かって手を挙げていた。


 親父は妙にデカいボストンバックとキャリーバックにこれでもかと荷物を詰め込んでいる最中だった。




「さて我が息子よ、卒業おめでとう。今日でおまえも立派な無職のぷーさんだな!」

「やめてやめて、ソレマジで気にしてるからやめてね?」




 と、いつも通りの軽口の応酬を繰り広げながら流し台でジャバジャバと手を洗う。


 そんな俺の後ろ姿を眺めながら、薄毛治療薬を摂取し過ぎて俺の兄弟と呼ぶべき下半身のエクスカリバーのちが悪くなったたちの悪い男こと親父が、なんてことない風に口を開いた。




「そうだプー太郎くん」

「五つ子のガリ勉家庭教師みたいに言わないでくんない? なんだよ?」

「いや大したことじゃないんだけどな?」




 親父は近所の駄菓子屋へ行こう! といった実に軽い調子で、





「――今から夜逃げするから荷物をまとめておけよ?」




 と言った。


 瞬間、俺の日常がガラガラと膝から崩れ落ちる音が聞こえた気がした。

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