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第3話 早乙女樹の記憶 壱

 樹が目覚めると、ぼやけた視界の中に軍服姿の青年の顔が見えた。何度か瞬きを繰り返したあと、鮮明に見えたのは、青年の泣き顔だった。


(このひと……泣いてる顔もかっこよくて綺麗なんだな……)


 そんなことをぼんやり考えていると、手袋を外した温かくて大きな手が、樹の額にかかる前髪をさらった。


「……っ、いつき。樹が生きていて、本当によかった……!」


 そう言って、青年が樹の額にキスをした瞬間、樹の脳内に早乙女樹の幼少期と思われる映像が流れ、そのまま眠るように意識を失った。





 四、五歳くらいに見える早乙女は、同世代くらいの少年少女に囲まれている。一見、かごめかごめをして遊んでいるように見えるが、円の中でうずくまっている樹は泣いていて、少年少女たちは樹をそしっていた。


「やーい、やーい、混血児あいのこ~!」


「やーい、やーい、青目の鬼の子~!」


 神は樹が異世界に転生したと言っていたが、どうやらこちらの世界でも、人種差別があるようだった。樹はただの傍観者で、早乙女の記憶に干渉することができない。それを悔しく思っていると、


「これー! お前ら、なにやっとるんねー!」


 と言って、腰の曲がった老婆が闖入ちんにゅうしてきた。すると子どもたちは、


「わー、鬼ばばだー!」


「鬼の子を助けに、鬼ばばが来たでぇー!」


 と散り散りになって逃げ去った。ゼーハーと息をしながら早乙女の前に立ちはだかった白髪の老婆は、子どもたちが戻ってこないと分かると、泣き続ける樹を見下ろした。


「どうしたんじゃ、樹。まーたいじめられとったんか?」


 悲しそうな表情を浮かべた老婆が、早乙女と同じようにしゃがみ込み、ぬばたまの頭を優しく撫でた。早乙女の髪は、顔を隠すためか、少女のように肩まで伸びている。


 老婆に慰められてようやく落ち着いてきたのか、早乙女は涙を拭い拭い、長い前髪の隙間から、濡れて輝く青い瞳を老婆に向けた。


「ひっく、ひっく……ばあちゃん。ぼ、ぼくってオニの子なの……? ぼくの目はオニの目なの……?」


 ビー玉のようにつるりと光る美しい碧眼を見つめて、老婆は優しく目を細め、樹の小さな身体を抱きしめた。


「いんや、そんなこたぁねぇよ。樹の目ん玉はビー玉よりきれぇで、ばあちゃんが見たことねぇ、宝石みてぇに輝いとるよ」


「うっ、ぐすん。……ばあちゃん、ほーせき見たことないのにキレイだってわかるの?」


「ああ、そうさ。ばあちゃんはなごぅ生きとるけぇ、なーんでも分かるんよ」


 そう胸を張った老婆を尊敬の眼差しで見つめる樹の目には、もう涙は滲んでいなかった。


「ばあちゃんはすごいねぇー!」


「そうじゃろう、そうじゃろう。……さ、樹。晩飯の時間じゃあ。ばあちゃんとうちにけえるで」


「うん!」


 早乙女は花咲くように笑って頷くと、老婆の背におぶさり、二人で歌を歌いながら家路についた。





 樹が再び目覚めると、そこは先程の和室だった。樹は板張りの天井を眺めながら、夢の内容を思い出し、自分の目元を触ってみた。


(アレが早乙女樹の記憶。早乙女はハーフだったのか……)


 樹は茶髪だったはずの前髪をつまんで、それが黒髪であることを確認すると、ハァと息を吐いて右手を投げ出した。掛け布団の上に、ぽすんと落ちた樹の腕は、女性のようにほっそりとしていて、透き通るような象牙色をしている。


(鏡が見たい)


 そう考えていた時、廊下を歩く複数の足音が聞こえてきて、樹の視線は自然と襖の方に向いた。


「樹さま。お目覚めでございますか? 女中の花でございます」


(花……。ああ、さっきのおさげ髪の子か)


 樹は掠れ声で、「起きてます」と告げる。すると花は、「失礼いたします」と言って、静かに襖を開けた。


「樹さま。お目覚めになられてよかったです……! 今、お医者さまがこちらに向かっていらっしゃるはずです」


 樹はこくりと頷いた。


「……それで、樹さまがお辛くないようでしたら、お坊ちゃまとお嬢さまが見舞いたいとお越しになっておられるのですが、いかかでしょう?」


 心配そうな表情で見てくる花に、樹は「大丈夫です」と答える。すると花は、にこりと微笑みながら、途中までしか開けていなかった襖を全て開けた。そこに立っていたのは、着物に着替えてきた青年だった。


「樹……先程はすまなかった。そなたは漸く意識を取り戻したばかりだったというのに、静養を邪魔してしまった……」


 悔いるような表情で入室してきた青年は、花が敷いた座布団の上に腰を下ろすと、そうするのが当然のように樹の手を握ってきた。それに若干の不快感を感じた樹は、やんわりと青年の手から自分の手を引き抜く。


「い、樹……? どうしたのだ。怒っているのかい?」


 血相を変えて訊ねてくる青年の様子に、早乙女と青年は親しい間柄だったのだろうと推測した樹は、二度咳払いをして口を開いた。


「すみません。俺はあなたが誰なのか分からないんです」


 布団に横になったまま頭を下げると、青年は目を丸くして、言葉を失ったようだった。


(やべっ、早急すぎたか!?)


 絶望感漂う青年の姿を見て焦った樹が口を開こうとしたその瞬間。


「そのお話は本当ですの? 樹さんっ」


 青年の背後から現れた美少女を見て、樹は驚愕に目を見開いた。


(着物姿だけど間違いない……)


 楚々とした容貌を持ち、束髪くずしに椿柄の大きなリボンをつけた、花も恥じらうだろう乙女の姿。それはまさしく――


(俺が想像して描いた、大正乙女そのままだ!)


 ――まさか。いや、まさかそんな。


 樹は叫びだしそうになった口を手で覆って、少女から視線を外し、心の仲で絶叫した。


(ここって俺が描いた大正時代の絵の中だ! 俺、自分が描いた絵の中に転生しちまったーー!!)

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