目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第14話


 目まぐるしく秋が終わり、ついに冬が訪れた。レニュの黄金の畑は真っ白い雪の下に隠れた。農民たちは長い収穫期を終えて、ようやく一息つくことができた。

 俺も重責から解放され、つかの間の休みを満喫していた。

 滞在場所は変わらずゼノアン公の邸宅である。


 その日、俺はセレウィン殿下を追いかけまわして手作りの料理を食べさせようとしていた。

「ほら! ニシンの保存食だ!」

「なっ、なんだこれは……!!」

 セレウィン殿下は鼻をつまんで逃げ回る。俺も激臭で涙目になりながら彼を追いかける。

「やめろ! なんなんだ、この臭い……!」

「持ってきた海水で使わなかった分があって、もったいないから料理に使ってみたんだ! 食べてみてくれよ! おいしかったら村へのお土産にするから!」

「な、な、なに……」

「シュールストレミングっていうんだ!」

 ニシンを海水に漬け込んで寝かせるだけの、簡単なスウェーデンの冬の保存食である。塩で腐敗は止められるが、塩分濃度が低くて発酵は止められない。ようするに日本の納豆の魚版である。

 ぶどう畑の夕食会で思い付いたそれを、俺は試作として作ってみたのだ。


 殿下を壁際に追い詰めると、俺はシュールストレミングの切れ端をフォークで持ち上げて、そのまま彼の口に押し込んだ。

「挑戦の先においしいがあるんだぞ!」

「うっ……」

 セレウィン殿下はかっと目を見開いたあと、その場に倒れ込んでしまった。


 それを見て、俺は冷静に分析する。

「やっぱり匂いが問題だよな」

 シュールストレミングは世界一臭い食べ物として有名だ。要するに腐っているけどギリ食べられる魚なのだ。分類的には生ごみが近い。

 あたりを見渡すと、使用人たちが悲鳴をあげながら窓を開け放っているのが見えた。さすがに屋内ではやめておくべきだった。


 床に伸びているセレウィン殿下が唸るように言う。

「最低令息め……」

「なに?」

「なんでもない」


 セレウィン殿下に水の入ったコップを渡す。彼はそれをいっきに飲み干した。潔癖な彼にこの悪臭はつらいだろう。食べさせたのは俺だが。しかし、俺が退屈したらこうなるのは彼も知っているはずだ。


 落ち着いてきたらしいセレウィン殿下に問う。

「いつまでレニュにいるんだ? 王都に戻らないのか?」

 彼は「はあ」とため息をついた。

「それもそうだが……。人を招待したんだ。到着を待っている。見てもらったほうが良いと思ってな」

「何を?」

「君の偉業を」

「誰に?」

「フロスト伯爵夫妻に」

 一拍ののち、俺は彼が何を言っているのか理解した。

「ええ!? ま、まさか俺の両親をここに呼んだの!?」

 彼はしれっと頷く。

「いけないか? 君は十分よくやった。ご両親も、君を認めてくれるはずだ――私のように」




 両親が到着したのはその翌日だった。

 ゼノアン公邸宅のエントランスで俺とセレウィン殿下とゼノアン公とキーランドで彼らを出迎えた。

 茶色い髪に、茶色い目。俺によく似た父は記憶の中より少しだけ歳をとっていた。


 彼は俺を見るなり、その顔をくしゃくしゃにした。

「この馬鹿息子……」

 俺も同じように顔をくしゃくしゃにゆがめる。

「馬鹿でごめんなさい」

 母親が大きく両腕を広げる。俺はその真ん中に飛び込んだ。

「心配したわ」

「ごめんなさい」

「畑仕事を禁止されて家出する馬鹿がいるか」

「ごめんなさい」

「――でも、よくやった」

「うん」

 俺は笑った。令息として生きられず、我を貫いたことを後悔はしていない。しかし、彼らのことだけは心残りだった。俺は胸の奥の黒いもやもやが溶けていくのを感じた。


 ひとしきり再会を喜んだと、父は咳ばらいをして「ところで」と切り出した。

「この邸宅の臭いはいったい……」

 彼は顔を顰める。母も鼻をハンカチで押さえる。

 それを見て、セレウィン殿下は目を眇めた。

 俺は慌てる。昨日今日ですっかり鼻が慣れてしまっていたが、そうだった。世界最強の臭いは1日では消えなかったのだ。


 俺は言った。

「これは昨日俺がシュールストレミングを持って走り回ったから……」

「?」

 セレウィン殿下が言葉を足す。

「腐った魚を持って走り回ったということだ、伯爵」

 両親は信じられない、といった顔で俺を見る。そして、セレウィン殿下とゼノアン公とキーランドもじっと俺を見る――責めるような視線で。

 父親はかっと目を見開いた。

「この馬鹿息子!」

「ひぃ~!」




 こっぴどく叱られたあと、俺はキーランドと両親をつれてメルトの街を歩いた。

 街では顔見知りになった人たちが次々と声をかけてくる。

「畑の賢者様!」

 ここでもそうみんなに呼ばれている。


 頼られている俺の姿を見て、両親は感嘆した。

「立派になって……」

「中身はこんなんなのに……」

「騙せるくらいになったのか……」

 俺はつっこむ。

「失礼じゃない?」


 それから教会に寄った。そこは秋の間は麦の選別施設として稼働していたが、いまはようやく常の状態を取り戻している。

 神官たちが両親を出迎え、彼らは俺がいかに立派な偉業を成し遂げたかを語って聞かせる。


 大袈裟に盛られた話に苦笑していると、隣でキーランドが囁いた。

「フロスト家にお戻りになるのですか?」

 俺は迷わず答える。

「息子には戻るけど、中央貴族には戻らないよ。柄じゃないだろ?」

「そうですか」

「なによ?」

「いえ、あなたらしいな、と」

 俺はふふん、と笑った。

「わかってるじゃないか。俺はキターニャ村に戻って、国で一番の大農園をつくるのが夢なんだからな」

 そのために頑張ったのだ。褒美が楽しみだ。200ゴールドくらいは欲しいものだ。

 俺はにんまりと笑った。


 両親は数泊したあと、別れを惜しみながら帰っていった。俺は手紙を書く、と何度も約束した。




 雪が溶けると、春が来る。

 俺は王城の大広場に跪いていた。

 目の前には国王陛下、その隣にはセレウィン殿下がいる。

 観衆の中には正装の両親も立っている。


 国王陛下は厳かに言った。


「フロスト・アデルジェス。そなたに褒美を与えよう」

「はい」

 俺は胸を張る。

 報酬はセレウィン殿下からもらうものとばかり思っていたが、冬の間にどんどん話が大きくなり、気がついたら国王陛下直々いただけることになったのだ。 

 国王陛下にお会いするのは久ぶりだった。陛下もずっと俺の行方を案じてくれていたらしい。


 陛下は指を一本立てて、報酬の内容を言った。

「キターニャ村、そして騎士一人だ」

「え?」

 思わぬ褒美に、俺は頓狂な声をあげてしまう。

「そなたを村の領主にする。ずいぶんと村に貢献しているらしいじゃないか」

「ええ。まあ……いただけるんですか」

 願ったり、叶ったりだ。俺は国王陛下を見上げる。

 陛下はチャーミングに俺にウィンクしてみせて、それから言った。

「領主をするなら護衛もいるだろう?」

「ま、まさか騎士って……」

 陛下が視線を動かす。その先にいるのは。

「キーランド……。い、いいんですか……?」

 スミレ色の瞳の騎士。俺は息を呑む。


 陛下が説明する。

「キーランド騎士が自ら志願したのだ」

「ええ?」

「さあ、新しい領主の誕生を祝おうではないか!」

 陛下が高らかに言うと、楽団がいっせいに音楽を奏で、人々は喝采を送った。


 俺は正装のまま、キーランドに駆け寄る。

 彼は白い騎士のマントをつけて、豪奢な剣を腰に佩いている。

「あの、キーランド、ほんっとうにキターニャ村に来るのか?」

 俺が言うと、彼は小首をかしげた。

「いけませんか。もう中央の騎士としてすべきことは終えましたから」

「キターニャ村って、かなり田舎だぞ?」

「でも、これから国で一番の大農園ができるのでしょう?」

 彼に言われて、俺はすとんと納得した。

「……確かに」

 キーランドは俺に期待してくれているのだ。キーランドを裏切ることなどできない。

 俺は彼の手を握った。

「じゃあ、俺がお前を国一番の大農園の警備兵にしてやるからな!!」

「いえ、それより」

「新しい領主さまの伴侶にしてくださいませんか」

 彼は俺の手を掬い上げて手の甲にキスを落とした。

 俺は赤面した。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?