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第12話

 ゼノアン公の動きは早かった。

 彼はその日のうちにネズミに麦角を与え、ネズミが中毒症状に陥るのを確認した。

 すると彼は翌日には領地から樽と塩を集め、俺たちが持ってきたぶんと合わせて大規模な選別施設を作った。場所はメルトの中心にある教会である。

 そこで働くのはセレウィン殿下が連れて来た兵士たちと、各農村から送られてきた農民である。

 ふつう、秋の収穫が近いこの時期に手が空いている農民などいない。それでも3日もすると合計80人近くの農民がレニュの各村から集まった。レニュの人々の危機感と領主への信頼がうかがえる。


 塩水の塩分濃度調整は真面目なキーランドと同僚の騎士たちに任せた。農村から脱穀した麦を運んでくるのは兵卒たちだ。選別は集まった農民たちが行う。そして選別された麦はまた兵卒が村へ送り返す。

 選別施設はゼノアン公が指揮をとり、セレウィン殿下は麦の供給量が減ることによって農村で食料が足りなくなることを危惧して食料の備蓄に奔走した。

 作業は大きな問題なく進められた。




 ある日の昼下がり、俺は選別施設を見て回っていた。教会の一番広い部屋には選別前の小麦、小さい部屋にそれぞれ塩水が入った樽、そして外の広場には選別後の麦が乾燥を兼ねて広げられている。


 俺が選別後の麦を確認していると、3人組の男に手招きされた。

 メルト街にいる農民たちは絶えず入れ替わっているので、名前と顔を覚えきることができない。しかし、ここにいるからにはレニュのどこかの村の農民なのだろう。男たちは日に焼けた顔と太い腕をしている。

「どうかした?」

「賢者様、ちょっと見ていただきたいものが」

「なに?」

「こっちです」

「時間かかるか? 俺、このあと予定が……」

 俺はカタツムリをスカーフに包んで連れていた。このあとこの子たちを散歩に連れて行くつもりだった。

 男たちは首を振った。

「すぐ済みます」

「わかった」


 男たちは広場を抜けて、街の中心地を抜けてどんどん東へ行こうとしている。

 俺は足を止める。

 なんとなく、男たちの様子が変だった。みな一様に表情が硬いのだ。嫌な予感がした。

「どこに行くんだ?」

 そう俺が言った瞬間、ひとりの男が俺の背後に回り込んで、肩を掴んだ。彼はそのまま俺の腰に短剣を突き付けた。

 俺はその刃が太陽の光を反射して鋭利に光るのを見た。

「騒いだら刺す」

「……なに………」

「黙ってついて来い。いいな」

 俺は男に促されるまま、歩き出す。


 数歩歩いたところで、俺は立ち止まった。

「ちょっと待って」

「なんだ」

「今日ちょっと冷えるよな。スカーフを巻いていいか?」

 手に持ったスカーフを示す。

 背後の男は鼻を鳴らす。

「勝手にしろ」

 言われて、ゆっくりとスカーフを広げる。中には当然、俺のかわいい子たちがいる。


「わあああああ!」

 俺は悲鳴をあげた。男たちはぎょっとする。

 構わず俺は言う。

「スカーフにカタツムリが! なんでだ!? ぎゃあ! 怖い!」

 叫びながら、地面にカタツムリを次々と放していく。かわいい子たちはのんびりと地を這う。

 10匹くらいのカタツムリを放して、残りはスカーフで包んで隠す。

 そして「怖かったぁ」とぶりっこ極まれり、という声を出す。男たちは怖い顔をして「早くここから離れるぞ」と言った。

 男たちに従って、俺は歩き始めた。



 連れていかれたのは、街のはずれにある小さな小屋だった。小屋の周りにはすでに何人もの男たちが集まっていた。その間を抜けて、俺は中へ入る。

 中には首の太い男が座っていた。30歳くらいだろうか。彼は右手に剣を持っている。


 彼は言った。低く、しわがれた声だ。

「お前が畑の賢者か」

「ああ。あんたは?」

「ただの農民だ」

 ただの農民、というわりにはずいぶんと物々しい雰囲気を纏っている。俺はこうなる可能性があることを考えなかったわけではない。キターニャ村に、ヴェステン地域に。いままで、うまくいきすぎたのだ。


 俺は言った。

「俺のやり方に不満があるって、感じか?」

 男は片眉をぴくりと動かした。

「どれだけの麦が捨てられているか知っているか」

「まあ、少なくても2割、塩水で駄目になるぶんや輸送で落ちてしまう分を考えると5割なくなることもあるだろうな」

「こんなに捨てたんじゃあ、俺たちは生きていけねぇ」

「そうならないように、セレウィン殿下が知恵を絞ってくれているよ」

「セレウィン殿下?」

 男は笑った。まわりの男たちも笑った。若い、血気盛んな男の笑い声だ。


 それから、目の前の男は真剣な目をして、剣で地面を叩いた。

 鈍い音のあと、男は眼光を光らせた。必死な目だった。

「――いますぐ選別をやめさせろ」

 俺は胸を張った。怯むわけにはいかない。俺が迷ってはいけないのだ。

「それは無理だ。これ以上、死人を出すわけにはいかない」

「レニュで起きている異変は、麦の問題じゃねぇ」

「……いま俺を殺したって、選別は絶対に続くよ。俺のことを信じてくれている人がいるから」

 脳裏に、キーランドとセレウィン殿下の顔が浮かんだ。きっと彼らは俺がいなくなったとしても、選別を続けてレニュを救ってくれるはずだ。


 男と睨み合う。

 男の気持ちもわからないこともない。むしろ、男の行動は当然ともいえる。麦は今後1年彼らが食いつなぐ糧なのだ。それを俺が来たせいで捨てられているのだ。不満はわかる。しかし、従ってもらうしかない。


「気持ちはわかる。作ったものを捨てるのはつらいわよな。でも、いまは耐えてくれ」

 男は鋭く言った。

「……こいつを連れていけ」

「どうする気だ」

「お前を人質にして、王子と取引だ」

「無駄だよ」


 その時、小屋の外から喧噪が聞こえた。それは次第に大きくなる。そしてついに金属のぶつかる音が聞こえた。

 俺は小さく言った。

「……披露されてしまったな」

 次の瞬間、小屋の扉は蹴り破られた。扉の向こうには太陽を背に、キーランドが立っていた。


 彼は小屋に突入すると、あっという間に制圧してしまった。

 全員に縄をかけたあと、キーランドが俺に声をかけてくれた。

「ご無事でしたか」

「助かったよ」

「いえ……目印を残していただけていたので」

 そう言って、彼はポケットから白いハンカチの包みを取り出した。中には、俺のかわいいカタツムリがいた。

 俺は両手を叩いた。

「保護してくれたのか! ありがとう!」

「一匹だけですが……あとは農民が拾ってくれていると思います」


 短剣を突き付けられたあの場所に10匹、この小屋に来るまでに点々と20匹。俺は目印としてカタツムリを放していたのだ。

 大変だった。少し進むたびに「わあああ! まだカタツムリがああ!」と叫んではカタツムリを地面に置いた。ひとえに俺の演技力の勝利だろう。今日は冷えていて、カタツムリがそれほど活発でなかったのも幸運だった。


「こんなに丸々と太ったカタツムリが大量に道にいるのを見て、あなたになにかあったのだろう、と。農民のひとりが俺のところに来たのです」

「こまめにカタツムリ愛を宣伝しておいてよかったわ」

 俺はうんうん、と頷きながらカタツムリの無事を確認した。


 キーランドは俺を見ながら、ぽつりと言った。

「当然のようにカタツムリを持ち歩いていますよね」

「いやぁ……もう家族だし」

 キーランドはため息をついた。

「今回はそれで助かりました。大目に見てさしあげましょう」





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