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第9話

 目まぐるしく準備を終えて、俺たちはいよいよ出発した。

 隊列の編成は先頭から先遣隊、騎乗した護衛兵、セレウィン殿下の乗る馬車、王子付きの騎士たち、その後ろに医者と俺がそれぞれ乗る馬車、そして何台にもなる荷馬車、最後に歩兵だ。侍従たちは馬車の間を歩いている。

 隊列は徒歩の速度でゆっくりと進んだ。


 出発して1日目の夜、街道を逸れたところでテントを張り、野営の準備を進めていると、セレウィン殿下の侍従のひとりがやって来て「殿下がご夕食にご招待したいとおっしゃっております」と言った。

 俺は仮面の下からキーランドに「なんとかして断ってよ〜」と念を送る。しかしいつも俺の念は彼に伝わらない。

 キーランドは答えた。

「よろこんでご相伴にあずかりますとお伝えください」

 侍従が去ったあと、彼は俺に向き直って笑った。

「名誉なことですよ」

「うう……」


 セレウィン殿下の食事用のテントは他よりも一段と大きく、立派なものだった。

 そこにテーブルが置かれ、その上に料理が並んでいる。肉、野菜、きのこ、魚、卵……。とても旅の携帯食とは思えないくらいに豪華だ。


「よく来てくれた」

 セレウィン殿下は両手を広げて俺を歓迎した。

「……」

「今日は楽しんでくれ。レニュに入れば、しばらく食事の面では我慢をしてもらうことになる」

 一枚の紙をセレウィン殿下に見せる。そこには招待を感謝する文言をあらかじめ書いてきていた。

 セレウィン殿下はそれを見て頷いた。

 上座にセレウィン殿下、下座に俺が座る。長方形のテーブルはほどよく殿下と俺の間に距離を作ってくれる。俺はこの距離なら絶対にばれない、と高を括る。

 キーランドは他の王子付きの騎士たちといっしょに壁際に並んで立っている。


 食事は静かに始まった。

「……」

「……」

 ふたりとも黙ったままであった。思えば、彼とこうして黙って食事をしたことなどなかった気がする。食事は何回も共にしたが、いつも俺が一方的に話し続けていた。もちろん、話の内容は畑のことが中心だ。

 とはいえ、いまは話すことができない。話すこともない。というわけで食事に集中するのだが、侍従が新しい料理を運んできたとき、思わず「あ」と小さく声を出してしまった。


 その料理はキノコのバターソテーだった。大ぶりで肉厚なキノコだ。旬のキノコはきっとおいしいに決まっている。

 じっとそれを見る。一見、それはシイタケに見える。

 ――しかし。


 顔を上げると、セレウィン殿下がまさにそのキノコを口に入れようとしていた。

 俺は立ち上がって叫んだ。


「食べるな!」


 周りの人間の視線が一斉にこちらに集まる。ぐっと拳を握る。

 セレウィン殿下は目を丸くしながらも、キノコをゆっくりと皿に戻した。

 俺は息を吐き、説明する。


「これ、毒キノコだ」

 セレウィン殿下は首をかしげる。

「シイタケに見えるが?」

「ほら、柄の部分に黒いしみがあるだろう? これがシイタケとの違いなんだ」

「…………」

 セレウィン殿下はじっと皿の上に視線を落とす。

 俺は続けた。

「俺、もともとキノコはあまり詳しくなくて。このキノコの名前はわからないんだけれど……。この国では毒キノコとして認知されていないと思う。図鑑にも載っていなかったから」

「図鑑にも載っていないのに、なぜ毒キノコだと?」

「昔、このキノコを食べたことがあるんだ。そのときは中毒症状が出るのに1時間くらいかかった。毒見もそれですり抜けたんじゃないかな」


 王族の食事は必ず毒見係が先に食べる。俺が説明を続けていると、外から侍従が血相を変えて駆け込んで来た。

「殿下!」

「何事だ」

「そ、それが……! 毒見係が……いま嘔吐を……!」

 テント内の空気がさらに張りつめる。


 俺は彼らを安心させようと言った。

「毒見ってひとくちだよな? なら、安静にしていれば命は大丈夫だ。俺が食べたときもそうだったし」

「…………」

「……?」

 沈黙が続いて、俺は首をかしげた。何か変なことを言っただろうか。

 セレウィン殿下も騎士たちもこちらを変な目で見ている。キーランドだけが「やってしまった……」という顔をしていた。


 セレウィン殿下が言った。

「話せるのか」

「あっ」

 その言葉を聞いて、ようやく俺は自分の設定を思い出した。しまった。慌てて黙るが、いまさらだろう。


 セレウィン殿下はテーブルを指で叩いた。俺は思わず背筋を伸ばす。

「……昔、毒キノコを食べる令息がいた。その令息と声が似ている」

「…………」

 汗が噴き出す。いやいやと首を振る。まだいける。まだ誤魔化せる。

 しかしセレウィン殿下は冷静に俺を追い詰める。

「仮面を外せ」

「で、できません……」

 しまった、また声が。もうだめだ。

 ついにセレウィン殿下は核心を突いた。

「――アデルジェス」

 呼ばれて、俺は沈黙した。そしてこの場合、沈黙は肯定だ。


 セレウィン殿下は勢いよくため息をついた。

 俺はうなだれる。ばれてしまった。

「2人で話がしたい。全員外してくれないか」

 意外にもキーランドが口を開いた。

「それはなぜ……」

「大丈夫だ、キーランド」

 俺が言うと、キーランドは不承不承といった様子で他の人たちといっしょに退室した。


 その背中を見送って、セレウィン殿下が言った。

「キーランドは、ずいぶんと君を気に入っているようだ」

「……そうだな……。もし俺が暴漢に襲われたら助けてくれると約束してくれるくらいには仲がいいよ」

「そうか」

「そうなんだ。……彼を責めないでくれよ。俺が頼んだんだ。声も顔も殿下に知られたくないって」

「キーランドは君のことを知っているのか」

「知らないよ。ただ、脅したんだ」

「……脅したのか」

「うん」

 カタツムリを食べるぞ、と。この脅しの内容はセレウィン殿下には言わないでおこう。


 セレウィン殿下は肩を竦めた。

「騎士を脅す令息なんて、君くらいだ。……それで、その変な仮面は外さないのか」

「……」

 言われて、おずおずと仮面を外して膝に乗せる。


 セレウィン殿下は俺をまじまじと見た。

「……久しぶりだな」

「そうだな」

 俺はちらと彼の目の前にある毒キノコを見た。

「大丈夫か? 暗殺とかじゃないよな?」

「さて……。出発前にいつもは取引しない商人も多く王城へ入れてしまったからな。調べても何もわからないだろう」

「そっか……」

 俺が肩を落とすと、セレウィン殿下は明るく言った。

「安心しろ。恐らく、暗殺ではない」

「そうなんだ?」

「俺と弟の関係は良好だ」

「そうだったな」

 昔から、彼と彼の弟は確かに仲が良かった。俺はほっと息を吐いた。


 また沈黙が落ちる。俺は膝の上で仮面をいじる。

 昔から、いっしょに過ごすときは俺が話して、彼が聞く側だった。しかし、今回はまた彼が先に口を開いた。

「元気にしていたか」

「まぁ、その、畑の賢者って呼ばれるくらいには、のびのびと畑仕事をしているよ」

「……そうか。……まさか出奔するとは思わなかった」

 俺は苦笑した。

 確かに、婚約破棄されたことを嘆いて出家する令息はいても、鍬を担いで出奔する令息は俺くらいだろう。

 セレウィン殿下は言った。低く、大人になった声で。

「話を聞かせてくれるか」


 俺はゆっくりと話しはじめた。

 婚約破棄されたあと両親に「畑仕事禁止」と言われ、それに嫌気がさして出奔したこと、そしてキターニャ村に定住したこと。――いまは楽しくやっていること。


 話し終えると、セレウィン殿下は眉間を押さえた。

「君は……相変わらず突拍子もない」

「ご、ごめんなさい……」

「でも」

 セレウィン殿下は笑った。かつての、親しかった頃のように。

「今回は救われた」

「……はい」

「感謝するよ」

「……うん」

 俺も笑った。セレウィン殿下は俺の姿を見たらきっと嫌悪するだろうと思っていた。しかし、そうでもないらしい。俺は立ち上がって、彼の傍に近づくと、気安く彼の肩を叩いた。

 そして、4年前に言うべきだった言葉をいま口にした。


「俺たち、婚約者としてはうまくいかなかったけど、友達になろうぜ?」



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