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第8話

 3日後、俺たちは再び王都にやって来た。レニュへの出発は明後日だ。俺たちは早めに王城へ入って準備を整えることになっている。

 王都ハースタッドからレニュまで、わずか2日の旅である。しかし、今回はただの旅行ではなく、レニュの民を救う旅なのだ。セレウィン殿下の同行者は王子付きの騎士に医者と畑の賢者である俺、そして俺たちの世話をするメイドに護衛の兵士、料理人、荷物持ちの大所帯だ。そこに出入りの商人まで加わって、王城は大騒ぎになっている。とにかく大勢の人が必死になっていた。


 レニュへ出発するまでの間、俺に宛がわれた王城の部屋は狭くも広くもない部屋だった。ちょうど広場を一望できる3階に位置している。

 俺は窓のカーテンの陰から広場で人々が目まぐるしく働いているのを眺めていた。俺の膝の上には目録がある。王城にある物品一覧だ。ここから好きなものを持って行っていいらしい。しかし、書類仕事が苦手な俺はそれの確認作業がいっこうに進まなかった。

 窓からは少しだけ涼を孕んだ風が吹きこんでいる。夏の終わりが近かった。


 俺は言った。

「すごい人だな」

 部屋の隅で、俺の書類確認が終わるのを待っていたキーランドが言う。

「一大事ですから」

「けど、なんで殿下自ら行くんだ? 誰かに任せればいいのにな」

 俺の素朴な疑問に、キーランドは声を低くして答えた。

「セレウィン殿下は、不安定なお立場ですから」

「え?」

「セレウィン殿下は御年22歳ですが、まだ婚約者すらいらっしゃいません。それに対して、腹違いの第二王子はご成婚なさり来年にはお子も……セレウィン殿下としては、今回の件で民の信任を勝ち取りたいところでしょう」

「なるほどなー」

 つまり走り回っているのはセレウィン殿下の支持派層か。王子をするのも大変だ。

 俺はこっそり息を吐く。セレウィン殿下の立場が不安定なのは巡り巡って俺のせいかもしれないが、そうではないということにしておこう。


 キーランドが俺の手元にある目録を指さした。

「確認していますか?」

「ちゃ、ちゃんとしてる」

 慌てて指で目録をなぞりながら確認していく。現地でも調達できるかもしれないが、持っていける物は持っていった方がレニュの民の負担にならなくていいはずだ。

 じっと目録に視線を落とすが、目は書類の上を滑っていく。じりじりと時間だけがすぎていく。


 キーランドがため息とともに口を開いた。

「ひとつ伺っても?」

「うん?」

 顔を上げると、真剣な目をかちあった。

「なぜセレウィン殿下の前で仮面を外せないのですか?」

「……ううーん」

 いまはちょうど仮面を外していた。部屋の中にいる間は別にいいかと油断した。確か彼には虫刺されで顔が腫れていると主張していたはずだ。当然、俺の顔には虫刺されなどない。

 ついにこの時が来てしまった。俺はどう誤魔化そうかと目を泳がせる。


「は……恥ずかしがり屋だから」

 こんな言葉しか出てこない自分が怨めしい。

 しかし、ここで「実は俺は伯爵令息で、セレウィン殿下の元婚約者なんだ!」と本当のことを言っても信じてもらえる気がしない。彼は俺のことを「なんでもかんでも口に入れる変人」だと思っているはずだ。


 キーランドは黙ったままだった。

 沈黙に耐え切れなくて、次は冗談を言って空気を変えようとした。

「ほら、俺ってきれいな顔して生まれちゃったし、婚約者のいないセレウィン殿下に気に入られちゃったら困るからな?」

 キーランドは「はあ」とだけ答えた。

 俺はうなだれる。

「……いつもみたいにつっこんでくれよ……」

 むしろつっこんでくれ。俺が痛い子みたいではないか。


「セレウィン殿下は」とキーランドは言う。

「かつて婚約者がいらっしゃって」

「う、うん」

 俺は次にどんな話がくるのかと身構える。

「畑仕事をするのが好きなご令息だったそうです。殿下は畑仕事には馴染がないでしょうし、それで破局なさったと伺いました。ご心配なさらなくとも、あなたは殿下の好みではないと思いますよ」

「ぐっ……」

 知っている。なんなら本人から聞いた。しかし他人から聞くと胸が痛い。いいじゃないか、畑仕事系恋人。健康で体力もあって、おまけにおいしい食べ物までついてくるというのに。


 俺はまた話を逸らす。

「キーランドは? 恋人は?」

「いません」

 彼はすまして答える。しかし、彼は美青年といっていい顔立ちと、王子付きの騎士というご令息にもてるしかない要素を併せ持っている。

 俺は茶化した。

「またまた~ひとりやふたりくらい……」

「剣を極めるのに精一杯でした」

 彼の返答に淀みはない。

「へ、へえ……」

 キーランドの場合、ほんとうにそうかもしれない。彼は真面目だ。きっと、その真面目さで出世を勝ち取ってきたのだろう。


 しかし、俺は息を吐いた。

「真面目すぎるってのもなぁ……」

「なんです?」

「細かいんだよ……」

「はい?」


 俺は机を叩いた。

「目録だよ! 細かすぎる! 塩の産地なんて書かれてもわからないよ!」

 キーランドが作成したという目録には、さまざまな大きさの樽、さまざまな産地の塩、さまざまな網目の笊、さまざまな太さのロープがリスト化されている。キーランドはここからちょうどいいものを選べというが、その数が膨大すぎた。

 キーランドは何が悪いのかわからないといったように言う。

「道具は大きすぎても小さすぎても困るでしょう?」

「選択肢が多すぎても選べないだろ!!」


 キーランドは取り付く島もない。

「出発は明後日です。もう私の質問には答えなくても結構です。海水を汲む時間も必要ですから、何が何でも目録だけは今日中にお願いします」

 にっこり。そんな音が聞こえそうなくらい、彼はきれいな笑顔を見せる。さすがの俺も怯む。彼の腹が煮えたぎる音まで聞こえた気がした。

「わ、わかった……」

 俺はしゅんとうなだれて答えるので精いっぱいだった。



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