帰りの馬車の中で俺とキーランドは喧嘩をしていた。
「なあにがやる気満々だ! ふつう、あそこは報酬の交渉をする場面だろ!? 200ゴールドくらいふっかけてくれよ!」
「そんなことできるわけがないでしょう!」
「これで報酬が安かったらお前の家に馬糞撒くぞ! もったいないけど!」
「なんでそうなるんですか!」
俺は頭を抑えて息を吐いた。これだからお坊ちゃんは困るのだ。俺の夢の大農園の規模はこの仕事の報酬額にかかっているというのに。
キーランドはぐったりと背もたれに身を預けている。そして「殿下に嘘をついたあげくに金の交渉なんて……できるわけがないでしょう……非常識な……」とぶつぶつ嘆いていた。
俺は念を押した。
「わかっていると思うけどな? 俺たち、もう共犯者だぞ?」
箱の中にいるカタツムリを撫でる。セレウィン殿下に嘘を吐くよう強要したのは確かに俺だが、実際に嘘を吐いたのは彼だ。
キーランドは悲鳴を上げた。
「もうカタツムリはしまってあげてください! かわいそうでしょう!」
「わかったよ」
小箱の蓋を閉める。キーランドはわかりやすく息を吐いた。
俺は肩をすくめる。キーランドはわかっていない。カタツムリの生食は危険だ。それになにより、このカタツムリはもう俺の家族なのだ。食べるわけがない。
一通り怒りを発散したところで、俺は尋ねた。
「それで? レニュの異変って何?」
キーランドは居住まいを正した。
「レニュの民が次々と原因不明の体調不良を訴えているのです。それは手足の痛みやしびれからはじまり、手足は黒く変色してやがて腐り落ちます。高熱が続き、ひどくなると幻覚を見て泣き叫ぶ者たちもいます」
俺は顔をしかめる。
「ほんとうに流行り病じゃないのか?」
「流行り病であるのなら、ふつう家ごと、近い者から病気がうつっていくものですが、この病は家の中でも症状が出るものと出ない者に分かれます。それで、俺はてっきり呪いなのかと……」
「でも、呪いでもない、と」
「そのようですね」
俺は目をつむる。
レニュ穀倉地帯。手足の痛み、変色、腐敗。そして――幻覚。
「レニュって、確か湖があったわよね?」
「ええ。ウガ湖です」
「じゃあ、レニュ穀倉地帯って湿度が高いかもな」
多湿な空気。
俺の頭にひとつの可能性が浮かんだ。それは日本ではあまり見られないが、かつてヨーロッパで猛威を振るった畑の病気。
――だとすると。
「キーランド、樽に海水を入れておいて。なるべくいっぱい。あと笊、ロープ、塩も用意してくれ」
キーランドは尋ねる。
「レニュの異変の正体がわかったんですか」
「まあ、確信はないけど……実際に行ってみればわかると思う」
日本では麦の栽培は広くは行われていないし、俺にもこの手の病気の知識はあまりない。根絶はかなり難しいだろう。しかし、やってみる価値はある。
顎に手を当てて考えていたら、ふとキーランドと目があった。そして、セレウィン殿下と臆さずに会話していた彼を思い出す。
「ところで、キーランドって殿下にかなり信頼されているんだな? どこの家の出身なんだ?」
キーランドは首を振った。
「家などありませんよ。私は庶民の出ですから」
「そうなのか!?」
「なぜそんなに驚かれるんですか」
彼はいかにも貴公子といった外見をしている。プラチナの髪に、スミレ色の瞳。言葉もやさしく、なによりカタツムリの愛らしさに気が付けるくらいに繊細な感受性を持っている。
俺は唸った。
「……見えないな」
「そうでしょうか?」
しかし、庶民出身者が第一王子付きの騎士になるというのは大出世だ。王族付きの騎士といえば中央にいる騎士全員のあこがれといってもいい。なりたいからといってなれるようなものではないのだ。
俺はちらりとキーランドの腰に佩いた剣を見た。
「相当な剣の実力者ってことか」
彼はにやりと笑う。
「そこそこ、得意です。今度、賢者様が暴漢に襲われたときにでもご披露しますよ」
軽口を叩くキーランドに噴き出した。共犯者となったことで、彼の俺に対する態度はよりフランクになった気がした。
俺もにやりと笑った。
「頼むよ。俺、剣はからっきしだからさ。習ったことはあるんだけど」
俺の言葉を聞いて、キーランドはしばらく黙り込んだ。
それから「剣を習ったことが?」と聞いてきた。
「ああ。18歳くらいまでかな。でも、全然だめだった」
キーランドは目を丸くした。確かに、庶民で剣を習うというのは珍しい。子どもに剣を習わせる庶民の家となると、かなり限られてくる。
キーランドは言った。
「……賢者様のお迎えに、私が選ばれてよかったと思います」
「え? なに? なんの話?」
「あなたのような変わった方のお守りは貴族出身の騎士には無理でしょう……」
そうかも。ずばりそれを理由に婚約破棄された気がする。
俺は「へへ」と笑った。
キーランドは念を押した。
「褒めていませんからね」