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第6話

 ヴェステン地域にやってきてひと月。いよいよセレウィン殿下との謁見日となった。

 俺はセレウィン殿下が贈って来た豪奢な紺色を基調とした衣装を身にまとい、髪をきれいに整えた。

 鏡の前で一回転してみる。鏡にはよく日に焼けた健康そうな男が映っていた。ありふれた茶色い髪に、茶色い目。衣装が似合っていないということはないが、なんだかこれではない、という感じがした。


 身分を捨てて4年。身も心もすっかり農民になってしまったのだ。いまさら伯爵令息アデルジェスがセレウィン殿下に会ったとしても、良い物語がはじまる気がしない。いまは畑の賢者・アデルとして会うべきだ。


 俺は仮面をかぶった。キーランドの最大限の譲歩として、仮面は貴族たちが仮面舞踏会で身に着けるような白くて細かい装飾の施されたものに替えることになった。お手製の仮面とは違い、これは軽くて着け心地がいい。

 それを装着し、ペットのカタツムリが入った小箱を荷物に入れれば、俺の支度は終わりである。

 ひきつった顔のキーランドを引き連れて、俺は馬車に乗りこんだ。


 馬車はゆるやかに坂を上っていく。見渡す限りのぶどう畑を窓の彼方に見送りながら、向かいに座るキーランドが言った。

「ほんとうに、外さないんですか」

 仮面のことを言っているのだろう。俺は力強くうなずいた。

「うん」

「はぁー……」

 彼はため息をついて、それから腕を組む。


 彼は騎士らしく細身ながらもしっかりと筋肉がついた逞しい肉体を持っている。万が一、彼が実力行使をしたら勝ち目がない。俺は持ってきた小箱の蓋を開けてカタツムリを見せた。

「キーランド。もしお前が俺に何かを強制しようとしたら、このカタツムリをセレウィン殿下の前で食べるからな」

「……なんで連れて来ているんですか」

「俺、抜け目がないんだ」

「抜けてしかいませんが。常識が」

 キーランドは頭を抱える。そして唸るように言う。

「……もしかして馬糞も持ってきていますか?」

「……へへ」

「どこですか!?」

「冗談だよ。持ってきてない」

 さすがに馬糞はやめた。キーランドを脅すなら、カタツムリだけで十分だ。彼は俺が「なんでも口に入れる男」だと誤解しているふしがある。――いや、事実かもしれないが。


 俺は続けた。

「いいか? 俺は不幸なことに火事で顔と喉を焼かれて、話をするときは筆談っていう設定だ」

「……はあ…………」

 キーランドは頭を掻きむしる。彼の中で、騎士として仮面の不審者をセレウィン殿下に近づけたくない気持ちと、カタツムリを犠牲にしたくない気持ちが葛藤しているのだろう。

 しかし、その天秤は俺に有利に傾きそうだ。現に、彼の目は俺のかわいいカタツムリに慈愛をもって向けられている気がする。わかる。カタツムリ。意外とかわいい。




 仮面の賢者と、意気消沈した王子付きの騎士。妙な組み合わせが王城の謁見の間へと続く回廊を進んでいく。

 俺にとっては懐かしい風景だ。セレウィン殿下と婚約していた頃、彼に会うために通った道である。月に二度は会うように父に言われていたのだ。あの頃の俺は畑仕事に夢中で、この回廊を猛スピードで駆け抜けていた。さっさと会ってさっさ馬糞を回収して畑に戻りたかったのが本音だ。


 その懐かしい回廊をしずしずと進む。仮面で減点されている分、所作で加点したかった。しかし、減点が大きすぎる。王城の厳しい教育を受けているはずのメイドたちでさえ、俺とすれ違うときに「えっ」という目をする。


 俺は小さく言った。

「目立っているな」

「でしょうね」

 キーランドの声は疲れ切っている。ここに至るまで、彼はなんとか俺に翻意させようとあれこれ条件を提示しては却下されるということを繰り返したのだ。


 扉の前に着く。扉を守る兵士が俺を見てぎょっとしている。

 キーランドが俺を呼ぶ。

「賢者様」

「なんだ」

「……いえ……」

「さっさと腹を括れよ。な?」

 俺の言葉と同時に、謁見の間の扉は開かれた。


 謁見の間には来訪者が先に入る。俺たちはそこで頭を下げてセレウィン殿下が来るのを待つ。少しすると、反対側の扉が開いて、数人の足音が聞こえた。セレウィン殿下とその側近だろう。

 目の前の椅子にセレウィン殿下が座る。そして、知っている、懐かしい声が聞こえた。


「顔をあげろ」

 俺は堂々と顔をあげた。もうなるようになれの心である。

 4年ぶりに、俺たちは見つめった。

 今年22歳になったセレウィン殿下は立派に成長したらしい。どこかあどけなさのあった顔は精悍な青年の顔になっていた。しかし、はちみつを溶かしたような黄金の髪、アイスブルーの透き通った瞳はかつてのままだ。


 セレウィン殿下は戸惑ったような声をあげた。

「キーランド……。彼は、どうしたんだ?」

「えー……っと……」

 セレウィン殿下は仮面のことを言いたいのだろう。指摘されたキーランドはあからさまに動揺している。

 俺は小さな箱を右手に持っている。中には、荷物検査で兵士の度肝を抜いた俺のカワイイ子が入っている。それをこつり、と爪ではじく。

 その音が聞こえると、慌ててキーランドは答えた。

「賢者様は不幸なことに火事で顔と喉を焼かれていまして……」

 よくやったわ、キーランド。心のなかで彼に向けて親指を立てる。主君に嘘をついたキーランドは今にも死にそうな顔をしている。

 セレウィン殿下はそんなキーランドの異変には気が付かず「それは気の毒に。つらいことを聞いてしまったな」と俺を労わった。


 セレウィン殿下は俺に座るように促した。

 俺はなるべく野暮ったい所作になるように、伯爵令息っぽくない動きを意識しながら、ゆっくりと長椅子に座った。


 仕切り直して、セレウィン殿下は言った。

「まずはヴェステン地域での活躍、見事であった。約束の報酬を与えよう」

 俺は頭を下げる。100ゴールド。最高だ。あれもこれもできる。大農園の夢はひろがるばかりだ。俺は頬がゆるむのをとめられなかった。

 セレウィン殿下はさらに続ける。

「そして、次の依頼がある」

「?」

「私といっしょにレニュ穀倉地帯へ来てくれ」

「……?」

 俺は首を傾げた。


 レニュ穀倉地帯とは王都一帯に麦を供給する肥沃で広大な地域を指す。

 ――何でそこに行く必要が?

 ぽかんとしている俺とは反対に、キーランドはうれしそうな声をあげた。

「ついに、レニュの呪いに対処なさってくださるのですね……!」

 ――呪い?

 頭の中は疑問でいっぱいだが、話せない設定の俺はセレウィン殿下が話してくれるのを待つしかない。


 セレウィン殿下は言った。

「そうだ。人々はレニュが呪われていると噂している。賢者殿には、レニュの異変の正体を調べて、その知識で民を導いてほしい」

 キーランドは言う。

「呪いは神殿の担当では……」

「先月神官を派遣したが、呪いではないということだった。ならばと医師団を派遣したが、やはり流行り病でもない、と」

「殿下自らレニュへ行かれるのですか?」

「呪いでないことは明らかなのだ。信心深い地域の民だからな。私が行けば、民も安心するだろう」


 そこまで話して、2人はやっと俺の存在を思い出した。彼らは同時に俺を見た。

「どうだ? やってくれるか?」

 俺は目でキーランドに訴えかける。

 一連の会話では、大事なことが抜けている。まずその話をしてもらわないと困る。

 目に力を入れる。届け、俺の心。

 キーランドは俺の視線を受け止め、力強く頷いて言った。


「賢者様は、ぜひ行きます、とやる気満々です」




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