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第5話

 ぶとう畑の改善に着手してから2週間。その間、俺たちがしたことは2つだ。葉に溶液を塗ること、感染が広がり過ぎた木や葉は切って燃やすこと。たったそれだけだが、効果は目に見えて現れた。

 ぶどうの葉は健康な緑を取り戻しつつある。風に揺れる枝も、心なしか空に向かって生き生きと伸びているように見える。

 この調子なら、秋の収穫は期待できるかもしれない。

 効果が出てくれば、農民たちも協力的になる。それはかつてのキターニャ村でもそうだった。農民たちは俺たちを信頼し、畑の中では笑顔が見えるようにもなった。



 その日、俺は仲良くなった農民たちに夕食をふるまうことにした。

 俺はぶどう畑の端に立って、大釜を火にくべる。鍋には煮えたぎる湯が入っている。

 いつもはうどんこ病が広がった葉を切って燃やしているが、今日はこの湯に入れて煮沸消毒する。うどんこ病を引き起こすカビは60℃で死滅するのだ。

 消毒が終わった葉を刻み、肉と一緒に炒めて、塩、胡椒で味を調える。ぶどうの葉と肉の炒めものの完成だ。

 エジプトやトルコで食べられている料理を見よう見まねで作ってみたのだ。

 たとえ病気にかかっていようと、食べられるものは食べる。もったいないの精神である。


 味見役はキーランドだ。彼は出来立ての炒め物を口に入れて唸った。

「ああ、これ、意外といけますね。葉がいい香りで……」

「だろう? ほら、もっと食べていいぞ」

 俺もひとくち食べる。ぶどうの葉のさわやかな香りが肉の臭みを消してくれている。俺も唸った。

「トマトを入れてパンに乗せてもおいしいかも……」

 俺はひとりごちて頷いたあと、お皿に盛りつけて農民たちに振舞った。農民たちはぶどうの葉の思わぬ使い道に目を丸くしながら、おいしいそうに頬張っていた。


「賢者様は何でも知っているんだな」

「変な仮面だけどな」

「すっげぇなぁ。もうずっとここにいてほしいくらいだ」

「変な仮面つけているけど」

「そうだそうだ」

「あの仮面、初めてみたときはもうびっくらしたよなぁ」

 口々に褒められて、俺は鼻高々である。


「よかったですね」

 夕食の途中、キーランドが声を掛けてきた。俺は「まあね」と言って、それからキーランドに頼んだ。

「王子付きの騎士様を使いっぱしりにして悪いんだけど、今度、樽とニシンを調達してくれないか? 樽には海水を入れて……」

 王都ハースタッドはエケ湾に臨んでおり、ヴェステン地域まで海魚を供給している。

 キーランドは小首をかしげた。

「何に使うんですか」

 目は口ほどにものを言う。彼の目には「期待」と「不審」が浮かんでいた。


 俺は苦笑して言った。

「安心しろ。もうカタツムリの家にはしない。……お土産にしようと思ってさ。村のみんな、海魚は食べたことないだろうから」

 キターニャ村では川魚しか獲れない。きっと村人たちは物珍しい味をよろこぶだろう。

「魚は腐りますよ、さすがに」

「分かっている。でも、うまいこと保存する方法があるんだ」

 俺はぶどうの葉の炒めものの成功ですっかり舞い上がっていた。今度は樽と海水とニシンで、スウェーデンの伝統料理に挑戦するつもりだ。

「俺も食べたことないけど、まぁまぁ美味しいらしい」

 俺が弾んだ声を出すと、ようやくキーランドも笑顔を取り戻す。

「そうなんですか? 私もぜひいただきたいです」

「楽しみにしててよ!」


 夕食会は和やかに進んだ。俺たちは食べ、飲み、歌った。農民たちの歌はどこでも明るいものばかりだ。

 そうして束の間の休息を楽しみ、もうそろそろお開きにしようというとき、青灰色の鎧を着た兵士がひとり、キーランドと俺が立っているところに駆け寄って来た。


 キーランドが片手をあげる。

「王都へ報告に行かせていた部下です」

 部下は跪き、キーランドに向けて言った。

「セレウィン殿下が、賢者様のお仕事ぶりを大変賞賛され、ぜひ賢者様にお会いしたいと……」

 その言葉を聞いて、俺は心臓が跳ねた。

「どどどど、どうしよう!?」

 キーランドも眉をひそめる。

「ええ、ほんとうに。一大事です」

「まずいことになった!」

「ええ」


 俺たちは同時に、それぞれ別の杞憂を言った。

「なんとか会わずに済むようにしてくれないか?」

「なんとかその仮面を外せませんか?」


 一拍の沈黙のあと、俺は弾かれたようにキーランドを見た。

「それは無理!」

 彼も引かない。

「どうしてお顔を見られたくないのですか?」

 首を振る。そしてこの仮面の設定を思い出す。

「そういう問題じゃない。これは虫刺されだから」

「まだ腫れているんですか? 医者を呼びましょうか?」

「医者にも恥ずかしくて見せられない!」

「セレウィン殿下の命令を拒否なさると?」

 ぐう、と言葉につまる。結局この世は権力か。


 俺は拳を握る。こうなったらもう恥も外聞もかなぐり捨てるしかない。

「お、俺……、セレウィン殿下の前に出たら緊張してカタツムリ食べるかも……!」

「はぁ!?」

「ほんとうに! それに馬糞! 馬糞撒くかもしれないぞ!」

「どうしたらそうなるんですか……」

 キーランドは困った顔をしている。ここまでよくしてくれていた彼を困らせるのは本意ではない。

 俺はぐうう、と唸ったあと、しぶしぶ言った。

「セレウィン殿下に会ってもいいんだけど、その、仮面も取らない、口も利けない、ということにしてくれないか……? 頼むよ……」




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