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第3話


 翌日、俺は荷物と小箱と愛用の鍬を握りしめて、キーランドとともに馬車に乗り込んだ。村人たちは心配そうに俺の背中を見ていたが、俺はそれに手を振って応える。

 ――大丈夫だ。問題なんかすぐに解決して、お金を持って帰ってくるからな!

 キターニャ村に国で一番の大農園を作るのだ。俺は遠くなっていく村を見つめながらそう何度も胸に誓った。


「賢者様がこれほどお若い方だとは思いもよりませんでした」

 キーランドは馬車の向かいに座って、きれいな笑みを浮かべている。彼は俺のことを若いというが、おそらく俺と彼は同い年くらいだろう。

 俺は鍬をぎゅっと握りしめる。キーランドはいつから王子付きの騎士になったのだろうか。少なくとも、俺が殿下の婚約者だった頃には見かけなかった気がする。ということは、俺が伯爵令息であることは知らないはずだ。しかし、気を抜いてはいけない。


 キーランドは俺の探るような視線をよそに、小首をかしげて言った。

「鍬はこちらで預かりましょうか」

 俺は首を振る。

「いや、これは相棒だから」

 今度は俺の膝の上の小箱を指さす。

「その箱は?」

「見たいか?」

 俺は小箱の蓋を開けた。中にはマイスウィートハニーがいる。


 彼は箱の中を見て固まった。

「カタツムリ……」

 そこには30匹のカタツムリが詰め込まれていた。

「……かわいいだろう? いつか食べようと思っていたんだけど……愛着が湧いてしまって」

 彼は言葉を失っている。


 念のため、補足する。

「一応、これは移動用の箱で、ふだんはもっと広い箱で飼っているからな……?」

 家に置いてくるわけにもいかず、しかたなく連れて来たのだ。少し狭いが、虐待ではない。愛情を持って育て、現在3世代目である。

 彼は口元を抑えた。

「……賢者様は変わっていらっしゃいますね」

 それっきり、彼は口を開かなかった。セレウィン殿下に続いて、また他者をドン引きさせてしまったようだ。失敗した。いや、この場合は成功かもしれない。ひとまずこれで俺が伯爵令息ではないかと彼が疑うことはなくなったはずだ。



 沈黙した俺たちを乗せて、馬車は街道をどんどん進んだ。そうして9日目。王都を目前にしたその場所が俺たちの目的地であるヴェステン地域だ。

 起伏のあるなだらかな地形に広がるぶどう畑。

 王都周辺の土地ではワイン造りが盛んであるが、その中でもこのヴェステン地域のワインは質が高く、薫り高いと評判だ。


 馬車はぶどう畑を一望できる丘の上に停まった。そこから見える景色に俺は言葉を失う。

「なんだ、これ」

 夏のこの時期ならば青々とした葉が空を目指しているはずである。しかし、いま目に入るのは、しおれてくすんだ緑の葉ばかりだ。


「……救えますか。このままでは秋の収穫が」

 キーランドは暗い面持ちだ。

「ちょっと近くで見てもいいか?」

 返事を待たず、俺はぶどう畑へと飛び出した。


 夏の日差しは熱く、特に平野が広がっている王都近くは熱がこもっているようだ。一歩足を進めるごとに汗が噴き出してきた。後ろをついてきたキーランドも顔を赤くしている。


 ぶどう畑の中に入ると、異常がよく見えた。

 ――ぶどうの葉に埃のような白い粉がついている。

 俺は地面を蹴る。乾いた土がそこにあった。

 乾燥した地面、そしてこの暑さ。


「雨」

「はい?」

 後ろのキーランドに尋ねる。

「今年、このあたりで雨がどれくらい降っているかわかるか?」

「……少ないと聞いています」

 その返事を聞いて、俺は確信した。ひとつの病名が頭に浮かぶ。高温と乾燥により発生し、多くの植物に寄生するカビの一種。


「うどんこ病だな」

 キーランドは首を傾げる。

「……うどん、こ?」

 俺は彼の前で葉をちぎって叩いてみせた。葉から白い粉が舞う。

「ほら、うどんの粉みたいだろう? あ、うどん粉って要するに小麦粉のことなんだけど」

「あなたはよくわからない話をしますね」

 キーランドは「もう慣れてきましたが」と言いながら肩をすくめた。


 俺は続ける。

「この病気は、この粉で日光が遮られることで最終的に枯れてしまう病気なんだ。ヨーロッパ系の品種はこの病気に弱いんだよな。この国もヨーロッパに近い気候だし、きっとこのぶどうもヨーロッパ系だと思う。このままだと壊滅するかも……」

「なんとかできますか?」

「やれるだけやってみよう。ワインビネガーと、たっぷりの水と、ニンニク、あと皮が赤いぶどう、大きな木箱。人手も頼めるか?」

「何人ほど必要ですか」

「5人もいればじゅうぶんだ。多すぎても畑を踏み荒らして根を痛めてしまうからさ」

「なら、私の部下と侍従で足りますね。物品は明日までに用意させます」


 キーランドが控えていた侍従らしき人に目配せを送る。侍従は頷き、音もなく離れていく。それを見送ったあと、俺はおもむろにぶどうの木に手を伸ばし、まだ菌の広がっていない緑の葉を1枚取った。そしてそれを口に含む。

「ちょっ……! 何を食べて……!?」 

キーランドが驚愕の声をあげる。

 口の中に渋みが広がり、俺は顔をしかめた。

「……さすがに生はちがったかも」

「吐き出して! はやく!」

「もう飲み込んだ。茹でたら美味しいらしいんだけどな? トルコとかギリシャとかエジプトとか、とにかくいろいろな国で食べられているんだ」

「だからと言って……!! ああ、もう……!」


 キーランドが眉間を押さえる。

 なにやら俺はまたまずいことをしてしまったようだ。いや、この場合も成功だ。これで俺が伯爵令息ではないかと彼が疑うことは、絶対になくなったはずだ。



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