フィリアが帰るまで、あと9日。
月曜日の朝。夏の強い陽射しの下、俺たちはお墓へ向かって歩いていた。フィリアの麦わら帽子が、木立の中の景色に妙に馴染んでいるのが不思議だった。今日はお盆で大事な日だから、いつもの俺のお古じゃなく、夏菜と一緒に選んだ淡いラベンダー色のブラウスとクリーム色のスカートを着てもらった。
その柔らかな色合いの服が、フィリアの銀髪や麦わら帽子、青空、そしてもくもくとした白い雲と絶妙に調和していて、まるで絵本の中から抜け出したみたいだった。
墓前に着くと、ばあちゃんがバケツに水を汲み、持ってきた花を手にした。墓石を丁寧に磨き、水を筒に注ぎながら花を挿していく。その間、俺は線香を手に取り、マッチをこすって火をつけようとしたが、湿気のせいでなかなか火がつかない。
「んー、難しいな…」
ぼやく俺を見て、フィリアがそっと手を伸ばした。
「私がやってみても…よろしいですの?」
「お、おう。いいけど、気をつけろよ。火、危ないからな。」
フィリアは真剣な表情でマッチを手に取り、小さく「え、えい!」と声を出して挑戦する。何度か失敗したものの、火がついた瞬間、彼女の顔がぱっと明るくなった。
「できましたわ!」
嬉しそうに微笑むフィリア。その笑顔を見て、思わず俺も感心した。
「おー、すごいじゃん。」
俺が褒めると、ばあちゃんも温かく微笑んで「ありがとうねぇ」と礼を言った。線香を墓前に立て終え、三人で静かに手を合わせる。
ばあちゃんは墓石に向かい、穏やかな声で話し始めた。
「あの地震と津波から、もう随分と時間が経ったけど、こっちは元気にやってるよ。あのぼんくら息子は世界を飛び回ってるけど、孫の悠斗がこうやって一緒に銭湯を手伝ってくれてる。」
その声は穏やかで、でもどこか力強さがあった。
「あんたがいたときも私は幸せだったけどね、今もこうやって元気にやらせてもらってるよ。私がそっちに行くまで、もう少し待っといてね。」
ばあちゃんが静かに目を閉じると、その場の空気が一層清らかに感じられた。フィリアも俺を真似て手を合わせ、そっと目を閉じている。その横顔を見ながら、俺は何とも言えない穏やかな気持ちに包まれた。
少しして、フィリアが静かに目を開ける。そしてばあちゃんの少し後ろから、俺に囁くように話しかけてきた。
「そっちって、どこにございますの?」
「天国…かな。」
俺は小さな声で答えた。
「天国…?」
フィリアは不思議そうに首を傾げる。その姿がなんだか子どもみたいで、少し微笑みそうになる。でも、彼女にちゃんと答えなければと思い、言葉を選んだ。
「じいちゃん、あの津波で行方不明になったんだ。それで、きっと天国にいるんだと思う。」
「行方不明…?」
フィリアの声に戸惑いが混じる。その様子に、俺はもう少しだけ説明を付け加えた。
「突然いなくなっちゃうことだよ。どこにいるのか、誰にもわからなくなる…。」
自分の言葉を口にしながら、その意味が胸にじんと響く。
ふと、フィリアのことが頭をよぎった。彼女だって異世界から突然消えてしまった「行方不明者」だ。彼女の帰りを待つ誰かがきっといる。そう思うと、俺の胸は少し締め付けられるような気がした。
俺は心を決めた。満月の夜に向けて、フィリアが異世界に帰るために必要な準備を進める。そして彼女が無事に帰れるよう、全力で手伝おう。帰りを待つ誰かのために、そして、彼女自身のために。