フィリアが帰るまで、あと11日。
土曜日の夕方、俺は番台に座りながら、銀さんが現れるのを待っていた。銀さんはただの常連客じゃない。いつも気さくで、悩んでいる時には何気ない会話の中で、俺の背中を押してくれるような言葉をくれる。フィリアや夏菜のことで迷いがあった俺が、一歩前に進むきっかけをくれたのも、銀さんのおかげだ。その存在感は、まるで頼れる近所のお兄さんのようで、なんだか安心感を与えてくれる。
時計を見ると、扉が開く音がして、低くて力強い声が店内に響いた。
「よー、あんちゃん。元気しとったか?」
その声を聞いた瞬間、胸の中の緊張がふっと解けた気がした。俺は慌てて姿勢を正しながら、挨拶を返す。
「お、おかげさまで、ぼちぼちです。」
銀さんはいつものニヤリとした笑顔で軽く手を振りながら、俺をからかうような調子で言う。
「おいおい、無理して関西弁使わんでええぞ。ぎこちなさが丸出しやで。」
その一言に思わず苦笑しながらも、なんだか顔が熱くなるのを感じる。でも次の瞬間、銀さんが放った一言で、心臓が跳ね上がった。
「で、恋のトライアングルはどうや?」
「こ、恋ってなんですか!」
思わず声を低くして言い返す。番台のすぐそばにはフィリアがいる。この話が聞こえたら、もういろいろとアウトだ。
「みんな大切な家族みたいなもんなんですから!」
顔を真っ赤にして必死に否定する俺を見て、銀さんはおどけた表情で笑いながら、首を振った。
「ほー、家族な。そっちに落ち着いたか。ワイのアドバイスもまだまだやな。」
その軽い言葉の裏には、どこか深い洞察が隠れている気がしてならない。銀さんの視線がまるで心の中を見透かしているようで、少し居心地が悪い。
「けどな、そう言うてる間はなんも進展せえへんぞ。」
銀さんは肩肘をつきながら、軽快な口調で言う。でもその目だけは真剣で、俺の胸の奥をじっと覗き込んでいるみたいだった。
「で、どうしたんや? なんか相談したそうな顔しとるやないか、ユウトくん。」
俺の名前を呼ばれた瞬間、空気が変わった。さっきまでの軽口とは違う、これはきっと銀さんの本気モードだ。その落ち着いた口調と真剣な目が、自然と話しやすい雰囲気を作り出している。
「じ、実は…」
迷いながらも俺は話し始めた。夏の暑さにぴったりな新しいアイデア、みかんラッシーのことを。思いついたはいいけど、それをどうやってお客様に届けるべきなのか、全然分からないことを正直に話した。
銀さんは腕を組みながら黙って話を聞いていた。その表情は真剣そのもので、俺の言葉を一つも逃さないようにしているのが分かる。俺が話し終えると、銀さんは「なるほどな…」と小さく呟いた。
そして、ポケットから派手なスマホを取り出した。シルバーのフレームに龍の彫刻、赤いラインストーンが散りばめられたスカルのモチーフが、なんとも銀さんらしいデザインだ。
「ちょっと待っとれ。」
そう言いながら、スマホを器用に操作し始めた。いったい何が始まるのか、俺には全く見当もつかなかった。