19時ごろ、ばあちゃんが「ゆっくりご飯食べておいで」と気を利かせて声をかけ、俺の代わりに番台を引き受けてくれた。そのおかげで、フィリアと二人で静かな食卓を囲む時間が持てた。
テーブルには、少し気合を入れて準備した料理が並んでいる。甘辛いタレで香ばしく焼き上げた照り焼きチキン、バターの香りが食欲をそそるほうれん草とコーンのソテー、湯気が立つ炊きたての白米。そして、玉ねぎの甘みがしっかり引き立った具沢山のコンソメスープ。
「今日はちょっと豪勢にしてみたんだ」俺は照り焼きチキンを中央に置きながら、少し照れくさそうに言った。
「ばあちゃんから無事に許可もらえたしね。小さなお祝いってことで」言葉にどこか満足感を込めながら、フィリアに箸を渡す。
実は、ゆっくりと一緒に食事をする時間ができたら、彼女に箸の使い方を教えようと決めていた。北の国から来たという設定なら、手づかみで食べるのは不自然だし、フィリア自身も日本の文化に少しずつ馴染もうとしているのが伝わっていたからだ。
フィリアは少し緊張した様子で箸を手に取り、持ち方を確認しながら一口ずつ食べ物を運ぶ。ぎこちないながらも真剣なその姿に、思わず微笑んでしまう。箸がずれるたびに「あ、そこをこうすると持ちやすいよ」と声をかけると、彼女は真剣な表情で頷きながら挑戦を続けていた。そのやり取りに自然と時間がゆったりと流れ、穏やかな空気が食卓を包んでいく。
最初に照り焼きチキンを口に運んだフィリアの目が輝き、表情がぱっとほころぶ。
「昨夜に続いて…本当に美味しいですわ!」
嬉しそうにそう言ってくれる彼女の姿に、俺も自然と笑みがこぼれる。
「そっか、よかった。それ、タレが焦げないようにじっくり焼いたんだ。甘辛い味付け、クセになるだろ?」少し得意げに笑いながら、つい自慢っぽくなってしまう。
「このスープも…とても香りが良いですわ。野菜の甘さが…たまりませんの。」
スープを一口飲んで、フィリアは心底感動したように目を閉じ、小さく呟いた。
「ばあちゃんのおかげだな」
俺は少し照れくさそうに言葉を続ける。
「実は、ずっと子供の頃からこの銭湯に入り浸ってたんだよ。掃除したり手伝ったりしてるうちに、ばあちゃんが色々な料理を教えてくれてさ。こう見えて、ばあちゃんの料理は地元でも評判なんだぜ。」
「それでユウトさんがこんなにも料理上手なんですのね!」フィリアが心底納得したように笑顔を向けてくれる。
「まあ、ばあちゃんのレシピを真似てるだけさ。でも、こうして美味しいって言ってもらえると嬉しいよ。」俺もつい、誇らしげな気分になりながら答えた。
フィリアがスープを一口飲むたびに、「優しいお味ですわ」と満面の笑顔で感想を述べる。その純粋な反応に、俺は自分の努力が報われた気がして胸がじんわりと温かくなった。
フィリアは慎重に箸を動かしながらも、一口ごとにその扱いに慣れていくようだった。「箸が使えるようになったら、この世界の料理がもっと楽しめるんですのね」と嬉しそうに言う彼女の姿に、俺も心が和む。
食事を終えたフィリアが、箸を丁寧に揃えて小さな声で「食べ終わった後の挨拶は…ご、ごちそうさまでした、で合ってますのよね…?」と尋ねる。その控えめな言葉に、俺は「うん、合ってるよ」と優しく返した。
こうして静かに流れる時間の中で、彼女が日本の文化や生活に少しずつ馴染んでいく様子を嬉しく感じる。そして俺は、明日は銭湯の掃除を一緒に教えようかと思い始めた。デッキブラシやモップの使い方を覚えるのは簡単ではないかもしれないが、きっと楽しいだろう。
明日はどんな一日になるのだろうか――そんな期待を胸に抱きながら、静かな夜が更けていった。