獣の埋葬が終わり、地図を開いて位置を確認すると、現在位置から竜の膝――恐らく膝小僧に当たる場所までは五日。全員のリュックサックの中身を確認すると、干し肉などの保存食は三日分程度しかない。
「アルスが居ない弊害が、こんなところで出てくるなんて……」
「そこら辺に生えてる草とかを食べるしかないんじゃない?」
「水は?」
「魔法で何とでもなるよ」
「一番の問題って、地図に詳細が載ってないってことなのよね」
リースもユリシスも、そこは同意せざるを得ない。
そして、愚痴を溢していてもしょうがないので、リース達は管理者の建物を目指して歩き出した。
「少し無計画過ぎる気もするのですが……」
「人間、食べ物がなくても水だけあれば生きていけるらしいよ」
「何日ぐらいの活動日数を根拠に言っているんですか?」
「知らない」
ユリシスは額を押さえる。リースにエリシスの影響が確実に出ている。そして、今あるユリシスのこのポジションは、間違いなくアルスのポジションだった。
(アルスさんが居なかったら、わたし達は死に直面する選択をしていたことが多々あったのではないでしょうか……)
あまり深く考えるのは止めようと、ユリシスは思考を止める。エリシスが居る時点で、思い通りにならないのは分かっている。リースの言う通り、水だけでも生きていけるなら、何とかなるだろうと諦める。
(このパーティの生命力がゴキブリのようにしぶといのだけは実感していますし……)
ユリシスは食糧問題とは別の質問をして、話題を変えることにした。
「管理者の建物もそうですが、そこから先の竜の足のつま先までには、一体、何があるんでしょう?」
エリシスが片手をあげて答える。
「正直、あんまり考えたくないわね」
「どうしてですか?」
「だって、何十年、何百年分ものハンターが捕まえた犯罪者を洗脳して再利用してんのよ? そこから先が犯罪者の置き場所になってたら、どうすんのよ?」
「見渡す限りの時を止められた犯罪者の像ですか……」
「見たくない……」
思い浮かぶのは、人相の悪いむさ苦しいオッサンの像が一面に広がる光景……。それは何という地獄絵図だろうか……。
「でしょ? 深く考えるのは管理者の建物まで。それで、管理者っていうのがモンスターを止めてくれれば万事解決よ」
「その管理者っていう方が、穏やかな性格をしていればいいのですがね」
「私は、その管理者っていうのが、エルフみたいな人種なのかが気になる。あの獣が千年以上も生きていて、その獣に命令を出していたのが管理者なら長生きし過ぎているからね」
「確かにそうね……」
リースが両手を開く。
「それと私、通常武器がないからオリハルコンのレイピアしかないんだけど、これ使うと神経磨り減るから、もう使いたくないんだ」
「そうでしょうね。触れただけで自分を殺しかねない剣なんて」
「だから、戦う時はユリシスみたいに魔法中心になると思う」
エリシスは腰に手を当てて答える。
「物理攻撃は引き受けるわ。でも、魔法使い2:戦士1か……」
「危なくなったら、レイピアを使うから」
「いつの間にか強さの関係が逆になっちゃったわね」
「武器の性能のせいだと思うよ。逆にアルスがオリハルコンで槍を造っていたら、使い手はエリシスになっていたと思う」
「それもそっか」
「うん」
リース達は管理者の建物を目指して歩き続ける。戦場からずっと広がっていた荒野から徐々に緑が増えだし、辺りは美しい緑の広がる風景に姿を変え始めた。
…
獣を倒し一日二日と日が経ち、八十年前と同じ旅の雰囲気が漂い出すと、弥が上にも理解させられる。このパーティにアルスが居なくなってしまったことを……。
修行期間は、一人で居ることを理解していた。そして、ここで三人で力を合わせて獣を倒すという目標があったから、三人で居るのも理解していた。
しかし、その目標の獣を倒して旅人に戻った時、このパーティに欠けたものを理解させられた。話し掛けても返って来る優しい言葉がない。いつも気遣い、見守ってくれていた優しい眼差しがない。いつもの軽口に返って来る溜息がない。
「こんなにも違う……」
アルスの居なくなった喪失感は、一人で居た時よりも三人揃った時の方が遥かに大きかった。そして、誰かが口にするであろう気持ちをエリシスが最初に口にしたのだった。
「あたし達は認めたくなかったのかもしれないわね。だから、獣を倒すことを優先して動き出した……」
「アルスの居た証は世界に残っているのに、アルスは居ないんだ……」
ユリシスもリースも釣られるように気持ちを吐露した。
「アルスさんは、どうして、わたし達と同じ時間を選んでくれなかったのでしょうね?」
「あそこで、全員死ぬわけにはいかないじゃない」
「そうではなく……」
「それ以外に、何かあるの?」
「アルスさん自身に、わたし達に使った魔法を掛けるという選択肢です。八十年前は、クリス先生も居ましたし、当然、エルフの方々も居ました。アルスさんが魔法を使わなくても、誰かに魔法を掛けて貰えば、わたし達が目覚めた後で、一緒に同じ時間を過ごせたということです」
エリシスは暫く黙ったまま歩き続け、空に視線を向ける。ユリシスの言葉を理解し、それも一つの選択肢に間違いないと思う。
「それは出来ないわよ……」
「どうしてですか?」
「アルスは盗賊団を犠牲にする選択は出来ても、世界の人達を犠牲にすることは出来ないはずよ。罪を重ねて人を殺そうとする者を殺す選択が出来ても、罪のない人達が犠牲になる選択はしないわ。もし、アルスがユリシスの言った選択をしたら、獣が直ぐにでもモンスターを復活させたかもしれない。建て直したばっかりのサウス・ドラゴンヘッドから世界にモンスター復活の警鐘を鳴らしていない状態で、何の準備もなしにモンスターが復活したら、大勢の人達が何の準備も出来ずにモンスターと戦うことになってしまう」
「元より、アルスさんには出来ない選択でしたね……」
「もう一つ理由があると思う」
リースの言葉に、エリシスとユリシスが視線を向ける。
「アルスは鍛冶屋だから、オリハルコンの武器を完成させなければいけなかった。このレイピアの完成は、砲筒が壊れるまで魔法を撃ち続けて剣身に魔法を斬れる能力を付加することだった。その期間は、とても長い時間が必要だった。毎日、砲筒で魔法を撃ち続けるだけだけど、エルフの人達には、お願い出来ない」
「どうしてですか?」
「私達がアルスと大事な絆があるように、アルスにも大事な絆がある。このレイピアは、アルスとアルスのお爺ちゃんの鍛冶屋としての絆。例え、信頼しているエルフの人達でも、完成前の武器を触らせたくないはずだから」
「鍛冶屋の誇りってヤツかしら?」
「私は鍛冶屋じゃないから断言は出来ないけど、アルスがお爺ちゃんとの絆を大事にしていたのはよく知ってる」
「それは、あたし達も旅の間でしっかりと感じたわ」
ユリシスが結論を語る。
「だからこそ、アルスさんは同じ時間を歩めなかったんですね。アルスさんの人柄や鍛冶屋としての誇り、それらが道を分けてしまった」
「…………」
大きな事柄が終わり、余裕の出来た時間と心があるからこそ、冷静に考えられる。
そして、いくらそれを理解しても……。
「心の喪失感は埋まらないわねぇ……」
エリシスが大きく息を吐く横で、リースは話し出す。
「確かに、そうだね……。これは私達の日常じゃない。だけど――」
エリシスとユリシスは、リースを見る。
「――私達は不幸なのかな?」
「不幸?」
「うん。アルスが居ないのが不幸っていうのは違う気がする。だって、アルスが守ってくれたんだよ? あの時、死ぬはずだった運命を変えて、未来に繋げてくれたんだよ? そして、アルスは未来を守るために動き続けてくれたんだよ?」
エリシスは頬を掻く。
「確かに、それは不幸じゃないわ。あたし達のために、人生懸けてくれる人間に愛されてないなんて有り得ないわ」
「私達を残して、武器を造って、思い通りにならない未来を打ち砕く切り札を用意してくれていた。私達を想っていてくれたのは嘘じゃない」
ユリシスが付け加える。
「それはクリス先生もですね」
「あと、アルスの爺さんも」
「うん、他にも沢山の人達が居る。皆が諦めなかった先に私達が居て、未来に繋げてくれた大事なものがあるんだよ」
エリシスとユリシスは頷く。
「そうですね。そこはしっかり受け止めないといけませんね」
「あたし達がここに居られるのは、皆のお陰なんだから」
「だから、あと少し。世界からモンスターを消し去って、私達はこの未来で、私達の今を作らなきゃ」
「そうね。アルスは犠牲になったわけじゃない」
「ミストさんと自分の時間を生きて、わたし達に繋げてくれたんですから、その繋がった未来を詰まらないものにしないのは、わたし達次第です」
全員が頷く。
「頑張ろう」
「終着点は、もう直ぐです」
「この世界を守らなくちゃ」
リース達は少しずつアルスの居なくなってしまった未来と向き合い始める。色んなものが繋がり、受け継がれ、今を形作っている未来。その形作られた今は、大事な人達の積み重ねで出来ている。
そして、その人達が願ったのは、争いのない幸せな未来に他ならない。