獣の確信――それはリースが攻撃を選んでいるということ。そもそも敵を誘導するという行為は戦いを有利に進めるものではあるが、あれだけの切れ味を持つ武器があるなら、攻め一辺倒でもいいはずだ。なのに、わざわざ得体の知れない戦闘方法を習得し、自分の攻撃し易いところに誘導するのはおかしい。
そう、弱点があるとすれば斬れ過ぎるところだ。だから、先ほどの攻撃は左手を切断すれば、斬った腕がリースにそのまま向かう軌道とスピードを持たせた。残された腕で大きな博打に出て得た情報は、起死回生の情報かもしれない。
しかし、これを実行するには、命を懸ける必要があった。あの何でも切断するレイピアに斬られる覚悟で、リースを的確に射抜き、死に至らしめる勢いを乗せた拳を振るわなければいけなかった。
「小娘相手に逃げ出すわけにも行くまい!」
獣が攻め始める。
今までと違う決死の覚悟が付き纏い、狙いがえげつない。斬られても殺せる軌道で拳がリースに飛んで来る。
(気付かれた……!)
リースの防御方法に『躱す』以外に『受け流す』という行動が加わる。背中のレイピアが通常通りの構えに変わり、レイピアの刃を寝かせ、獣の拳を滑らせて回避する。
獣は小さく唸る。
「どうやら、正解のようだな?」
「それが分かってて、実行する神経がよく分かんない……!」
リースの言葉に、獣は笑みを浮かべる。
「同じようなものだろう? 自分を切断しかねない武器を振るう貴様と私に、どのような違いがある?」
リースは距離を取って背中にレイピアを持っていこうとするが、獣がそれを許さない。
「分かっているのだぞ! あの動きは、貴様が安全に剣を振るうための条件を作り出すための予備動作だということをな!」
(間違いない! 完全に気付かれた! 右腕を斬った時に、そこまで読まれたんだ……!)
獣の浮かべた笑みにリースは自分の流した汗を冷たく感じ、歯を食い縛りながら獣の攻撃を捌く。どれも攻撃すると切断した腕が飛んで来る、殺されかねない軌道の攻撃ばかりだ。
(獣の力が強過ぎて、反撃する体勢を作れない! レイピアを振れない!)
今は受け流しているから何とかなっているが、受ければ衝撃を直接受けて体を壊される。
敵は、獣でありながら戦い方を理解していた。人間の力を凌駕する筋力で体を支え、人間であるリースが狙う体幹の揺れという隙を作らない。逆に小さく弱い人間であるリースの体幹を揺らして反撃できる隙を与えない。
(このままじゃ拙い!)
受け流すことを積み重ねれば、リースの両手は痺れてくる。
リースは焦り始める。精神が磨り減り、頭の回転も遅くなっている。中々、いい案が浮かばない。
「……手詰まりのようだな」
獣が見透かしたようにリースを睨んだ。
しかし、ここで諦めきれない。この三年間は、この獣を倒すために修行してきたのだ。獣を唯一斬れる武器を扱い、八十年前に焼きついた獣のスピードに対応できる技術を身につけたのだ。ここまで追い込んで負けるわけにはいかない。
(どうすれば……)
――『でも、最後まで覚えれば、私はアルスより強くなれるってことだよね?』
――『そうだね』
手詰まりのリースの脳裏に、突然、旅の途中での会話が蘇る。それはアルスよりも強くなりたくて、この三年間で習得している。
リースは口を強く結ぶと、左手のレイピアを手放した。
「……何の真似だ? 両手持ちにでもするのか?」
何でも斬れる剣を両手持ちにする意味などない。二刀流で戦う方が良いに決まっている。
レイピアが地面に転がり、リースの左手に握られていたのは白兎だった。
(武器の換装!)
ここでリズムを一気に変えることを選ぶと、リースの動きが受けから攻めに変わり、直線的なものに変わった。レイピアを振るうための距離を取ることをやめ、武器の速さと間合いを変えて、白兎の小太刀の速さとレイピアの連携で獣と戦うことを決めた。
獣が、まだ認識できない左手の武器は小型であるが故に、恐ろしく速い。しかし、警戒して回避し、掠った獣の毛に触れたそれは、切断できずに毛を弾いただけだった。
獣は注意するべきはリースの右手だけだと判断すると、懐に飛び込んだリースの右手に握られたレイピアにだけ、注意を向けた。
だが、リースが狙っていたのは、この油断だった。レイピアの脅威を強く認識させ、恐怖を刷り込み続けて張った罠――白兎など、取るに足らないただの武器だと思わせる。
「守る腕もなく、剥き出しの怪我の痕は守られる毛もない!」
体に刻まれたアサシンの技術を発揮し、武器のスピードを獣と戦える一振りまで引き上げる。左手の白兎が切断した獣の右腕の切り口に突き刺さると、リースは生成できるだけの魔力を白兎の柄に送り込んだ。ボロボロの刀身から電気を流し、白兎は最後の役目を果たす。獣の体には電流が走り、獣は咆哮した。
そして、リースは満を持して右手に残るレイピアで、痺れて動けない獣の左腕を斬り飛ばした。
…
亡き主に代わり一矢報いた白兎の刀身は、根元から折れて柄だけがリースの左手に残った。
獣は両腕を落とされ、戦う手段はないかのように思えたが、尚、リースを見る目は闘志を失っていなかった。そのため、リースは後ろを振り向いて、手放したもう一本のレイピアを拾いに行くことが出来なかった。
「見事だな……」
リースを見ながら、獣は一言呟いた。
(まだ終わりじゃない……)
右手に残るレイピアを一振りすれば終わるはずなのに、嫌な予感がリースの頭から離れない。
そして、その予感が正しいように、獣が呪文を唱え始めた。
「――この距離で詠唱? 間に合うはずがない!」
(詠唱前に切り込める!)
そう予想したのに、自分の中で警鐘が鳴り止まない。リースは自分の勘に従い、白兎を腰の後ろに納めると、レイピアを両手持ちで構えた。
「この魔法を防ぎ切れるか?」
あまりに短い詠唱。呪文は聞いたこともないものだった。
獣が大きく口を開くと、紅の閃光が発射される。閃光の正体は、火属性の魔法のエネルギーを高圧縮したもの――それは管理者が自分のために用意した即行迎撃用の魔法だった。
レイピアを手の中で引っ繰り返し、リースは虹色の剣身を刃に立ち向かう。日々の鍛練で身についた正確無比な動作で虹色の刃は紅の閃光を真っ二つに切り裂き、リースの左右に魔法を逸らした。
「私達は、ただの日常が欲しいだけ……。ちょっとだけ、先の未来に進みたいだけ……。だから――」
閃光の中、リースは涙を溢して叫んだ。
「――もう、私達の前に立ち塞がらないでよ!」
獣が魔法を撃ち終わると、リースは力強く左足を踏み込み、右から左に獣の胴体を腰から切り裂いた。
腰から体の上半分が離れると、獣の視線はゆっくりとずれていき、視界には空だけが広がった。
(力で負けたわけではない……。技術と気持ちに――)
獣は弱々しく息を吐き出し、己の完全な敗北を認めた。