第三戦線には詠唱魔法を不能にする以外にも、踏み込んだ戦士達を苦戦させるものがある。敵側に戦術というものが存在しているのだ。侵入した戦士達を撹乱するため、素早い動きのワーウルフが先方を務め、その後ろでオーガが力押しをする。更に甲冑を着たリザードマンとドラゴンレッグの兵士が立ち位置を入れ替えて、戦士達の攻撃を防御するといった連携が組まれている。
その戦術が使用されるのは戦線を突破しようとするリース達も例外ではなく、特に素早いワーウルフの攻撃が、魔法使いのユリシスに届いてしまうのが今までと違うところだ。エリシスは第二戦線の時より後方に位置し、槍の攻撃範囲の中にユリシスを置いたまま動けなくなってしまっていた。
「姉さん、このままだと先方で戦うリースさんの負担が大き過ぎます!」
「分かっているんだけど――」
エリシスは槍を旋回させ、ワーウルフの心臓を貫きながら会話を続ける。
「――ここからじゃ援護できない! それにリースがオーガをぶった斬ってくれてるから、攻め込まれない状態なのよ!」
連携をするモンスターとドラゴンレッグの兵士の戦いの流れを見ながら、ユリシスは決断する。
「姉さん、動きましょう! 一箇所に留まるのは危険です!」
「だけど――」
「無詠唱魔法は、息が切れても発動します!」
(現状、分断されているのはあたし達……。また連携できる形に持っていくには――)
「分かったわ。ユリシスのスピードに合わせて移動する」
ユリシスは頷くと、エリシスに向かっていたワーウルフの鳩尾にヤクザキックを炸裂させ、ゼロ距離で雷属性の魔法を浴びせて走り出す。
「いつの間にか、いいキックを身につけたわね……」
続いて『風と火』『水と雷』を組み合わせて、ユリシスは接近戦の戦いを繰り返す。ワーウルフの爪は、今のところ長手袋の手甲で止まっている。
エリシスは接近戦でも戦えるようになったユリシスを見て、自分のするべき戦いを頭に思い浮かべて動き出す。
「接近戦の細かい魔法を使わせるんじゃなくて、何回かに一回、大きな魔法を繰り出す隙を作ってやればいいわけよね」
エリシスは一方向に偏った倒し方をし、敵の数が減った場所にユリシスを誘導する戦いに切り替える。今までの大きな一振りで数対を斬り裂く動きから、基礎中心の突きの動きが増える。普通に考えれば、大きな一振りの方が相手を誘導し易いイメージがあるが、エリシスは逆であった。基礎の動きを多用する方が速いのである。
基礎の動きというのは地味なイメージがあるが、実は一番速く動ける攻撃方法である。方手持ちではなく、両手持ちにするのも狙いをずらさないため。貫いた相手から槍を引き抜くのも片手より両手の方が速い。攻撃は円から直線に変わる。リースと大きく違うのは後ろ足を軸に方向転換すること。
槍はエリシスの後ろ足を発射台とし、左右に方向転換しながら素早い攻撃を繋ぐと扇形でモンスターを押し返すのが分かる。
その動きの意図を理解し、ユリシスはエリシスの作り出した空間に入った時だけ、一段階集中力を上げ、レベル5に匹敵する火炎魔法を発動させた。
「姉さんが時間を作って、魔法の発動をこのペースで維持して行ければ……!」
ユリシスは半日分の歩いた距離を想像してペース配分を割り出していく。毎日やっている魔法を使い切る鍛練で、自分の限界は認識している。予想では無詠唱だけで抜け切るのにギリギリのような感じだ。
(だけど、この大量の敵と戦い続ける状況……。魔法が使えなくなるのは、もっと早いかもしれない……)
エリシスとユリシスの初めてみせる接近戦での連携は、大きな不安も孕んでいた。
…
一方のリースは、エリシスとユリシスよりも外回りの位置でオーガを中心に戦っていた。敵の誤算があったとしたら、攻めて来た人数が少なかったことだろう。ドラゴンレッグの兵士とリザードマンの守備のための入れ替わりが、あまり機能していない。リースの鍛え抜いた脚力による素早い動きで、前衛と後衛が入れ替わる前にオーガだけが狙われて仕留められている。
しかも、この獲物はモンスターが囲んだ瞬間に魔法を使う。全て計算に入っているように、無詠唱の雷の波紋が広がった。
「ユリシスほど、応用できなくたって!」
アルスから教わった呼び込ませる動作は、武器だけではなく魔法にも有効な手段だ。そして、本来、リースは魔法タイプの戦士でもある。少し粗い使い方だが、威力は折り紙つきだ。
魔法で一掃すると直線的な動きに切り替わり、リースの右手に握られる白兎は相手の急所を切り裂く。黄雷石の強度と成長した体が三年前には出来なかったカウンター以外の攻撃を可能にする。
「アルス……。キリ……。私に力を貸して!」
リースは白兎の柄を握り込み魔力を送ると、ドラゴンレッグの兵士に浅い傷を与える動作と同時に電気を送り込んで動きを止める。その間に白兎は、オーガの急所に向かって跳ねる。空中で反転し、首筋を一瞬で切り裂いた。黄雷石の特性を活かし、リースはテンゲンに教わったアサシンの戦いを存分に発揮していた。
そして、リースの右斜め前方で火属性の爆発が起きた。
「進路が修正された。ユリシス達はあっちの方か……」
リースは向きを変えると習得した間違い探しの技術から、襲い来るモンスターを倒して進む道を導き出す。
「まだ温存できるか」
リースが混戦する戦場の最短距離を走りながら『素早い二回攻撃』か『両手持ちの一回で寸断する急所攻撃』でモンスターの隙間を走り抜ける。
「私達の技術は、こんなものじゃない!」
白兎を振って刀身の血を飛ばすと、リースはエリシスとユリシスの援護に加わった。
…
歩いて半日なら四時間程度、真っ直ぐ走っているなら一時間程度で第三戦線は抜けられるだろう。
しかし、戦略的に走っている場面があるにも拘わらず、リース達の戦いは二時間を越えても続いていた。理由は幾つか挙げられる。まず、戦う以上、足を止める場面も必ずあること。また、戦いながら進んでいるため、真っ直ぐではなく蛇行していること。そして、戦場の中で無詠唱魔法を使い続けたユリシスに精神的な疲労が見え始めたこと。
第三戦線の戦いは、休む間もなく続けられていた。近距離のワーウルフをエリシスが7:ユリシスが3を始末し、オーガは、ほぼリースが一人で受け持って始末していた。
武器を著しく消耗させる甲冑を着けたドラゴンレッグの兵士と鱗で覆われたリザードマンは、接近したものをエリシスが倒しているにしても、ほとんどをユリシスの遠距離魔法が倒し続けていた。
つまり、ここまでパーティを引っ張って来たのはユリシスの力が大きいのだ。その力が衰えれば、今まで大量の敵と渡り合えた手段が使えなくなり、武器での攻撃が増えて進み具合も悪くなる。
「第二戦線とは大違いだわ!」
「ただ向かって来てくれるだけならいいんですけど、戦略を持った上で動かれて誘導できないんです。大きな魔法で仕留められる数が少ない……!」
寒さに弱いリザードマンを一箇所に纏められず、ブリザード級の無詠唱魔法が効果を発揮出来ない。エリシスの槍術によりモンスターの一部を誘導できるが、大魔法よりも威力の小さいリバー系の魔法の相乗効果の連発が多くなる。風と火、水と雷の組み合わせで、連続して戦う場面が増えていた。
それでも、エリシスの切り開いてくれた僅かな集中時間の確保のお陰で、エクスプロージョンに匹敵する爆発魔法を発動する機会はある。ペースダウンしているが、何とか混戦を掻き分けて進めている。
「ユリシス! あと少しよ!」
「分かっています……!」
視線の先では、さっきまで敵の影で重なって見えなかった戦線の先が見え始めている。あと僅かなのだ。
「っ!」
片足をワーウルフの爪に裂かれ、エリシスが槍を杖に凭れかかった。右足の布地に血が滲み出した。
「……油断した――違う! 集中力が落ちてる!」
エリシスは自分を叱責すると歯を食い縛り、片足でバランスを取って槍を構える。負傷したエリシスにユリシスが駆け寄り、エリシスの片足に手を添えて回復魔法を掛け始める。
「どれぐらい掛かる?」
「思っていたより深い……。三分ほど、時間が掛かります」
「長いわね」
エリシスは視線を動かし、耳を澄ます。すると、後ろから迫ったワーウルフに振り向きもしないで槍を旋回させて、槍頭で的確にワーウルフの眉間を貫いた。
「よく分かりますね?」
「少し仕掛けがしてあってね。槍頭と石突きの位置を認識できるように、旋回させると違う音が出るように細工してあるの」
「それで振り回しても、どっちに刃が付いているか分かるんですか」
「お陰で耳がよくなって、背後から来た敵の位置も把握できるわ」
「驚くべき技術です」
エリシスは溜息を吐く。
「とはいえ……。三分間、止まりっぱなしっていうのは拙かったわね……」
「囲まれました」
エリシスの足の治療を終えて、エリシスとユリシスは背中合わせに構えを取る。
そこにリースの声が響いた。
「誰も居ないから遠慮しなくていいよ! ここの戦線は終わるから、ぬかるんでも平気!」
その声にエリシスは槍を両手持ちし、ユリシスは呪文を詠唱し始めた。
エリシスが戦線の左方向に清流の槍を突き出すと、埋め込まれた宝石が輝く。
「出し惜しみはなしよ! 押し流せっ!」
向かって左側の敵が槍から放たれた激流に押し流されると、エリシスとユリシスは立ち位置を入れ替える。
「もう一つ!」
今度は右側の敵が槍から放たれた激流に押し流された。殺し切らなくても、再び集まってくるまでの時間を稼ぐには十分な攻撃だった。
そして、前方からリースが敵を切り裂きながら戻ると、武器としての寿命の近づいた白兎を腰の後ろの鞘に納めた。
「ここまで、ありがとう……、白兎」
リースは片膝を突くと、腰の左右に固定してあるレイピアを鞘ごと外して地面に置き、リュックサックも降ろした。
エリシスとユリシスに、リースは声を掛ける。
「オリハルコンの武器を解放する。再び集まり始めた前方の敵は、私が斬り進むから荷物をお願い」
エリシスは詠唱中のユリシスを見ると、リースのリュックサックを拾い上げる。
「あたしが持つわ」
リースは頷くと、左右のレイピアの鞘のロックを外す。それと同時にリースの中で恐怖心と共にレイピアを扱うための集中力が増していく。集中力のリミッターはカタカタと音を立てるように外れ掛けていた。
そのリースの背中を守る後ろではユリシスの詠唱が完了し、ユリシスは杖を握り直して地面に突き立てた。
「アースイーター!」
地面がパックリと口を開き、ドラゴンレッグの兵士やモンスターを次々に飲み込み出した。
「地割れ……。そうか、この方法ならモンスターに作用しないから!」
エリシスの言葉に、ユリシスは頷く。
これで前方以外の敵は居なくなった。
リースはレイピアを両開きの鞘からゆっくりと離し、肩から背中に移動させて刃を水平に構える。
(あんな構え見たことない……)
エリシスとユリシスは、異様な構えに息を飲む。
一方のリースはオリハルコンの武器を扱うための戦闘体勢に移行していた。前方を睨みつけ、視線の先で大小無数のイメージの円柱を浮かび上がらせる。
『時には風になり、時には水になる……』
円柱は自然と一体になった自分の走り抜ける道の目印だ。
「鞘をお願い……」
そう言って、リースは走り出した。三年間、山中を走り抜いた脚力は、エリシスとユリシスが予想していたよりも遥かに速かった。
ユリシスがレイピアの鞘を抱きかかえる。
「行きましょう!」
「あんなの追いつけないわよ!」
置き去りにされた二人の視線の先で、左右に動き続けるリースの通り道は、滑らかで綺麗な流曲線を描いている。
そして、やはりと言うべきか、リースを追って走り出したエリシスとユリシスは、その動きを理解できないでいた。
「何で、直線で走らないのよ? 丸っきり、無駄な動きじゃない」
誰の目にも、そう映るに違いない。
しかし、そのままのスピードで敵の群れに飛び込んだリースが通り過ぎると、バラバラと切断された敵の体が散らばった。
「な、何が起きているんですか……」
切り開かれる血路。リースの駆け抜けた場所は、駆け抜けた後に必ず死体が散らばる。敵の居なくなった血路をエリシスとユリシスは走り抜けるだけでよかった。
「姉さん、分かりますか?」
エリシスは難しい表情で答える。
「……やっと、あの動きの意味が分かってきたわ。そして、オリハルコンの常軌を逸した切れ味と、それを扱っている常軌を逸した人間に寒気がしてる。……あの剣、本当に触れただけで相手を切断してる」
「触れただけ……?」
「リースが言っていた、あたしの槍を紙のように切り裂くっていうのは嘘じゃないんだわ。全部を見ないで、リースの手首だけを見てみなさい。触れさせる時だけ、リースの手首が返ってるから」
ユリシスが言われた通りに見る場所を限定すると、リザードマンの脇を通り過ぎたあと、リースは体ごと旋回してリザードマンにレイピアを滑らせる。その行為は振るではなく、撫でるに近いもの。そして、その瞬間だけ寝ていた刃が起き、リザードマンの体にレイピアが吸い込まれていった。
「確かに、変な斬り方をしています」
「あの一見、無駄な動きにも秘密があったのよ。敵が目の前で何回も左右に旋回して予測できなくなってる。何を模倣してるか分からないけど、見たこともない動きに体が合わせられなくて、敵が止まってるわ」
「一体、何を身につけてきたんですか?」
「間違いなく、何でも斬れる剣で戦う方法よ」
エリシスが『何を模倣しているか分からない』と言ったのも仕方がないことだ。水や風の流れを見続けて生きてきたという者は少ない。リースは動物でもない自然のもので、動いていないと目にすることが出来ないものを動きに取り入れた。
――自分を水として風にする。
アルスによって教え込まれたイメージする力を進化させて、自然と一体になった自分の走り抜ける経路を無数の円柱をイメージして作り上げる。リースにしか見えない通り道を、相手が予測することは不可能だった。
リースは戦線を走り抜けると、レイピアを振って血を跳ね飛ばした。切れ味鋭いレイピアは、それだけで全てを吹き飛ばして、剣身に血糊を一切残さなかった。
そして、五分後、遅れてエリシスとユリシスが走って戦線から現われた。
「抜けたわね」
「ここから、先に何があるのか」
二人の問い掛けに、リースは一点を見詰めたまま動かない。
「ここが最終地点……」
「「え?」」
リースの視線の先を追うと、あの時の獣が待ち構えていた。
リースはレイピアを握りながら器用に右手の人差し指を立てて魔法を起動すると、発生させた水で喉を潤し、大きく息を吐いて歩き出す。
「終わらせてくる」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! どうしちゃったのよ⁉」
「三人で戦わないんですか?」
リースは背中を向けたまま話す。
「この剣じゃないと戦えない。そして、長い時間戦っていられないから、勝負を急いでる」
「時間?」
「剣に精神を削られていく。この剣は抜いて握るだけで使い手の精神を奪っていく」
エリシス達はリースの額や頬に流れる汗に気が付いた。ただ走っただけにしては多過ぎる。
エリシスはしゃがみ込むと、自分のリュックサックを下ろして漁る。
「ユリシス、あんたも拭くもの出しなさい」
「あ、はい」
ユリシスは持っていた鞘二本を置くと、リュックサックを下ろして漁る。
そして、お互いタオルを握るとリースに近づいた。
「動かないで。戦いの邪魔になるから、汗ぐらいはしっかり拭いておきなさい」
「エリシス……」
エリシスはリースの額の汗を拭う。
「わたし達の戦いを終わらせるためだから止めはしません。でも、勝たないと許しませんよ」
「ユリシス……」
ユリシスはリースの頬の汗を拭う。
「二人とも、ありがとう……。勝ってくるよ」
リースの言葉に、エリシスとユリシスは強く頷く。
「あたし達の役目は無傷でリースを届けた、ここまで」
「あとは、しっかりと見届けることに徹します」
「体力は?」
「一人相手なら十分! 体も、ほどよく温まってる!」
「「頑張って!」」
エリシスとユリシスの言葉にリースは頷くと、獣に向かって歩き出した。
リースを見送ったエリシスとユリシスは、お互いの手をしっかりと握っていた。ああは言ったが、不安で仕方がない。今度、誰かを失うようなことになったら、きっと心は耐えられない。
だから、リースが倒れた時は『例え殺されても、自分達も獣に立ち向かう』と覚悟を決めていた。