初日の修行を終えた次の日――。
リースの体は、ほどよく全身を筋肉痛が覆っていた。
しかし、それは仕方がないこと。リースの小さな体には、まだまだ体力が足りていないし、必要な筋力も足りていない。リースは老人が新しい戦い方を考える間、小さな体に体力を備えるため、延々と走り続ける日々を送ることになった。
…
山登りの修行を三ヵ月ほどこなした頃――。
リースは、老人に本格的な修行を付けて貰うことになった。
「リースが走り込んでいる間に、あの剣を研究して戦い方を考えてみました」
「うん」
「まず、常識を捨てるところから考えなければなりません。何でも斬れる……。本来、こんな言葉は存在しません。剣で石は斬れないし、金属は斬れません。しかし、あの剣は斬れてしまう。これを認識しないと修めるべき技術が見えません」
老人はレイピアを鞘から慎重に取り出すとリースに持たせ、直ぐ側の大きな石を指差す。
「そこの石をゆっくり斬ってください」
「石を斬るの?」
「そうです。自分で体験して認識する。仮に石を切断できる剣があっても、勢いをつけないと斬れないのが当たり前です。その常識を壊します」
リースは頷くと、ゆっくりとレイピアを目の前の大きな石に当てる。手には僅かな手応えを伝えるだけで、剣が石に減り込んでいく。
「そこで止める」
リースはレイピアを止める。
「次に、そのまま左右に力を込めてください。刃がないため、レイピアは切断できず動かないはずです」
リースは言われたまま左右に動かし、動かないのを確認する。
「よろしい。レイピアを鞘に戻してください」
リースは頷くと、レイピアを石から抜き取り、慎重に鞘に戻してロックを掛けた。
「今のが、この剣で戦うための基本になります」
「基本?」
「そうです。戦いにおいて、受けないという動作は絶対に発生しません。必ず受けるという動作が発生します」
老人は枝と草を拾い、枝の方をリースに渡す。
「しっかり持っていてください」
「うん」
老人は枝に草をぶつけると、草は枝に絡みつくように曲がった。
「今の草の動きが、あのレイピアにぶつかった他の武器です。勢いが殺されず枝の方に向かっていきます。つまり、切断されて自分に飛んで来るということです」
(エリシスが注意してたことだ)
「しかし、これを防ぐのは簡単です」
老人は枝を拾い、リースの持つ枝にぶつける。
「これをすればいい。受ける時に枝と枝をぶつける……。レイピアを横に寝かせて刃で受けない。単純なことですが、これを基本の動作として認識して初めて受けられるようになります」
「面倒臭いけど、これをしないと死んでしまうってことだよね?」
「そうです。だから、基本姿勢は他の武器と違い、刃を横にして寝かせた状態で待機させ、攻撃の時だけ刃を立てます」
「そうしないと、咄嗟の時に刃を立てて相手の武器を切断して死んでしまう」
「その通りです。そして、この危機回避をするためには相手の間違い探しが完璧に出来ていないと発動しません。刃を立てるべきか寝かせるべきかを判断できなくては戦えないのです」
「そうか……」
「しかし、この刃を寝かせた状態というのが非常に危ない。横にブラブラさせて足を踏み出すだけで、自分の足を切断してしまいます」
(たった、それだけのことが、ただの怪我じゃ済まない……)
表情を固くするリースに、老人は右手の人差し指を立てる。
「安心してください。この危機回避が自分の間違い探しです。逐一、自分の状態を確認させて回避するようになっています」
「……全部繋がってる。一つでも欠けてたら、このレイピアで戦えないんだ……」
「その通りです。そして、一番安全な持ち方を考えてみたのですが、こうです」
老人はリースから枝を受け取り、両手に一本ずつ持つと、肩から背中に腕を廻し担ぐような姿勢になる。
「背中にレイピアを横に寝かして待機させる。これは走って足を斬らないためです」
「こんな構え、見たことないよ」
「そう思います。そして、これは非常に足腰に負担を掛けます。普通、左右の旋回をする時、腕で体幹を取ったり、立て直したりをします。それを背中に両手を置くため、足腰で補わなければならない」
「ちょうど、走り込んでいたところだよ」
「多分、もっと鍛え込まないといけないでしょう」
「え? もっと……?」
老人は無言で頷いた。
「そして、この構えというのは余計なものが多い。足を止めて打ち合う時、最初の一太刀は必ず振り降ろしです」
「背中から持ってくるから避けられない」
「はい。だから、必ずその分の時間を稼ぐ誘導が必要になってきます。一手も二手も先を読んで予備動作を開始する必要があるということです」
「…………」
リースは頭が痛くなってきた。
「明らかな格下なら、即行で剣を振って倒すというのもありですが、複数人や強敵を相手にするには戦術が不可欠です。そして、もう一つ、走りながら斬ることが必要ですが、剣は自分の後ろです。斬るには相手をすり抜けてから体を旋回させて斬る必要があります」
「……不可能だと思う」
「そう思いますか?」
「うん……」
「実は、この剣はリースだから有効な剣でもあるのです」
「私だから?」
老人は頷く。
「男性よりも小さい、女の貴女だからです。この構え……防御力は極めて高い」
「そうは見えないんだけど……」
「この構えで走る時、限りなく前傾姿勢になります。唯でさえ、小さいリースが更に地面スレスレを走ることになります」
「うん……」
「相手は自ずと攻撃が振り下ろしか、向かい討って腰を落とす横薙ぎになります。攻撃は、ほぼ二択です」
リースは顎に指を当て、戦う姿を想像する。
「言われてみれば……」
「そして、相手の振り下ろされる先のほとんどは壊れないレイピアの上に来ます。剣と同じ方向に振らせなければ、体は守られます」
「つまり、戦いをそういう風に誘導できれば、警戒すべきは真正面からの攻撃だけということだね」
「そうです。そして、このすり抜けて誘導する動きをリースに伝授して、レイピアでの戦い方を作ります」
「すり抜ける動き……」
老人は頷く。
「人間が予想できるのは、人間の動きを知っているからです。だから、格闘家の世界では、相手に予想させないように動物の動きを真似した武術なども存在します」
「うん」
「既にここまでの説明で、習得すべき動きは予想し難く、常識が通用しないのは分かりますね?」
「よく分かる。有り得ない切れ味に、有り得ない構え」
「そして、その事実を知っているのは戦いの中でリースだけです。初めて見る独特なものに、相手は対処できないでしょう。更に、その動きにもう一つ加えます。流れる動作です」
「流れ?」
「動物ではなく自然界にある動きです。もう、見せましたよね?」
リースは思い当たって頷く。
「……川の円柱」
「そうです。円柱をすり抜ける水の動き。これを予備動作に加えて、相手を誘導するのです」
「それを覚えれば、すり抜けられる……」
老人は、再び右手の人差し指を立てる。
「相手に予想させなければ……です。そして、もう一つ覚えて貰います。遅い動作が水、速い動作が風です。水の他にも山頂に地面に円柱を刺してあります。それを見て、風が流れる動きを覚えて、緩急の動作を身につけるのです」
「それを三年掛けて覚えるんだね」
「実際には四ヶ月過ぎているので、もっと短いことを認識してください」
「うん」
「では、今日から山頂に住む場所を移しましょう。観察すべき対象は山の中です」
「分かった」
老人は微笑む。
「年寄りの身ですが、模擬戦も出来る限り相手をします」
「お願いします」
リースは頭を下げた。
「あと、これを受け取ってください。残念ながら、リースの武器は寿命でした」
「……やっぱり、直らなかったんだ」
「モンスターの骨まで切断してしまったのが、武器の寿命を縮めてしまったようです」
「大切なものだったのに……。アルスに謝らないと……」
「武器も、そこまで使われれば幸せかもしれないですけどね。本来、倒せないモンスターを倒せたのですから」
「無理させちゃったんだね」
「だから、労いの言葉を掛けてあげてください」
リースは老人に預けていた小太刀とダガーを受け取ると、感謝の気持ちを込めながら見詰める。
「上手く使ってあげられなくて、ごめんね……。今まで私を守ってくれて、ありがとう……」
リースは、今まで一緒に戦い抜いた小太刀とダガーを抱きしめた。
その様子を見た老人は、家の横に建つ石碑を指差す。
「あそこに寿命を迎えた武器を供養する石碑があります。あそこに供えてあげてください」
「この武器は、どうなるの?」
「休ませてあげるのです」
「……そうだね。こんなに頑張ってくれたんだから」
リースが石碑の前に小太刀とダガーを供えると、老人が補足する。
「年に何回か使えなくなった武器を回収します。そして、纏めて供養されます。ここは、それまでの仮宿です」
リースは石碑の前にしゃがんで手を合わせた。
そして、リースの祈りが終わると、老人はリースに二振りの小太刀を差し出す。
「一つは、儂の孫娘の形見です。使ってください」
「これ……、白兎! どうして――あ!」
リースは老人の正体に気付いた。
「テンゲンっていうのが、本当の名前なんだね……」
「やはり、リースは、この小太刀を知っているのですね?」
「これ、アルスがくノ一になるキリのために造ってあげた小太刀だよ」
「……では、代々受け継いで、リースのもとに戻ってきたようですね」
リースは白兎を受け取る。
「こっちは、イオルクという鍛冶屋が何代も前のテンゲンに贈った小太刀です」
「こっちはアルスのお爺ちゃんの……。八十年以上も時が経っているのに……」
「どちらも現役です」
「この小太刀は凄く重い。積み重ねた気持ちが詰まってる」
「そう思います」
リースは、もう一本の小太刀も受け取る。
「この小太刀を必ず使いこなします!」
「そうしてください。通常時、その小太刀がリースを守るのですから」
元テンゲンだった老人は、リースに全てを託そうと心に決めていた。
今までにない新たな戦い方を身につけるべく、リースは老人と山中の修行に入る。残された時間で培う力と修める技術は多い。
約束の時間までに、少女達は自分達の力を人よりも一歩超えたところに持っていくため、努力と挑戦を続ける。