時間は戻り、今度はリースの足跡を追うことになる――。
リースとエリシスが別れて直ぐ、リースの身に一つの変化が起きていた――不眠症である。いくら眠ろうと思っても、短い時間で何度も目が覚めてしまう。一日の睡眠時間は多くて二時間と少ないものになっていた。原因は分からない。
――初めての一人旅で、感情をコントロール出来なくなってしまったのか?
そして、そんな状態が五日も続けば、目の下には、くっきりとクマが浮かびあがり、頭は朦朧とし、旅の予定も正確に立てられない。エリシスと別れて六日目の今日は、町に着く前に夜になってしまっていた。
「野宿か……」
大きな木の下にリュックサックを降ろし、アルスから託されたレイピア二本をリースは抱きしめる。
「アルス……」
体は疲れ、眠気も随時襲ってくる。しかし、体が震えて眠りを拒否し始める。
「何で……。眠ることさえ出来れば、一人で居ることを忘れられるのに……」
――こんな調子で、使い手など見つけられるのか?
リースは不安を覚えると、更にレイピアを強く抱きしめる。
「使い手が盗賊みたいな性格をしていたら、どうしよう……」
疲れているせいか、頭には悪いことしか浮かんでこない。この状態が嫌で眠りたいのに、体が眠ることを拒否する。
(もう、考えるのはやめよう……)
リースは眠るのを諦め、日が昇るのをただ待つことにした。
…
それから何時間が経ったのか、それほど時間が経っていないのか、何も分からないまま日の出を待ち続けていたリースの耳に悲鳴が聞こえた。
「女の声……」
ゆらりと立ち上がり、リュックサックを背負い直し、レイピア二本を背中に固定する。朦朧とする頭のせいで、何で動いているのかも分からず、無視できないという思いだけに足を動かす。
「どうして、女の子がこんなところに……!」
襲ってくるオーガを前に尻餅を着いて後ずさりをしている女の子を確認すると、リースは右手を翳して呪文を詠唱する。
ファイヤーボールがオーガの顔に炸裂すると、オーガはリースに標的を変えた。
「そう……。私のところに来い……」
オーガは荒削りの棍棒を右手で振り回すと、リースはそれを屈んで避ける。そして、腰の左にある小太刀を引き抜き、戻し切れていないオーガの右腕に斬りつける。
「浅い……!」
エリシスと一緒に戦っていた時にも付き纏った違和感……。人間なら大怪我を負わせられる太刀筋が、オーガ相手では刃が入らない。
リースは、これでは勝てないと息を吐く。
(また、小さなところから攻めていくか……)
リースが時間を掛けて倒す戦闘方法に変えようとした時、女の子が声をあげた。
「お姉ちゃん!」
(何で、こんな時に……!)
折角、リースに向いていたオーガの視線が再び女の子に向いた。
リースは小太刀を下ろし、再び自分に注意を向けさせるべく、空いている左手を翳してレベル1のファイヤーボールを連続で詠唱し続ける。
しかし、ファイヤーボールの直撃を受けるオーガの足は、女の子に向かったまま止まらない。
「どうすれば……」
注意を逸らそうと、リースは自分から攻撃を仕掛けるが、一定の深さ以上にオーガの筋肉に食い込まない。オーガは無視して確実に仕留められる女の子に向かっていく。
「止まれ……!」
リースは自身で引いている危険域に踏み込んだ。小太刀の刃を食い込ませるため、刃の先端から腹へと小太刀を当てる位置が変わる。
「――ッ!」
無視できないほど食い込んだ小太刀を振り払うように、オーガは棍棒を振り回す。
(この位置は拙い……!)
リースが弾き飛ばされる。本来、体の小さいリースは無闇やたらに自分から攻める戦い方は絶対にしない。体格と力の未熟は、技術と武器の性能で補ってきたのだ。
しかし、今回は状況が許さない。女の子から自分へと標的を変えさせるため、無駄と分かっても、リースは何度も仕掛ける。何とか自分に注意が向けば戦いようもあるが、オーガは弱い者から片付けることを変更する気はない。
「来ないで……。来ないでよ!」
女の子は叫びながら後ずさると、リースは女の子の前まで走り、オーガと女の子の間に自分を置いた。
「逃げて……!」
「でも……」
女の子は腰を抜かして立てず、リースはオーガを睨む。
(アルスなら、どうする……)
後ろには小さな女の子。
(絶対に守り切る……)
――でも、どうすればいいのか?
安全圏からの攻撃は浅くしか入らず、無理な踏み込みは回避をさせてくれない。
(危険だからやらなかったけど、アルスにも見せてないアレを使うしかない……。言えば止められたから使わなかった……)
リースは小太刀を片手持ちから両手持ちに握り直すと、女の子が巻き込まれないように一歩前へ出る。
「そのまま動かないで……」
「……お姉ちゃん」
リースは腰を落とし、しっかりと両足が地面の摩擦を受けているのを確認する。
「私が守ってみせる……」
オーガの棍棒が振り上がるが、リースは動かない。
(まだ……。腕の振りが最高速度に達するタイミングを見逃すな……)
集中力は最高点まで達し、間違い探しで蓄積した情報からオーガの振りの最高速になる瞬間を導き出す。
「ここ……!」
振り下ろされる棍棒の軌道を予測し、最高速に達するオーガの右腕に自身の攻撃で最高の一撃を合わせる。右足で地面を蹴り足首へと回転が伝わり、左足を軸に足から腰に回転は繋がる。
その全てが最高速に達する瞬間に力負けしないための両手持ち。足、腰、腕の力を上乗せして小太刀は振られる。刹那、真横を通る棍棒が弾け飛び、オーガの右手首がリースの小太刀によって切断された。
オーガは、何故、切断されたのか分からず、疑問符を浮かべて、なくなった右手を見ている。か弱い少女の力だけで斬られるはずがないのだ。
「こうじゃない……」
リースは少し歪んだ小太刀に目を落とす。
(アルスに見せなくて良かった……。あまりに危険だ……。それに、刀の振りに頑丈な騎士剣の振りを混ぜるのは間違い……。これでは切れ味に頼る戦いじゃない……)
片手で足りないものを両手で補うのは間違いではない。しかし、切れ味のある小太刀で大事なのは体重移動で正確に斬ること。
(あんなに大きな動きは要らない……。足りない力は向こうから来る……。アルスの造った小太刀の切れ味を信じなければいけない……。私は刃を当てて、しっかり支えて小太刀の切れ味を最大限に引き出すだけでいい……)
大きく息を吐き、全身を捻る振りをやめ、自然体で小太刀を両手で握る。
「…………」
リースの集中力が最高点に達している今、言葉は必要ない。オーガの動作は全て見える。さっきの一振りは、予想した動作の軌道に一寸のずれもなかった。
リースが動く。足運びは、正確に小太刀を当てる移動のための歩方。
傷つけられ、怒りに狩られて襲って来るオーガに対し、リースが踏み込むと小太刀に体重が掛かり、オーガの体に刃が触れる。リースは力を入れつつも、柔らかく確実に刃を引く。
速度の最高点で行なわれる精密動作により、女の子の前ではオーガが動く度に、オーガの体が削られていく。
そして、リースが女の子に振り向いた時、両腕を失い胸に小さな裂傷を付けたオーガは前のめりに音を立てて倒れた。
「大丈夫……?」
女の子はコクコクと頷いた。
「よかった……」
見るからに弱々しい少女が、どうしてモンスターを撃退できたのか、女の子には分からなかった。最後は、簡単にオーガを倒してしまったように見えた。
しかし、リースを改めて見た女の子は、それが間違いだと分かる。夜の闇の中でも分かる目の下のクマ。額に流れる汗。女の子は、幼くてもリースが精神をすり減らして戦ったのが分かった。決して、楽に得た勝利ではなかったのだ。
「早く家に帰りな……」
リースの言葉に女の子は立ち上がろうとするが、足が震えて動けなかった。それを見て、リースは小太刀を振って血を飛ばすと、歪みを直して小太刀を鞘に納める。
そして、そっと差し出す出されるリースの手に、女の子はリースも震えているのに気が付いた。
「お姉ちゃん……、怖かったの?」
「うん、怖かった……。私の未熟で未来を摘み取るかもしれないと思うと怖かった……」
「お姉ちゃん……」
女の子はリースの手を借りて、ゆっくりと立ち上がった。
「町の外に出ちゃ行けないって言われてたけど、我慢できなくて外に出たら迷子になっちゃったの……」
リースは溜息を吐くと、コツンと女の子の頭を叩いた。
「こんな遅くまで……。言うことは聞かないとダメ……。だけど、怖い思いにもあったから、これだけ……」
「ごめんなさい……」
リースは『いつの間にか、お姉さんの立場になったのだな』と微笑む。あのパーティではいつも一番年下だった。
「町は近くなの……?」
「うん」
「送る……」
「あ、ありがとう……」
女の子は道の先を指差す。
「向こう」
道案内をする女の子に、リースは続いて歩き出した。
すると、女の子が振り返る。
「ねぇ、どうして言葉に元気がないの?」
「大声を出すと寝不足が頭に響いて……」
「そうなんだ」
女の子に案内された町で、リースは一泊することになる。そして、このことが何かの切っ掛けに不眠症が治るかと思ったが、リースの不眠症は治らなかった。