アルスがサウス・ドラゴンヘッドの王都から姿を消して、四ヶ月が経とうとしていた――。
経済は回り始めたが、依然として税金の徴収は少ないままだ。完成していない政治と法律を行使できるわけもなく、少しずつ治安も悪化していった。
各町では自警団を組織するなどの対応を始めていたが、全ての町で自警団が機能するわけはない。魔法使いの存在自体が少ない町では、自警団を組織することすら出来ない。そういう町では、王都で進められている政治と法律の整備が完成するのを待つことしか出来なかった。
そして、王都のミストの屋敷では政治と法律を整備するため、トルスティを中心にニーナ王妃を支持していた貴族達が、歴史の中から使用された政治の知識や適用された法律の抽出などを行なっていた。
連日連夜の作業で、それぞれ個別の使用法や史実の中から明らかになるものはあるが、それらを分類する一番基本となる姿が見つからなかった。ないのならば創るしかないが、それを決定付ける根拠や自信がなく、これでは町の人間の意見を取り入れることも出来ず、立ち往生する日々が続いていた。
そして、そんな雨の降るある日に、ミストの家の前に馬車が止まった。何ごとかと屋敷の扉を開けたミストの前に現われたのは、老人会御一行を思わせる大人数の老人達だった。
「え、わぷっ! ちょっ!」
老人達に押され、ミストは屋敷の奥の壁まで押し戻されてしまった。
「大丈夫?」
「え、ええ、何とか……」
久しぶりに聞いた声に、ミストの視線が声のした方に向かう。
「アルスさん!」
「遅くなって、ごめんね。山の中とかに住居を移しちゃった人が居て、集めるのに時間が掛かっちゃったんだ」
人のざわめく音に、屋敷の中に居た者達が顔を出すと、大人数の老人達を見て唖然とする。
トルスティも姿を現わすと、アルスのもとに走ってきた。
「アルス君、この方々は?」
「政治と法律の人材ですよ」
「この方々が?」
トルスティは、老人達の正体が分からなかった。
「多分、トルスティさんの一番欲しかった知識を持っている人達です」
「どういうことですか?」
「この人達は、四十年前にニーナ王妃の件で王都を追放された人達なんです」
「では、当時の政治と法律に関わっていた方々なのですか!」
トルスティは老人一人一人の手を取り、感謝を表わす。
「ありがとうございます! ずっと、待っていました!」
「あの新政権派を嵌めた若造か」
「魔具の映像を見ておられたのですか?」
「スカッとしたわい」
老人の言葉に、トルスティは笑みを浮かべる。
「本来、王都には戻れんのだがな。そこの小僧が、法律がなくなったから戻って来るのに理由は要らないと、強引に引っ張って来おった」
「アルス君……」
アルスはトルスティに軽く手をあげる。
そして、老人はアルスを見ながら話を続ける。
「知り合いの居場所を聞き出したら、隠居してると言っても聞かずに次から次へと……。お陰で、こんなところで同窓会だよ」
アルスはトルスティに頭を下げる。
「すみません……。手段を選んでいられなくて……」
「手段?」
「外の馬車には、奥さんからペットまで一緒に運搬して来てしまいました」
「これだけ広い屋敷なら、全員入るじゃろうて」
続いて、アルスはミストに手を合わせて謝る。
「ごめん! それを条件にしないと来てくれないって言うから!」
ミストは鳩が豆鉄砲を食らったように一拍空けると、可笑しそうに笑う。
「構いませんよ。どうせ、空っぽの家です。皆さんの好きなように使ってください」
「すまんのう」
老人達はドカドカとミストの屋敷に入ると、勝手に空いている部屋の割り当てを決めて住み着いてしまった。
アルスは、申し訳なさそうに謝る。
「本当にごめん……」
「いいですよ。これで政治と法律を創ることが出来れば、税の徴収や役人の配置などを決められるようになるのです。サウス・ドラゴンヘッドが全部繋がるのです」
「そうなればいいね」
「はい」
アルス達の話が一段落する一方で、トルスティは少し呆けたままになっていた。
そのトルスティが気に掛かり、アルスが声を掛ける。
「トルスティさん?」
「あ、はい」
「どうしたんですか?」
「当時、有名な魔法研究をしていた方が居ましてね。私は、その方の著書を読んで勉強をしたので、少し感動してしまって」
「当時と変わっていたんじゃないですか? よく分かりましたね?」
「分かりますとも。何度も読み返した本の作者の絵と特徴が一致しています」
ミストは、こんなにも子供の様にはしゃぐトルスティを見るのは初めてだった。
「トルスティさん。いくら尊敬する人だからって、自分の意見はちゃんと主張してくださいよ」
「それは分かっています。当時は王族が居て、貴族と平民がしっかりと役割を理解できていましたが、今は王族もなく、貴族と平民の壁をなくした状態。王族を据え直す可能性など、条件が食い違うところは認識しています。そして、それこそが集めた資料だけでは決められなかったことでもあります。当時の人間と直に意見を交換し合える機会は貴重ですが、私達と町の人達が話し合って主張したいところは譲れません」
「よかったです。またハンター試験の時みたいになってたら、どうしようかと思いました」
「たった一度の失敗が尾を引きますね……」
「一生、言い続けますよ」
トルスティは困った顔で笑みを浮かべた。
そして、本題について、トルスティが質問する。
「作業は、明日からでも可能なのでしょうか? 皆さん、ご老体な上に長旅のようでしたかが」
「ここに辿り着くまで、意気揚々と話し続けてましたよ」
「そうなのですか? では、明日、直接確認してみることにします。今日は、ゆっくり休んで貰いましょう」
「休ませてくれればいいですけど……」
トルスティが疑問符を浮かべた直後、二階からアルスを呼ぶ声が響く。
「ほら、来た! ミスト、お茶用意して! 僕は肩を揉まされに行ってくるから!」
アルスは二階に駆け上がって行った。
「今後、アルス君は介護師の仕事がメインになりそうですね……」
「何かいつも苦労している気がします……」
これもアルスの特徴なのかもしれない。
…
翌日から始まった政治と法律の整備――。
ミストの屋敷の広間で、老人達がトルスティと王都の町の人間とで創った草案を眺めている。
感想を緊張して待つトルスティに、老人の一人が声を漏らす。
「不思議な類似点だな」
「と、言いますと?」
「儂達は、ニーナ王妃と、ある政治の改定を進めていたのだよ」
「改定ですか?」
「まあ、いつの時代も権力に取り付かれて、賄賂や横領、身内の贔屓などが有り続けるものだ。それを何とか出来ないかと、改定の検討をしていたのだよ。その結果、要らないものが分かった」
「それは?」
「政治家だよ」
トルスティは驚く。
「それは自分達ではないのですか?」
「そう、要らないのは我々だったのだよ」
「……理由を聞かせてくれませんか?」
老人の一人が頷く。
「まず、一番良くないところが、国の政治に携わる者を罰する法律がないところだった。汚職をしたのに、そのまま居続けられる。本来、悪いことをすれば罰を受けなければならないのに、一度、政治家になるとそのまま席が残り続け、その者が延々と居続ける。次に問題なのが、誰でも政治家になれないというところだ。貴族同士の繋がりが強く、自分達を守るように派閥を作り、同じ派閥の者が延々と同じ役職を続ける。平等性を謳って、平民でも誰でも政治に携わる役職に立候補することが出来るようになったが、金が掛かり過ぎる。如何に有能な才能を持っていようと金がないものは挑戦権すら与えて貰えない。立候補するだけで、1万Gものお金を出す平民は居ない。この時点で、一般の人間は政治に関われない仕組みになっている。そして、最後……、政治家が要らない理由だ。政治の仕組みと法律があれば政治家は必要ないのだよ」
「前者二つは分かったのですが、最後の理由には、どういう意味があるのですか? 政治を纏めるのが政治家なのではないのですか?」
「儂達は、それを違うと結論付けた。政治と法律の枠組みが出来た後で必要なのは、政治家ではなく専門家なのだよ」
「専門家?」
「確かに厳守すべき国のルールを決めるのは政治家の仕事だ。だが、それを守らせたり、その座に残って権力を逆手に経済に関わったりするのは政治家のするところではないのだよ。ルールを決めたあと、経済を回すのに必要なのは専門家なのだ。統計を取り、市場の流れを読み、国を潤す。それは政治家の役目ではない。その分野に秀でて努力した専門家だ。――例えば、山崩れで大きな被害が出た。助けに行く兵士の数、必要な支援物資、今後の復旧の予想、復旧に必要な資材の数、それらに伴う資金の見積もり。これらを政治家が出来ると思うかね? これをするのは、その道の熟練者だ。政治家が人を助ける人数の見積もりを出せるか? 無理だ。必要な支援物資が何かを考えられるか? 無理だ。今後の復旧の予想は? 無理だ。必要な資材の確保は? 無理だ。その道の熟練者の経験や知識が一番信頼できる。そこに政治家が絡むから出来るべきことが出来ない。政治家を通しての情報収集、許可、利権が絡めば物資の調達すら身内を贔屓する。必要ないだろう?」
「では、それを統括して指揮するのは誰なのですか?」
「さっきの例えで言えば政治家ではない。専門知識のない政治家が何の指揮を執るのだね? 現場で救出活動をする兵士が一番情報を持っていて、一番必要なものを理解していると思わないかね? 復旧に必要なものが分からなければ、新たな専門家を呼べばいいのだよ」
「専門家……」
「だから、政治家とは政治と法律を創るだけでいいと言っているのだ。他のところまで手を伸ばして意味もなく守ってやるから、くだらない会議に時間を掛けて、派閥同士で足を引っ張り合い、それが仕事だと勘違いして我がもの顔で税金から給料を受け取れる。政治家も仕事と割り切らせ、それ相応の対価だけ払えばいい。何故、何の生産性も生まない会議に高い賃金を払う必要がある? この国で一番低い賃金の仕事をしている者と同じ給料で十分だ。それがこの国の腐敗につながったものだと、儂らは思っておるよ」
「…………」
トルスティは今までの新政権派の政治が、正にこれだったのではないかと思う。自分達の私腹を肥やし、徒党を組み、権力で押さえつける。そして、獣に国を明け渡し、宝物庫を解放するまでに至った財政難を作り出した。
「私達もニーナ王妃を支持する者が徒党を組み、今、ここに居ます。同じ過ちを起こそうとしていたのでしょうか?」
トルスティの質問に、老人の一人が答える。
「立ち向かう敵が強大であるなら、手を取り合うのも仕方あるまい。問題は立ち向かった後に、どうするかということだ。お前さん達は、貴族だけの政治と法律創りを避け、王都の一般の人間も含めて平等に創ろうとした。これは儂らが目指した、誰でも政治家になれるというところに類似している。そして、その後も政治と法律を決められなかったのは、悩み納得していないからだ。仮に、お前さん達の創っていた政治や法律のルールに政治家という言葉を取り除いて、専門家という言葉で分類わけを行なったら、どうなるかね?」
「専門家に置き換える……」
トルスティは、試しに財政を管理する部署を考える。確かに政治家を置くとなるとしっくりこないが、財政を研究する専門家のグループがここを管理しているとなれば信頼できる。
「例えば、次の年の必要な国の予算の財政を管理する者が政治家なら、専門家ではないから予算を組み立てる技術がない」
「その通り。発表するだけなら、そのまま専門家のグループの長がすればいい。難しいことではあるまい?」
「はい。それに予算の理由を聞かれても答えられます」
「だろう? それに知識や学問というものは、日々進化していくものだ。五十、六十の世間では隠居している爺さんが居ても困るのだよ。頭の回転も悪くなるし、体のキレも悪くなるし、その爺さん達が毎日勉強しているわけでもあるまい。新しい知識や学問をその分野に取り入れられない。体質も旧体制のままで意味があるのか?」
「その言い方は、ご自分を不利にしませんか?」
老人達は大声で笑う。
「もう直ぐ墓場に行く連中が国の財政を悪化させて金儲けをして、どうするのだ? 若者より役に立たないのに席を譲らず、退職金のおまけまで付けてくれるのかい?」
「しかし……」
老人は嬉しそうに笑う。
「君は、ちゃんと年寄りを敬えるのだな……。だが、敬うのと情けを掛けるのは別だ。国民のために切り捨てるべきものを切り捨てないといけない」
「はい……」
老人は右手の人差し指を立てる。
「もう少し抗議をしてもいいかね?」
「是非」
「ニーナ王妃が政治家の権力と地位を平等にして、専門家を推し進めたのには、もう一つ理由があるのだ」
「政治家の腐敗を止める以外にですか?」
「そう。それは少し未来のことを考えてだ」
「未来?」
「今の腐敗した状態でも国が崩壊して壊滅しなかったのは、国の文明があまり進んでいないからだ」
トルスティには言い回しの意味が良く分からなかった。故に黙って次の言葉を待つ。
「要らないことを複数兼任して、才能のない政治家が指揮をしても何とかなる程度の文明しかなかったということだ。だが、この先、国が発展し新たな技術が生まれ、本当にその道の専門家しか分からないことが増えていったら、その要求に応えられなくなり、国は政治から崩壊すると考えた。だから、その前に政治家も権力と地位を平等にして、政治の専門家にしておきたかったのだ」
「遠い未来……。国が進歩を遂げた時……」
「土台無理があるのだ。人間の時間は無限ではなく有限だ。誰もが寿命で死を迎える。これは詰め込める知識の限界も意味している。本を読み知識を蓄えるには必ず時間が掛かる。言い方を変えれば、知識を詰め込める時間にも限りがあるということだ。だから、人間は全てを行なえず、限りある時間で出来ることを伸ばすのだ。その結果、得意分野が分かれ、専門家が生まれる。知識を蓄える時間に限りがある以上、能力に差が出るのは当たり前だ。その能力を適材適所に配置できれば、国は更に進歩すると思わないかね?」
「思います」
「簡単なことだろう?」
「はい」
「今の例えを利用して、何で、政治家がやめられないかも説明しよう。人間の時間が有限なのは話したな。その時間には娯楽に充てられるものもある。そして、娯楽に必要なのは金だ。政治家になっただけで大金が発生する。訳の分からない手当てなど山のようにある。一度吸った甘い汁を守り続けるために、長く居続けられる法律と罪を犯しても罰せられない法律で、自分達を守っている。人間である以上、欲のない人間は居ないが限度がある。娯楽に充てる時間のために政治家をやり続けている、そんな者が新たな知識を得るために時間を割くと思うか? 娯楽の時間に充てるに決まっている。そんな情熱のない者を追い出すために、政治家を罰せる法律を創り、給金を低くする必要がある。では、求められるのは、何だと思う?」
「……謙虚さですか?」
トルスティの答えに、老人は笑顔を浮かべた。
「だから、儂らも謙虚であり続けたいのだ。国民のために切り捨てるべきものを切り捨てなさい。君が儂らの知識と経験を欲してくれたのは純粋に嬉しいことだ。老人になっても、後進の者達を導けただけで十分だ。もし、儂らにもう一度、働く機会をくれるのなら、君達と一緒に――あの時、ニーナ王妃と出来なかった国造りの手伝いだけをさせて貰いたい」
「ありがとうございます」
トルスティは深く頭を下げる。
「ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」
政治と法律に関わる者は全員立ち上がり、トルスティに続いて頭を下げた。
「では、最後に質問をさせてくれないか?」
「はい」
「君達は儂らに報酬を与えるとしたら、何を与えてくれるかね?」
それはトルスティ達、新しい世代に対する問い掛け。今まで話した中から、答えを導き出せと言っている。
――金も名誉も切り捨てた者達が何を欲するのか?
「貴方達を忘れません……。成功も失敗も歴史の一ページとして刻み付けます」
「それが、どのような報酬になるのかね?」
「私達は、今、繋がりました。過去の知識と想い、今の知識と想い、それが繋がりました。遠い過去と今が繋がり、今度は私達の今が過去になり、未来に繋げます。その時、国造りに傾けた情熱と想いを忘れません。だから、貴方達を忘れないことが報酬です」
老人は深く頷く。
「いい答えだ。君達の人生の中に、儂らが居たことを誇りに思って欲しい。いい仕事をしよう」
こうして、サウス・ドラゴンヘッドの政治と法律は四十年の時間を飛び越えて、新しいものと古いものを合わせて完成することになった。