数日後――。
ミストの屋敷の一部が、いつのまにか王都の町の人間の作業場に変わり、貴族と平民の共同作業をする不思議な空間へと変貌を遂げる。ここだけは、身分という温度差が存在しない。
『ミストちゃん、町の皆が利益から少しずつ税金って形で出してくれたぜ』
『ミストちゃんはないだろう?』
国の資金がないことを自覚して、自ら動いて資金を掻き集めてくれた者と屋敷で作業していた者の言葉を聞いて、ミストはクスクスと笑っている。笑いながら仕事が出来るのも久しぶりのことだった。
「今日、その使い道について、トルスティ先生と話し合います。良ければ、皆さんの意見も聞かせてください。私が、しっかりとお伝えしておきます」
『分かったよ。しっかし、ここは変わってるよな』
税金を届けてくれた町の人間が見回す。
『俺達の意見を取り入れようとするんだから』
「そのお陰で、物価の値段の正当性や賃金の割り当ても平等になったでしょう?」
『ああ、確かに。そして、如何に貴族が無知かっていうのも露見したよな。まさか、金銭感覚があそこまでダメダメだとは思わなかったぜ』
ミストは思い出し笑いをしていた。
「トルスティ先生は、自分の好きなお酒を二倍の値段で買っていたのですよね」
『騙す方も悪いけど、気付かない方も凄いよな』
「ええ」
『まあ、酒屋の主人はそれがバレたから、もうしないって約束をしてたよ』
ミストは頷く。
「でも、これが身分の差別をしたがための悪影響だったのだと思います。トルスティ先生の人柄を知って、酒屋の主人は、そこで値を吊り上げるのをやめたのですから。ちゃんと話し合えば、分かり合えるはずなのです」
『その通り。ミストちゃんは、いいこと言うね~』
ミストは可笑しそうに笑う。
そして、この日、提供された資金は、話し合いの結果、政治不信の影響で食べることが困難になってしまった人達の支援へと回されることになり、後日、使い道が掲示板へと掲載されることになった。
…
夜――。
トルスティ、ミストの報告会にアルスが加わる。
ここ暫く、ミストは朝出掛けて夜に帰って来るアルスしか見ておらず、報告会でも自分の報告とトルスティの報告がメインで、アルスが何をしているかは良く分かっていなかった。
「アルスさん、毎日、何をしているのですか?」
「トルスティさんに言われて、ピエロをやってるよ」
「ピエロって……」
(あれを本当に?)
「サウス・ドラゴンヘッドの王都から往復一日の町に行って、ミストも聞いた演説をしているんだよ」
「ま、毎日ですか?」
アルスは項垂れて『そう……』と返事をする。
「まず、王都で僕を見掛けた人が指差して『救世主様だ!』と言うまで町を歩き回り、適度に人が集まったらトルスティさんが魔具を使って流した映像の解説。そして、僕の演説」
「……よく続きますね?」
「ピエロは恥ずかしがっちゃいけないんだ。二、三回演説すると度胸も付いて慣れたよ」
「慣れるのですか……」
「慣れるね。まあ、リース達と行動してたから、恥ずかしい目にも沢山合わされてたし、慣れるのも早かったんだと思う」
((何をされていたのだろう……))
トルスティとミストは、以前に会った時と明らかに違うものをアルスの中に感じていた。
「今なら新手の新興宗教を立ち上げて、演説で軽い洗脳ぐらいなら出来る自信があるよ」
トルスティが座った目で注意する。
「アルス君、洗脳はしないでください。あくまで、自分達から動き出す意欲を引き出すだけにしてください」
「冗談ですよ。僕だって、ピエロと独裁者の分別ぐらい付いてますよ」
「安心しました」
「まあ、近いうちにトルスティさんに、この仕返しはするつもりですけどね」
アルスは『ふふふ……』と不気味な笑い声をあげた。
(少し調子に乗り過ぎましたかね……)
トルスティは少しだけ反省する。
「ところで、トルスティさん」
「何ですか?」
「ピエロ作戦の回れる町は、もうないですよ。やるとしたら、王都を本格的に離れないと無理です」
「そうですか。では、次の指示があるまでミストの側に居て貰えますか? 王都でピエロ活動をしてください」
「分かりました」
(アルスさん……、ピエロでいいのですか? 先生……、恩人にピエロをやらせ続けるのは、どうなのでしょう?)
正直、ミストは微妙な感じだった。手放しで賛成出来ず、かと言って、反対することも出来ない。
「はぁ……」
「どうしたの?」
「何でもありません……」
「ちゃんと食べてる? 元気がないよ? 少しやつれたし」
「この大仕事が終われば自然と元に戻ると思います」
「そう?」
ミストは精神的な疲れが溜まったような気がしたが、目の前のアルスがリース達を連れていた時と同じ雰囲気を漂わせているのが分かると安心する。
「それぞれの傷は癒え始めているのかもしれませんね」
ミストの言葉に、アルスとトルスティは首を傾げた。
…
翌日――。
久々の昼間のミストの屋敷の雰囲気の違いに、アルスは驚かされた。人が増えているのもそうだが、活気があるのだ。
「驚いたな……」
ここには救世主という名のピエロは必要ないような気がした。全員が何らかのために動いて仕事をしている。
「邪魔になるだけかな?」
アルスは掲示板の前に移動して、最近、見ていなかった成果を確認する。
「経済が回り始めてる。税金も自分達で提供してくれたのか……」
しかし、相変わらず空欄になっているのが政治と法律の欄だ。ここだけは経験のある人材が欲しいところだ。
「やっぱり、新政権派の引き篭もり貴族の力を借りたいところだな」
そこに声が響く。
「まだ壁の修理が始まらないぞ! どういうことだ!」
数日前に怒鳴り込んできた新政権派の貴族が、また姿を現わした。
その貴族に気付くと、ミストは血相を変えてテントの中から飛び出して来た。
「この前も申しあげた通り、ご自分で何とかしてください!」
「また逆らう気か?」
「逆らうとか、そういうことではないのです! 国全体が困窮し、皆が自分で出来ることをし始めているのです! 貴方も自分で動いてください!」
前に出て声を張り上げるミストを守るように、王都の町の人間がミストを囲んだ。
『役立たずは出て行け!』
『ここは、国を建て直したいと思う人間が来るところだ!』
「コイツら……! 生意気を言いおって……!」
貴族の男が呪文を唱え始め、ミストは呪文のレベルを聞き分けると青くなる。
「レベル3……!」
前に居る町の人間の背中を引っ張り、ミストは声を大にする。
「レベル3の広範囲魔法です! 逃げてください!」
『ミストちゃんを置いて逃げられるか!』
ミストの説得は中々受け入れられず、貴族の男の詠唱だけが進んでいく。
「射程の外まで離れるだけでいいのです! 私も離れますから!」
「もう遅い!」
呪文を詠唱し終わった貴族の男の右手が、ミスト達に狙いを定めていた。
庇っている町の人間を後ろから押し倒して、ミストは覆い被さる。
「こんなことで、死んではいけません!」
ミストは押し倒した町の人間を力一杯押さえつけ、自身に向かう魔法に覚悟を決めた。
しかし、発動する貴族の右手が上に捩じ上げられ、ミストに向かうはずだったサンダーリバーは空に向かって電気の波を打ち上げた。
「冗談にしては洒落にならないよ」
「貴様……!」
『救世主様!』
(呼ばれ慣れないな……)
アルスは溜息を吐くと、貴族の右手を解放する。
「貴様が来たせいで全てがおかしくなった! 余所者が、この国の政治を壊したのだ!」
「その前に壊してしまったのは、あなた達じゃないか……」
「ふざけるな! お前が来る前は役所も治安も正常に機能していた!」
「それは嘘です!」
ミストが立ち上がると、声を大にして叫ぶ。
「税金が使われて、それを誤魔化すために国の宝物庫を解放してしまったではありませんか! その宝物庫も空になって、どうやって政治を続けるつもりだったのですか!」
「そ、それは……」
「偽りの政治で税金を使い込んで、逃げてしまったではないですか!」
「逃げたのではない! 貴様らに乗っ取られたのだ!」
ミストは髪を振り乱して首を振る。
「嘘を言わないで! 人数では圧倒的に多い新政権派の貴族が辞める理由なんてないじゃないですか! セグァンを使って悪いことをしようとして! それがバレたから逃げ出したのではないですか! 国を愛していたら、そんなことが出来るはずありません!」
ミストは思いの丈をぶつけると、肩で息をしていた。
「どうして、自分達だけを大事にするのですか……。貴方達だって、この国で生まれて育ってきたのでしょう……」
「小娘が息巻いて……!」
貴族の男は舌を打つと踵を返す。
「相手にするのも馬鹿馬鹿しい」
貴族の男がその場を立ち去ると、辺りは静寂を取り戻した。
残されたミストが俯いてアルスに問い掛ける。
「私のやっていることは馬鹿なのですか……」
「ミスト……」
王都の石畳の床を涙が点々と叩いていた。
「私だけが空回りしているのですか……」
アルスはミストの両肩に手を置くと、真っ直ぐにミストを見る。
「間違ってない!」
アルスの強い言葉に、ミストは自分を卑下する言葉を止める。
「馬鹿なこと? 空回り? それでいいじゃないか。馬鹿なことかどうかは、これから分かることだよ。空回っても動かなくちゃ、何も出来ないよ。そもそも僕達のやっていることに正解があるなら、今頃、政治も法律も整備されているはずだ」
ミストはアルスを見詰める。
「僕は、最後までミストに着いて行くよ」
「アルスさん……」
アルスの背に町の人間の声が響く。
『救世主なんだから着いて行かないで、導いてやれよ!』
『それはそうだ!』
「ええっ⁉ ……僕は、ただのピエロなのに」
町の人間とアルスの最後の言葉にミストは微笑むと、アルスは頭に手を当てながら目を閉じる。
「とりあえず、政治と法律をどうにかしないといけないね」
「……はい」
アルスは視線を上げると、周りの町の人々をゆっくりと見回す。
「僕のやることを思いついたよ」
「アルスさん?」
「国中を走って人材を捜してくる」
「走る?」
「来てくれないなら、迎えに行くしかないと思う」
「はい? で、でも⁉」
アルスはミストに顔を向けた。
「ここにピエロは要らないよ。皆がミストの味方だ」
「アルスさん……」
アルスはミストに『心配ない』と微笑む。
「ただ言い掛かりをつける新政権派の貴族は増えるかもしれない。トルスティさんに頼んでおいて」
「それは構いませんが、本当に走って回るのですか?」
「うん」
アルスは腰のメイスを外し始める。
「あの戦いでダガーとロングダガーは、何処かに行っちゃったんだよな……」
イオルクのダガーとロングダガーを紛失してしまったことにアルスは溜息を吐き、取り外したメイスをミストに差し出す。
「これ、僕の宝物だから、荷物と一緒に大事に預かっていてね」
ミストはアルスからメイスを受け取ると、重さでヨロめく。
「行ってくるよ」
「い、今からですか⁉」
ミストの呼び掛けに返事も返さず、アルスは走り出してしまった。
「し、信じられない……」
ミストがメイスを持って呆然と立ち尽くしていると、町の人間がミストに声を掛ける。
『どうするんだい?』
「どうって……。し、仕事の続きをします!」
『了解だ』
新政権派の貴族を追い返したことで、町の人間は少し気を晴らして仕事に戻った。
一方のミストは泣いたことも忘れ、まだ頭が動かない。
「アルスさんの性格って、全然分かりません……」
きっと、アルス本人も分からない。大人しい少年がイオルクに出会って育てられ、十五歳で父親になって三人の女の子に振り回される生き方をしたら、こうなってしまったのだ。
そして、今もミストやトルスティの影響を受け、色んな体験を経て変わっていっている。明日、どのように変わっているかは、誰だって、自分自身だって分からないのだ。