首謀者の獣が姿を現わし、サウス・ドラゴンヘッドの城が崩壊して一日――。
王都の町中を歩くアルスに視線が向けられる。
『あの人がモンスターを撃退した……』
『救世主様……』
『城を壊すような化け物を追い払ってくれなかったら、今頃、俺達は……』
アルスは、心の中で溜息を吐く。
救世主が柄ではないというのもあるが、この国の人間は考えが軽過ぎる。城が壊され、政治が機能しなくなっているというのを分かっていない。
(いや、そういう風に洗脳されてしまったんだろうな……。上から命令されることに何の疑問も抱かず、守られる日常に慣れ過ぎ、これからのことも誰かがやってくれると思っているに違いない。その今までを守っていたのが獣で、それの命令で動いていたのが新政権派。命令を出していた獣が去り、国を大事にしなかった新政権派が、この国を立て直す協力などしてくれるんだろうか?)
現状に素直に喜べないまま、アルスは戦いのあった城へと向かっていた。目的は、戦闘のあった城の三階で回収し切れなかった、リース達の荷物を見つけ出すことである。
…
救世主という肩書きを持つアルスが城に到着すると、立ち入りは直ぐに許可され、目的のものを探すのに人まで貸してくれた。
瓦礫の中を手分けして探し始めると、直にアルスは自分のリュックサックとリースのリュックサックを発見した。崩壊はしたが、天井を打ち抜いたため落下物が少なかったのが幸いした。荷物は潰されることなく、ほぼ無傷だった。
一方のエリシスとユリシスの部屋の付近を捜してくれた人達からも声が掛かり、探し物は全て見つかった。こちらは落下物のせいで、鏡や小物入れなど、服の様に柔らかくないものは全滅していた。
(ここにエリシスとユリシスが居たら、何て言って、僕を困らせたんだろう……)
アルスの頭の中にはエリシスとユリシスが憤慨する姿と、その後にリースを含めて新しいものを買わされるやりとりが簡単に浮かんだ。
(その理不尽な要求に、もう溜息も吐けない……)
アルスは荷物を強く握ると、何かに耐えるように俯いた。
そして、そのまま動かずに暫く居ると、荷物を探すのを手伝ってくれた人達の話し声が聞こえた。
『酷い荒れ具合だ……』
『こんな運べない瓦礫をどうすればいいのか……』
彼らは元々、城で撤去作業をしていた人達だ。アルスの荷物を探すために三階を歩き回り、改めて現状の悲惨さを理解していた。
アルスはメイスに手を掛ける。
(失ったのは僕だけじゃない。彼らも国の象徴とも言える城を壊されてしまったんだ。その彼らと世界へ向けて危機を知らせるには、彼らの力は不可欠だ。獣が与えたこの状況を利用してでも、僕は信頼を築いておかなければいけない)
アルスは撤去作業をしている人達に声を掛ける。
「邪魔な瓦礫を教えてください」
『一体、何を?』
「魔法で、どうにもならないものだけでいいです」
疑問符を浮かべ、首を傾げた男が指を差す。
『一番の問題はアレですね。屋根と塔が一緒になって崩壊したものです。これでは大き過ぎて、運び出すことも出来ない』
アルスは前に出るとメイスを地面に置き、鞘のロックを慎重に外した。そして、大剣から放たれるプレッシャーに耐えながら、剣身の長さを確認して目標物を睨む。
(動かない目標物……。剣の長さに合わせて細かく分割して行くだけなら、特殊な訓練を積んでいない今の僕でも――)
ゆっくりと崩壊した塔に進み、アルスが大剣を振るう。その一振りごとに塔は細かく切断され、大きな音を立てて姿を変えていく。やがて、塔は運び出すことが可能な瓦礫に姿を変えた。
「他は?」
『し、信じられない……。何て神業なんだ……』
(全てはオリハルコンの武器のお陰だ……)
あえて種明かしをせず、アルスは男達の指示のもとで運び切れない瓦礫を小さなものに変えて、救世主としての信頼関係を作り始めた。そして、作業が終わり、大剣は再び鞘に封印されメイスに戻った。
アルスはメイスを腰の横に戻し、探し物だった自分達のリュックサックを背負う。
「手伝ってくれて、ありがとう」
『こちらこそ、ありがとうございました』
男達は、『あれが救世主様の力か』と呟き、瓦礫の撤去をしている仲間に報告に走って行った。
「探し物は見付かった。クリスさんのところへ行かなければ……」
アルスはリュックサックを背負い直して呟いた。
…
その日のうちに、時を止めて石像のようになってしまったリース達とリース達の持ち物一式を、アルスは巨鳥を利用してハンターの営業所に預かって貰った。取り出す場所は、ドラゴンウィングの北東のハンターの営業所。いっそ自分自身も運んでくれるサービスもあればと思うが、そんなサービスは存在しない。
アルスは一人旅で片道一ヶ月の予定で、サウス・ドラゴンヘッドを旅立ち、ドラゴンウィングにあるエルフの隠れ里を目指す。
しかし、この旅は何もかもが違った。旅立って直ぐに感じた違和感は、会話が何もないこと。張りのない旅……。
(リース達に出会わなければ、こんなにも何もない旅だったのか……。ただ目的の町を目指し、その町で出会った人としか触れ合えない……)
アルスは改めて感じていた。
――どうして、長い道のりを歩く旅が辛いことではなく、楽しいことだったのか。
――どうして、旅の最中、話が途切れず、笑いが途切れなかったのか。
リース達はアルスの一部分のようになっていて、当たり前の日常の中の存在になっていた。
(リース……。エリシス……。ユリシス……)
その喪失感はアルスの胸を抉るようだった。本当だったら、今頃、ドラゴンアームに旅立っていたかもしれないと思うと、余計に胸が痛かった。
足を止め、胸の服を掴み、アルスは零れそうになった涙を必死に堪える。
(大事だったんだ……。何を引き換えにしても、守りたかったんだ……。それにまだ――)
アルスは顔を上げると歩き出す。
(――リース達は死んでいない! リース達の未来を守らないといけない!)
リース達の未来をアルスは諦めなかった。そのために出来ることをしなければいけなかった。いつ目覚めるとも知れない目覚めからリース達が目覚めた時に備え、アルスは歩き続けた。
そして、一人だけになった旅は進む足だけ速くなり、アルスは三週間でドラゴンウィングの北東のハンターの営業所に到着した。
…
ハンターの営業所での休憩もそこそこにリース達を回収し、別の店で荷車を購入すると、アルスは直ぐにドラゴンウィングの北東の町を旅立った。
エルフの隠れ里のある霧に覆われた山を荷車を惹いて登り、数時間の後に、アルスはエルフの隠れ里へと到着した。
「ここは、何も変わってない……」
サウス・ドラゴンヘッドで大きな異変が起きても、エルフの隠れ里ののどかな風景は何もなかったようにアルスを錯覚させる。最後に訪れた時はリース達と一緒で、再び訪れる時も一緒だろうと思っていた。
しかし、そのリース達は居ない。
「凄い荷物だな? 何のお土産だ?」
三年前と同じ笑顔で出迎えてくれたのはクリスだった。
その顔を見て、アルスは、その場に崩れるように地面に手を着いた。サウス・ドラゴンヘッドではトルスティとミストの手前、無理をし、三週間の旅でも必死に堪えていた。
しかし、イオルクが頼った親友を前にして、アルスは心の壁を決壊させた。
「クリスさん……。すみません……」
「どうしたんだ?」
崩れて泣き出したアルスに駆け寄り、クリスはアルスの肩に手を掛けた。
「ユリシス達は、どうしたんだ?」
「僕が……」
荷車を指差すアルスに従い、クリスは目を移す。そして、ゆっくりと立ち上がり、布で覆われた荷車の荷物を確認して手が止まった。
「コイツらの――ユリシス達の時が止まってやがる……。何があったんだ……」
クリスはアルスに振り返る。
「お前が魔法を掛けたのか?」
「……はい」
「何で、こんなことをした!」
ぐしゃぐしゃになった顔で、アルスは声を絞り出す。
「……こうすることでしか、リース達を守れなかった……」
「どう……いうことだよ」
クリスはアルスの側に近寄ると襟首を掴んだ。
「何があった! 泣いてちゃ分かんねぇ!」
「バーサーカーの呪いを使うしかなかったんです……」
「バーサーカーのって――」
(そんな状況があるわけ……!)
クリスはハッとすると、四十年前、イオルクと最後に交わした言葉が蘇る。
『世界に何かが起きている』
その続きがアルスの身に起きたのではないかと、クリスの勘が囁いていた。
クリスはアルスの肩に手を置く。
「怒るのも言い訳を聞くのも後だ。オレの質問に答えろ。いいな?」
「……はい」
「――世界に何かが起きているのか?」
「どうして、それを……」
クリスは舌を打つ。
「よく戻って来た。その話は、オレも無関係じゃねぇ」
クリスは背筋を伸ばすと、アルスを促す。
「直ぐに来てくれ。ゴブレさんも交えて話し合わなくちゃなんねぇ」
アルスは目を擦ると立ち上がった。
…
クリスの家――。
クリスの家の居間に、アルス、クリス、そして、エルフの中で一番の長寿のゴブレが席に着いて座る。奥さんのイフューには席を外して貰い、今はサウス・ドラゴンヘッドの一件をアルスがクリス達に説明し終えたところである。
「それで、時を止めるしかなかったのか……」
「あの時、リース達を殺させない方法は生き物である状態をやめさせて、バーサーカーの攻撃対象から外すことだけでした」
「その真っ黒い獣に時の魔法を掛ければ良かったんじゃないか?」
「炎の魔法は弾かれました。万が一効果がなかったら……。それにバーサーカーがリース達を襲ってしまう」
「そういうことか」
クリスは腕組みをして溜息を吐く。
「実戦を離れて鈍ってんなぁ……。アルスの戦い方が全員生き残る方法だったに違いない」
ゴブレも頷くと『君のせいじゃない』とアルスを励ました。
「しっかし、四十年前の不安が、今になって出てくるとはな」
クリスに視線を移し、アルスは尋ねる。
「四十年前、何があったんですか?」
「その獣の失敗にイオルクが関わっていたってことだよ」
「……それって、獣が言っていたノース・ドラゴンヘッドとドラゴンチェストの話ですか?」
「ああ。イオルクは、管理者が伝説の武器を造るんじゃないかとも予想してたぜ。正確には『造る』じゃなくて『造らせる』だったがな」
「一体、ノース・ドラゴンヘッドとドラゴンチェストで、何があったんですか?」
クリスは頷く。
「オレじゃなくてイオルクのことだから、あんまし細かく説明できないけど、ノース・ドラゴンヘッドではイオルクの仕えていた姫さんが暗殺されそうになった」
「ユニス様ですね」
「ああ、確かそんな名前だったな。で、それを阻止したのがイオルクの野郎だ。アルスの話では、獣がサウス・ドラゴンヘッドの乗っ取りを考えてたっていうから、イオルクは、ノース・ドラゴンヘッドの乗っ取りの取っ掛かりをぶっ潰したに違いない」
「お爺ちゃんが……」
「で、その件で自分の武器を切断されたイオルクが鍛冶屋を目指すことになったんだ」
「そこまでの事情は知らなかった……」
「アイツは自分の功績を語りたがらないからな。特に貴族だった頃の話は嫌う節があるんだ」
イオルクらしいと、アルスは思う。
「もう一つのドラゴンチェストは?」
「そこで伝説の武器に付いている、魔族の魔力が結晶化したものを手に入れている」
「どうして、そんなものが……」
「支配者のヒルゲが獣と結びついていたんだろ? それをオレ達が掠め取ったんだ」
「え?」
訝しげに、アルスはクリスを見る。
「何だよ?」
「そんな危ないことをしたんですか?」
「成り行きだよ。そこで知り合いに託されたんだよ」
「そうなんですか? でも、お爺ちゃんは魔族の魔力が結晶化したものなんて持ってなかったけど……」
「それは魔族に返したって言ってたよ」
「魔族に返したんですか?」
アルスは手で静止を掛ける。
「いや、待った……。お爺ちゃん、魔族に会ったことがあるとか何とか言ってたけど、そのことだったんだ……」
「それどころか、一発やったって言ってたぜ?」
イオルクの話の続きに、アルスはガンッとテーブルに頭を打ちつけた。
「一発って……。何を考えてんですか!」
「何も考えてねぇんだよ、アイツは」
「非常識にもほどがある……」
アルスは頭を抱えて苦しんでいた。
「もう、構うなよ。どうしようもない馬鹿だったんだから」
「何で、亡くなってるのに、こんなに突っ込まされるんだ……」
「……だな」
クリスも思わず納得してしまう。
「まあ、そんなことが起きたから伝説の武器に結び付けて、オレ達は、それぞれ別の道を進んだんだよ。イオルクは『伝説の武器に対抗できる武器を造る』。オレは『魔法を極める』。何か起きた時に『管理者に対抗できる何かを残す』っていうのが、旅の別れ際の約束だったんだ」
アルスはメイスに手を掛ける。
「じゃあ、このオリハルコンの大剣って……」
「イオルクの約束の形だよ」
「僕が使った魔法は……」
「オレの約束の形だ」
「サウス・ドラゴンヘッドで獣を追い払えたのは偶然じゃなかったのか」
アルスとクリスの話を聞いたゴブレが、不思議な縁に目を細める。
「イオルクとクリスの不安が的中し、その成果が三度、獣を退けたということだな」
「そして、今度の四度目をどうするかってことだよな?」
アルスは頷く。
「アルスの予想では、アルスの死後なのだね?」
「はい」
「で、その時はモンスターが蘇って、ドラゴンレッグで獣と対決かよ。オレとアルスは完全に墓の下だし、どうするんだ?」
「どうって……」
アルスは言い淀んでしまう。
「オレは魔法の知識をユリシスに託すつもりだったけど、時の魔法で固まっちまってるし、イオルクの剣は、使い手すら居ないんだろ?」
「はい……。一応、世界中を回りましたけど、お爺ちゃん以上の鍛冶技術を修めた職人は居ませんでしたから、現時点で、このオリハルコンの大剣が伝説の武器に並ぶ世界一の武器だと思っています。使い手の方は、正直、現われるか分かりません……」
「どうすんだよ?」
アルスは下を向いて暫く考えたあと、ゆっくりと顔を上げる。
「リース達は、いつ目覚めるか分かりますか?」
「分かんねぇ。前にオレの掛けた魔法も未だに解けないし、魔法使いの資質によって誤差が出るかもしれない」
「そうですか……」
アルスはゴブレを見る。
「ゴブレさん。リース達をここに置いて貰えないでしょうか? いつ目覚めるか分かりませんし、僕の死後にも頼めるのは、エルフの皆さんしか居ないんです」
「それは構わないよ」
「ありがとうございます」
クリスはアルスの話を聞いて、アルスとゴブレに話し掛ける。
「オレの知識なんだけど、エルフの誰かに伝授してユリシスに伝えてくれないか? イオルクの武器は、リース達に使い手を捜して貰えばいい」
「リース達を巻き込むんですか?」
「リース達の未来は、オレ達には守れない。ここにリース達を置いて、エルフの皆に管理して貰うことは出来ても、外で暴れ回るモンスターを倒す武器の使い手を捜すのは、エルフには出来ない。武器で戦う人間に武器を託せるのは人間だけだ」
アルスは拳を握る。
「僕は、リース達はエルフの隠れ里に居るべきだと思います」
アルスの言葉に、クリスは腕を組む。
「まあ、気持ちは分からなくない。だけど、今の状況はこうなるとは思ってない最悪の状況だ。イオルク経由で教え込んだ魔法の知識がアルスの役に立つなんて分からなかったし、イオルクの武器にしたって、本当に使う時がくるなんて思いもしてなかった」
アルスは高ぶった気持ちを抑えると冷静になる。
「反論できません……。並みの武器じゃ壊れていただろうから……。お爺ちゃんの事前策がなければ、僕は戦うことも出来なかった。クリスさんに魔法を教えて貰ってなかったら、リース達は死んでいた」
「だろ? 何かの対抗手段を残しておくのは重要なんだよ」
「対抗手段か……」
アルスはメイスに目をやる。
対抗手段はメイスに封印されている大剣以外に思い当たるものはない。
「獣を倒すなら、この武器を完成させないといけませんね……」
「未完成なのか? その剣?」
「僕のせいで先端に砲筒が付いているので、本来の剣としての切っ先を持たせないと」
「なるほどね」
「あの獣の毛が先端に引っ掛かって、使い手が死んだら洒落にならない」
「確かに最悪だな……」
アルスは対抗手段のある未来を残すしかないと決める。セグァン亡き今、本当は普通の女の子としての未来を歩んで欲しいが、モンスターを復活させると宣言されれば話は別だ。リース達の未来を守れる何かを残さなければならない。
アルスはゴブレを見る。
「僕はメイスの中の剣を完成させます。完成させた剣を託していいでしょうか?」
アルスの頼みに、クリスも頭を下げる。
「全部、エルフの寿命に任せた押し付けだけど……。ゴブレさん、頼まれてくれないか?」
アルスとクリスの頼みに、ゴブレは頷く。
「モンスターが出てきたら、人間だけの問題ではないし……。あの子達と里の者の生きていく未来を守らねばならぬしな」
「お爺ちゃんとクリスさんが守る術を残してくれたように、リース達にも何らかの手段を残してあげないといけません」
「その通りだ。責任持って、引き受けよう」
「ありがとうございます」
ゴブレは遠い目で天井を見据える。
「未来か……。リース達が目覚めるのは、アルスの生きているうちか死んだ後か……。出来れば、生きているうちに目覚めて欲しいがな」
未来には暗雲が立ち込めているようだった。
しかし、イオルクとクリスが未来に希望を残したように、アルスも未来に希望を残すために動き出そうとしている。暗雲を払う術が失われたわけではない。
アルスは二日ほどエルフの隠れ里に滞在したあと、未来と今を繋げるために、再びサウス・ドラゴンヘッドを目指して旅立った。