城の二階から三階へ向かう階段の瓦礫が撤去されるまで、アルスは城の三階にただ居続けた。セグァンを倒し、また旅をしようと誓い合った矢先の出来事なだけに、アルスの心は沈んだままだった。リース達は石のように固まったまま動かず、そのリース達を座ったまま、ずっと見続けていた。
明け方、瓦礫の一部が撤去され、二階と三階の道が繋がると人々が雪崩れ込み、アルスはサウス・ドラゴンヘッドを救った英雄と感謝され、歓喜の声に迎えられた。
しかし、アルスにはどうでも良いことだった。英雄になるより、リース達と同じ未来を歩みたかった。
トルスティが一般人を規制し、三階には数人のニーナ王妃を支持した貴族だけが残り、現場の調査が始まった。
そして、誰もが足を止めて動けなくなったのが、リース達の姿を見た時だった。
「これは……!」
「リース達の時間を止めました……」
「時間?」
トルスティは、そっとリースの肩に触れる。人としての柔らかさ、温かさを伝えるものがない。硬く冷たい石像のようだった。
「またバーサーカーの呪いを使ったのですか?」
アルスは、ゆっくりと頷いた。
「あの獣は、僕達を殺すのが目的だった。サウス・ドラゴンヘッドを後ろで操っていたのは、あの獣です」
「あの獣が叫んだように、人が獣に屈したというのですか?」
「知能と知識だけなら、きっと僕達よりも上です」
「それは嘘です……」
「本当ですよ」
アルスは真っ直ぐ立ち上がった。
「アイツは、きっと何百年も生きている。管理者の代弁者だと言っていた。トルスティさんなら、管理者の魔法が、どのくらい前から書物に載っているか分かりますよね? それこそ呪文の内容が伝承し切れず、忘れ去られるほど昔からです」
「アルス君……」
(今度は精神を壊していない。それどころか、積極的に話している)
トルスティに、アルスは強い口調で話し掛ける。
「未来を守らないといけない」
「未来?」
アルスは頷く。
「まず、リース達を人目の触れないところに隠さなければいけない」
トルスティは思い当たる場所を思案すると、一つ心当たりを口にする。
「……ミストの家で、どうでしょう?」
「ミスト? どうして?」
「あそこは彼女しか居ませんから」
「え?」
「彼女も親なしなのですよ」
言葉を止めたアルスを置いて、トルスティは、リース達に布を被せて運ぶように部下へ指示を出し始めた。
…
ミストの家は王都にある、一、二を争う大きな屋敷になる。しかし、トルスティに続いてアルスが訪れた庭は、残念ながら綺麗とは言えず、草木が枯れてしまったみすぼらしいものだった。
「彼女は幼い時に両親を亡くしまして、莫大な遺産を受け継ぎました。そして、ご両親の生きていた時から付き合いのあった私が、そのまま彼女の面倒を看るようになりました」
「ミストにとって、トルスティさんは父親のようなものなんですか?」
「そうなりますかね」
トルスティは庭を抜け、屋敷の呼び鈴を鳴らした。すると、中からミストが顔を出し、『どうぞ』と中に招き入れてくれた。
招き入れられた屋敷の中は生活感が一階の一部にしかなく、ほとんどの物がシートに覆われていた。ミストに案内されて入った屋敷は、アルスに寂しいという印象を持たせた。
「あまり、お金を掛けることを知らなくて……。生活できるだけの部屋しか使っていないのです」
アルスの視線に気付いたミストが、それとなく付け加えると、居間と思われる部屋にアルス達を通した。
その部屋は、恐らく使用人が使っていた部屋なのだろう。この部屋に来るまでの内装に比べて、壁紙がワンランクもツーランクも下のものだ。その代わり、温かい生活感に溢れているような気がした。
「本来、素朴な人だったんだ……」
「どういう印象を待っていたのですか?」
「ローブが凄かったから、お嬢様だと思ってた」
ミストは小さく笑う。
「母の御下がりですよ」
「ああ、なるほど」
「座ってください。お茶を用意します」
アルスとトルスティが居間の小さなテーブルと一緒に置いてある椅子に腰掛けると、アルスは、お茶の用意をしているミストの背中に話し掛ける。
「リース達のこと……、ありがとう」
「いいえ、物置みたいな家ですから、置く場所だけは沢山あるので気にしないでください」
「物じゃないんだけどね……」
「そういう意味で言ったのではないのです、すみません」
「まあ、ああなると取り扱いは難しいか……」
アルスは溜息を吐くと、トルスティが話題を切り替える。
「アルス君。早速ですが、情報の共通化をさせてくれませんか? 昨日、アルス君達に言えなかったことも言わなくてはなりません」
「はい」
「まず、私の方から。昨日、言えなかったのはセグァンの行動――つまり、新政権派によるサウス・ドラゴンヘッドが齎した厄災についてです。アルス君なら気付いていると思いますが、セグァンを新政権派が操っていたということは、サウス・ドラゴンヘッドがドラゴンアームでエリシスさん、ユリシスさんの両親を殺し、ノース・ドラゴンヘッドでリースさんの両親を殺し、全てがこの国から災いがバラ撒かれたということです。更にアルス君に掛かった呪いも、サウス・ドラゴンヘッドが関わっていました。昨日、言えなかったのは、新たな目標を立てたアルス君達にサウス・ドラゴンヘッドを憎む話を出来なかったからなのです」
「正反対の話ですからね」
「はい。ようやく気分が上に向き、全てが終わりに向かおうとしているアルス君達に、話すことが出来ませんでした」
そこにミストがお茶を用意して、アルスとトルスティの前に置いてくれた。
「「ありがとう」」
「どう致しまして」
ミストも椅子に座ると会話に加わった。
「ここからは、僕が纏めて話します。重複しますが許してください」
トルスティとミストは頷いた。
「忘れないうちにメモを取って貰えるかな? 長くて複雑だから」
「分かりました」
ミストは近くの戸棚から紙とペンを取り出した。
「議事録は、しっかりと付けます」
(会議みたいだな……)
咳払いをすると、アルスは説明を始める。
「全ての始まりは、あの獣が関わっているようです。直接話して、色々語ってくれました」
「アルス君に?」
アルスは頷く。
「僕の勘なんですけど……。僕は、あの獣のメッセンジャーに選ばれたような気がします」
「メッセンジャー?」
「僕が獣の意志を世界に伝える役です。獣の意志――それは、ドラゴンヘッドでの伝説の武器の作製」
「伝説の武器の作製?」
「正確には、人間に伝説の武器を作製させることです」
「何故、自分達で造らないのですか? 知能も知識も、ずっと上なのでしょう?」
「理由は分かりませんが、獣は管理者の代弁者でしかなく、それを望んでいるのは管理者みたいなんです」
トルスティは難しい顔になる。
「どうも歴史の授業をしているようです……。御伽噺になりつつあった管理者が出て来るとは……」
「何者なんですかね?」
「歴史では、我々を導いた指導者のような感じでしたけど……」
「その管理者が出て来てしまうと、訳が分からなくなってしまいますね」
「全くです。それは置いておきましょう。ミストが議事録に録っていますから、あとで検討し直しましょう」
「了解です」
アルスはお茶を一口啜り、口を湿らす。
「続きですが、その伝説の武器を造る計画は、サウス・ドラゴンヘッドの前から行なわれていたようです。獣が洩らしたのは、ノース・ドラゴンヘッド、ドラゴンチェスト、サウス・ドラゴンヘッドの順番でした」
「つまり、その過程で何かをしていたと?」
「はい。ただし、失敗に終わっているようです。『人間は使えない』みたいなことを溢していましたから」
「なるほど……」
「そして、四十年前に繋がるんじゃないですか? サウス・ドラゴンヘッドの政権を奪い取る計画へ……」
トルスティは顎に手を当てる。
「その計画は四十年掛けて、サウス・ドラゴンヘッドを手中に収める計画だったのでしょうね。しかし、最後の最後にとんでもない失敗をしてしまった。倒されるはずのないセグァンの盗賊団をアルス君が倒し、それを切っ掛けに私が新政権派の陰謀を暴いてしまった」
「ニーナ王妃派を完全に葬り去るはずが、新政権を創った人達が葬り去られる計画になってしまった……」
トルスティは腕を組んで溜息を溢す。
「しかし、ようやく陰謀を証明できましたが、その過程で沢山のものを失っています。王族不在の国政、宝物庫の解放、セグァンによる殺戮、国民の信頼の失墜」
「多分、それ以外にも四十年の間に何かをしていると思いますよ。そして、これからが大事なんです」
トルスティは、アルスの顔に視線を戻す。
「あの獣は『モンスターを復活させる』と言っていました。そして、『それを止めたければドラゴンレッグに伝説の武器を持って来い』と」
「最後に、そんなことを言っていましたね。ただモンスターの復活というのは……」
「それが出来るみたいなんです」
アルス自身、半信半疑だったが、あの獣は言い切った。
「では、直ぐにでも国を建て直し、世界にこのことを伝えなくてはいけませんね」
トルスティの言葉に、アルスは不安を浮かべえて問い掛ける。
「信じて……くれますか?」
「アルス君?」
「僕も信じられない話です。それに傷が癒えるまで、束の間の時間を楽しめとも……」
「束の間の時間? いつモンスターが復活するか、分からないということですか?」
「はい。……多分、僕が死んでからモンスターが復活するんじゃないかと思っているんですけど」
「どうしてですか?」
「獣は、僕に時間をくれると言っていました。つまり、僕が死んだ後ってことなんじゃないでしょうか?」
「しかし、傷が癒えるのに、そんなに時間が掛かるのですか? 魔法を使えば直ぐにでも回復しますよ?」
「魔法は効かないのかもしれません。物理的な攻撃でしか傷を負わせられませんでしたから」
「そういうことですか……」
「でも、もう一つの予想があって、僕の死後と言っているんです」
「予想?」
アルスは両手の指を組む。
「あの獣は、僕を紛い物と言いました。人間の英知ではなく、魔族の力を借りた紛い物だと。だから、その力を使える僕が居る間は、行動を起こさないと思うんです」
「紛い物の力……。バーサーカーの呪いのことですか?」
「はい。どうやら、これは呪いではなく、魔族から提供された管理者に立ち向かうための力みたいなんです」
「呪いではない……」
「魔族って人間の敵だと思っていたので、予想外で……」
「私もです」
ミストが議事録を録りながら、別の考えを導き出す。
「そうなると、アルスさんのバーサーカー化は、初めから守るための力だったということではないのですか?」
「……あ」
「つまり、この国は魔族とアルスさんに守られた……と考えられませんか?」
「考えられる……」
アルスは自分の両手を見て、自分の中にある力をイメージする。
「汚れた力じゃなかったのか……」
「何百年と分からない前の魔族の魔具が、今になって、その使命を果たすとは……」
アルス達は不思議な因縁を感じる。
「でも、逆に考えると、バーサーカーの呪いが掛かってなかったら、死んでいたってことだから……感謝しないといけないのかな?」
アルスの考えをトルスティは否定する。
「いえ、どんなに考えても元になっている獣が居なければ、ここまで不幸の連鎖は起きていません」
「そうですね。獣が存在してなければ、魔族も魔具を造ることもなかった」
「管理者という方が居るのも問題の一端を握っています」
「……つまり、大元を何とかしないといけない?」
「そうなるでしょうね。そして、その鍵がドラゴンレッグにあると思われます」
「そこに伝説の武器を持って来い……ですもんね。困ったなぁ……」
アルスは腕を組む。
「リース達の未来を守るには、どうすればいいんだろう?」
「確かに……。アルス君の予想が全部正しいならば、アルス君が死んだ後に――ん?」
「どうしたんですか?」
トルスティの頭に別の疑問が過ぎった。
「リースさん達の時を止めたという魔法は、いつ解けるのですか?」
アルスは複雑な顔を浮かべる。
「実は分からないんです……」
「は?」
「この魔法を見つけて試した人が居るんですけど、二十年前に実行した魔法が未だに解けないって言ってるんです。一体、いつになったら解けるか、僕も分からないんです」
ミストが慌て出す。
「あの、私が生きている間なら預かりますけど、私の寿命が尽きた後まで管理できませんよ?」
「そうだよね……」
アルスは頭を掻く。
「あそこしかないよね……」
「何処か最適な場所でも?」
「はい。ハンターの営業所を利用して運び出します」
「一体、何処に?」
「秘密の場所です」
トルスティとミストは首を傾げると、アルスは笑って誤魔化して続ける。
「ところで。トルスティさん達は、これから、どうするつもりなんですか?」
「私達は、国を再建するつもりです。あの城の破壊で多くの臣下が亡くなりました。現在、国を管理する者が居ない状態です」
「それに大事な法律を管理する書庫が燃やされてしまったのです」
「書庫?」
「国を運営するのに法律が大事なのは分かりますよね?」
「はい」
「それが燃やされたのです」
「じゃあ、初めから創り直すんですか?」
「いえ、そんなことをしている暇はありません。秩序がなくなれば、国が乱れて崩壊に繋がりかねません」
「じゃあ、どうするんですか?」
「各要所ごとに役割を分担していた臣下達の知識を持ち合わせて再構築するのです」
「なるほど……」
「各要所に携わっていた新政権派の協力も得るつもりです」
アルスは不安顔で頬を掻く。
「……それって、大丈夫なの?」
「何がですか?」
「この国の各要所のほとんどは新政権派だったんでしょう? 協力を得られなければ、この国の法律なんて提供されないじゃないですか。……あ、でも、トルスティさん達は、昔のサウス・ドラゴンヘッドに戻そうとしてたんだから、四十年前の法律が残ってるか」
トルスティが視線を斜め下にして手をあげる。
「残っていません……」
「先生も私も、改竄された法律を正しいものに改竄し直そうと思っていたので……」
「もしかして、このパターンって……」
「すみません……。その場の勢いってヤツです……」
(またか……)
アルスは項垂れた。
「し、しかし、自分達の国です。新政権派も、きっと協力してくれます」
「大丈夫なのかな?」
「だ、大丈夫です」
トルスティの話は、多大な試練が待ち受けていることを予想させた。
「まあ、僕も出来るだけ力になりますけど」
「協力してくれるのですか?」
意外そうな返事を返したトルスティに、アルスは頷く。
「リース達の未来を守るためです。この国からモンスターに備えることを発信して貰わないと」
「君は、まだ彼女達のために戦うのですか?」
「僕の寿命が尽きるまで六十年近くあるんですよ? そのうちの十年、二十年ぐらい好きに使わせてくださいよ」
「……少し変わりましたね?」
アルスは、ここ数日の変化を思い出す。
「もう、下を向くのはやめました。そして、管理者の思い通りになるのも気に食わない」
「一体、何を?」
「出来るだけの抵抗をします」
「抵抗?」
「リース達と一緒に居られないなら、僕には残すことしか出来ない」
「何を残すのです?」
「それはこれから考えますが、僕は鍛冶屋ですから……。数日したら、ここを出ます。二ヶ月だけ、僕に時間をくれませんか?」
「私達には、アルス君をここに留めておく権限はありません」
「アルスさんが好きな人生を送っても、誰も文句は言いませんよ」
「じゃあ、二ヶ月貰います」
アルスに対して、トルスティとミストは頷いて返した。
「トルスティさんは、他に話すことはありますか?」
「これからのことは検討してからでないと進められないでしょう」
「分かりました」
「アルス君は?」
「少し我が侭を言わせて貰えるなら――」
「ええ、構いません」
「――お腹が空いたので、何か食べさせてください」
トルスティとミストは思い出す。
「三日前から食べていませんでしたね……」
「直ぐに用意します」
「本当に申し訳ない……」
ここで話は終わり、食事を取ることになった。
そして、この時の議事録は、後に歴史の一ページへと姿を変えることになるのであった。