誰もが疲れ果てて深い眠りに着き、夜から朝に変わっても一向に目を覚まさない。午後になって、ようやく目を覚ましたエリシスは、隣のベッドが空になっているのに気が付いた。
「ユリシス……」
寝ぼけた頭で豪華な造りの客室を見回し、白い裸体が浮かんでいるのを見つけた。
「裸体? 裸?」
思わず吹き出し、寝ぼけた頭も一気に覚めた。
「何、脱いでんのよ!」
「姉さん?」
姿見を映せる大きな鏡の前で、ユリシスはエリシスに振り返った。
「傷痕を確認してたんです」
エリシスはベッドの上で胡坐を掻きながら、頭に手を持っていく。
「完全には消えないわよね……」
「いいえ、完全に消えているから確認してたんです」
「ん?」
ユリシスの居る鏡の前まで歩いて行くと、エリシスはマジマジとユリシスの傷痕を確認する。
「正直、しっかりとは見てなかったのよ。他人の目もあるし、じっくり見るのも失礼かと思ったし」
「分かります」
エリシスは改めて確認するが、ナイフを入れたであろう痕も残っていない。
「これ、普通に凄いんじゃないの?」
「凄いと思います。この技術があれば、救われる人も沢山居ると思います」
「そうよね。男だったら傷は勲章になるけど、女の子は綺麗な肌で居たいもんね」
「はい、心が救われると思います」
「アルスの話だと、クリスさんが開発したんでしょ? 切っ掛けは、何だったのかしら?」
「その辺、詳しく聞いていませんね」
「聞いてみる?」
「はい」
「でも、その前に――」
ユリシスは首を傾げる。
「――何でもいいから、服着ろ」
ユリシスは忘れていたと、髪を一つに纏めてポニーテールを作る。
「同じ姿だから、姉さんの前だと遠慮しなくていいんですよね」
「同じ姿だから、皮肉も言えないのよね。言ったら、そのまま自分に返ってくるから」
「双子の喧嘩ほど辛いものはありませんよね。ブスって言えば自分に返るし……」
「胸が小さいといえば自分に返るし……」
「懐かしいですね」
「本当……。物事をまともに考えられるようになってから、喧嘩なんてしてないもんね」
「いっつも二人」
「二人で一人。共通の敵をボコボコに――」
「してません」
エリシスとユリシスは笑い合う。
「準備できたら、行くわよ」
「はい」
エリシスとユリシスはアルスの部屋へ向かう準備を始めるため、洗面所へと姿を消した。
…
お揃いのリュックサックから替えの服を取り出し、エリシスは武道着、ユリシスはローブに着替える。
「ミストがリュックサックを拾って来てくれて助かったわ」
「まあ、予備はアルスさんの宿の部屋に置いてはあったんですけどね」
「全員で共通してアルスに物を持たせてるってのも凄いわよね?」
「持って貰って何ですが……。あの人、わたし達の歩く箪笥です」
エリシスはクスリと笑うと、少し眉を歪める。
「そういう、軽口叩いて返ってくるかな?」
「どうしたんですか?」
「う~ん……。昨日は、まだ戻っていたけど、二日間廃人になっちゃってたのよ」
「廃人?」
「アルスだけじゃないわ。あたしはユリシスに付きっ切りだったし、リースはアルスに付きっ切り」
「心配掛けて、すみません」
「体調はいいのよね?」
「まだ少し体がだるいんですけど、お腹一杯食べれば元気が出ると思います」
「あんた、湯薬ばっかりだったからね」
「さっき、歯を磨いたら緑色の得体の知れないものが沢山出てきました」
「あはは」
エリシスは可笑しそうに笑っている。
「ところで、姉さん」
「ん?」
「わたし達が助かったのって、アルスさんが廃人になったのと関係あるんですか?」
「多分ね。それも聞くつもり」
「何も分からないんですか?」
「リースの話だと、バーサーカーがどうとか……」
「バーサーカー? 狂戦士のことですか?」
「分かんないわ」
「結局、全員が三日間、沈んだままだったということですか?」
「ええ」
ユリシスは静かに目を閉じると気持ちを整理する。そして、次に目を開けた時は、浮ついた気持ちを排除していた。
「何があったかを受け止めに行きましょう」
「ええ」
エリシスとユリシスは部屋を出た。
…
アルスとリースの部屋を少し緊張感を持ってノックするが、返事がないので、まだ眠っていると思われる。エリシスは、そっとドアノブを回し、自分達の部屋と同じ内装の客室に足を踏み入れる。
聞こえてきたのは静かな寝息ではなく、魘される音だった。それを聞いて、エリシスとユリシスはアルスの寝ているベッドへ走る。
「…………」
がっくりと項垂れ、『さっきまでの緊張感を返せ』という思いが二人を襲う。
「う~ん……。う~ん……」
魘されているのはアルス。
その左肩に『絶対に離さない』としがみ付いて寝ているリース。
「関節が極まってる……」
アルスの左肩をロックする形で、リースが関節を極めて眠っている。
「どっちを起こすかな……」
今日だけは特別だと、エリシスはリースの鼻を摘まむ。
「……ふ…ぐ……ぷむぅーッ!」
妙な音を立てて、リースが口から息を吐き出して目を覚ました。
「何するの!」
「あんたこそ、何してんのよ? アルスの肩を外す気なの?」
「へ?」
リースは力一杯握っているものに気付くと、慌ててアルスの腕と肩を解放する。
それを見たユリシスは目を細め、口に手を持っていく。
「あらあら、リースさんったら……。アルスさんのベッドに入り込んで夜這いですか?」
「ち、違うよ! ……それに、時々アルスとは一緒に寝るし」
「あんた、十三にもなって何してんのよ?」
「だって……。エリシス達だって、一緒に寝てたじゃない!」
「あたし達は双子だもん」
「関係あるの?」
「あるわよ。双子って、時々一緒に寝ないと体調壊すのよ。知らないの?」
「そうなの? 知らなかった……」
(姉さん、またそんな嘘を……)
リースは、あまりにも堂々と言われるので信用してしまった。
「だから、あたし達にリースみたいな邪まな気持ちはないわ」
「私だって、ないってば! ただ時々思い出しちゃうの……。怖いこと……」
「そういう時は、アルスと寝れば平気なわけ?」
「うん……」
「コイツの体からは、癒しの効果でも出てんのかしらね?」
「どんな人間なんですか……」
リースはアルスを指差し、エリシスを見る。
「抱きついてみたら?」
「え? いいわよ」
ユリシスは、そっとエリシスに耳打ちする。
「姉さん、寝起きなら朝だ――」
ユリシスの顔面に枕が炸裂した。
「何を言おうとした! 馬鹿ユリシス!」
「った~……。起きたんですか?」
「最悪の寝覚めだよ! 何か、左肩も痛いし!」
「それ、リースさんです」
「は?」
笑って誤魔化しているリースに首を傾げたあと、アルスは左肩を廻し、頭をガシガシと掻く。
「朝風呂に入ってくる」
「もう、とっくに午後ですけど?」
「時間の感覚がおかしくなってる……。兎に角、行ってくる……」
アルスはリース達を置いて洗面所に消えた。
「アイツ、あたし達が居るのに何を考えてんのよ?」
「まあ、大目に見てあげましょう」
「仕方ないわね。――リース、あんたは?」
「お風呂?」
「一緒に入らないの?」
「そこの境界だけは、しっかりと守ってる」
「あ、そう」
「でも、髪だけは梳かそうかな」
「手伝います」
鏡台の前に移動し、リースが椅子に座るとユリシスは櫛でリースの髪を梳かし始める。
「ユリシス、体は大丈夫?」
「平気ですよ」
「よかった。あのまま死んじゃったら、どうしようかと思った」
「そんなに酷かったんですか?」
リースは視線を斜め下に落とす。
「多分……。体の中身が見えた……」
「そ、それは見えても言わないで欲しかったですね……」
「私もトラウマものだよ。そこに手を突っ込んで魔法掛けたんだから」
「重ね重ね、申し訳ありません」
「……気にしなくていい。生きててくれたから」
「ありがとうございます……」
ユリシスはリースの言葉や態度から、本当に生死の境を彷徨ったのだなと実感する。しかし、その割には立っていられるほど元気なのに疑問が残る。
「ミストにも感謝して、お礼を言わなきゃダメだよ。貴重な薬草を煎じて薬湯を作ってくれたんだから」
「貴重?」
「ユリシスは魔法を掛けられる体力がなかったから、それを補ったのがミストの作ってくれた薬湯なんだよ」
「そうなんですか……。お礼を言っておきます」
「忘れないでね」
「はい」
髪を梳かし終わり、リースはユリシスにお礼を言う。そして、鏡台の前で回り右して座り直す。
「あとは、何があったかだね?」
エリシスとユリシスが頷く。
「アルスが話してくれると思うけど、ミストやトルスティさんも呼ぶべきかな?」
「呼んだ方がいいんじゃない? アルスに何度も説明させるのは可哀そうだし、外から聞こえる、うるさい声も気になるし」
城の外で抗議するサウス・ドラゴンヘッドの国民は、今日も城へと押し寄せていた。
「時間的には夕方ですし、ミストさん達も時間を取れる頃かもしれませんね」
「ええ」
そこに腰にバスタオルを巻いたアルスが頭を拭きながら現われた。
「さっぱりした……」
アルスはリュックサックを漁り、着替えを持つと再び洗面所に消えた。
「ここで着替えなさいよ。アイツ、何で、妙に乙女なのよ?」
「エリシスとユリシスが厭らしい目で見るからじゃない?」
「…………」
何故か反論できない双子の姉妹。彼女達には列記とした前科があった。
「いい加減、卒業したら?」
「いや、寧ろ入学したてなので無理」
「リースさんも何れ、わたし達のようになるんです」
「将来に夢も希望もない……」
リースが項垂れたところで、アルスが替えの旅人の服を着て戻ってきた。
「待たせて、ごめんね。リースも着替えてきな」
「うん」
入れ替わりで、今度はリースが替えの服を持って洗面所に入った。
「あんた、大丈夫?」
「何とか……。リースのお陰で割り切れてる」
エリシスとユリシスは疑問符を浮かべて首を傾げた。
そして、今度は体を心配して、アルスがユリシスを見る。
「ユリシスは……大丈夫だよね。いきなり下ネタを吐けるんだし」
「根に持ちますね……」
「持つよ。当たり前だよ。ユリシス達だって、セクハラされたら嫌でしょう?」
「完全に男のあんたが言う台詞じゃないわね」
「わたしはアルスさんが望むなら、少しぐらいのセクハラは……」
アルスは溜息を吐く。
「助けなきゃ良かった。盗賊達は、そういうこともするつもりだったらしいから」
「そうなの?」
「そうだよ」
「冗談で済まないところまで追い詰められていたんですね」
「多分、特殊な性癖を持っていたんだと思うよ。エリシス達を襲うなんて考えているんだから」
「そうね」
「確かに」
「…………」
エリシスとユリシスのグーが、アルスに炸裂した。
「どういう意味よ!」
「十六歳は立派な大人です!」
「立派な大人は、直ぐには手をあげない……」
「馬鹿じゃないの!」
額に手を当て、アルスは溜息を吐く。
「やっぱり、気分がまだ乗らない……。少し強引に話を振ったけど、これ以上、続けられないや」
「アルス……」
「暫くおかしいかもしれないけど、気にしないで。少しずつ、戻していくから」
「……分かったわ。気長に待つわ」
話が一段落した(?)ところで、アルスの部屋をノックする音が聞こえる。
「どうぞ」
アルスの返事に反応して、扉が開くとミストが顔を出した。
「失礼します。起きられましたか?」
「起こされました」
アルスの言葉に、ミストが静かに笑みを湛えると、そのミストにユリシスが近づき、深く頭を下げる。
「色々とありがとうございました。リースさんから、お薬の話とかを聞きました」
「気にしないでください。あんなもので、私達の過ちは許されません」
「過ち?」
「そのことも含めて、お話をする時間を頂きたいのですが、皆さん、お時間の方は?」
アルス達は頷いて返事を返す。
「では、別室へ案内します」
ミストが扉の外に向かうと、アルスが洗面所の方に声を掛ける。
「リース、出掛けるよ」
「今、行く」
リースが着替えを済まして洗面所から出てくると、アルス達は、事の真相を聞くことになった。