馬を走らせ続け、トルスティとミストは本隊が通って来た道を抜ける。街道を引き返し、奇襲部隊が通った山道を駆け上がる。山の中腹の小さな広場まで辿り着くと馬を降り、近くの木に手綱を結びつける。
「ここからは馬では通れません」
「はい」
トルスティとミストは鬱葱と茂る細い道を進む。奇襲部隊が進んだ後で、いくらか草が踏み固められた道を黙々と進むと、脇道に差し掛かる。
そこで二人は足を止めた。
「血?」
点々と続く血が向かう先から脇道の方へと続いている。
「これって……」
「ここからは警戒して進みます」
「はい」
奇襲部隊の居る方へ、点々と続く血を追って行くと血の臭いが強くなる。ミストはローブの袖で鼻から下を押さえ、顔を歪める。
「酷い臭い……」
「何故、盗賊達の陣に突く前に、血の臭いがここまで漂ってくるのですか……」
更に足を進めると、ハンター達の死体が次々と並ぶ。
「今回、雇ったハンター達です」
「アルスさん達は?」
進む先に、アルス達の死体はない。
続く、草木の茂る細い道を抜けた先は地獄だった。
「何だ…これは……」
ミストは思わず目を背け、トルスティは足元に視線を落として確認する。
「ここまでで、アルス君達を除くハンターの死体が全部あります」
「全部? では、この惨状を作り出したのは……」
「盗賊団かアルス君達ということでしょう」
目の前に広がる夥しい死体。まともな状態で残っているものは一つもなく、吹き飛んでいるか潰されている。
「魔法でもない。刃物でもない」
トルスティの言葉から殺害する手段を除外していくと、ミストの頭の中には一つしか残らなかった。
「アルスさんのメイス……」
「私も、それが思い浮かびました。しかし、どれだけの力でメイスを振れば、人間が吹き飛ぶほどの威力が出るのでしょうか? これは人間の業ではありません」
「この死体の山は、盗賊達のものですよね?」
「ええ……。その死体の首……」
トルスティの指差す潰れた肉片にミストは目を移す。
「潰れて分かり難いですが、セグァン・アバクモワに間違いありません」
「じゃあ、本当に……。アルスさん達は?」
トルスティは辺りを見回す。
「ここから始まっているなら、終わりは対面の森の何処かでしょう」
「先生、ここを通って行きたくはないのですが……」
「同感です。森の中を通って対面に向かいましょう」
トルスティとミストが森へ向かおうとした時、地面が血で汚れていない場所にアルス達のリュックサックを見つける。
「ここに居たのは確かですね。投げ捨ててあるところを見ると、奇襲を受けたのは、こちらだったのかもしれません」
「…………」
ミストはアルス達のリュックサックをきちんと纏めると、トルスティと森の中に入る。そして、そのまま無言で歩き続けながら、戦場の跡に目を向ける。
「ミスト、気付きませんか?」
「何がですか?」
「死体の向きです」
「向き?」
死体は最初こそ、あちらこちらに向いていたが奥に向かうほど、来た方向と逆方向になっている。
「盗賊達は、何かから逃げていたのです」
「では、この向きの同じ死体を辿っていけば……」
「アルス君達が居るかもしれません」
「かも?」
「これを本当にアルス君達がしたのでしょうか? 別の何かがしたと考えられませんか?」
「でも……」
「武器の類は鈍器でしょう。そして、この殺し方に引っ掛るものがあり、先ほど思い出しました」
ミストは無言でトルスティの言葉を待ち続ける。
「――キラー・ビーストです」
「そんな……。御伽噺のモンスターではないですか」
「はい。しかし、この力任せの殺し方は、それを連想させるのです」
「…………」
ミストは、今一、納得できなかった。
「では、この先にキラー・ビーストなるモンスターが居るのですか?」
「それは分かりません」
それ以降は、会話は続かなかった。
そして、森の中を進み続け、やがて森の中の小さな道に幾つかの死体を確認するだけになった。
「この先のようです」
トルスティとミストが森を抜けた先で、最初にリースの泣き続ける声が耳に入った。二人は、リースが生きていたことに安堵の声を漏らす。
しかし、歩みを進めた先には真っ赤な返り血に染まったアルスの姿があった。
「これは……」
「リースさん?」
ミストの声でリースはトルスティ達に気付き、ミストに走るとしがみ付いた。
「アルスが……。私のせいで……」
「まさか――」
一瞬、『死んでしまった』という言葉を頭が過ぎったが、アルスの肩は僅かに上下している。
ミストは何を言っているか分からないリースを抱きしめながら落ち着かせ、一方のトルスティはアルスに近づいた。
「アルス君?」
俯いた顔の下で目だけが動き、アルスはトルスティを確認した。
「怪我はないのですか?」
「……大丈夫です」
「しかし……」
「これは僕の血じゃありませんから……」
「では……」
それ以降、アルスは何も話さない。
トルスティは、再びアルスに呼び掛ける。
「アルス君」
「…………」
アルスは、何も反応を返さなかった。
「申し訳ありませんが、少し手荒な方法を取ります」
トルスティは詠唱を始め、詠唱を終えるとウォーターウォールを発動させて、アルスを水の壁で包んだ。水は薄い赤い色に染まり、アルスの体に纏わり付いた血をいくらか洗い流す。
アルスはゆっくりと顔を上げ、トルスティを見た。
「目は覚めましたか? 不快なようなら、何回でもウォーターウォールを使いますよ」
「……お願いします」
アルスの頼みで、もう一回、トルスティのウォーターウォールがアルスを包み込んだ。さっきよりもマシになると、アルスはゆっくりと立ち上がり、トルスティを凝視する。
「まだ目が覚めませんか?」
「そうだ……!」
ミストに泣き付いているリースに、アルスは話し掛ける。
「リース。僕は、どのぐらい放心してた?」
「分からない……。でも、三十分以上は動かなかったと思う……」
アルスは自分の頬を張り倒す。
「ユリシスが重体なんです! 助けなくちゃいけません!」
リースは目を擦って涙を拭うと、知っていることを伝える。
「ユリシスは、もう魔法を掛けられない……。今は薬草で血を止めてる状態……」
ミストが優しい声で、リースに確認を取る。
「では、やるべきことをやって、何も出来ないということですね?」
「うん……」
トルスティはミストに指示を出す。
「リースさんとユリシスさんをお願いします」
「はい」
リースを覗き込むように、ミストは話し掛ける。
「案内して頂けますか?」
「うん……」
リースはミストを連れて走り出すと、残されたトルスティがアルスに話し掛ける。
「アルス君。盗賊は、もう居ないのですよね? ここで、何が起きたか説明をして頂けますか?」
「盗賊はいませんけど、説明の詳細は省かしてください。先に伝えなきゃいけないことがあったんです」
「何でしょうか?」
「この作戦、全て仕組まれたものです」
「……どういうことですか?」
「セグァンはサウス・ドラゴンヘッドに雇われた盗賊であり、この国の兵士でした。そして、この作戦の目的はトルスティさん――あなた方、ニーナ王妃を指示した者達全員の抹殺だったんです」
トルスティは、一瞬、言葉を失うが、直ぐに否定する。
「じょ、冗談でしょう?」
「冗談じゃありません! その証拠に作戦は筒抜けで、奇襲する僕達が逆に奇襲を受けたんです!」
「では、道を抜けたハンター達の死体は……」
「その時に殺されたんです」
「待ってください」
トルスティは深呼吸して落ち着くと、考え始める。
「アルス君は、何処でその情報を?」
「僕が殺されそうになって、最後にセグァンがベラベラと話したんです」
「じゃあ、殺されそうになった君が生きているのは?」
「……僕が皆殺しにしてしまったから」
「君には何か秘密があるようですね?」
「はい……」
「でも、今は追及するのをやめましょう」
「信じてくれますか?」
「ええ」
(あの姿を見た後ですからね……)
アルスは滴る水を髪ごと掻き揚げてから話を続ける。
「この作戦――じゃなくて、セグァン達の作戦というのは、僕達奇襲部隊を全滅させてから、トルスティさん達を後ろから挟み撃ちにして全滅させるものなんです」
「挟み撃ち?」
「セグァンの話が本当なら、トルスティさん達は岩で道を塞がれていたはずです」
トルスティの目が鋭くなる。
「話に信憑性が出てきました。道が塞がれていたのをアルス君が知っているはずはありませんからね。それで、挟み撃ちにする、もう一方の敵は?」
「同じ本隊に居る新政権派の魔法使いです」
トルスティの目が怒りで妖しく光る。
「……そういうことですか」
(汚い方法を使います。そのためにハンターの方々を皆殺しにする計画とは……)
トルスティは怒りで逆に冷静になると、アルスに頼む。
「この話は他言無用で、お願いしていいですか?」
「……構いませんけど?」
「今の話からすると、新政権派の連中は盗賊団が全滅しているのも知りませんし、セグァンがアルス君に計画を話してしまったことも知りません」
「はい」
「まず、新政権派の部隊長の様子を見て、セグァンの言ったことが本当か確かめます」
「どうやってですか?」
「簡単です。盗賊団のやられた現場を見せればいいのです。動揺、言動、反応、それらを具に観察すればいいのです」
「そういうことですか……」
「そして、確証が得られれば知らないフリを決め込みます」
「僕もですよね?」
「お願いします。何も知らないと思い込ませて、油断している間に部隊長の後をつけて、仲間と計画の証拠を掴みます」
「騙し騙されか……」
「え?」
アルスは遣り切れない顔で話す。
「セグァン達は、トルスティさん達がこの作戦を嫌がらせの任務だと思い込ませるために、執拗に嫌がらせを繰り返していたとも言っていました。実際、トルスティさんやミストの言葉には『いつも通り』というような雰囲気が漂っていました」
トルスティは大きく息を吐く。
「舐められたものです」
「そんな簡単な言葉で済ませられることじゃないです」
アルスの視線は厳しかった。
「この国のイザコザのせいでリース達の人生が狂わされて、ユリシスは重体なんです」
「……申し訳ない」
「それに一歩間違えば、皆殺しに遭っていたのはトルスティさん達です」
「そうでした……。アルス君が居なければ、私達は――アルス君?」
トルスティの話の途中でアルスは顔を右手で覆い、一呼吸あけて胃の内容物を吐き出した。
「アルス君!」
「僕が皆殺しにしたんだ……」
アルスの頭の中にはバーサーカーとなって暴れた記憶が鮮明に蘇り駆け巡っていた。人を潰した感触、人を引き裂いた感触、余りに人らしくない殺し方を続けた。
「あんなこと……。人のすることじゃない……」
ユリシスの重体を思い出し、重要度から一時的に普段の自分を取り戻しただけで、事実は何一つ変わらず、ただの暴力を振るい続けた真実だけが残ってしまった。
「僕は……。僕は……」
アルスは、再び精神を崩壊させ始めた。今度はトルスティの言葉も耳に入らず、目からは涙が溢れ続けた。
「僕は最低なことをした……。人の尊厳を自ら捨てたんだ……」
トルスティは、今度は何も言えず、何も出来なかった。アルスはユリシスと自分達のために、無理に自分を取り戻すことを優先させた。だから、再び落ち込むことも壊れることも許さないなどということは出来なかった。