夜――。
テンゲンのところへアルスが訪ねて来ると、アルスは正座し背筋を伸ばす。そして、体を前に倒し、肘を90度に曲げ、頭を畳に擦りつけた。
「すみませんでした!」
その完成された美しい謝る姿勢を、人は『土下座』と呼んだ。
「キリ様から話は聞きました! エリシスを筆頭に数々の無礼を!」
テンゲンはアルスを見て、可笑しそうに笑っている。
「怒ってはいない。顔を上げよ」
アルスは、ゆっくりと顔を上げると再度謝る。
「本当に申し訳ありません」
「最初は吃驚したがな。直に慣れさせられた」
「やっぱり、リース達に頼むんじゃなかった……」
猛省するアルスに、テンゲンは笑いながら話し掛ける。
「そう気に病むな。あれは、中々いい体験だった」
「あんな失礼なことをされて、何か収穫があったんですか?」
「アルス殿の苦労が分かったな」
アルスにズーンと黒い影が落ちた。
「しかし、いきなり土下座とは驚いた」
「お爺ちゃんに、何かの役に立つかもしれないと教え込まれました」
「土下座なんて教え込むより、他に教え込むことがあっただろうに……」
「僕も土下座を覚えていて良かったと思う日がくるとは思いませんでした……」
(この少年は、これからもあの娘達のために頭を下げる気がするな……)
それ以外にも、本日、付き合わされた数々の出来事がテンゲンの頭を過ぎる。
「アルス殿は、よく耐えられるな?」
「リース達のことですか?」
「正直、吃驚したからな。いきなり、私を呼びつけて王都の甘味処を回らされるとは思わなんだ」
アルスは複雑な表情で答えを返す。
「あ~……。あの強引さは、お爺ちゃんに通じるところもあるんで、その経験が活かされたとしか言えないですね。僕も子供のままじゃないんで、心の許容範囲が広くなったんじゃないかと……」
「心の許容範囲内なのか?」
「はい。ちゃんと許容範囲が決壊すれば、僕だってキレます。先日もキレたばかりです」
「アルス殿を怒らせるというのは、そうとうな荒行な気がするのだが?」
「エリシス達に脱がされそうになりまして……、プチッと」
「アルス殿が襲われたのか?」
「……あの双子は何処かのネジが外れているので、時々、暴走するんです」
(凄いな……)
テンゲンは、ますます同情の念を強くする。
「とりあえず、リース達にはグーを入れておきました」
「はは……。いい父親をしているな」
「出来れば厳しめの母親も欲しいと思います」
テンゲンは声をあげて笑った。
「こんなに笑ったのは久しぶりだ」
「笑って許して貰えるなら、僕は大助かりです。国の一番偉い人に粗相を働いたんですから」
「思い出すと笑いが込み上げる。梅干しを食べてゲンナリしたら、私に器を差し出して『あげる……』だからな」
「本当に申し訳ありません!」
アルスは、再び畳みに頭を擦りつけた。
「気にせずともよいと、言っているだろう。その三人の姿を見て、キリは可笑しそうに笑っていたのだ」
「第三者の立場で見れば楽しいかもしれないけど……。僕は、寿命が縮む思いですよ……」
テンゲンは一頻り笑い終わると、静かに話し出す。
「しかし、あの三人が自由で居られる理由も分かるな」
「自由な理由ですか?」
「ああ。戦うことが直ぐ隣にあるような世界なのに、実に奔放で楽しそうだ。御主を信頼しているからだろう」
「信頼……ですか?」
「動きを見れば、節々に戦うための歩法や身のこなしが見え隠れする。あの子達は普通の女の子に見えるが、人も殺しているのだろう?」
「……はい、残念ながら」
「人を殺すということは、少なからず自分の中の大切な何かを失うことだ。それを失ってから新たに足を踏み出すのには時間が掛かる。それをあの子達は既に終えて、歩き出している。それは御主が支えてあげたからではないか?」
「支えてあげたのはリースだけです。エリシスとユリシスは出会った時に、既に自分達で歩き出していました」
テンゲンは腕を組む。
「果たして、そうかな?」
「違ってますか?」
「私は、御主達が一緒に居ることで、また強固な支えを作って、その後ろで三人を支えているのがアルス殿であると感じたのだがな」
「……そうかな? 歩み出したところは始まりでしかなくて、継続して支え続けるなら、僕達が出会った先で強いものになっていくとも考えられるか」
「うむ」
「だとしたら、僕も三人に支えられているんでしょうね。あの三人には、何か得体の知れない力を感じますから」
「ああ、私も感じた。グイグイと押される感じのものだろう?」
「はい」
「そして、あれがキリの未来像かと思うと恐怖も感じるがな……」
アルスはクスリと笑いを漏らす。
「お爺ちゃんの若い時のテンゲン様の娘のキリ様は、相当エリシスに近い性格だったという印象を持ちましたけど?」
テンゲンが膝を打つ。
「聞いていたか?」
「はい」
「あの方は、くノ一ではなく政治的な方で手腕を発揮されたのだが、知っての通りの性格でな。大変に手を焼かれたようだ」
「だけど、悪い噂はないんですよね」
「そうなのだ。確かに周りを巻き込むことをしているのだが、その力強さに引っ張られて大きな発展を遂げている」
「不思議ですよね。男の人がやると傲慢に見えるのに、女の人がやると笑って済ませられるって」
「本当に……。時代は、女が動かすものになったのか」
「毎日、痛感してますけどね」
「今日、痛感したよ」
テンゲンとアルスは笑い合った。
「こんなに歳が離れているのに、アルス殿のような少年と長話が出来るとは不思議なものだな」
「僕も、一国の王様と話しているのが信じられません。でも、その間を繋いでいるのがキリ様とリース達なんですよね」
「不思議な縁だな」
「はい」
テンゲンは少し姿勢を直す。
「ところで、武器造りは捗っているか?」
「少し違う方向になってきました」
「ん?」
「ドラゴンテイルの職人達との合作になりそうです」
「ほう……」
「キリ様のために黄雷石を使用することになって、火炉を新しいものにしたんです。その時、職人達に手伝って貰って、一緒に火炉を造ってから、キリ様のためにと力を合わせるようになりました」
「御主にも、十分と得体の知れない力が備わっているではないか」
「はは……。リース達のが伝染したのかも」
アルスは笑って誤魔化すと、話しを続ける。
「今日までで火造りまで終えて、小太刀の形まで出来ました。明日から、鞘と柄の作成、焼き入れのあと、刀身の研ぎ、そして、茎(なかご)の細工です」
「茎の細工?」
「鞘と柄の作成と刀身の研ぎは、ドラゴンテイルの職人にお任せしました」
「刀身の研ぎこそ、御主の技量が必要なのではないか?」
「お爺ちゃんの基本になっているのはこの国の職人ですから、僕の技術と変わらないんですよ。それに火造りで刀身のイメージは、皆と共有してあります」
「そうなのか」
「はい。だから、重要な茎の細工を行なうんです」
「一体、何をするのだ?」
「月明銀を使って、刀身と柄を繋ぎます」
「まさか、伝説の武器に使われている……!」
アルスは頷く。
「その技術の応用です。使い手が柄から魔力を送り込み、刀身に黄雷石の特性を利用した電気を発生させます。斬られた相手は、刀身が触れている間は感電するはずです」
「その技術……、一体、何処で?」
「お爺ちゃん経由です」
「やはり、イオルク殿か」
「色々と応用していたみたいです」
「もしかしたら、送られて来た武器の幾つかも……」
「使っているかもしれませんね。装飾の中に月明銀の細工を隠しているかもしれません」
「道理で、いくら研究しても差が分からないはずだ。職人の話では材料に関しても研究していたようだし」
納得したテンゲンに、アルスは聞き返す。
「僕の話から聞いたんですか?」
「ああ。出来れば、更なる技術の向上を目指してな」
「やっぱり、そういう視線だと思いましたよ」
テンゲンはアルスを見据え、どっかりと胡坐を掻く。
「この国に技術を落としていく気はないか?」
その誘いにアルスは、直ぐに答えを返した。
「やめておきます。お爺ちゃんの技術は他言禁止のものもあるので、僕が教えることは出来ません。だから、僕が使う技術は伝説の武器に使われた王族なら知っている技術までです」
「伝説の武器の技術が使われたものなら、その武器に文句をつけることも出来ないな。しかし、それが新しい技術ということにはならない」
アルスは笑みを浮かべる。
「お爺ちゃんと同じことをすればいいじゃないですか。利用できる技術を使用するだけです」
テンゲンは顔の前で片手を振る。
「あんな莫大な金の掛かる技術を使えるものか。緊急時に本を引っ張り出して、国を挙げて一振り造るのがやっとだ」
「今回、それを低予算で使ってますけど?」
「それが例外なのだ。あの技術を体得している者が居たのがおかしい」
アルスは笑っている。
「実際、お爺ちゃんは財産と呼べるものは残してないし、全部、技術習得に費やしちゃったんですよね」
「御主に遺産として残せば莫大な富が残っただろうに」
「僕を養子に取るとは思わなかったから、お爺ちゃんは財産を残すなんてことを考えてなかったと思いますよ。あの世にお金なんて持っていけませんし、残していても意味ないですからね」
「本当にイオルク殿は、自分のしたい生き方をした感じだな」
「同感です」
アルスは、ゆっくりと立ち上がる。
「そろそろ戻ります」
「もう少し話したいと思ったのだがな」
「多分、今日はお疲れだと思うので、ゆっくり休んでください。僕は寝る前に、もう一度、お灸を据えますんで」
「ほどほどにな」
「ほどほどで効けばいいんですが……。では、失礼します」
アルスは、一礼するとテンゲンの部屋を後にした。
「アルス・B・ブラドナーか……。イオルク殿は面白い息子を育てたものだ」
テンゲンは一人、笑い声をあげると、使いの者に寝支度の準備を頼んだ。