翌日――。
アルスは職人達と黄雷石の玉鋼状の錬成を行なうことになった。火力を補うため、リースとユリシスが火炉に風を送り込み、アルスのレベル1の火属性の魔法と燃料が燃え上がる。火炉は火炎で猛り狂い、予想以上の火力に職人達から歓声が上がった。
そして、必要以上の火力のため、途中から風の送風はアルスの魔法と鞴(ふいご)で送ることになり、ここでリースとユリシスは御役御免になった。
「時間が取れましたね」
「エリシスに前倒しになったって言わないと」
リースとエリシスは足早に与えられた部屋へと急ぐ。
「ここ数日で、この国の着物にも慣れましたけど、リースさんは、どうですか?」
「いつも下は麻のズボンだったから、スカートを久しぶりに履いたみたいで落ち着かなかった。だけど、着慣れると、こっちの方が楽かな?」
「髪型と着物を合わせるのも楽しいですよね」
「そこにアルスがもう少し食い付いてくれると嬉しいんだけど……」
エリシスは苦笑いを浮かべる。この旅でアルスが淡白なのは嫌というほど分かっている。
「あの人、それで損している気もします」
「損?」
「旅仲間が女の子だけなんて、男としては贅沢な展開なんですよ」
「男同士だと花がないってこと?」
「もう少し露骨に言えば、わたし達が居るお陰で、おいろけ的なイベントが発生するということです」
「女の人の裸を見慣れたアルスにおいろけのイベントが発生しても……」
「何のリアクションもしないで流すでしょうね」
「女の魅力でアルスを落とすことは出来るのかな?」
「出来なくはないと思いますが、わたしは、もう少し時間を置いて思春期の真ん中に入るのを待つべきだと考えます」
「その時は、ユリシスの貞操も危ないんじゃないの?」
「遅めの体験というのも女としては如何なものかと思うので、初めてはアルスさんでも――」
「不潔……」
リースはジト目でユリシスを見た。
「リースさんが言わせたんじゃないですか」
「そういう話に持っていくのって、ユリシスが多いよね? エリシスはユリシスに知識を与えられたんじゃないの?」
ユリシスは顎に手を当て考える。
「どうですかね? 双子だったせいか、遊ぶ時の行動は一緒でしたから」
「同時に変な知識を蓄えてたの?」
「多分。でも、わたし達の話にリースさんも興味を示してるじゃないですか」
「そんなこと言っても……。私も男の子に興味あるもん……」
「リースさんたら……ふ・け・つ」
「ユリシスが言わせたんでしょ!」
ユリシスは、手でリースを制す。
「まあ、年頃の女の子が三人も居て、こういう話にならないのも少しおかしなことです」
「そうなの?」
「男と女が居る以上、違いがあれば興味を持つものです。重要なのは、その知識を変な風に理解して変態にならないことです」
「誤魔化してない?」
「いいえ、正論です。何の知識もないまま、ある日、見知らぬ男の人に誘われて、着いて行ってしまったら、どうするんですか? 知識があれば男の一面に狼があることも分かるので、何の気もなしに着いて行くということはしません」
「そう言われると正しいうような気になってくる……」
「だからこそ、好奇心と知識を共有して、わたしと姉さんはリースさんのために一肌脱いでいるのです」
「あれに、そんな深い意味があったの?」
「はい。そのお陰で、リースさんは不純異性交遊などをしないで健全な生活を送れるのです」
「ふ~ん……」
「一応、リースさんよりお姉さんですし、ちゃんと制限を付けて知識を解放しているつもりですから、安心してください」
「それ、今日、会う女の子にも教え込むの?」
「それはダメでしょう……。いくらなんでも……」
「じゃあ、私が解禁された理由は、何だったの?」
「面白そ――ではなく、年齢的にそろそろと思ったからです」
(今、『面白そうだから』って言おうとした……)
『おいろけ関係の知識の先生をエリシスとユリシスにしていいのだろうか?』と、リースは溜息を吐く。
そして、辿り着いた自分達の部屋。
「お待たせしました」
「終わったよ」
エリシスは、ゆっくりと立ち上がる。
「じゃあ、行きましょうか? お姫様のところ」
リース達三人は、キリのところへ向かうことになった。
…
アルスに聞いていたため、リース達はキリの部屋の場所を知っている。そのため、案内する者はなく、初対面は本人同士ということになる。
「こんにちはーっ!」
勢いよく開く障子の扉、元気に響く声、挨拶されているのに何故か作法を無視される登場。
キリは吃驚したまま固まった。
「あれ? 部屋間違えた? あんたがキリって子でしょ?」
「は、はい……」
ユリシスがエリシスを突っつく。
「姉さん、驚いてます」
「そうだよ。ノックもしないで」
「この扉、紙じゃない。ノックしたら破けるでしょ?」
「外から声を掛けて頂ければ……」
「ああ、それでいいのか」
エリシスはケラケラと笑っている。
「あの、その……。アルスさんのお子さんですか?」
「私は、そうだよ」
「あたし達は違うわよ」
「では、貴女がリースさんで、そちらがエリシスさんとユリシスさん?」
リース達は頷く。
「慣れるまでは間違えて名前を呼んでもいいわよ。今は髪型同じで服も同じにしてるから」
「はい……」
(多分、仕草と言葉遣いで見分けられると思う……)
エリシスは少し考える。
「相手しろって言われてたけど、この子も連れて行けばいいんじゃない?」
「勝手な外出は禁じられています」
「ハァ⁉ 何それっ⁉ 馬鹿じゃないの⁉」
「馬鹿……」
(エリシス、お姫様でも関係ないんだ……)
(初日は我慢できてたのに……)
エリシスは溜息を吐く。
「じゃあ、いいわよ。あたしが許可を取ってあげるから」
「はい?」
エリシスは入って来た障子を開けて叫ぶ。
「ちょっと! 誰かテンゲンさん呼んで!」
エリシスの声は屋敷中に響き、場所がキリの部屋だったこともあり、緊急事態かと直ぐにテンゲンの耳に入った。
暫くするとテンゲン自らが姿を現わした。
「どうされた?」
「あのさ、町に行きたいんだけど」
「……は?」
「この子、連れ出すから許可ちょうだい」
開いた口が塞がらないとは、このことだろうか……。
テンゲンは、暫く何も言えなかった。
「どうしたのよ?」
「……異国の者よ。キリは姫という役ゆえに、危険なところに外出させることは出来ないのだ」
「何言ってんの? 王都を回ったけど、危険なんてなかったわよ」
「それは、御主がこの国で重要な人物ではないからだ」
「だったら、護衛を付ければいいじゃない。この国は貧相な護衛しか居ないわけじゃないんでしょ?」
「当然だ」
「ん? ちょっと、待った」
テンゲンは、もしかして自分が失礼なことを言っていることにエリシスが気付いたかと思ったが、エリシスがそんな思考回路を持ち合わせているはずはなかった。
「あんた、着いて来なさいよ」
テンゲンは自分を指差す。
「確か、一番強い奴がテンゲンを名乗るんでしょ? だったら、あんたが着いて来るのが一番安全じゃない」
「いや、しかし……。仕事もあるし……」
「っなもん、後回しにしなさいよ。あんた、この子とちゃんと出掛けてるの?」
「ここ数ヶ月は――」
「だったら、今日ぐらい付き合いなさいよ。十五分で用意しなさい」
「は?」
「グズグズしない!」
「……あ、はい」
テンゲンは勢いに飲まれて返事をしてしまった。
「ほら、キリも用意する!」
「キリ……?」
(呼び捨て?)
テンゲンもキリもポカーンとしている。
「早くしなさいよ! 今日は王都の南側に行くんだから!」
「「はい!」」
テンゲンはキリの部屋を飛び出し、キリは余所行きの着物に着替え始める。
キリの部屋の外で、テンゲンが首を傾げる。
「何で、客人に命令されたのだ?」
訳の分からないまま、テンゲンはエリシスの命令に素直に従ってしまった。
…
王都の南側に向けて、リース達とテンゲンとキリが歩き出す。
お忍び用の一般人の着物に袖を通し、テンゲンとキリはリース達の後ろを歩きながら話す。
「何か妙な流れになったな……」
「ええ……」
目の前では、キャッキャッと騒がしい三人娘。黒髪基準のドラゴンテイルで、ひと際目立つリース達の髪。明らかに違う国からの来訪者なのに、長年居続けたように闊歩して歩く。
エリシスが振り返り、テンゲンに質問する。
「王都の南側は、何が美味しいの?」
「え? さあ?」
「あんた、本当にこの国を治めてんの?」
「申し訳ない……」
キリはテンゲンをあんた扱いするエリシスを見て、『彼女は、一体、どんなに偉いのだろうか?』と思ってしまう。しかし、エリシスは由緒正しい一般人で、偉くも何ともない。性格や取ってる態度が偉そうなのだ。
「じゃあ、あたし達の独断で進むわよ」
「構わないが、何処に向かっているのだ?」
「この町の店の配置は大体把握したわ。こっちに行けば、甘味処があるはずよ」
「父上より詳しいですね……」
「彼女達は、何をしてたのか……」
やがて、エリシスの言った通りに瓦屋根の商店の一角に甘味処が目に入る。
「予想通りね」
「さすが、姉さん」
「今日は、何食べようか?」
エリシス達がズカズカと先に店へと入ると、残されたテンゲンがキリに話し掛ける。
「こういうところに入ったことはあるか?」
「初めてです」
「実は、私もだ」
中々入って来ないテンゲン親子に、エリシスが怒鳴る。
「早く! あたしの奢りなんだから、さっさと来なさいよ!」
エリシスの手に握られているのは、テンゲンが初日に与えた許可証だった。
「あれ、私が与えたものなのだが……」
「何で、エリシスさんの驕りに……」
妙な気分のまま、テンゲン親子は甘味処の店の暖簾を潜る。
「来た来た、こっち!」
エリシスの手を振る席にテンゲン親子が座ると、エリシスが注文を頼む。
「とりあえず、餡蜜五個!」
「は~い」
店の奥で返事がすると、エリシス達は御品書きを手に取る。
「好きなの頼んで」
「いつも、こんなことをしてたのか?」
リース達が頷く。
「ドラゴンテイルを舐めてたわ。ここの食べ物、凄く美味しいのよ」
「特に甘味物が」
「全部のお店のメニューを制覇するの」
「……全部?」
テンゲンの視線がキリに向かうと、キリは苦笑いを浮かべる。
「姉さん! この食べ物! 初めて見る名前ですよ!」
「本当?」
「こっちにもあった!」
「じゃあ、それも追加!」
テンゲンは不思議な光景を見たあと、キリと御品書きを見る。
「どれにしようか?」
「さっき、餡蜜を頼みましたけど?」
「何か、あれを見ていると頼まないのが間違いな気がしてきて……」
リース達は何かを話しながら、仕切りに御品書きをチェックしている。
そして、運ばれて来た餡蜜。
「「「いただきま~す!」」」
パクンと一口。
「美味しい!」
「これは期待できますね!」
「新しい出会いの予感!」
テンゲン親子も呟くように『いただきます』と言うと一口含む。
「甘い……」
「美味しいな……」
キリの顔が嬉しそうな笑顔になると、テンゲンは、その顔を見て頬を緩ませる。
「追加の決まった?」
エリシスの言葉にキリが首を振ると、リースが御品書きのいくつかを指差す。
「これとこれとこれとこれとこれが、今のところ、私達のお気に入り」
「美味しいのですか?」
「これとこれが果物系、これが餡子系、これとこれが甘い蜜が掛かってるよ」
「どれにしましょうか?」
キリの問い掛けに、テンゲンは微笑む。
「全部、頼んで貰いなさい」
「いいのですか?」
「ああ」
エリシスが付け加える。
「同じのを頼まなければいいのよ。全部食べるとお腹が膨れるから、一品ずつ頼んで皆で一口ずつ。気に入ったのがあったら、あとで一品頼む」
「行儀悪くないですか?」
「女の子同士の付き合いは、こんなもんよ。それに――」
エリシスの視線はテンゲンに向かう。
「――今日は大人も居るから、食べ切れなければ処理してくれるわよ」
「何っ⁉」
「期待してるわよ。特別にアルスのポジションを提供してあげるんだから」
「…………」
テンゲンはアルスに凄い同情心が芽生えた。
その後、新メニューと定番メニューが運ばれ、それぞれ試食開始。色々と点数をつけながら、最後の新メニューをリース達が口に含んだ、その時……。
「ハズレた……」
「これはキツイですね……」
「時々、知らない調味料に当たるんだよね……」
エリシスが新メニューの載った器をテンゲンの前に持っていく。
「あげる……」
「これがアルス殿の役目か……」
アルスへの同情心は強くなるばかりだった。
ちなみに、この国の人間のテンゲンにとって、新メニューに使われていた梅干しは苦手にするものではなかった。
…
その後も、あっちこっちと連れ回され、テンゲンは一日の仕事をこなすより疲れた気分だった。それでも、リース達と一緒になって走り回るキリを見ると、悪くない気分になっていた。
キリに手を引っ張られ、ついつい頬が緩んでしまう。
「これで、王都の店は制覇したわね」
エリシスは満足気に腰に手を当てている。
「御主達は、旅の最中もこんなことをしているのか?」
「時々よ。アルスが鍛冶屋の仕事をしている時の時間潰しにね」
「だとすると、さっきの私の役目は成立しないのでは?」
「あからさまな危険な名前のメニューは、アルスが居る時に頼むのよ」
「可哀そうだな」
「でも、アイツは、あたし達が調べ上げた美味しいものを食べれるから得してんのよ」
「過負荷なしか」
「そいうこと」
テンゲンは少し疲れたと近くの椅子に腰を下ろすと、その隣にキリも座る。
「この都は、とても広かったのだな」
「知りませんでしたね」
「そして、こんなにもいい場所だった」
「わたし、また来たいです」
テンゲンはキリの頭に手を置いた。
「今度は、母上も誘おう」
「本当ですか?」
「町を視察するという名目でな」
「視察の見方も変わりますね、きっと」
「そうだろうな。あの子達に連れ回されて、この国の民の暮らしや商売が分かった気がする。この国を治める者が、この国の民の暮らしを知らないのはおかしなことだと思わされたよ」
「ふふ……。エリシスさん達の方が詳しいですものね」
「ああ。それにあの子達が笑っているのを見て、キリが笑っているのを見て、大事なことを思い出した」
「大事なこと?」
「キリの本当の笑顔を思い出した。少し過保護に守り過ぎた」
「父上……」
「女の子は弱くないと思い知らされたよ」
テンゲンの言葉に、キリは笑って返した。確かに言葉では表せない強さをリース達は持っているようだった。