次の日も、アルスは鍛冶場での仕事。リース達はドラゴンテイルの王都の探険をすることになる。
鍛冶場では職人達がアルスの技術を目で追うが、一向に自分達との差は見分けられない。全てが自分達の技術と変わらないように見える。そして、この日も、何の違いも確認できないまま、鍛冶場の仕事は終わりを迎えた。
アルスは鍛冶場での仕事を終えると、昨日と同じように風呂で汗を流し、キリの部屋へと向かう。ただし、今日は、昨日の夜に作製した猫のぬいぐるみを手土産にしている。
使いの者なしでキリの部屋へ訪れたアルスは、昨日の使いの者に倣って『アルスです』と声を掛けた。
「待っていました。入ってください」
キリのお許しの声が掛かると、アルスは障子の扉を開ける。
「こんにちは。昨日、言っていた猫」
アルスが猫のぬいぐるみをキリに見せると、キリは笑顔を浮かべてアルスのところまで走って来た。
「愛らしい……。さ、触ってもいいですか?」
「キリ様のために作ったんだ。貰ってくれると嬉しいな」
「く、くれるのですか?」
「どうぞ」
「ありがとうございます!」
キリは猫のぬいぐるみを抱きしめ、手で柔らかさを実感する。
「本当に愛らしい……」
「本物の魅力には敵わないけど、これはこれでいいでしょう?」
「ふわふわしています」
「生地に拘りました」
アルスはぬいぐるみを持つキリの手を見詰め、この小さな手がどのように成長するのか想像する。そして、思い出されるのはリースの手。あの手が人を傷つけてしまったこと。
「キリ様はくノ一という職業に就くことを、もう理解していますか?」
キリはぬいぐるみを抱きながら答える。
「正直、理解していません。でも、わたしの役目だということは理解しています」
「そうですか……」
「どうしたのですか?」
「僕はキリ様の歳のくらいは、魔法使いになると思っていました」
「それが今は鍛冶屋だというのだから、分からないものですね」
「はい」
「ところで……。どうして、そのようなことを?」
「鍛冶屋の仕事もそうですが、これから辛いこともあります。キリ様の道は、僕なんかより、ずっと険しいものだと思います。だから――」
キリは首を傾げる。
「――だから、今は楽しい思い出を作りましょう」
「変なことを言いますね? それと、敬語に戻っていますよ?」
「あ、ごめん」
キリは小さく笑うと、ゆっくりと目を伏せる。
「アルスの気遣いは分かっています。父上も同じことを悲しんでいました。この手が戦いに使われ、血で汚れてしまうかもしれないのですよね」
「そこまで知っていたのか……」
「分からないことだらけで、これから分かることも多いと思います。だけど、もう決めました。わたしは、父上に従って行こうと」
アルスは少し真剣な顔になり、話を続ける。
「テンゲン様は何も分からない子に、ただ武器を造って与えるなんて出来なかったんだな……。そこまで考えているなら、少し安心したよ」
「安心されましたか?」
「うん。きっと、辛い時が来た時は、キリ様のお父さんが支えて守ってくれると思えた」
「父上に、そういう印象を持って貰えて嬉しいです」
アルスは背筋を伸ばして正座する。
「キリ様は、どのような武器が欲しいですか?」
「生憎、武器の種類には詳しくなくて……」
「武器でしたいことでも構いませんよ」
「武器で?」
キリは少し考え込むと答えを出した。
「父上の隣に居たいです。わたしが父上を守って、父上がわたしを守る。そして、願わくば、皆を守れるくノ一になりたいです。わたしの武器はそれを手助けしてくれる――力を貸してくれる武器がいいです」
「守れる武器ですか……。僕がキリ様に考えていたのは、クナイ、脇差、小太刀、短刀のこの四つ。クナイは、斬る投げるの両方を使えるもの。脇差は、刀と添え差しで刀を小さくしたようなもの。小太刀は、刀と脇差の中間のもの。短刀は、嫁入りに持たせることも出来る着物の内に携帯できるもの」
「刀が省かれているのは?」
「女の人の体の大きさを考えて、邪魔になると判断したから」
「では、わたしには何が相応しいと思ったのですか?」
「最初は脇差。でも、今は小太刀だと思ってる」
「どうしてですか?」
「守るなら脇差よりも小太刀の方がいい……。そう思ったから」
「小太刀……」
「多分、成長したキリ様が扱える武器で、一番長いのがこれだと思う」
「わたしに扱えますか?」
「話してくれたことをしっかりと忘れなければ」
「……頑張ってみます」
アルスは右手の人差し指を立てる。
「あと、一つ細工を入れようと思うんだ」
「細工?」
「そのためには、キリ様が呪符を扱える必要もあるんだけど……」
「父上の教育の必須事項に入っています」
「なら、安心だ」
アルスは右手を差し出す。
「手を貸して」
キリはアルスの右手に右手を添える。
「硬い掌……」
「おじいちゃんと頑張ったんだ」
「努力した証ですね」
「下手っぴの失敗した積み重ねでもあるんだけどね」
キリはアルスの言葉を可笑しそうに微笑む。
「こういう指の形か……」
アルスはキリの右手が大きくなったことを想像する。自分の右手を比較対象に、女の子だから一回り小さい大きさ。
「キリ様、大女になんかなりませんよね?」
「アルスの手より大きくなるかってことですか?」
「うん」
「母上はアルスの手より小さいですよ」
「じゃあ、それを素に想像します」
アルスはキリの手を大きく想像し、握り込む柄をイメージする。
「大体、このくらいか……」
キリにはアルスの見ているものは見えない。しかし、真剣に眺めている目を見ると、確かに何かが見えているような気がした。
「明日から造ります」
「鍛冶場の修行はいいのですか?」
「どうも、こっちよりもあっちの方が興味を持っているみたいだから、切り上げることにします」
「こっち? あっち?」
キリの言葉に、アルスは微笑む。
「こっちの話だよ」
「よく分かりませんね」
キリもアルスに微笑んで返す。
「今日は、何をしますか?」
「僕の用件は終わったけど、暇なら、毎日、通いますよ」
「毎日、通ってください」
「では、今日は何をしようか?」
「わたしが聞いたのに」
その日から、キリはアルスが来るのを楽しみに待つようになった。
…
夜――。
アルスは部屋で裁縫をしていた。
「チクチクチクチクチクチク……。あんた、何やってんのよ?」
「何で、この部屋に全員集合してんの?」
「暇だからよ」
「暇だからです」
「暇だから」
アルスは溜息を吐く。
「君達、今日も遊んできたんじゃないの? 暇を潰してきたんでしょう?」
「今日も、まだアルスで遊んでない」
「昨日と同じく、おかしな表現をしないでくれ」
アルスは溜息を吐きながら、犬のぬいぐるみを作っていく。
「あんた、鍛冶屋をやめて玩具屋にでもなる気?」
「気に入ったみたいなんだ」
アルスは積まれた生地の一つをエリシスに渡す。
「何これ?」
「手伝ってくれない?」
「は?」
「あと、兎と熊と亀と鶏とヒヨコを作らないといけないんだ」
「どうして、あんたが頼まれるのよ!」
アルスは軽く笑う。
「エリシスも分かっているだろう?」
「何をよ?」
「僕が頼まれたら断われない性格だって」
「……へたれ」
「誰のせいで断われなくなったと思うんだ……」
「あたしのせい?」
アルスは頷いた。
不満顔のエリシスの横でリースとユリシスが座り、生地を持った。
「何やってんのよ?」
「このパターンは、わたし達も含まれるパターンです」
「被害が大きくなる前に手伝うのがいいと思う」
「被害って……。分かったわよ。でも、問題があるのよね」
リース達の目がアルスに向かった。
「「「裁縫できない(ません)」」」
「教える方が時間掛かるなんてことにならないよね……」
それから、アルスの裁縫教室が始まった。