夕方――。
鍛冶場での仕事を終え、風呂で汗を流したアルスは、テンゲンの四つになる娘と面会することになっていた。
案内された一段階豪華な部屋の前で、アルスを案内した者が障子の前で声を掛けた。
「キリ様。昨日、御話ししていた方が御見えになりました」
「は、入ってください」
中からは、少し緊張した声が響く。案内した者は、『どうぞ』と声を掛けると、その場を後にした。
アルスは、そっと障子に手を掛ける。
「お邪魔します」
中に居たのは綺麗な黒髪の小さなお姫様だった。お姫様の女の子は、ここで働いている者達とは明らかに違う艶やかな着物と金の簪が目につく。
そして、少し緊張した面持ちで正座して、アルスを迎え入れてくれた。
「く、寛いでください」
「はい……」
アルスは小さなお姫様の前に正座する。
「アルス・B・ブラドナーです」
「キリです」
「その名前も代々継いでいるものなの?」
「なの? 敬語じゃない……」
「ごめん、敬語の方が良かったかな? 小さな女の子に敬語って怖いかと思って」
キリは頬を緩める。
「誰かが居る時は、敬語で。でも、わたしと居る時は、普通の言葉でお願い出来ますか?」
「分かりまし――じゃなくて。うん、分かった」
「感謝します」
「早速だけど、僕の役目を聞いてる?」
「わたしに武器を造るためと聞いています」
「うん、そう」
キリは目を伏せる。
「正直、がっかりしています。わたしに与えられるものは、そういうものばかり。本当は、もっと普通のものが欲しいのに」
「お父さんに不満があるの?」
「……少しだけ」
「趣味の範疇で楽しめるものがあればいいんじゃないかな?」
「趣味ですか?」
「うん。お父さんに貰うんじゃなくて、自分で手に入れるの」
「考えたこともありませんでした」
「まあ、お姫様っていうと、そういうイメージが強いかな」
キリは少し真剣に考えたあと、アルスに話し掛ける。
「アルス殿。趣味とは、どうすれば作れますか?」
「簡単だよ。自分の好きなものに結びつければいいんだから」
「好きなもの……ですか?」
「僕の娘達は、旅をしている間、町なんかの催し物に首を突っ込むのが趣味だね。アクセサリーなんかも集めていた時期もあったよ」
「今は集めていないのですか?」
「僕が造ったのを奪っていく」
キリは可笑しそうに笑った。
「少し分かった気がします」
「そう?」
「好きなものから連想するものを広げていけばいいのでしょう?」
「そんな感じ」
キリは目を閉じて両手を組む。
「わたしは動物が好きです。猫、犬、兎など」
「じゃあ、そういった動物に関するものを集めればいいんじゃないのかな?」
「絵とか小物とか……?」
「そうそう」
「集めてみます」
アルスはキリの部屋を見回すが、整理整頓された部屋が、ただあるだけだった。
「箪笥なんかに、私物があるの?」
「いいえ、生活に不必要なものはありません」
「そっか……。でも、あの花瓶なんかは部屋を飾るものでしょう?」
アルスの指差す花瓶を見て、キリは頷く。
「そうです」
「あれが猫の置物でもいいんじゃないかな?」
「さすがに、和室にその手のものは……」
「合わないか」
「はい」
「まあ、見えなければいいんだから、押入れの中に一箱分ぐらいの私物はいいよね?」
「その程度なら。この部屋は広いですし」
「じゃあ、キリ様の趣味の私物の第一号は、僕が作ろうか?」
「武器の類ですか?」
「ぬいぐるみ」
「何ですか? それ?」
「猫の形の布に綿を詰めるの」
「それで?」
「可愛いと思えれば、大成功」
「興味がありますね」
「面白そうでしょう?」
「はい」
アルスは右手の親指を立てる。
「じゃあ、絵を描いてみない? どんな猫がいいかな?」
「わたし、絵を描くの下手ですよ?」
「始めから上手かったら、絵師の人の仕事がなくて困っちゃうよ」
「ふふ……。そうですね」
キリは部屋にある小さな机に半紙を置き、筆と墨汁を用意する。
「色を付けられないのが残念です」
「出来た時の楽しみが増えていいじゃない」
「貴方は、何でもいい方に考えるのですね?」
「お爺ちゃんに教わったんだ」
「本当に不思議な方です」
キリは微笑むと、半紙に猫の絵を描き始めた。しかし、まだまだ幼い子の絵。頑張って描いてはいるが、少し線は歪に走る。
「本当は、もっと丸くなった猫を描きたいのですが……」
「じゃあ、こうしてみれば?」
アルスはキリの手を取って、猫の背を山なりに補正して描く。
「そう! こう描きたかったのです!」
「色は?」
「白と黒と茶の混ざったものです」
「小皿ありますか?」
「二枚なら」
「借りるね」
アルスは墨汁を一枚の小皿に入れ、水の量を調節する。
「僕が色を付けてもいいかな?」
「お願いします」
アルスは墨汁の濃度で、純粋な黒、暈かした黒を使い分けて三毛猫をイメージした着色をする。
「こんな感じの猫?」
「これです!」
「よかった」
「この絵を頂いてもいいですか?」
「構わないよ」
「これが、わたしの初めての趣味です」
「はは……。僕が作る前に第一号が出来ちゃったね」
「本当……。でも、これが出来たからって、作らないのはなしにしてくださいね」
「どうしよう?」
「えぇ……」
「冗談だよ」
「よかった……」
アルスは少しキリに同情する。幼いこの歳で、これだけの言葉遣い。ちょっとしたことで、一喜一憂するのは子供の反応そのもの。
(お姫様の宿命か……)
アルスは、この時だけは友達として接しようと思う。
(そういうの得意になったし……)
まさかのリース達に振り回された副産物だった。
…
夜――。
アルスは部屋で裁縫をしていた。
「チクチクチクチクチクチク……。あんた、何やってんのよ?」
「何で、この部屋に全員集合してんの?」
「暇だからよ」
「暇だからです」
「暇だから」
アルスは溜息を吐く。
「君達、久しぶりに遊んできたんじゃないの? 暇を潰してきたんでしょう?」
「今日は、まだアルスで遊んでない」
「おかしな表現をしないでくれ」
アルスは青筋を浮かべながら、猫のぬいぐるみを作っていく。
「何、作ってんの?」
「猫」
「猫? 何で?」
「相手が四歳の子だからね。物で切っ掛けを作ろうと思って」
アルスは縫い終わった外装をひっくり返し、中に綿を詰める。そして、綿を詰めた穴を縫って閉じると、ぬいぐるみは完成した。
「こんな感じ」
「本当に猫だ」
「器用な奴ね」
「ちょっと可愛いですね」
「可愛くて、当然。本物そっくりに作ったら、死んだ猫みたいで気持ち悪いじゃないか」
「そういうことを言ったつもりはないんですけど……」
ユリシスは項垂れた。
「実は、結構、いい布地を貰って毛並みも再現出来てる」
リースがアルスの持つ猫のぬいぐるみを撫でる。
「本当だ……。これ、欲しい」
「また? 何でもかんでも欲しがるのは良くないよ?」
「分かってるけど……」
「作っても荷物になっちゃうし」
「それもそうか……。猫を持って歩けないもんね」
「そうだよ」
アルスはリース達を見る。
「猫のぬいぐるみを作ったとして、リースが白、ユリシスが黒か」
「何で、わたしが黒なんですか……」
「あたしは?」
「……ピンク? 蛍光の」
エリシスのグーが、アルスに炸裂した。
「何で、あたしだけ実在しない猫になるのよ!」
「何となく思い浮かんだ……」
「馬鹿じゃないの!」
(何故かイメージは、そうなるんだよな……)
アルスは苦笑いを浮かべる。
「まあ、冗談はさて置き。これで、明日の準備は終わりだな」
アルスはぬいぐるみを隅に寄せる。本日の武器の鍛練は既に終了し、あとは、寝るだけの自由時間。
リースがアルスに質問する。
「お姫様って、どんな子だった?」
「エリシスよりも大人だった」
エリシスのグーが、アルスに炸裂した。
「どういう意味よ!」
「ああ、何となく分かった」
「わたしも」
「あんた達ねぇ!」
アルスは笑って答える。
「冗談だよ。普段、人をからかうクセに、偶にからかうと怒るんだから」
「あんたは、そういう宿命を背負っているでしょうが!」
「そんな大それたものを背負った覚えはないよ」
(大それてんのかな?)
アルスの答えに、リースは首を傾げた。
そして、エリシスを落ち着かせると、アルスは続ける。
「簡単に言うと、大人びてたってことだよ」
「四歳で?」
「お姫様だから、色んな人に顔を合わせなくちゃいけないんだ。きっと、言葉遣いから教育を受けているんだよ」
「そういうことか」
「だけど、中身は普通の女の子だから、普通に接しようとしただけ」
ユリシスが同情しながら感想を呟く。
「お姫様も大変ですね」
「物語で憧れるようなお姫様っていうのは少ないのかもしれないね。ところで、そっちはどうだったの?」
「結構、歩き回りましたね」
「全部を探検し終わってないけどね」
「美味しい茶店とか見つけちゃった」
「ちゃんと遠慮してよ」
「「「分かってる(ます)」」」
(分かってなさそう……)
アルスはリース達の動向が少し不安になった。
「ドラゴンテイルにも面白いものあったの?」
「あったよ。今まで許可証がなかったから、買い物も出来ないで分からなかっただけ」
「そうなんだ。今度、案内してよ」
「いいよ」
「そのためには王都の店を全て回り切らないとダメね」
「明日は、西側を回りましょう」
「何か真面目に仕事しないといけない気がしてきた……」
アルスは『許可証で支払われる額の成果をあげなければ』と密かに心に誓うのであった。