一騒動のあと、アルス達は港町を出発し、ドラゴンテイル一つ目の町を目指すことにした。時折見掛けるものは、イオルクとクリスが旅した時と変わらない木製のものがほとんどであり、からぶき屋根の家屋も瓦屋根の家屋も変わっていない。
「ここって、別の世界みたい」
「僕も初めて見るよ」
歩みを進め、少しずつ増えていく民家の数。いつの間にか目的の町に入っていたようだ。ただし、町というよりは、村という表現の方が合っている気がする。
しかし、この町はアルスの持つ地図には載っていない。長い時の中で、ドラゴンテイルの地理も変わっているらしく、イオルクが訪れた時にはなかった町が増えていた。
観察するように辺りを見ながら、エリシスが他の国との違いを零す。
「町を守るための壁もないのね」
「本当ですね」
「多分、金持ちが石の家で白壁で囲まれた家に住んで、それ以外が木で出来た長方形の集合住宅に住んでんのよ」
エリシスの言っている長方形の集合住宅とは長屋のことである。
エリシスは地図を持つアルスに、振り返りながら聞く。
「アルス、目的地は?」
「お店を見つけて買える――じゃなくて、物々交換できる店を探すつもり。お爺ちゃんの使っていた地図にない町に着いちゃった」
「うん十年前って言ってたもんね……。でも、地図なんて売ってるの?」
「人が生活しているなら、そういう店もあるんじゃないかな?」
「宿屋もあればいいんだけど」
「あれば利用したいね。宿屋の人から、この国の情報とかを知りたい」
「いいわね」
アルス達は町の中を探し歩くが、目的の店も宿屋も見当たらず、代わりに辿り着いてしまったのは大きな道場だった。
「何だろう? ここ?」
アルスが首を傾げていると、中から木の何かがぶつかる音が響く。
「練習場かな?」
「丁度いいじゃない」
「は?」
エリシスが前に出る。
「ここで腕試しをして行きましょう」
「え?」
エリシスはズカズカと先に進むと、道場の引き戸を勢いよく横に開けた。
「たのも~!」
「…………」
アルスが項垂れると、そのアルスの背中をポンとリースが叩く。
「いつものことだよ」
「もう、引き返せないですね」
「この流れを修正することは出来ないのか……」
アルス達は仕方なしに、道場の中へとエリシスに続いた。
…
道場の中に入ったエリシスは、『うっ……』と小さく呻き声をあげた。仮面を付けた四人の少年達が一斉にエリシスを見たためだ。
「あんた達、何て格好してんのよ?」
「我々は、この国のアサシンですから」
一人の少年の答えに『そうなの?』と答えを返したところで、アルス達が道場に現われた。アルス達、全員の目に仮面を付けた黒装束の少年達が目に映る。仮面を付けているため、顔から年齢は判断できないが、エリシスとユリシスより背が低く、リースより少し高いぐらいの身長から、各々リースと同じ位の子供だと判断した。
判断が終わると、エリシスが少年の一人に話し掛ける。
「ここって、この国の訓練場か何かなんでしょ? 先生とかは?」
「先生? 師のことですか?」
「ええ」
「我々は師の教えを離れ、既にアサシンとして活動をしています。この道場は、この地を守るアサシンの修行場です」
「じゃあ、あんた達がここを守ってるの?」
「そうです」
「信じられないわね」
アルスが予想を口にする。
「まだ新米なんじゃないかな? ここに来るまでは一本道だったし、訪れる者の少ない、ここら辺で経験を積ませているんだと思うよ」
「ああ、なるほど」
先ほどと同じ少年が質問する。
「御用件は、何でしょうか?」
その言葉に、エリシスが『そうだった』と思い出す。
「少し相手をしてくれない?」
「初めて見ますが、道場破りという人達ですか?」
「そんな大層なもんじゃないわよ。あたし達は自分達の力を試したいだけよ」
(その『達』には、僕も含まれているんだろうか?)
アルスは『含まれているんだろうなぁ……』と、心の中で溜息を吐く前で、エリシスとアサシンの少年が話を続ける。
「つまり、我々と手合わせしたいということですか?」
「ええ、そう」
「少し時間をください」
アサシンの少年は仲間のところに戻ると相談を始め、五分ほど話し合うと答えを返した。
「受けましょう。異国の戦士の力を経験させてください」
「よろしく、お願いね」
話はトントン拍子に進み、四対四の模擬戦をすることになってしまった。
…
いつもの強引な手腕で、あっと言う間に模擬戦までの約束を取り付けてしまったエリシス。道場で戦う順番も、相手の少年達と勝手に決めてきてしまった。
「一番はあたしで、棒術対決。二番目はユリシスで、魔法対符術。三番目はリースで、短剣対決。四番目はアルスで、何でもありね」
「僕だけ適当なんだけど?」
「あんた、何でも器用にこなすじゃない」
「基礎しか出来ないのに……」
「勝負は、先に三勝した方の勝ちね」
「聞いてないし……」
項垂れるアルスとは反対に、リースとユリシスは気合いの入った顔をする。ドラゴンテイルに入り、早速、目的の戦い方を拝めるのは願ったり叶ったりだった。
そして、一戦目が始まる。
「靴を履いてないってのは慣れないわね」
模擬戦は道場の磨かれた木の床で、裸足により行なわれる。エリシスは床での感触を確かめたあと、腰を少し落として棒を構える。相手の少年も、ほぼ同じ姿勢で鏡に移ったように向かい合った。
「始め!」
審判役を引き受けたアサシンの少年の合図で、エリシスは一気に間合いを詰めた。左足を支点に体が時計回りと反対に回転を始め、棒が相手のアサシンの少年に向かうと、それを見極めたアサシンの少年は半歩だけ右に移動した。
たったそれだけ……。しかし、その半歩で打撃点がずれる。エリシスの攻撃は、エリシスよりも歳の低い少年に受け止められた。
「だけど、エリシスはここから!」
リースは、このあとに来るエリシスの棒に打ち込まれる回し蹴りを期待して拳を握る。
だが、今度は少年が一歩だけエリシスの棒に向かい、スピードが完全に乗り切る前に棒を押し返して、エリシスと右足の衝突を早めた。
棒と右足がぶつかった時のエリシスの体勢はバランスが極めて悪い。アサシンの少年は攻撃を受けていた左腕にも棒を握らせ、しっかりとした両手持ちに変えると、棒の真ん中を肩幅と同じ程度で棒を押し出す力を加える。
丁寧な棒術の本当の基礎。右、左の連続攻撃ををまともに受けると、エリシスは尻餅を付いた。
結果、エリシスに突きつけられる眼前の棒。
「嘘……。エリシスが負けちゃった……」
リースの目には信じられない光景だった。
…
普段の模擬戦では、エリシスに連戦連敗のリース。すっきりした勝ちなど、数えるぐらいしかない。そのエリシスが簡単に負けたのが信じられなかった。
「…………」
それは尻餅を付いているエリシスも同じだった。相手の動きは、はっきりと見えていた。
(何で? ……!)
鼻に軽く当たった棒のせいで鼻血が流れると、エリシスは指で右の鼻を押さえる。
「大丈夫ですか?」
「…………」
エリシスは左手をあげて大丈夫と合図を出すと、アルス達の居る道場の壁際に戻る。口でグローブを噛むと、両手からグローブを外して右手でグイッと鼻血を拭き擦る。
その後、無言でエリシスが座り込むと、アルス達は何も言えなくなってしまった。
「い、行って来ます」
ユリシスが杖を握ると立ち上がる後ろで、エリシスは鼻を押さえて血が止まるのを待ちながら、奥歯を噛み締めた。
…
エリシスの負けに奮起したユリシス。このまま二連敗など、あってはならないと気合いが入る。『始め!』の開始の合図に、杖を両手で前に突き出して防御の姿勢を取りながら詠唱を始めた。
「二重詠唱だ……」
「この気持ち悪い呪文のこと?」
「うん。練習中って言ってたけど、使うみたいだね」
ユリシスの相手のアサシンは懐から呪符を一枚取り出すと、呪符に念を送り、水弾が爆ぜる。
「本当に呪文なしで出た!」
「拙いかも……」
驚くリースとは対照に、アルスは静かに口を開いた。
「何が拙いの? ユリシスが負けるの?」
「そうじゃなくて……」
「じゃあ、何?」
「相手のアサシンの子は加減して呪符を使ってるけど、ユリシスは加減できるかな?」
「加減しちゃダメでしょ?」
「ここ屋内だから、加減しないとダメなんだよ」
「……あ!」
リースが視線を移した先で、ユリシスは水弾をエアボールで吹き飛ばし、ウォーターボールをカウンターで撃ち出した。
アルスとリースはホッと胸を撫で下ろす。
「大丈夫みたい」
「ユリシスは冷静だ」
――と、思ったのも束の間、次の詠唱を聞いてアルスが吹いた。
「それ! レベル3!」
「え?」
「ユリシス、完全に頭に血が上ってる!」
アルスが聞き分けたのはレベル3の二重詠唱。属性は、風と火。特に屋内で火の魔法を使うのは非常に……。
「拙い!」
アルスはメイスを構えると、切っ先をユリシスに向ける。しかし、ユリシスを止めるまでもなく、アサシンの少年の次の呪符が発動した。
「それはそうか……」
呪符からの突風に吹き飛ばされた、詠唱途中のユリシスを見て、アルスはメイスをゆっくりと下ろした。
「こんな近接戦闘に詠唱時間の長いレベル3を二つも組み込めば反撃できるわけがない」
ユリシスが倒れると二連敗が確定した。
(双子の感性のバランスが崩れたのかな?)
アルスは負けてしまったユリシスに声を掛けに向かった。
…
アルス達の居る壁際から、負け犬のオーラが漂う。発しているのはエリシス、ユリシスの双子の姉妹。
一方の反対の壁際は、年上の相手を打ち倒したアサシンの少年達が静かに喜んでいる。礼節を重んじ、あくまで謙虚に喜んでいる姿を見て、アルスは気持ちで負けているのかもと思った。
そして、次はリースの番だ。
「私が負けたら、ここで終わり」
リースは気合いを入れる。
しかし、アルスは幾ら気合いを入れても、リースには勝てないと思った。アサシンの少年達の動きは研鑽されていた。
(経験値が違い過ぎるし、教えて貰ったことが違うはずだ)
リースには、まだ教えていないことがあった。
…
リースは息を吐くと集中力を高め、頭を回転させる。頭の中では、今まで蓄積された間違い探しの答えが駆け巡る。
「始め!」
ダガーの代わりにいつも使っている練習用の鉄の棒を両手に握り、リースはアサシンの少年と打ち合う。この一年で鍛えた筋力は、しっかりとやりたいことをさせてくれていた。圧倒的に多い回避と受け流しに紛れて、受けるの動作も可能になっていた。
このまま三連勝すると思っていたアサシンの少年達は静まり返り、アルスは、リースが守り攻めるのをしっかりと見続ける。
(日々の訓練から、確実に通る軌道を理解しているから予知に近い予測を成功させている)
リースの成長は著しい。
「だけど、ここから先をまだ教えてない」
それは戦っているリースも気付き始めていた。
(……戦いに変化が起きない?)
教えられたのは確実に当てられる時の攻撃。間違い探しによる間違いを見つけての防御行動と攻撃行動。
均衡する戦いを見て、アルスは呟く。
「その次の確実に当てられる攻撃を作り出す『呼び込み』というプロセスをまだ教えてない」
戦いに罠を張ること。一つ先の予測に相手を誘導して、相手より先に攻撃を仕掛けられる状況を作る戦略――フェイントなどを用いて戦いの先に流れを作り出すことは、これから教えることであった。
だが、リースは知らなくとも、アサシンの少年は知っている。
「負ける……かな?」
均衡する戦いが崩れ始め、直にアサシンの少年が戦いの流れを作り始める。自分の攻撃をワザと受け流させ、リースの握っている右手の鉄の棒に思いっ切り木の棒を打ちつけた。
リースは激しく痺れる右手を強く握り我慢すると、距離を取った。
「今の狙われた?」
頭の中で間違い探しを繰り返すが、受け流した後の対応する情報が揃わずに、反応が僅かに遅れる。
「間違い探しで対応できない……」
リースは歯噛みする。
一方の迷いのないアサシンの少年が間合いを詰めると、戦いの流れは一方的になる。リースの予測する一歩先の未来にリースを着実に誘導して木の棒を振るい、攻められないリースは一歩ずつ後退する。
リースが持っている間違い探しという武器だけでは、先の未来はまで対応できるが、先の先の流れを作り出す未来を予測する方法が分からない。
「このままじゃ負ける……!」
リースは大きく振られたアサシンの少年の木の棒を潜ると、バタバタと無様に離れた。
(負けたくない……。負けたくない。負けたくない!)
相手のアサシンの少年を、リースは力強く睨み返す。
(間違い探しの精度を上げるしかない!)
リースの集中力が、更に高まる。
(照合するデータにエリシスの動きを追加。私をからかっていた時、手加減した時の動作を追加……。この二つの動作を行なった時の微妙な力加減を武器の先端まで感じられるようにする)
リースの雰囲気が変わり、空気が張り詰め出す。
そして、戦いが再開すると少し展開が変わり、観戦するアサシンの少年の一人が言葉を漏らす。
「フェイントが効かなくなった……」
集中力が増し、微妙な力加減を受け取る鉄の棒で感じると、リースはフェイントと本気で打ち込まれた違いを認識してバランスを崩さなくなった。
だが、これはどちらかと言えば、行動を行なったあとの動作。バランスは崩さなくなったが、アサシンの少年に誘導された結果は変わらない。そう、誘導されているのだ。
少しは好転するかと思われたが、押されるのが少し緩慢になっただけだった。
(何か足りない! あと、何が足りないの!)
リースは防戦一方のまま、必死に考え続ける。鉄の棒を合わせ、この撃ち込みが嘘か本当かは理解できる。だからこそ、余計な動作は減った。
しかし、そこから思い描くものがない。
アルスはリースを見続け、予想通りの結果に腕を組む。
(一番の長所で弱点――回避、受け流す、受けるの優先順位で防御するから、相手はリースの行動が予想できてしまっている。本来、凄いことなんだけど、回避、受け流す、受けるを意識的に混ぜ合わせないと相手を誘導できないし、相手の予想が確実に当たることになる)
故に、リースが徐々に追い詰められる。
それでも、リースは諦めきれずに歯を食い縛って健気に戦い続けるが、誘導されて何度も叩きつけられた鉄の棒を落として、遂に戦えなくなった。
自分の負けが決まるとリースは悔し涙を流し、負けを宣言される前にアルスのところに走って泣きついた。
(相変わらずの負けず嫌いだな……。負けて当たり前なのに)
こうしてアルスが戦う前に、アルス達の負けが確定した。
…
アサシンの少年達との戦いが完全敗北に終わると、エリシスは無言で立ち上がり、道場の出入り口に向かい始める。
「ちょっと、出て来る……」
「え?」
「すみません、わたしも……」
「は?」
ユリシスに続き、リースも目を擦ると立ち上がる。
「私も……」
「え? ちょっと!」
アルスとアサシンの少年達を置いて、エリシス達は勝手に道場を出て行ってしまった。
「えぇ……」
残されたアルスはアサシンの少年達に振り返る。
「すみません……。ここで待たせて貰っていいですか?」
「……あ、はい」
「苦労していますね……」
「…………」
アルスは自分よりも年下の少年達に同情され、凄く虚しい気持ちになった。