その瞬間は突然訪れ、一瞬でリースの大事なものを奪ってしまった――。
待ち伏せされて不意に現われた盗賊に、誰もが自分を守るのに精一杯だった。実力的には遥かに劣っていても、奇襲には対応が遅れる。全員が最初の一太刀を受ける立場になれば、リースを守ることはリース自身でしか出来ない。
そう、リースに訪れたのは初めて人を殺すという行為だった……。
リースは素早く腰から抜いた二本のダガーで、両の細腕に伝わる盗賊の一太刀の勢いを受け流した。日々、欠かさなかった鍛練、体は自然と動いていた。
剣を持ったまま前のめりに体勢を崩した盗賊に、リースは振り返りながら左手のダガーを振るい、ダガーは一寸の狂いもなく首の頚動脈を切り裂いていた。その一連の動作を終えたあと、何をしたか理解できずにリースは佇んだ。
しかし、直に脳裏に浮かんだのは、殺した時の映像。思い出されたのは、手に伝わった肉を切り裂いた感触。そして、目の前で起きたことが現実であったことを証明する動かなくなった人間が目に映る。
「―――っ!」
リースは強烈な不快感に口を押さえる。
しかし、目の前には口を押さえた時に近づいた、血の付いたダガーが目に飛び込んできた。
「イヤッ!」
両手から振り落とそうとしたダガーは一向に離れなかった。
「……何これ?」
両手は力一杯ダガーを握り締め、ダガーを放さずに震えている。この後、リースは、どういう経過で戦闘が終わったかも分からずに立ち尽くしていた。
…
戦闘が終わった時、リースの側に転がる死体以外にも死体が転がっていた。
アルスのロングダガーで斬り殺された者……。エリシスの棒術で首の骨を砕かれた者……。ユリシスの魔法で燃え散らされた者……。
「最悪……」
「手加減している余裕なんてありませんでしたね……」
エリシスとユリシスも、いつまでも慣れない不快な感触に気分を悪くしていた。そして、このままにしておくわけにもいかず、巨鳥呼び出す信号弾を打ち上げた。
一方のアルスは、リースの側に駆け寄って、肩に手を置いて揺すっていた。
「リース! リース!」
リースは目の焦点が合い始めると、アルスに気付いた。
「アルス……?」
「大丈夫? 息できる?」
「出来る……。だけど、手から離れない……」
リースはしっかりと握り締めたダガーを見せた。
「こんなに震えて……」
アルスはリースの左手を取って、指を一本ずつ開いていく。
(こんなに力が入っているのに手が冷たい)
やがて、指の拘束が解けると、ダガーは地面に落ちた。もう一方の右手も、同じように指を離すとダガーは地面に落ちた。
アルスがリースの両手を自分の両手でしっかり包み込むと、リースは俯いて声を漏らした。
「怖かった……」
「当たり前だ」
「私、人を殺しちゃった……」
「だから、武器なんて握らせたくなかった」
アルスは、今度は震えるリースを抱きしめた。
「だけど、死ななくてよかった……。生きててくれてよかった……」
リースは殺されないで生きていたことを思い出すと、涙が溢れた。
「だけど、私が終わらせちゃった……。あの人は、もう動けない……」
「大事なことだから忘れちゃダメだ」
「あの人の命を奪った感触が手に残ってる……。こんなに気持ち悪いと思わなかった……」
「どんなに正当な理由があるにしても、それが命を奪った重みだ」
「分からない……。何で、こんな思いをするのに人を殺せるの……」
リースの言葉は自分に向けてではない。亡くしてしまった大事な人達に向けた言葉だった。
「……また、思い出しちゃった?」
「うん……。頭の中はぐちゃぐちゃ……。命を奪った気持ち悪さと、それをされた街の人達の気持ちと、それを平気でした盗賊達……。納得できる答えもないし理由もない……」
アルスは、また強くリースを抱きしめた。
「今は一つだけ考えよう……。リースは生き残った……」
「私……、生きててよかったんだよね?」
「生きてくれないとダメだ」
「うん……。あとで、しっかり向き合うから、今だけアルスのせいにして逃げる……」
「僕のせい?」
「アルスが生きててくれてよかったって思えたから、私は人を殺せたって思わせて……」
「……うん」
「そうでもしないと、私はここから一歩も動けない……」
「町に着いたら、しっかり話そう」
「うん……」
アルスは落ちているダガー二本を拾い、自分のリュックサックに押し込むと、リースを抱きかかえる。
「今日、このまま近くの町で一泊していいかな?」
エリシスとユリシスが頷く。
「ええ、あたし達にも覚えがあるわ」
「姉さんと宿の部屋から出れませんでした……」
「僕は忘れようとして鍛冶仕事に逃げ込んだよ」
「でも、結局、忘れられなかった……でしょ?」
「その通りだ」
アルス達は、足早に近くの町を目指した。
…
町の宿――。
アルスとリースは宿の二階の部屋に篭もり、気を利かしたエリシスとユリシスは一階の食堂で時間を潰していた。
「何で、同じ生き物を殺すにしても、獲物を殺すのと人を殺すのって違うのかしら……」
「同属だからでしょうか?」
「それかもね……。動物って、何考えてるか分からないもんね」
「ちゃんと動物にも痛みはあると思いますよ」
「分かってるから動物虐待なんてしてない……」
「では、結局、同じ人間同士で殺す意味がないことが分かっているからじゃないですか?」
エリシスは項垂れ気味に額を押さえる。
「もう少し分かり易く言って。気分が滅入ってて、自分の考えを加えて考えられないの……」
「わたしも上手く話せるわけじゃないんですけど……、頑張ってみます」
「お願い」
「人間って理性があって本能を抑えることが出来ますよね? それは身を持って知っています。そして、知性があって言葉を使って気持ちを伝えられます。つまり、理性があるのを理解していて、それを言葉で相手に伝えられるわけです。それが出来ると分かっている相手を殺すのだから、気分がいいわけありませんよね?」
「そりゃそうね」
「だけど、もし盗賊という言葉も理解できない知性のない生き物だったら、どうですか? 姉さんは同じ印象を持てますか?」
「別の生き物か……。確かにそれだったら、少し気分が違うかもしれない」
「わたし達が人間であると理解して、盗賊も人間であると理解して、いい部分も悪い部分も一緒に見るから不快と感じるのだと思います。でも、人間であるということを切り離して考えることは出来ません」
「確かに」
「また、人間が人間を殺すというものに気持ちも関わるのも大きな原因だと思います。盗賊の場合、明らかに殺す意思を持って襲って来ます。わたし達の場合は、身を守るために殺すという意思があります。これは自らの意思ではなく、そういう状況に陥った時に働く防衛本能も含まれ、やりたくないのにやっていることです」
「気持ち悪くもなるわけだわ……」
「だけど、望んで殺すことが出来る人も居る」
「それがさっきから言ってる盗賊よね。奪った方が楽という考えから殺せる人間も居るってことね」
「その人達は、どういう気持ちを持っているんでしょうね……。分類的には怒りや衝動ではなく、欲求からくる自分の意思ですから」
「殺しが楽しいとでも思ってるんじゃない?」
「もしくは、殺すことに慣れてしまったか……」
ユリシスは不快感に複雑な顔になった。
「人間も動物である以上、本能に逆らえないってことかしらね?」
「そして、そんな人達を捕まえる商売が成り立っている人間という生き物は、明らかにおかしいです」
「里に寄ったから、特に感じるわ……」
ユリシスはローブを強く握る。
「姉さん……。わたし達、仇を討つのは意思ですよね……。盗賊と同じなんでしょうか?」
「そこは断固として受け入れない。あたしは殺すのを楽しいとも思わない」
「でも……」
「確かに意思を持って殺せば、アイツらと同じかもしれない。だけど、あたしは許せないという想いがある。意思は意思でも、明らかに別物よ。――だから、進んで殺すのは、それを最初で最後にするって決めてる」
「姉さん……」
「……つもり」
「どっちなんですか!」
エリシスは笑って誤魔化す。
「セグァンの仲間が居たら、一回じゃ終わんないかと……」
「真面目な話をしてたのに……」
人間が人間を殺す……。
これに答えはないのかもしれない。戦争をしている時代なら、殺し殺されるのは当たり前になり、殺すのが正当化されることもある。その時代を生きる状況に、人間の気持ちは左右される。
そして、旅人が武器を携えているのが当たり前のこの世界で、人間が人間を殺す行為は、武器を持たないのが当たり前の世界よりも遥かに軽い。
しかし、そんな中でも、己の中の正義を見出して考えなければならない。次の世代に繋げなければならない。本能に流されない人間であるなら……。
…
宿の二階の部屋――。
アルスは初めて会った時と同じで動けなかった。リースに手を握られたままだ。
しかし、今回は大きな違いがある。リースは寝ながら無意識に掴んでいるのではなく、意識して縋って掴んでいる。
(まだ震えてる……)
アルスは、いつまでもこのままじゃダメだと話し掛ける。
「少し落ち着いた?」
「落ち着いた……」
「また僕から話そうか?」
「ううん、自分で話す……」
リースは少し間を開けてから話し出した。
「私、少し勘違いしてた。仇討ちって言葉に飲まれてた。悪い人は、やっつける。セグァンは必ず殺す……って」
視線を更に下げて俯く。
「理由があれば殺しても平気だと思ってた……。だけど、私が殺した人は人間で、私が殺さなければ明日に続いていたものがあった……。それを奪ったって思ったら怖くなった……。あの人から見れば、何も知らない人間に殺されたんだから……」
リースはアルスの手を放し、自分の両手を見る。
「そして、あの感触が残ってる……。命を奪った感触が……」
リースが強く震え出すと、アルスはリースの肩に手を回して、しっかりと自分に抱き寄せる。
「リースは、ちゃんと怖いことを理解してる。そして、命の重さも理解してる。だから、今度は自分の命の重さも考えよう」
「私の……?」
「うん、リースの命の重さ。決して軽くないはずだよ」
「……うん、お父さんとお母さんが命懸けで守ってくれた。――それだけじゃない」
リースはアルスを見る。
「アルスが守ってくれたこともあった」
「リースが大事だからだよ。僕の命よりも重いと思ってる」
「迷惑しか掛けてないのに……」
アルスは視線を上げると、ゆっくり話し出す。
「一人旅は、きっと詰まらなかった。リースと会って、話して、笑って、怒って、時には落ち込んで……。一人じゃ出来ない。リースが居てくれて初めて感じることが出来る」
「私、アルスにとって必要なの?」
「居ないと困る存在になってる。だから、あの時、生きていてくれて嬉しかった」
「……ありがとう」
あの時、犯してしまった事象に生き残ってよかった理由が出来たため、リースは少し気持ちが楽になった。
そして、リースが安心して涙を零すと、アルスはハンカチをそっと当てる。
「こんな世界だから、死は直ぐ隣にある。そして、今日みたいなことが続けば慣れていくかもしれない。だから、今日あったことは忘れないでおこう」
「うん、忘れない……」
「震えは止まったね?」
「……うん」
リースは震えが止まり、完全に落ち着くとアルスに質問する。
「アルス……。何で、人は人を殺すんだろう?」
アルスは自分なりの考えを答える。
「欲望が強過ぎるのかもしれない。武器なんか取らなくても、生きていくには十分なのに」
「欲……?」
「分からないなりに想像することがあるよ。誰も好き好んで盗賊にはならなくて、『働き口がなくて自暴自棄になって奪うことを考えてしまった』とか、『本当は周りの人が少しだけ手を差し伸べてあげられれば、盗賊になんてならなかったんじゃないか』とかね」
「理由があるのかもしれないね」
アルスは頷く。
「だけど、思い通りにはならない。そして、その簡単なことを誤まらせるのが武器じゃないかって思うんだ」
「誰でも殺す権利を手に入れられる。幼い私でも誰でも……」
「身分や差別をなくす一番簡単な方法だからね」
「だから、武器を持つ私達が、しっかりしなくちゃいけない」
アルスはリースに顔を向ける。
「覚えていてくれたんだ」
「自然と思い出した」
寄り添うリースに、アルスは少し気になっていたことを質問する。
「リース、少し無理というか……、気を遣ってない?」
「アルスに?」
「うん」
「どうして?」
「落ち込んでも、お父さんとお母さんのことをあまり話さないから……」
「本当は、一杯話したいんだよ」
「もしかして、僕がお爺ちゃんの話ばっかりするのが原因?」
「違う」
リースは首も振って否定した。
「まだ思い出しちゃうんだ……。そして、迷ってる」
「迷う?」
「私、アルスを利用して、世界中を回ってセグァンを殺そうって旅立つ前に誓ったの」
「そんなことを前にも言ってたね」
「うん。そして、その日から大人になるって決めた」
「それで言葉遣いが……」
アルスはようやくリースの一時期の振る舞いを理解した。
「そう、自分の胸の黒い闇に誓ったの。だけど、アルスと居て、色んな人に会って……。『これでいいのかな?』って考えるようになった……」
「仇討ちを諦めるの?」
「ううん、それをやめる気はない。今日、人を殺してしまって、後戻りは出来ないって思った。私の選んだ道のせいで人が死んでる。絶対に最後までやる」
「十分、後戻り出来ると思うけどなぁ。彼が殺そうと襲って来なければ、何も起きなかったんだから」
「それでも……」
リースは俯き掛けた顔を上げる。
「それで、話を戻すけど、アルスを利用するのはやめようって思った」
「それで、今、改めて告白してるわけ?」
「うん」
「それで、どう変わるの?」
「常に考えを止めないでおこうと思う」
「考えを止めない?」
「セグァンを殺すって決めて、そのために何でもするって誓いは、そこで考えを止めていると思う。だけど、もっと先を考えなくちゃいけない気がする。どうして武器を握るのか? どうして殺すのか? 他にも私の行動一つ一つに理由があるはず。それをしっかりと考えて、悩んで、答えを出さなきゃいけないと思う」
「何の答え?」
「私が私であるための答え」
「それは……凄い難問だ」
アルスはリースに驚かされた。
「それは皆が求めて、皆が別の答えを持ってるものだね」
「人生を終える時、その答えを堂々と言えるのが正解。不正解は、自分を恥じて答えを言えないこと」
「リースは凄いなぁ。何か偉い人に見えるよ」
「ふふ……。何それ?」
リースは少しだけ元気を取り戻したようだった。
「時々、お父さんとお母さんのことを話してもいい?」
「うん。一杯、聞かせて」
「よかった……、あと――」
「ん?」
「――今日だけは、一緒に眠らせて」
「分かった」
リースは立ち上がる。
「さ! エリシス達のところに行こう!」
「本当に君って――」
(どうして、こんなに強いんだろう……)
アルスはリースの心の強さが少し嬉しかった。
(でも、利用しようともしてたんだよな……)
しかし、手放しで喜べなかった。