エルフの隠れ里――。
アルス達はエルフ達の隠れ住む山を登りきったのだが、リース、エリシス、ユリシスは屍のように動けない。山を覆う霧に精神をやられた。
「気持ち悪い……」
「姉さんは、まだいいですよ……。わたしとリースさんは、魔法を体に沢山取り入れることが出来るから……」
「方向が、まだ定まらない……」
アルスは三人の前にしゃがみ込む。
「リースとユリシスは相殺できるかと思ったんだけどね」
「無理です……」
「私も……」
アルスは三人の情けない姿に、笑いを堪えている。
そして、アルス達の周りにはクリスを始め、エルフ達が集まり、倒れて動けない三人の珍客を見て笑っている。
「ううう……。リースが一杯居る……」
エリシスの視線に飛び込んできたのは、金色に輝く髪と魔力を湛えた青い瞳だった。
『あら? 一人、エルフが混じってる?』
リースはエルフの声を聞くと、アルスに視線を向ける。
「そんなに似てるかな?」
「そっくりだよ」
アルスの差し出す手に、リースは手を重ねて立ち上がる。続いて、エリシス、ユリシスがアルスの手を借りて立ち上がる。
「さあ、挨拶して」
「リース・B・ブラドナーです……」
「エリシス・バルザック……」
「ユリシス・バルザックです……」
霧を抜けて、少しずつだが体調が良くなり始めると、リース達は深呼吸をする。
そして、クリスが前に出て三人の少女を見ると、感想を溢す。
「へぇ……。可愛いじゃねぇか」
リース達の視線がクリスに集まる。
「ん? 何だよ?」
三人の口元は緩み、クリスを見続ける。
「この人がイフューさんの……」
「いや~、青春しちゃったわね~」
「素敵です」
クリスはアルスのところまで走ると、後ろから喉元を締め上げる。
「てめぇ! しゃべりやがったな!」
「い、いいじゃないですか……」
「いいわけあるか!」
「何で、僕のはいいのに、クリスさんのはダメなんですか?」
「年上だからだ!」
「そんな横暴な……」
アルスはクリスの腕をタップする。その光景は、とても老人の動きとは思えなかった。周りには自然と笑いが広がっていた。
「クリス、許してあげたら?」
「ん?」
クリスが振り返った先には、あの時と変わらぬ姿のイフューが立っていた。
「だけど……、コイツがオレ達のこと、しゃべったんだぜ?」
「クリスはイオルクが来る度に、アルスのことを聞き出してたじゃない」
「……そうだな」
クリスは、リース達を見る。
「今夜、オレんとこに来いよ。アルスの嬉し恥ずかしのエピソードを話してやるから」
「話さないでください!」
アルスはクリスの腕を外して投げ飛ばすと、クリスは空中でクルリと捻って着地した。
「……あれ、爺さんの動き?」
「お元気ですね……」
(アルスのお爺ちゃんの話を聞いたからか、これぐらいするかもと思ったり……)
クリスの印象はリースと双子の姉妹では差があった。
クリスはエルフ達に向き直ると、里にある一軒の家を指差す。
「イオルクのことを聞きたい奴は来てくれ。今からアルスに話させるから」
「話させるって……。まあ、話しますけど」
アルスが溜息を吐いた時には、クリスは先に歩き出しており、多くのエルフ達が続いていた。
項垂れているアルスに、イフューが声を掛ける。
「大丈夫?」
「何とか……。クリスさん、変わらないなぁ」
「ちゃんと歳を取ってますよ?」
「性格的なところです」
「それは昔から変わらない」
「お爺ちゃんも変わっていないと思いました」
「あの二人は特別だから」
「そう思います」
イフューはクリスの方へと視線を向ける。
「私も、ああいう風に歳を取りたいって思うの」
「イフューさんは、ずっと見てますからね」
「それで見届けることになる」
アルスは聞いていいかと考えつつも質問する。
「好きな人が歳を取っていくのは辛いですか?」
「そんなことないです。私より必ず先に死ぬって分かっているのは悲しいけど、その人の一生全てに価値があって、私は、その一生に携わっている。そして、長い短いはあるけど、携われるのは嬉しいこと。その中でも、私は一番近くで携わっているんだもの。大好きなクリスの側に、いつも居ることが出来る」
「……そうですね。僕もお爺ちゃんの人生の一部に携われたのは誇りに思ってます。死んでしまったのは悲しいけど、今でも胸の奥に思い出が強く残っています」
「それを話して欲しいな」
イオルクとの思い出を呼び起こしながら、アルスは頷く。
「喜んで、お話しします」
イフューは『楽しみにしています』と言葉を残すと、クリスの後を追って歩き出す。残されたのは、人間のアルス達だけだった。
ユリシスはエルフ達を見ながら呟く。
「人間と変わらないですね……」
「本当……。何処にでも居る一般人だったわ」
「この人達、皆がアルスのお爺ちゃんの知り合いなんだ……」
「切っ掛けは、一人のエルフの女の子。そして、滞在しながら共同作業をしたことで仲間意識が芽生え、友達になっていったんだ。お爺ちゃんとクリスさんは、人間とエルフの垣根を取り払った。だけど、それでも秘密にしているのは、二人が人間の愚かさを知っているからだよ」
アルスの言葉に、リースが質問する。
「いつか……。エルフは、この山を下りる日が来るのかな?」
「そのためには、この世界に広がっている差別を取り除かないといけない」
「差別?」
「理由は分からないけど、ずっと昔から、人間はエルフを見下してきた。そして、それが根付いてしまっている」
「それを取り除くの?」
「僕達だけなら簡単なんだけどね」
「それが出来ない人も居るんだね」
アルスは頷いて返事を返した。
「行こうか? クリスさん達に話さないと」
「話すと悲しくない?」
「少しね。でも、お爺ちゃんと過ごして楽しかったこと、夢中になったこと、それを思い出して話すから大丈夫」
「そっか……」
リースは自分の両親との思い出を思い出し、エリシス達も話を聞いて、自分達の両親のことを思い出していた。大事な人が居なくなってしまったことを思い出すのは辛いことだが、その人達が残した想いや思い出は優しく支えてくれている。
今、居る仲間も、いつか自分を支えてくれる思い出になっていくに違いない……。
…
深夜、クリスとイフューの家――。
アルスとクリスは、二人だけで話をしていた。昼間、延々としゃべり続けて、もう十分だと思っても、話が途切れることはなかった。
「……イオルクが死んだんだよな」
「まだ、信じられませんか?」
「いや、自然の摂理だって理解してるよ」
「長生きしてください」
「そのつもりだけどな」
クリスは椅子に体重を預ける。
「いつまで居るんだ?」
「暫く滞在しようと思ってます。お爺ちゃんがここに来れないから、その分の鍛冶仕事をするつもりです」
「悪いな」
「構いませんよ。あと、鍛冶場の使い方も教えておこうと思います」
「どうしてだ?」
「長い旅になるかもしれません。困らない程度の技術を教えて、何とか対応して貰わないと。それにエルフは、里の皆が技術を覚えるのが慣わしでしょう?」
「そうなんだよな。寿命が長いから、習得できる技術に時間を掛けられるんだよな」
「羨ましいですよね。僕達人間は大人になるまでに、身につける技術を選択しないといけないのに」
「だから、オレ達は心に余裕がないのかもしれないがな」
「余裕ですか?」
クリスは静かに頷く。
「この里に居て思ったよ。エルフ達は生きる時間に余裕があるから、心が穏やかなんだなって」
クリスの言っている意味が、アルスはに、今一、分からなかった。
「寿命って関係ありますか?」
「あると思うね。一人の生き物が同じだけの欲を持っていたとして、それを満たそうとする時、短い時間の人間の方が時間単位の欲が濃いって感じたよ。だから、欲を満たすために余裕がないのさ」
「なるほど。それも一つの考えですね」
「実際、若い時間に限りがある人間は、若い時と老人の時で出来ることが制限されるだろ? 『これをしたかった! でも、若くないと出来ない』『じゃあ、若いうちに無理してでもやっておこう!』と、こうなるわけだ」
「それが争いの原因や他人に迷惑が掛かるとしても……ですか?」
「ああ、限りある一生に自分の欲望を満足すためにな」
「人間って、どうしようもないのかな?」
アルスの疑問に対して、クリスは足を組み直して続ける。
「反論も出来るぜ」
「そっちも考えたんですか?」
クリスは頷く。
「本来、人間は争わなくても平気なんだよ」
「どういうことですか?」
「食料を確保するために畑を作り、家畜を飼う。人数が増えても補えるように畑を増やす耕作器具を作製する。それをしっかりと分け合えれば、生きていくのに苦労はしない」
「そうですね。生きていくだけなら、争う要因はないですね」
「だろ? 生きるために必要なものを平等に確保できていればいいんだ」
アルスは指を組んで両肘を机につける。
「――だけど、出来ない」
「そう、そこに成果を求めるからだ。本当は必要のない仕事なんてないのに、仕事を差別する。適材適所で役割を与えられているだけなのに仕事を差別する。多くの成果を出した者は、多くの利益を得る。……誰が決めたか分からない値段によってな」
「ええ」
「エルフは得意不得意があっても、それらを全員でやっている」
「確かに全員で同じことをすれば、差別はありませんね」
「そして、寿命が長いから、いつか技術を身につけられる」
「人間も同じことを出来ないかな?」
クリスは片目を瞑り、左手を軽く上げる。
「欲望を制御できなきゃ無理だな」
「無理ですか? 制御できませんか?」
「出来ないと思うな。この里を見れば分かると思うけど、少し文明が遅れてるだろ? こっちは争いがない分、技術を向上させる意欲が低いんだよ。――例えば、アルスの鍛冶技術。同じ町に鍛冶屋が二軒あれば、品物を多く買って貰うためにライバル店よりもいい物を造ろうと努力するだろ?」
「そうですね」
「だけど、この里ではライバル店はないし、生活に必要な技術さえあればいいんだ」
「そうか……」
「その証拠にイフュー達と旅をしてた時、服屋とか物を造ってる店に入ると、種類の多さに驚いてたからな」
アルスは姿勢を戻し、納得する。
「分かる気がする」
「だろ? ここでは最低限のもので足りるんだ」
「人間のクリスさんは我慢できるんですか?」
「最初は、きつかったな。でも、魔法使いのオレには、エルフの魔法は魅力的だったから、直ぐにどうでもよくなった」
「美人の奥さんも居ますしね」
「いいだろ?」
クリスはアルスに笑ってみせる。
「本当に愛してるんですね」
「ああ……」
クリスは気持ちを込めて、アルスに返事を返した。
「これで子供が居れば最高だったんだけど、異種族同士には子供が出来なかったみたいだ」
「クリスさんの子供か……。生まれていれば、凄い魔法使いになっただろうな」
「出来なかったものを言っても仕方がない。それにオレの培った知識は、アルスに受け継がれたからいいさ」
「ほとんど発揮する場面がありませんけどね……」
項垂れたアルスに、クリスは苦笑いを浮かべたが、直に別のことに思い当たる。
「そうだ。お前の連れにオレの技術を仕込んでやろうか?」
「連れ? リース達ですか?」
「ああ」
「リースとユリシスは伸び代があると思いますけど、エリシスは資質が低いみたいですよ?」
「ば~か、オレを見ろよ。ちゃんとエルフと同じだけ魔法を使えているだろ? 要は、日々魔法を限界まで使い続けて、体を開発していくことなんだよ。努力と根性で、何とでもなるんだ」
「お爺ちゃんは、それを執念と例えてましたけどね」
「いいんだよ、言い方は……」
「でも、エリシスは棒術を使ってるし、素直に受けるとは思えないけどなぁ」
アルスは腕を組んで、難しい顔になる。
「魔法を使わないのか?」
「はい」
「じゃあ、無理強いは出来ないな。この里の霧を打ち消す対処法だけ覚えさせるか」
「それなら、いいかもしれません」
「他の二人は強制参加だな」
(強制……。お爺ちゃんみたいだ……)
項垂れたアルスを余所に、何を教えようかと、クリスはニヤけている。
「明日から楽しくなりそうだな」
「大丈夫かな?」
アルスは少し不安が残ったが、リースのことを思うと、あの資質をほったらかしにしておきたくないとも思った。