三日後、ドラゴンチェストへ向かう砂漠に入る手前の町――。
この町はイオルクが旅立った頃とあまり変わらない。砂漠を越える者、越えて来た者にとって、共通に重要な場所だからだ。変わるのは耐久寿命で替えざるを得ない物と、寿命を向かえて次の世代に代わる人だ。
店主の変わった宿、兼、酒場で食事を終えて、アルスとリースは砂漠を越えようとしていた。
「この酒場で砂漠越えの装備も売ってて助かった。リースの水筒を買い忘れてたけど、これで砂漠に入れるね」
「うん……。えへへ、お揃い」
リースはクルリと回って、外套についているフードを頭にすっぽりと被った。
「これで、何処から見ても親子に――」
「見えないと思う」
「やっぱり、兄妹かな?」
「うん。でも、この歳で旅して回る兄妹って凄いよね?」
「普通は保護者同伴か」
「一応、保護者同伴」
「この設定、何とかならないのかな?」
アルスの困った顔を見て、リースは可笑しそうに笑う。
「ねぇ、砂漠に行こう」
「決して楽しくないと思うけど……」
リースが砂漠に向かって駆け出すと、アルスは腰に手を当てて目で追う。
「リースは、今日も元気だ」
アルスは微笑むと、リースに続いた。
…
砂漠に入り、振り返っても砂しか見えないところまで進む。何の音も聞こえず、空は雲ひとつなく、砂と空の二色だけの景色が続く。今日は砂漠に居るはずのモンスターも見掛けていない。その何も変わらない風景でも、初めての砂漠が面白いのか、リースは笑顔を浮かべている。
「本当に元気だね」
「何か信じられない。こんな景色も、こんなところに自分が居るのも」
「環境的には辛いはずなんだけどね」
「暑くて気持ち悪いけど、それだけ」
(本当に元気だ……)
アルスはコンパスと自分達の残した足跡を比べて、方向を確認する。
「方向は逸れてないな」
「確認?」
「うん」
「真っ直ぐ歩くだけなら、迷わないんじゃない?」
「この変わらない景色だからね。知らないうちに間違っているかもしれない」
「ふ~ん……」
「勝手に進んじゃダメだよ」
「そんなことする人、居ないよ」
「居たから注意したの」
「また、お爺ちゃんでしょ?」
「……もう、当たり前のようになってるね」
「あれだけ、言われればね」
アルスは苦笑いを浮かべるしか出来なかった。
「反面教師でアルスがしっかりしてるなら、いいんじゃない?」
「そうなのかな?」
「多分、私への被害は少ないと思うよ」
「被害……」
(何の被害だろう?)
アルスは『一般常識の欠如かな?』と呟く。そんなのんびりとした会話が夕方まで続いていた。
…
夕方――。
空はオレンジ色に変えて夕闇が迫る。その空の下でリースは項垂れている。
「もう、この景色飽きた……。出てくるモンスターも、同じのばっかりだし……」
(飽きるの早いなぁ)
リースの機嫌は長く持たなかった。
「モンスターを見た時は、喜んでなかった?」
「最初はね。私の育った街の近くの森には、あんな大きい虫なんて居なかったから、珍しかった。でも、立て続けに同じ種類のだけ出てきくると……、ねぇ」
「それは同感かな。僕にも覚えがあるよ」
「お爺ちゃんと?」
「うん。お爺ちゃんが一緒だった。あの大きな鳥にも大興奮だったよ」
「うん! あれは驚いた!」
この砂漠でも、イオルクが旅していた時と同じことがあった。ハンターの資格を取ったアルスは、モンスターの売買権を手に入れている。それを利用して倒したモンスターを巨鳥に運んで貰ったのだ。
イオルクと一緒に見た光景を、今度は立場を逆にしてアルスはリースと見たのである。
「アルス。あと、どれぐらい歩くの?」
「今日の分を引いて、最短で二日かな」
「二日か……。水筒の水は、もう少し我慢しよう」
「無理しないでね。脱水症状になる方が大変だから」
「うん」
「僕は多めに水を背負ってるし、いざとなったら魔法を使えばいいんだから、心配しないでいいよ」
「分かった」
アルスが足を止める。
「今日は、ここまでにしよう」
「早くない?」
「暗くなると何処に進むか分からないから。見当違いなところに進むと遠回りになる」
「うん、分かった」
アルスはリュックサックを降ろし、シートを取り出す。リースと端を持って広げると、お互いの荷物をシートの上に移動させて降ろす。
アルスとリースは、シートの上に足を投げ出した。
「気持ちいい……」
「星も見えるよ」
夕闇の中に、星が幾つか空に輝いていた。
「綺麗だね」
「うん」
歩く音が消えると、辺りからは何も聞こえない。
「凄く静か……」
町と違い、自分達以外の人の気配もしない。リースが立ち上がる。
「今日の分、やっちゃう」
鞘の付いたままのナイフを取り出し、アルスを見る。
「付き合うよ」
アルスがリュックサックから鉄の棒を取り出すと、直ぐに模擬戦が始まる。最近は模擬戦をしてから基礎……と、順番が逆だ。模擬戦で感じた違和感を修正するための基礎に変わっている。
リースの間違い探しの答えも大分蓄積され、イメージするのにも慣れてきた。アルスがイオルクに伝えられた動きが、アルスからリースに確実に伝えられている。
(リースは、僕よりも飲み込みが早いのかもしれない)
リースは教え始めて日が浅いのに、アルスと模擬戦までこなせるようになっている。それは常にリースが考えているからに他ならない。リースは体を鍛えることよりも、考え、イメージすることに重点を置いている。体が覚えるまで特訓するのではなく、体を動かすための情報を収集するという感じだ。
また、模擬戦だから、何でも試せる。納得いかなければ繰り返せる。模擬戦を繰り返して、情報を収集し続け、基礎をする時、自分の状態を確認しながら、自分の中にある確実を相手にぶつける方法を考える。
リースの戦いは考えること。小さく弱い自分を思い知り、武器の鋭さに頼ることを理解したが故の結論だった。
(私は弱い。子供だし女だから。だけど、武器を扱うという技術さえ手に入れられれば対等になれる……。そして、それを扱う自分のことを知っていれば確実に近い予測が出来るようになる)
理想は限りなく予知に近い予測を身につけること。
リースの努力は続く……。今は仇討ちのためだけではない。武器を扱い、成長していく自分が楽しくてやめられなかった。
…
その後、アルスの武器を替えての模擬戦、基礎をして、魔法の鍛練。日課を終えて、夕飯も終えて、灯りがないので早めに寝ることになった。静かな砂漠で、夜空を見ながら眠りに着くのである。
仰向けになって夜空を見ながら、アルスが話し掛ける。
「リースは、随分、強くなったね」
「本当?」
「僕は、お爺ちゃんに基礎をしっかり教えて貰わないと模擬戦なんて出来なかったけど、リースは基礎と模擬戦を同時に出来るからね」
「私の方が才能があったりして……、なんてね」
「あると思うよ」
「そんな簡単に認めていいの?」
「うん」
「悔しくないの?」
「鍛冶屋の技術じゃ負けないからね」
「そんなの当たり前じゃない」
「その当たり前のことで負けたら悔しいよ」
「アルスって、よく分からないなぁ」
「何が?」
アルスが夜空からリースの方に視線を向ける。
「何でも出来るのに、いつも一番になれない感じがする」
「どういうこと?」
「魔法を使えれば魔法で一番になれるかもしれないのに使えない。武器を使えるのに、体が小さいから一番になれない。努力して一番になれないのに笑ってる」
「鍛冶屋は一番になりたいけど?」
「鍛冶屋は、別。戦うことにおいて」
「そっちは制限が掛かってるから仕方ないよ。だから、普通の人より強い場所を維持してるじゃないか」
「そこに疑問があるの」
「疑問?」
リースも夜空からアルスの方に視線を向ける。
「私の教えて貰ってる技術って、本当にその程度なのかな?」
「その程度だと思うけど?」
「私は、もう少し高等な技術だと思う」
「高等かな?」
「だって、最近、変な違和感があるの」
「違和感?」
「アルスより、強い人に会ってない。弱く感じる……」
「まさか……。あの剣術大会の人、僕より力持ちじゃなかった?」
「力では負けると思う。でも、あの人のイメージをアルスに重ねると無駄が見えるのは、どうして?」
アルスは起き上がる。
「そんなことまで分かるの?」
「私の中で、段々とあの人が希薄になってる。あれだけ苦しんだのに、頭に焼きついたイメージを消しに掛かってる」
「成長速度が早過ぎる気がする」
アルスは腕を組んで自分との差を比較する。
(僕の場合は、お爺ちゃんと会って……。家に連れて来られるまで二週間……。呪いを調査して……。ああ、会って直ぐに武器の訓練なんてしてないや。それに鍛冶屋の修行も一緒に進めてたんだ)
アルスは納得する。
「至って普通だ」
「どういう経緯で納得したかが省かれてんだけど……」
「多分、余計なことを省けば、僕と変わらないかな……ってこと」
「余計なもの?」
「僕のウジウジしてた期間とか、鍛冶屋の修行期間とか」
「アルスは、そっちに時間も費やしてたんだ」
「うん。リースは直ぐに武器の扱いを覚え始めたし、鍛冶屋の修行もしてないからね」
「ふ~ん……」
「二年ぐらいで、教えることはなくなるんじゃないかな?」
「そんなに早く免許皆伝が貰えるの?」
「教えてるのは基礎だからね」
「そこが胡散臭いって話だったと思うんだけど……」
「普通の基礎だよ。お爺ちゃんが言ってたもん」
(また、お爺ちゃんか……)
リースは微妙な顔を浮かべて考える。
――アルスのお爺ちゃんは、アルスに嘘を教えたのではないか?
アルスを騙すのは自分で言うのもなんだが、簡単なような気がする。
――特に養子になったばかりの時は、もっと騙され易かったのではないか?
「もう、いい」
リースは毛布を鼻まで上げた。それを見て、アルスは不思議そうな顔をして横になった。
やがて、砂漠の夜は深まり、温度が下がると二人は蓑虫のように引っ付いて眠った。