翌日の式典、開始三十分前――。
城の中庭を利用した広場には大勢の人々が入場していた。広場は縦の長方形、王の背に塔、向かいに門、他は建物を区切る壁だ。
既に入場の七割が完了し、労われる騎士達は、門の外で入場する隊列を組み終えていた。イオルクは門の近くで全体を眺めながらジェムの姿を確認し、遠くにユニス達の姿を確認する。本日、王族は式典用の衣装を身に包み、騎士達は正規の鎧を着用している。
(観客から見えているのは、部隊の隊長、副隊長だけか。部隊員は観客の後ろに控えているってことかな?)
次にドルズドが受け持つ、広場の周りの建物に目を向ける。左右の壁は扉も何もなく建物には繋がっていない。真正面の塔は入り口が反対にあり、広場に背を向けた状態である。
「建物の中は衛兵だらけで、むさ苦しそうだ」
今度は広場を眺める。
「貴族だらけで、こっちは別の意味でむさ苦しいか」
すると、独り言をぼやくイオルクに誰かが声を掛ける。
「何がむさ苦しいって?」
「いや、貴族の連中が群れてて――父さん!」
そこには、イオルクの父・ランバートが式典用の正装姿で立って居た。
「真面目にやっているのか?」
「はは……。まさか」
ランバートは溜息を吐く。
「まったく、お前という奴は……」
「どうしたんですか?」
「私も呼ばれているのだよ」
「席は?」
ランバートが指差す席は、丁度、ユニスの正面でジェムの隣になる。
「ジェム兄さんが父さんを警護するのか」
「そうなるな」
「息子に守られるのって、どんな気分ですか?」
全員正装の中で変わらない皮の鎧。軽口までいつも通りで、ランバートは苦笑いを浮かべる。
「本当に緊張しない奴だな」
「で?」
「悪くない。真摯に取り組む姿を見られるのは嬉しいものだ」
「兄さんは親孝行だな」
「お前も孝行する気は起きないのか?」
「まだ、そういう歳ではないので」
「フフ……いつまで子供でいるつもりなのだ?」
「俺は、いつまでも父さんの子供のままですよ」
「そうか」
「はい」
そうお茶らけていたイオルクだったが、態度が変わって背筋が伸び真剣な顔で父に告げる。
「いつもと違って広い場所です」
「うん?」
「ユニス様に危険があるなら、守り抜いて見せます」
ランバートは、イオルクが見習い騎士を終えて、少し騎士らしくなったかもしれないと思う。
しかし、イオルクは直ぐにいつもの緩い顔に戻ってしまった。
「ダメだ……。ちょっといいところ見せようと思ったけど、この顔は長続きしないね。まあ、何も起きないから活躍を見せることもないし、いいんだけど」
「本気なのか、そうではないのか、分からない奴だな」
ランバートは軽く手を振ると、席に戻って行った。そして、隣のジェムに話し掛けると二人は笑みを溢した。
「父さん、早速、俺のことを話したな」
イオルクはランバートとジェムを見て微笑むと、門の脇で式典の開始を待った。
…
式典開始、十五分前――。
広場は少しずつ落ち着きを取り戻し、誰もが開始を待つだけの状態だった。門の外では遠征を終えた部隊が待機し、今か今かと呼び出しを待っていた。
「――戦場の空気がする」
そんな中、イオルクが不吉な言葉を零した。門の近くに居るイオルクの勘が何かを察知する。
殺気、音、臭い……そういったものを認識したわけではない。だが、イオルクの何かが切っ掛けになり、イオルクに戦いが側まで来ていることを知らせる。
警戒レベルが秒単位で上がっていく。
イオルクは耳を澄まし、目を左右に忙しなく動かす。
(何処だ? 何が、俺に戦場の空気を感じさせた?)
イオルクは集中するが分からない。
(勘違いか? でも、この引っ掛かる感じは無視できない……)
戦場で自分を何度も助けた感覚。時には戦いの流れを感じ、目に見えないはずの攻撃を感じ、五感だけでは切り抜けられない場面を何度も救ってくれた感覚。
己の感覚を信じると、集中力は鋭利に研ぎ澄まされていく。
(光った!)
それは強い光でも特徴的な色を発したものでもなかった。忙しなく動かした目が捉えた僅かなもの。ただし、本来なら光るようなところではない場所。
イオルクは光ったと思われる塔の小窓を凝視する。そこには誰も居ないように見える。
しかし、戦場の空気が漏れ出す位置とぴったりと一致している。
自分の勘を頼りにイオルクは駆け出していた。
目標の塔の小窓は王の遥か頭上にあり、とても辿り着けるような高さではない。
イオルクが叫ぶ。
「敵が居る! 警戒を!」
広場の真ん中をイオルクが疾走すると、全員の視線がイオルクに釘付けになった。ユニスは驚きのあまり口を押さえ、ティーナもイチもその行動に仰天していた。誰の目にも敵の姿が映っていないのだから、それはある意味当然なのかもしれない。
それでもティーナとイチは、仲間の信頼から動き始めていた。ユニスの前に出て腰を落とし、レイピアとクナイに手を掛ける。
しかし、ティーナ達ほど信頼関係を築けていない王を守る親衛隊が、イオルクを不逞の輩とみなして王の前に出る。その数は六人。
黄金の鎧に身を包んだ王の親衛隊の右手が腰の剣に手を掛けようと動く。それでもイオルクの走る速度は変わらない――いや、寧ろ速度が上がった。交互に壁を作るような二人の王の親衛隊の隙間を、イオルクは風に流れる草のような柔らかい身のこなしで抜剣させることなくすり抜けた。
「あの動きはイチの……‼」
思わずティーナの口から言葉が漏れた。
硬い鎧を着ている騎士が習得しても無意味なアサシンの体裁き。しかし、例外的に金属製の鎧を着けていない者なら可能な動き。
イオルクが親衛隊の二人を置き去りにした。
より警戒を強めた親衛隊の四人が完全に剣に手を掛ける。そこでイオルクは前傾姿勢で右腰の位置に両手を置き、まるで槍か大剣でも持つ構えをした。
そこから一瞬で間を詰める。突進術を繰り出す動きで抜剣しようとする王の親衛隊の剣の柄の底部を押さえる。
「塔の小窓に敵がいる! これからそこへ向かう! 王様と王妃様の安全の確保を!」
緊迫する声、向けられる視線の強さ……それらが電撃を喰らったかのように王の親衛隊に伝搬する。戦場を駆けた者なら分かる緊張感。一刻一刻変わる戦況を伝える伝令者の言葉のように、言葉だけではなく自陣に危機が迫っていることを共有したのは一秒にも満たなかった。
アサシンの体裁きと騎士の突進術を組み合わせて王の親衛隊を抜いたイオルクに続き、王の親衛隊が二縦列を取って動き出した。
王の親衛隊があっさり抜かれることに誰もが驚き、その間、言葉を失くしていた。
「王様! 腕を交差して上げてください!」
王の親衛隊をグングン突き放してイオルクの速度が上がっていく。
それに対して王は、ただただ驚いて目を見開いているだけだった。
イオルクは王に迫ると、苛立ちを持って叫ぶ。
「今から俺が飛ぶ! さっさと踏み台を作れ‼」
あろうことか、王に命令が飛ぶ。
しかし、そのイオルクの声が耳に入ると、王は若かりし頃の自分の見習い時代がフラッシュバックしていた。王にもあった見習い時代の頃。イオルクの声は、かつて自分に命令を出していた年上の先輩騎士の声と重なった。
王は無意識に腰を落とし、頭上で腕を交差して踏み台を作っていた。
それに向かいイオルクが飛び上がり、王の腕を踏み台にする。ズッシリと交差する腕に掛かる体重を感じながら、王はイオルクが飛び上がるための溜めを作るのを待つ。
そして、イオルクの膝が曲がり、腰が落ち、溜めから全身の伸びへと転換させる瞬間に王も合わせてイオルクを押し上げた。
イオルクが塔へと舞い上がる。イオルクが塔の小窓へとグングン迫る。城壁なら軽く飛び越え、踏み台を作った壁越えなら成功といえるものだろう。
しかし、もうひと伸び、塔の小窓に届かない。上へと向かう力が消えていく。
そう感じた瞬間、イオルクは右の腰からロングダガーを引き抜いて塔に打ち付け、体を捻る。そして、重力により、上に向かう慣性が殺される前にロンダガーを強く握る。鍛え抜かれた右腕は体格の大きいイオルクを難なく引き上げ、体が半分以上競り上がると、今度は打ち付けたロングダガーの柄に右足を掛ける。
「もう一回!」
ロングダガーの柄を踏み台に蹴り上げ、イオルクは目標の小窓へと到達した。
そこには間違いなく暗殺を実行しようとする者の姿があった。
…
残された、もう一本のロングダガーを引き抜いて左手に構えると、イオルクは暗殺者に斬りつける。口を割らせるため、踏み込みは浅く、あくまで殺さない戦闘力の無力化を狙った一撃。
しかし、そこで信じられないことが起きる。イオルクのロングダガーに対して、暗殺者が振った何かがロングダガーを紙のように切り裂いたのだ。
「何だ……? 切ら……れた?」
接触の音もしなかった。手応えもなかった。相手の柄物を叩き落すはずだったロングダガーの剣身が塔の小窓から広場に居る王の少し先に突き刺さると、広場の誰もがイオルクの戦闘を確認し、暗殺者が居ることを認識した。
親衛隊が塔に向かい人垣で壁を作って王と王妃を隠し、ジェムが命令を下して貴族達の前に騎士団の人垣の壁を作らせる。
イオルクの耳へ、塔の外からのざわめきや悲鳴が人ごとのように入ってくる。全身から噴き出る汗、心臓の音が跳ね上がり、暗殺者から目が離せなくなる。
(あと少し踏み込んでいたら、俺はどうなっていた?)
今になって分かる。
何故、あんなに遠くに居たにも関わらず、こんな塔に居る何者かの危険を察知することが出来たのか。前回ユニスを襲った暗殺者に対して戦場の空気を感じた距離よりも、何倍も遠い距離があるのに広場の門で危険を察知できた訳……。
(暗殺者じゃない! この得体のしれない武器に危険察知したんだ!)
そこからの選択はなかった。
うすら笑いを浮かべる暗殺者の振るう何の変哲もない一振りに、普段以上の距離を開けて回避し、小窓の方へと追い込まれていく。
触れれば切られるものに対しては、不用意に手首を握って止める行為すら危うい。
(きっと、あの武器は体に食い込んでも止まらない!)
受けることは出来ない。回避するしかできない。そんな条件では戦いにならない。イオルクは自分からバックステップをして飛び降りる形で塔から突き落とされた。
広場で、再び悲鳴が上がる。背中から地面に叩きつけられ、皮鎧を着た騎士は死んでしまうと観覧席の貴族たちは思った。
(ッ‼ わざわざ背中から落ちるために後ろ向きに飛ぶわけがないだろうが‼)
落下に入る瞬間、塔に打ち込んだロングダガーの片割れの位置を確認し、イオルクは落ち始めて少しのタイミングで切断されたロングダガーを強引に塔に打ちつけた。
そして、左手を掛け、先ほど打ち込んだ、もう一方のロングダガーに右足を掛けてしっかりと身を留める場所を確保した。
「まさか、受けることも出来ない武器が暗殺に使用されるとは……」
イオルクは頭を振る。
「驚くのは後回しだ。まず受け入れろ。そして、考えろ。暗殺者は、あの武器を使って何をする気か……を」
イオルクは武器のない状態で、自分を集中の海へと深く深く落としていった。
暗殺者の暗殺を阻止すべく、状況を整理し、暗殺者へ対抗するために……。
…
一方、イオルクを突き落とし、邪魔者が居なくなったと思った暗殺者は、鏃の付いていない矢を取り出す。そして、小瓶に矢の先端を浸け、呪文を唱えると魔法により小瓶の毒液を凍らせて特性の矢を造り上げた。これがイオルクのロングダガーを切り裂いた正体だった。
また、これが初めから存在せず、作られたものだったため、イオルクの危険察知の勘が式典の三十分前ではなく、矢が作られた十五分前に働いたのである。
塔の小窓の奥の小部屋では暗殺者が矢をボーガンにセットしようとしていた。だが、それはボーガンというには異様な姿をしていた。機械弓と称した方がしっくりくる感じであった。
まずセットする矢は、鏃から羽につながる軸が通常のものよりも極端に短く羽すらない。まるで投げナイフの投擲の再現を腕の振りではなく、射出によって再現するような矢であった。
だが、この表現はあながち間違いではない。イオルクのロングダガーを切断した鏃は、ナイフと同じ用途を兼ね備えている。
そして、問題のボーガンだ。すべて金属製で作られており、弦まで金属で作られているため、これを引く張力は相当なものになる。そのため、このボーガンには弓を引く仕組みがダイヤルを手で回して補う機構が備わっている。
ダイヤル回す歯車の音とキリキリと金属の弦が引き絞られる音は、戦場でもあまり耳にすることがない。弓を引き終わると、ガキン!というトリガーがロックされる音が響く。
毒液を凍らせた短いシャフトを持つ鏃をボーガンにセットして、暗殺者が小窓からゆっくりと狙いを定める。
暗殺者は小窓から身を乗り出すことなく、自身が攻撃されないように小窓から一歩引いたところに立っていた。
多くの人々には分からなかったが、狙いを定められた者とだけは、一直線に目が合う。
狙いの先でティーナとイチがユニスの前で壁を作った。
「狙いは姫様だ! イチ、あの矢には毒が塗ってあるはずだ!」
「分かっています! それより拙いのが矢の貫通力です! イオルクのロングダガーは鈍らではありません! 切断したものと同等のものが使われたら、私達など貫通して姫様を貫きます!」
「ボーガンにそんな威力のものを――」
「私だったら同じもので鏃を造ります!」
「‼」
ティーナは、アサシンであるイチが居ることを幸運に思う。暗殺の手段を聞くなら、専門家の知識を借りるのが一番間違いがない。
刹那の思考で自分が適任ではないことを判断すると、ティーナがイチに訊ねる。
「対策を立てられるか?」
「正面の貫通力に対して有効策はありません! 矢を横から叩き落とすしかないと思います!」
そのあまりに分の悪い対策に、ティーナは奥歯を噛み締める。
「その役目は任せる!」
ティーナがユニスの肩に右手を回し、もう片方の手は腰に当てる。
「ティーナ?」
「イチが失敗した時は、私がユニス様を回避させます」
ティーナはユニスに微笑み、安心させようとする。そして、半身で暗殺者のボーガンを見据えた時、暗殺者は笑いながらボーガンの引き金を引いた。
…
暗殺者が引き金を引いた瞬間、暗殺者の目の前に皮の盾が現われた。しかし、暗殺者は無駄なことと唇の端を吊り上げる。皮の盾など紙に等しい。そして、皮の盾が視界から消えた瞬間、矢が姿を消した。
何もなくなった事実に、暗殺者は混乱した。撃った矢が消えたのだから当然である。
その混乱している数秒の間にイオルクが再び姿を現わし、暗殺者のボーガンを壁に蹴りつけると、繊細な機械弓のボーガンは歯車やバネを撒き散らして分解するように壊れた。
(上手くいった! きっと鏃の危険性は伝わっていても、このボーガンの危険性は伝わっていなかったはずだ!)
小窓の下で状況の収集をしていたイオルクだけが、塔の下に居た者達が得ることのできない情報を得ていた。
それは『音』である。
ダイヤルが回り、金属の弦が引かれる音、ダイヤルの回る回数、矢をセットした時の金属の発射構に置かれる音……。
見えない武器のイメージは思考を止めないことで作り上げた。暗殺を行う位置から暗殺の方法は『投擲』『弓』の二つを頭に思い浮かべ、金属の弦が引かれる音で、弓を推測し、更にダイヤルを回す音から機械的なものをイメージし、ボーガンを予測したのである。
問題は、そのボーガンの威力だ。通常のものなら銀の鎧の位にいるティーナやイチが叩き落とすのに後れを取るとは思えなかった。
――だが、そんな分かり切ったことを実行するだろうか?
前回の暗殺事件の時も、そうだった。
見えざる敵は、暗殺者の暗殺術に鋼鉄の鎧の騎士を力でねじ伏せる方法を用いている。ならば、前回の失敗を糧に絶対的な成功率を上げる方法を用いてくるはずだった。それも常人が取らない、想像もつかないような……。
イオルク自身が前回の暗殺事件に巻き込まれた当事者だったこと。直ぐ側でダイヤルの回る音を聞いてボーガンの張力がとてつもなく大きいことが予想できたこと。それらが暗殺阻止の結果に繋がった。
また、イオルクの取った行動は二段構えでもあった。皮の鎧の背中に付いている皮の盾を投げて鎖を引き戻すタイミングは、普通のボーガンの発射であれば皮の盾がイオルクの手に引き戻った後に矢が飛んでいくタイミングだったのだ。
つまり、そのタイミングで皮の盾に絡まって手元に戻るなら、ティーナやイチの予想を超えた射出であり、イオルクが対応し、通常の射出であるならティーナやイチで対応できると判断してのものだった。
結果は、最悪の方の前者であった。
暗殺者の次の一手がないと判断すると、イオルクは振り返って叫ぶ。
「ジェム兄さん! ボーガンは破壊しました!」
ジェムはイオルクの言葉に遠距離からの狙撃が不可能になったことを理解すると、命令を下す。
「暗殺者の退路を塞ぐ! フレイザー隊に塔の閉鎖を伝えろ! そして、暗殺者を生け捕りにしろ!」
続いてジェムは騎士団の壁を解除して広場の指揮を執り、王達と貴族達を誘導し始めた。
…
広場の騒ぎはフレイザーの部隊の耳にも入り、フレイザーの指揮で部隊は既に臨戦態勢に移行していた。ジェムからの指令を受けた兵士が塔の閉鎖と暗殺者の確保の伝令を告げると、塔の閉鎖が始まる。フレイザー率いる精鋭部隊が暗殺者の確保に塔の階段を駆け上がった。
暗殺者は塔を登る複数の足音に気付くと、塔のてっぺんを目指して逃げ出していた。そこでは脱出する協力者と落ち合うことになっていた。
…
暗殺の行なわれた塔の小窓のある踊り場で、イオルクは暗殺者を追うでもなく、フレイザーが辿り着くのを静かに待っていた。
イオルクには暗殺者を追おうにも武器がない。あの暗殺者が不利な条件のイオルクを置き去りにしたのは、直ぐにフレイザー率いる騎士達が塔を駆け上がってくるのが分かっていたからに他ならない。
やがて、大勢の足音が近づき、先頭のフレイザーがイオルクの前に現われた。
「イオルク!」
イオルクはフレイザーに駆け寄る。
「手短に話します。敵はロングダガーを切断できる武器を所持しています」
「切断?」
武器を所持していないイオルクを見て、フレイザーは確認を取る。
「切断されたのは、父上の贈ったロングダガーか?」
「そうです」
「……信じられんな」
「しかし、事実です。その認識なしに立ち向かわないでください。兄さんの大剣が斬られるわけがないというのが当たり前ですが、その常識こそが、今回の敵の使った暗殺手段です」
「分かった。攻撃は全て回避する」
フレイザーは腰に備え付けていた自身の大剣を壁に立て掛けた。
「狭い空間で有利な短剣で対応する」
その言葉に、イオルクは頷く。
「他に情報はないな?」
「はい。それが全てです」
「では、敵を追う」
「気をつけてください」
「ああ。――お前も来るか?」
イオルクは首を振る。
「私は暗殺で使用された武器を届けます」
「分かった。お前は、お前の責務を果たせ」
フレイザーは振り返ると短剣を使う手練れを数人選び、残りはこの踊り場に待機させて、塔の階段を再び登り出した。
イオルクは役目を終えると、鎖付きの盾に突き刺さったままの矢を見る。
「鏃が溶け始めている……。この色からして毒の類か。完全に溶ける前に城の学者へ届けなくては」
残されたフレイザーの部下達の前でイオルクは小窓に走って足を掛けると、次の瞬間、フレイザーの部下達は声をあげた。
イオルクは小窓から飛び降りた。
…
塔の小窓から飛び降りると、落下中にイオルクは自分のロングダガーを器用に片手で一本ずつ引き抜きながら落下速度を殺し、広場に着地した。そして、広場に残った、斬られたロングダガーの剣身を拾って腰の皮袋に入れ、ロングダガーは腰の横の鞘にそれぞれ納めた。
その後、ティーナを探して走りながら広場を突っ切り、門を出た近くで、イオルクは王族を警護するティーナとイチを発見した。
「隊長! 魔法使いを呼んでください! 証拠の毒が溶け出しています!」
「毒だと?」
イオルクの握る皮の盾の鎖に絡まる矢の先でポトリと雫が落ちる。
イチが暗殺の武器が毒液を凍らせたものだと瞬時に判断して、イオルクのもとへ走る。
「私が凍らせます!」
イチは懐から札を取り出し、中指と人差し指に挟んで念を込める。すると、札が光り、イオルクの握っている鎖から垂れ下がる盾と一緒に絡みつく鏃を再び凍結させる。
((魔法ではない?))
イチの見せた技術は、イオルクもティーナも知らないものだった。
「城の学者に届けます」
イチは矢を皮の盾ごと受け取ると、城の学者のもとへ走った。
証拠の消失という最優先事項の緊急事態が回避されると、イオルクはティーナに話し掛ける。
「隊長、ユニス様は?」
「御無事だ」
「そうですか。他に暗殺者は確認できましたか?」
「確認できていない。ジェム様の指揮の下で捜査中だ。ここも直ぐに移動する」
「はい」
「城に入り、安全を確保して体制を立て直す」
「分かりました」
この後は、ジェムの指揮と王の親衛隊の指揮に分かれる。ジェムは残された貴族達を誘導し、親衛隊が王族を城まで誘導した。そして、移動の途中、塔で爆発音が起こる。
移動する全員の目が塔に注がれると、粉砕された壁から真っ黒な体毛に覆われた獣が飛び出した。獣は凄まじい速さで塔から周辺の建物の屋根に飛び移ると、視界から消え失せた。
『何だ? 今のは?』
『キラービースト……』
誰の口からか、この世界に伝わる古の魔獣の名前が漏れた。
…
暗殺の起きた広場から王族と貴族達の避難が完了すると、城に錠が掛けられ封印される。城内では騎士団が慌ただしく警戒を続け、王族を避難させた一室では王族を守る王の親衛隊から少し離れた場所で、イオルクとティーナも警護をしていた。
その場所で、ティーナはイオルクに暗殺時の状況を確認する。
「暗殺者に、いつ気付いた?」
「走り出す少し前です。私の位置からしか分からないと思います」
「私達は向きが逆か」
「はい。塔の小窓で何か光りました」
「きっと、暗殺に使った武器だろう」
「私も、そう思います」
「しかし、思い切ったことをしたものだ。広場の真ん中を突っ切るなど」
「そうしなければ、誰かが傷つきます。私の前では誰も傷つけさせません」
「……ああ、そうだな。そのために我々は存在する」
ティーナはイオルクの言葉遣いから、ユニスに聞かされていた話が本当なのだと思う。今のイオルクは集中力が高まり、自分の礎を築いたころまで戻っているのだろう、と。
そして、この姿こそが、前回の暗殺事件で暗殺者の目を釘付けにした正体なのだろう、とも思った。
しかし、今はそれの確認を取っている場合ではない。
ティーナは状況確認の話を続ける。
「私も見ていた、お前が塔に駆け上がるまでの詳細は省く。最後の矢を止めた方法を教えてくれ」
イオルクは頷きながら答える。
「はい。あの矢は危険だと思いました。私のロングダガーを切り裂いたもので鏃が造られれば貫通すると思い、私は盾を使って止めました。隊長も知っての通り、私の皮の盾には細い鎖が張り巡らされています。鏃がいくら貫通しても矢の軸棒には切り裂く術がありません。貫通した矢の軸棒に鎖が絡みつく瞬間を狙って盾を引き戻したのです」
「なるほど……。あの盾か」
「はい。私の位置からはボーガンを引く音が聞こえていました。だから、盾を使うタイミングも分かります」
ティーナは納得する。
(あの見えない態勢で、どうやって矢を止めたかと思ったが……。コイツは相変わらずとんでもないことをやってのける。それに今回の件は、イオルクが気が付かなければ確実に人が死んでいただろう)
もしも、暗殺者たちに誤算があるとしたら、イオルクに普通の騎士には本来備わるはずのない危険察知能力が備わっていることを知らなかったことだろう。
イオルクの危険察知能力は勘によるところが大きいため、本人も他言することはあまりなく、ほとんどの者が知らない。知っているのは、極僅かな知り合いしかいないのである。
「今の話で大体の流れは分かった。あとは、暗殺者を追っているフレイザー様の報告を待ってからだ」
「分かりました」
その後、イオルクとティーナは無言で警護を続けた。
…
暗殺者の居た塔――。
ここでは、フレイザーを含めた精鋭達が混乱していた。塔では、正確には二度の爆発があった。一回目は、獣が侵入した時。二回目は、獣が逃走した時。それが連続で行われたから音が途切れず、遠くから聞いた者は一回だと誤認した。
そして、フレイザーの前で、頭から胸まで喰い千切られて暗殺者は死んでいる。暗殺者を殺したのは、あの獣で間違いない。
「フレイザー様、これは……」
「証拠の隠滅だろう」
「モンスター……でしたね」
「ああ。だが、こんなに凶暴な力を持つモンスターなど、ここ数百年の間、確認されていない。――いや、モンスターの存在は、今では砂漠の甲殻系の数体だけしか確認されていない」
「そうでしたね。何より、モンスターが証拠隠滅を目的に動くというのも……」
「有り得ないな」
フレイザーは証拠品の回収を命じたあと、城の学者にも連絡を入れる。学者達は暗殺者の死体を調べ、獣の力や殺害方法の詳細を分析することになった。
こうして功績をあげた部隊を労うはずだった式典は、暗殺の舞台へと変わり、暗殺事件の騒ぎは、夜の帳が下りる少し前まで続いた。