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序章・切っ掛けの少年 18

 四回戦になっても複数の武舞台で戦いは続く。そして、その一つの武舞台にイオルクとイチが上がっていた。

 イチは黒装束に銀の胸当てをして覆面の下からイオルクを睨みつけていた。

 そのイチの銀の胸当てを指差して、イオルクが話し掛ける。

「イ、イチさん……その胸当て銀色に見えるんですけど?」

「…………」

(無言だ。凄く怒ってる)

 イチは無言のまま両手にクナイを持ち、半身に構えた。

 一方のイオルクは複雑な表情でだらしなく項垂れて立っている。予想外に銀の鎧の位を与えられている者の相手をしなければいけなくなったこともあるが、それよりもイオルクのやる気を削いでいるのが、先ほどからこの武舞台に向けられている観客からの罵声である。

(ブーイングが凄い……。きっと、隊長を見たいんだな……。それとアサシンって、本当に人気ないんだ。俺の使う武器もロングダガーだから戦いが地味になるって、皆が思ってる。イチさんも隊長とやれば、こんなにブーイングにならなかったのに)

 イオルクは溜息交じりに腰からロングダガーを引き抜き、両手に装備する。

「とはいえ、相手は銀の鎧だし、今回は初めから構えないと拙いよな。よっこらしょ」

 そう言ってから取ったイオルクの構えを見た瞬間、イチが怒りに震えた。

 それは参加者用の観覧席に座るティーナも同じで、拳を握り苛立ちを表わす。

「あの馬鹿……! この大会の戦いを何だと思っているのだ!」

 イオルクの構えは、イチと丸っきり同じ構えだったのである。

 しかし、このイオルクの行動は会場に一つの変化を与えた。観客はイオルクのおちょくった態度にブーイングから歓声へと声を変えたのであった。


 …


 会場の一角からの歓声に反応して王は武舞台へと目を移し、即座に額に手を置いた。

「あの構えは、笑いごとでは済まされんな」

 ユニスは王の言葉が耳に入り、イオルクの居る武舞台へ目を移した。そこには対戦する相手と鏡写しのように同じ構えをするイオルクの姿があった。

 しかし、呆れる王とは違い、ユニスはイオルクに違和感を覚える。イオルクから感じる雰囲気が、いつもユニスの部屋を訪れる時の緩いものではないのだ。

「少し違う気がする……」

 視線を外さずに武舞台を見続けるユニスに、王が訊ねる。

「一体、何が違うと言うのだ?」

 ユニスは、やや真剣みを帯びた声で答える。

「イオルクが相手をからかうなら、こんなものではありません。もう少し前置きというか、下準備というか……もっと何かがあるはずなのです。出落ちは、もう少し軽いものから入るはずだし」

 娘の話を聞いた王は、さっき以上に項垂れる。

「普段は、もっと酷いのか……」

「あ、えっと、その――」

 我に返ったユニスは慌てて両手を振り、目を泳がせる。

「そ、そうではなく――と、兎に角、何かの作戦だと思います!」

「その洞察眼は凄いと思うのだが、何とも素直に喜べんな……」

 椅子の肘掛けに右手を置いて頬杖をついて眉間に皺を寄せる王を見て、王妃はクスリと笑う。実のところは、王妃も王と同じだった。イオルクという人間を掴めずにいた。

 しかし、ユニスの百面相のように変わる顔を見たら、許せてしまうことだった。ティーナをユニスの専属の騎士にして、普段の会話の報告にティーナとの一日の出来事の話が増えた。それは城の中でユニスが心を許せる者が出来たということであり、安心したのを覚えている。

 そして、今のユニスは、また別の何かを手に入れて表情を変えている。王族の厳しいルールの中に居ても、笑っていられる何かを持っている。

 王妃が優しくユニスに訊ねる。

「あの騎士は、どういう騎士なのかしら?」

「お母様?」

「ユニスがティーナ以外の騎士を信頼しているというのは珍しいと思って」

 ティーナ以外、中々続かないユニスの専属騎士。ティーナの扱きのせいで長続きしないことも多々あるが、ユニスが受け入れられないで続かないことの方が多い。

 王妃の問い掛けに、ユニスは静かに語り出した。

「イオルクは……普通の騎士とは違うでしょうね。性格も考え方も……。明るいし、楽しいし」

「それで信頼するように?」

 ユニスは首を振る。

「それだけの騎士ではなかったのです。一番大事にしなければいけない純粋なものを持っている騎士でした」

「純粋なもの?」

 ユニスは目を閉じて微笑む。

「人は、それを総称して単純と言い換えています。だけど、その単純であるということが、嘘のない包み隠さない全てを見せてくれる――だからこそ、信頼できるのです」

 王と王妃は、最後の最後ではぐらかされた気分にさせられた。しかし、ユニスにとっては嘘でも何でもない。これまでの日々が証明している。

(お父様も、お母様も、そのうち分かります。自分が信頼するのではなく、イオルクに信頼されることの方が尊いということが)

 ユニスが二人から武舞台へ視線を戻すと、王と王妃は顔を見合わせて疑問符を浮かべた。


 …


 武舞台と観覧席の雰囲気の違いに戸惑いながら、審判が合図を叫んだ。

「始め!」

 イチは怒りに任せて、最短距離で右手のクナイをイオルクの首筋に振るう。それを丸っきり同じ動きでイオルクが相殺する。イチが左手のクナイを使えば、イオルクが右手のロングダガーで応戦する。まるで本当の鏡写しのような戦いの展開に、観客は盛大に歓喜の声をあげた。

 しかし、普段から無口のアサシンの戦いは語る言葉もなく、クナイとロングダガーのぶつかる音だけが徐々に舞台の上を支配し始める。スピードが命の短刀の武器。ぶつかる回数も剣の比ではない。一回の衝突の音は大きく激しくなくとも、聞きなれない金属のぶつかる連続音はどこの武舞台よりも異質に響いていた。

 そして、暫く打ち合うと、突然、イオルクは後ろに飛び退き、どっしりと構えてロングダガーを盾にでもするような水平に握った構えを取った。

 イオルクの構えが変わったことで、イチは警戒心を強くし、『イオルクが、何故、真似をするところから入ったか』を考える。

(最初は遊んでいるのかと思ったが、そうではなかった。あの目は真剣過ぎる。イオルク殿は防御に徹していた。――何故だ? 何を見ようとした?)

 会場の誰もが相手を舐めてかかっていると思ってみていたが、本当のところ、イオルクの構えはイチを警戒してのものだった。騎士優先の国で銀の鎧の位を与えられているアサシンの実力を見極めなければ、イオルクは戦いにならないと思ったのである。

 見習い時代に世界各地に派遣され、多くの戦士と戦った経験はある。しかし、銀の鎧を与えられている短刀使いとの経験はない。だから、日々繰り返している基礎をもとに自分の中にある基準と照らし合わせて、長所と短所の情報を収集しなければならなかった。

 そして、イオルクはイチの素早さを確認し、クナイを振るう速さを確認した。同じリーチの短い武器で素早さも武器を振るう速さも負けていたら、同じ土俵では戦えない。

(幸いにして間合いに入られるまでの速さは負けていたが、武器を振るう速さに差は感じられなかった)

 ならば、対抗手段はあると、イオルクは動きに惑わされて後ろを取られるのを嫌い、武舞台の縁まで後退したのである。

 イチが警戒しながらイオルクの出方を伺う。

(あの構えは完全に受け。無闇に突っ込んでいいものか……)

 本来は闇に隠れて標的を待つのがアサシンの仕事だが、この大会だけは腕を試したいと望んでいた。

 イチはクナイを強く握る。

(これだけの好敵手! その力を見ない手はない!)

 イチが仕掛ける。一気に間合いを詰めると同時に、右に捻った体が左手のクナイを加速させる。足、腰、腕を同時に連結させ、瞬時に速度が最高点に達した。

 一方のイオルクは左から来るクナイに照準を合わせ、ティーナとの手合いで見せた剛剣で迎え撃つ。左腕を折り畳み、右手のロングダガーと左手のロングダガーのタイミングを合わせて両方で打ちつける。イオルクは、イチのクナイを弾き飛ばした。

(何だ⁉ 手応えが軽い!)

 イオルクは舌打ちする。イチは当たる直前にクナイを手放していた。

 視線の先ではクナイが音を立てて転がり、イチは懐から直ぐに別のクナイを取り出して構え直しているところだった。

(投擲武器として使える武器を二本しか持っていないというのは有り得ないか。今度は逆に、こっちの力量を計られたかな?)

 再び構え直すイオルクに、イチは距離を取ると息を吐き出す。

(武器破壊が目的だったか。あの構えは誘いだったのだな。それにしても、短剣で剛剣を使うセンスには驚かされた。やはり、一回戦で見せた戦いは本物だった)

 イチは覆面の下で唇の端を吊り上げる。

(そうだ、これが見たかったのだ! アサシンよりも力がある騎士が扱う短剣術を!)

 イチのやる気に完全に火が点いた。イオルクの受けの姿勢に合わせた攻撃に移る。クナイを投擲し、自らもイオルクに向かい走り出す。

 イオルクは飛んで来るクナイを右のロングダガーで叩きつける。今いる武舞台の縁から移動し、イチに合わせて戦う気はない。故にクナイもただ叩きつけるだけではない。イチの進路に叩き落したクナイを転がし、回避のための減速を狙う。

 しかし、それを見ると、イチは再び距離を取った。

(視覚に捕らえ難い足元にクナイを転がすとは……)

(この人、慎重だ。高が一つのクナイなんて、飛び越えて攻撃すればいいのに、それすら許さないか)

 二人の戦いは駆け引きの連続だった。いつしかイオルクとイチを見守る観客は静まり返り、次の駆け引きのやり取りを待っていた。

 今度は、イオルクが仕掛ける。武舞台の縁から前に出ると、ステップを踏みながら右足を後ろに振り上げ、さきほど転がしたクナイを蹴り飛ばしてイチに迫る。

 イチは予想外の所から飛んで来るクナイに、咄嗟に右手のクナイを振って弾き、足を止めさせられた。そこにイオルクが踏み込み、右手のロングダガーを振るう。

 振るわれるロングダガーに、今度はイチが舌打ちする。クナイよりも僅かに長いロングダガーのリーチを活かして、イオルクはイチの攻撃の届かない安全圏で攻撃をしていたからだ。

 イチは仕方なくロングダガーを左手のクナイで受けるが、力強い振り抜きに体勢を崩された。

(重い! この一振りはさっきよりも力を乗せている!)

 イオルクは自分の体格を活かすため、力任せの剛剣でイチを押し始めた。

 一方のイチは、一歩ずつ後退しながら、このままでは場外になると思案し続ける。

(こうも間合いを詰められては……!)

 そして、イチの取った行動はイオルクの模倣――つまり、イオルクの右手のロングダガー一本に照準を絞り、両手打ちによる剛剣を放ったのだった。

 この攻撃をイオルクはイチのように武器を放して回避できなかった。理由は剛剣を放つためにロングダガーを強く握り過ぎていたからだ。

(しまった! 読み間違えた!)

 イオルクの右手はもろに痺れ、イチは慣れない使い方と無理な姿勢での強引な振り切りのせいで左手が痺れる。そして、一瞬の静止のあと、二人はお互いの首に残る武器を突きつけた。

「そこまで!」

 審判の合図が掛かっても、息を弾ませたまま二人は動かなかった。

 そして、息が整い出した頃にようやく二人は武器を引いたが、双方の片腕には同じ痺れが残ったままだった。

「引き分けのようですね」

「そうみたい」

 イチが一歩前に進み、右手を差し出す。

「良い戦いでした」

「ありがとう。でも、右手は痺れてて」

「そうですか。私は、左手が痺れています」

 イオルクの痺れる右手をイチが右手で握り、強引に握手する。

「今後は、騎士の短剣術を研究することにします。短剣術での剛剣……参考になりました」

「初見で、あそこまで真似されちゃうとは思わなかったよ」

 そう苦笑いを浮かべたイオルクにイチは軽く頭を下げ、満足そうに武舞台を去って行った。

「イチさん……随分、小さい手だったな。あれでクナイを落とさないんだから、衝撃を逃がす特別な握り方でもしてたのかな?」

 イオルクは握られた右手を開いて閉じてをして確認しながら武舞台を下りる。

 武舞台の下ではティーナが待っていた。

「強敵だったな」

「はい。一度見ただけで、あの両手打ちを再現できるのは、さすが銀の鎧のアサシンです」

「短剣、短刀を使わせれば、あちらはスペシャリストだからな」

「確かに。それに軽量級なだけあって、完全に足の速さに追いつけませんでしたね」

「そうだ……な?」

 ティーナが何かに気付くと、眉間に皺を寄せて座った目でイオルクを見た。

「どうしたんですか?」

「お前……それ、付けっぱなしだったのか?」

「うん?」

 ティナが指差した手足にはティーナのプレゼントした、例のものが付いていた。

「重り、付けっぱなしだったか。道理でイチさんの素早さが常人離れし過ぎていると思った。ははは」

 ティーナのグーが、暢気に笑うイオルクに炸裂した。

「何で、殴るんですか?」

「お前が馬鹿だからだ!」

「そんなにポンポン殴らんでもいいのに」

 イオルクは頭を擦りながら不満を口にすると、ティーナに背を向ける。

「あと、頑張ってね~。もちろん、ここで負けてくれてもいいですからね~」

 そう言って手を振りながらイオルクは観覧席へと去っていった。

「…………」

 ティーナは額を押さえて項垂れる。

(普通、あれだけの試合をしたら、何か胸に残るものがあってもいいと思うのだが……)

 ティーナは溜息を吐くと、残りの試合を行うために武舞台へと上がった。

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