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序章・切っ掛けの少年 11

 イオルクが戦場の空気を感じ、ユニスに静止を掛けて直ぐ、廊下から断末魔の声が響いた。

 外で警護してくれている鋼鉄の騎士のうちの一人だということは、イオルクにもユニスにも簡単に想像がついた。

 特に見習いの時から戦場に出ていたイオルクは、今の断末魔が響くまでの過程が異様であったことを強く感じていた。

(武器を合わせた音が一切しなかった)

 そう、抵抗すれば武器がぶつかる音がするはずなのに、その音が聞こえなかったのである。城の廊下は広く造られており、剣が抜けないほど狭い造りにはなっていない。

(護衛の騎士が剣を抜く間もなく殺されたのか? もし、そうだとしたら、もう一人の護衛の騎士も一緒に殺されているはず。だけど、聞こえたのは一人分の声だけ……。一体、何が起こっているんだ?)

 椅子を倒す勢いでイオルクは立ち上がり、廊下にほど近い壁に向かって走る。そして、組まれた石壁に目を凝らし、その中から僅かに一つだけ出っ張る石を殴りつけるように押した。

 すると、ゴゴン!と部屋の扉付近で音が響き、分厚い鉄の格子が扉の内側に落ちて部屋の出入り口を塞いだ。

「……尚早だったか?」

 そう漏らしたイオルクだったが、その判断が間違いではないことが嫌な形で証明される。

 剣と剣がぶつかる音が響いたのも束の間、再び断末魔の声が響いたのだ。

「また殺られた」

 扉の近くに居るイオルクの耳に、何者かの足音が聞こえる。足音は徐々に扉へと近づき、扉の前で止まるとノブをガチャガチャと回し始めた。

 しかし、扉が格子につっかえて扉は開かない。直後、ドン!という音が響き、何者かが扉を蹴破ろうとし始めた。まるで獣が突進を繰り返すような勢いでぶつかる音が何度も響き、今度は扉の真ん中から剣の切っ先が付き出した。

「やっぱり何者かが、この部屋に入ろうとしている……‼ 隊長に教えられた仕掛けがなかったら、部屋に侵入されていた……‼」

 イオルクが振り返ると、ユニスは机の前に立ったまま硬直していた。何か言いたいのだろうが言葉に出来ず、口を開こうとしては閉じてしまう。

 それを見たイオルクがユニスの側に足早に駆け寄り、ユニスの身長に合わせるように片膝をついた。

 ユニスは固く両手を合わせ、声を絞り出すようにイオルクに話し掛ける。

「い、一体、何が起きているのですか? さっきの声は、ここを護衛していた騎士のものではないのですか?」

 イオルクは、怯えるユニスにそのままを伝えるべきか悩んだか、今の状況を誤魔化しても直ぐにばれると思い、正直に頷いた。

 途端、ユニスの顔に不安が広がり始める。口数が減ったイオルクに、ユニスが怯えながら訊ねる。

「わたしの部屋の前に居た騎士達は……こ、殺されてしまったのですか?」

 イオルクが頷くと、ユニスは震え始めた。ドレスのスカートを強く握り、必死に恐怖に耐える。普通の子供なら取り乱し、泣き出してもおかしくない状況だった。

 ユニスの目尻に涙が溜まり始めるが、涙は零れない。溢さないように、ユニスは口元を強く結ぶ。

 イオルクは気付く。

(自分を守るために……お姫様に戻ったのか)

 王の子として生まれた以上、下の者に怯えた姿など見せてはいけない。ユニスは泣きたくても泣けない定めにあるのだ。

(さっきまで子供らしい笑みを向けてくれていたのに……。言葉遣いも戻ってしまった……)

 目の前の少女は、尚、恐怖にあらがっている。イオルクを見詰めるユニスの目は依然と強いままで、恐れなどないと言っているようだった。

 しかし、それは嘘だ。静まり返る部屋の中に響く、扉を蹴破ろうとする音が怖くないはずがない。心を締め付けられ、身が竦んでいくはずだ。

 引き結ばれた唇の下で、ユニスは歯を食いしばっていた。

 握っていた手はより強く握られてドレスのスカートの皺を濃くし、目尻の涙は、今にも零れそうだ。そして、余裕のない心は、更にユニスの想像を悪い方向へ連想させる。

 それは行き着く先の最悪――死である。途切れてしまえば、そこから先に何も続かないもの。そこへ向かうために伴うだろう痛み。それらが、これから押し寄せてくる。

 歴史や人伝いの話の中で、もっと多くの死が周りにあるのは知っている。それに比べれば、目の前の死は、たった一つの拙いものなのかもしれない。しかし、目の前にあるからこそ、逃げ場がない。現実に目の前で起きていることから目を逸らすことはできない。

 しかも、この死は一つだけではない。


 ――わたしのせいで二人も殺されてしまった……。

 ――あの侵入者は、イオルクを殺すかもしれない……。

 ――そして、わたし自身も殺すだろう……。


 ユニスの中の三つの死が、小さな胸を圧迫していた。


 ――この恐怖から、どうやって考えを反らせばいいのか?

 ――真正面から受け止めなければいけないのか?


 答えは出ない。

(怖い……。でも、泣けない……。わたしはノース・ドラゴンヘッドの王の娘なのだから……。ノース・ドラゴンヘッドの騎士であるイオルクの前では泣けない)

 必死に耐えるユニスの前で、いつもの笑みを向けてイオルクがゆっくりと自分の胸に右手を当てた。

「ユニス様、落ち着いてください。まず俺と一緒になりましょう」

「……っ」

 いつもだったら気が抜けるイオルクの緩い笑みが、『俺のように、しっかりしましょう』と言っているように見えた。それは今のユニスにとって、残酷なものだった。

 次にイオルクの言うことが容易に想像できてしまう。

(……ダメなの……イオルク……。今、気をしっかり持てと言われても、できないの……。だって……だって……もう、わたしの心はこれ以上気を張れないの……。それを言われて、できないと口に出したら、わたしは……わたしは……この国の姫としての役割を全うできずに泣いてしまう……)

 イオルクの口が開くと、ユニスは覚悟した。今まで頑張ってきたことが、粉々に崩壊してノース・ドラゴンヘッドの姫ではなくなってしまうと……。

「俺も怖いです、ユニス様」

 思っていたことと違う言葉が、ユニスの体を突き抜けた。

 逃れられないと思っていた恐怖がすり抜けた。

「……え? 今……何て言いました?」

 イオルクは眉をハの字にした情けない顔で、同じ言葉を繰り返す。

「俺も怖いです、ユニス様」

 聞き間違いではない。

 ユニスのスカートを握っていた手がゆっくりと離れ、強張っていた肩の力が抜けていく。

「イオルク……怖いの?」

「はい」

「騎士なのに?」

「はい」

 いまだ扉を蹴破ろうとするけたたましい音が響く中、暫しユニスは茫然としていた。

 そのユニスの前で扉を指差し、イオルクはユニスに言う。

「だって、あれ……どんな人が蹴ってんのか、分からないんですよ? 俺より確実に弱いって分かってるなら、兎も角、見えない相手が怖くない人間なんて居ないと思いますよ」

「それはそうだけど……」

 イオルクは右手の人差し指を立てる。

「ユニス様、この状況で恐怖しない奴を何て言うか知ってますか?」

 ユニスは無言で首を振った。

「命知らずって言うんです」

「……命知らず?」

 イオルクは頷く。

「相手も分からないのに恐れないというのは、言い方を替えれば、どんな相手にも突っ込んで行くことしかできないってことです。そういう人が指揮官になったと思ってください。どんな指示を部下に出すと思います?」

「突撃命令……かしら?」

 イオルクは頷く。

「俺も、そう思います。そして、考えなしに格上の相手に突っ込んでいった結果がどうなるかは、容易に想像がつくはずです。そう考えるなら、今、俺達が怖いと思うことは悪いことですか?」

 ユニスは違うと思った。それと同時に恐怖の見方が一変した。

(怖いと思うことは悪いことではないのかも……)

 そして、ユニスはもう一つ気づく。

(震えが……止まってる?)

 自分の両手を見ると、恐怖で握り込んだ赤い爪の跡が残っていた。しかし、今は死を意識しても、さっきと同じところまで落ちて震えることがなくなっていた。

 ユニスは疑問を投げ掛ける目でイオルクを見た。

「恐怖は身を竦ませますが、悪いことじゃないんです。恐れがあるから、対抗手段を人間は考えるんです。作戦を考える時、自分の軍が無傷で勝利することだけを考える指揮官はいません。被害を最小限にすることを考えるものなんです。それだけではなく配置した小隊が敗れた時の穴埋めを考えたりもします。恐れから対抗手段は生まれるものなんですよ」

「恐れから対抗手段を考える……」

 王の娘は恐れを見せてはいけないと思っていた。恐れを感じてはいけないと思っていた。

 だけど、違っていた。恐れても良かった。いけないのは恐れを受け入れず、ただ恐れることを否定したこと。恐れを怖いものとしか認識していなかったから、動けなくなっていた。

 目の前の少年騎士は恐怖の先には、まだ続くものがあると言ってくれた。しかし、今、自分の中にある三つある死に対する恐怖のうち、二つはその言葉で乗り越えられるかもしれないが、どうしても乗り越えられそうにないものが一つあった。

『自分のせいで死んでしまった恐怖』

『自分のせいで死ぬかもしれない恐怖』

『自分も死んでしまうかもしれない恐怖』

 最初の恐怖は避けようがないように感じた。もう起こってしまったことなのだから。

「イオルク……。わたしのせいで……わたしを守ろうとしたから、二人の騎士が死んでしまいました……」

 その変えられない事実がユニスの胸に罪の刃のように突き刺さる。自分という存在がいなければ、なくならなかった命を思うと、また目頭が熱くなり始めた。

 俯きそうになったユニスに、イオルクの強い視線が向かう。

「無礼を承知で一言いわせて貰います」

「……はい」

「彼らはユニス様のせいで死んだのではなく、ユニス様のために死んだんです」

「……”せい”ではなく、”ため”?」

 イオルクは頷き、後ろを指差す。

「あの侵入者がユニス様の嫌がらせのせいでユニス様が命を狙われるなら、間違いなくユニス様のせいです。でも、そんな命を狙われるようなことはしてないですよね?」

「はい、誓ってしていません」

 イオルクは頷く。

「では、ユニス様のせいではない。ユニス様のために彼らは死んだことになります。では、どうして彼らは命を懸けたのか?」

 理由を知りたくて、ユニスは深く頷いた。

「ノース・ドラゴンヘッドの未来のため……。俺は、そう思います」

「この国の未来……」

 イオルクは、もう一度頷いた。

「ユニス様がもう少し大人になって、やがてこの国の女王になる時が、きっと来ます。その時、ユニス様がいなければ、この国は滅んでしまいます」

「国が……滅ぶ……」

「そうです。俺達の住む場所がなくなるんです。だから彼らは、未来の女王になるユニス様を守り、国を守ろうとしたんです」

「わたしを守ることで、ノース・ドラゴンヘッドの未来を……?」

「そうです。守ろうとしたんです」

 イオルクはユニスの両肩に両手を乗せる。

「まだ終わっていませんよね? ユニス様も俺も、彼らのお陰で死んでいませんよね?」

「はい」

 ユニスは両手を強く握りしめて答えた。

「こんなところで、彼らの誇り高い死を無駄にできませんよね?」

「はい……!」

 ユニスの目に力が戻るのを確認すると、イオルクはしっかりと頷いた。

「ユニス様、俺と力を合わせて乗り切りましょう」

「はい!」

 自分を鼓舞するように強い返事を返したユニスに安心すると、イオルクはユニスの両肩から手を放し、いつも通りの口調で話し始めた。

「後ろがガンガンうるさいですが、今の状況を整理しましょうか?」

「ええ、お願いします」

「まず、ここに居るのは女の子と見習い上がりの騎士が居るだけです。そして、この圧倒的に不利な二人が会話する時間を持っていられるのは、ここを守ってくれていた鋼鉄の騎士の二人が格子下りる仕掛けのスイッチを押す時間を稼いでくれたからです」

 ユニスは頷く。

「彼らが……わたし達を守ってくれたのですね」

「はい。その貴重な時間を無駄にしないためにも、冷静になりつつも恐怖と向き合って対抗手段を考えなければいけません」

 ここでユニスが頭を下げた。

「すみません、イオルク……。わたしには戦略を立てる知識がありません。もちろん、戦う術もありません。わたしはイオルクの足を引っ張るだけしか出来なさそうです」

 イオルクは首を振る。

「そんなことはないです。ユニス様は、俺にないものを持っています」

「わたしが?」

 イオルクは頷くと、ニッと唇の端を吊り上げる。

「ここにはありませんが、ユニス様の最強の剣が向かっているはずです」

「わたしの――あ! ティーナね!」

 イオルクは頷いた。

「そうです。城内の異変に気付いて、隊長が向かっているはずです。そこから戦略を立てます」

「ええ!」

 絶望的な状況から僅かな希望が見えた。特にティーナのことはユニスが一番わかっている。強くて誇り高い、ユニスを守ってくれる最高の騎士だ。

「暗殺者の実力は鋼鉄の鎧よりも強い。つまり、俺よりも強いでしょう」

「はい。――では、どのようにするのですか?」

「ユニス様を守りながらというのは、正直きついですね」

 イオルクはユニスの大きな机を指差す。

「あれを壁までくっ付けるので、ユニス様は中に隠れてください。本当は、カッコよく俺の背中で守ってあげれればいいんですけどね」

 ユニスは首を振った。

「いいえ、最善を尽くすのでしょう。わたしが出来ることをします」

「ありがとう」

 イオルクの緩い笑みに、ユニスは苦笑いを浮かべる。

(こんな時でも変わらないのね、貴方は……)

 しかし、次の一番大きな問題にユニスの表情は硬くなる。

「イオルク……。ティーナが駆けつけるにしても、それまでは貴方が暗殺者と対峙することになるのですよね? 勝算はあるのですか?」

 顎の下に右手を添え、イオルクは答える。

「う~ん……。勝たなくてもいいんで、そういう戦い方をすればいいかと」

「どういうことですか?」

 イオルクは右手の人差し指を立てる。

「隊長が来るまで時間を稼ぐんです。相手は俺より強いんで攻撃は捨てます。死なないように防御主体にするんです」

「つまり、生き残る戦い方をするのですか?」

「時間を稼ぐ戦い方とも言えます」

 ユニスは安堵する。イオルクが傷つく方法だったら、どうしようかと思っていたのだ。

「「‼」」

 その時、決定的な音が響いた。扉の板が大きく剥がれ落ち、ギロリとした目が中を覗き込んだ。

「チッ‼ 格子か! これじゃあ、扉を爆破してもすり抜けるだけだな」

 扉を見たまま再び硬直したユニスに、イオルクは声を掛ける。

「ユニス様」

 強張った顔のユニスの顔がゆっくりとイオルクに向いた。

 そこにイオルクは右手の小指を立てる。

「これが終わったら、またトランプをしましょう。約束です」

「イオルク……」

 最後の最後で、また緊張を解いて貰うと、ユニスはイオルクの首に抱き付いた。

「ユニス……様?」

「死んではいけませんよ。……まだまだ教えて欲しいことがあるの」

 この国の姫として、イオルクの友達の年相応の女の子として、ユニスがイオルクに贈れる精一杯の行動と言葉だった。

「はい、任せてください。ユニス様の騎士が、どれだけ強いかを思い知らせて、後悔させてやります」

 イオルクがユニスを抱き包むと、ユニスは小さく頷いた。

「さあ、急いで隠れてください」

 ユニスがイオルクを離すと、イオルクは小さな手を取って壁際まで誘導する。

 そこで手を放し、イオルクはユニスの机に両手を掛けた。

(いい造りだ。これだけ厚ければ、剣も簡単に貫けない)

 大の大人でも動かせそうもない机がゆっくりと持ち上がり、壁際に立つユニスに近づく。

「屈んでください。投擲されることもあるかもしれないから、体は壁際に寄せて」

「分かりました」

 ユニスは壁まで下がり、小さく屈んだ。それを確認すると、イオルクは大きな机を下ろして壁まで押しつけた。

 ユニスが完全に机の中に隠れると、イオルクは格子の落ちた扉を睨む。

「さっき、爆破するとかなんとか……妙なことを口走ってたな」

 イオルクは右手の手甲を外して机の上に置き、続いて左手の手甲を外し始める。

(それにしても防御主体の戦いなんて……ユニス様に嘘を吐いちゃったな)

 戦いにおいて守備だけなどあり得ない。もし、相手が何もしてこないと分かれば、それこそ一方的に攻撃をされて嬲られるだけになる。防戦の中で仕掛けることをしなければ、相手の攻撃を止めることはできないのだ。

 イオルクは左手の手甲を外すと、両足の具足も手早く外して机の上に置く。そして、ロングダガーを左右の腰から引き抜き、両手に一本ずつ持って二、三度振って重りが外れた感触を体に覚えさせる。

「さて、どう出るか」

 イオルクが戦闘態勢を整えた数秒後、沈黙していた侵入者が火薬を使って壁をぶち抜いた。

 足元に転がってきた爆散した壁の破片を見ながら、イオルクは呟く。

「大胆だな。こんなことをすれば、城中に異変を知らせるようなものなのに」

 粉塵の晴れ切らない壁際から黒い覆面に黒装束の暗殺者が右手に剣を持って現われた。背はイオルクとほぼ同じぐらい。やや猫背で右手に持つ剣は先端が重く垂れさがり、乾き切らない血がこびり付いていた。

 ユニスの部屋にくぐもった声が響く。

「クク……。姫の最後の護衛が誰かと思えば見習いか。道理で、直ぐに鍵を掛けるわけだ。楽な仕事だ」

 暗殺者を確認しようと、凝らすイオルクの目が見開かれる。

「お前は、何も分からずに死んでいけ」

 強烈な何かがイオルクの体を突き抜け、背中を抜けていった。

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