見習い時代に比べて、イオルクの日常は穏やかに過ぎていた。
見習いから鉄の鎧へと変わり、城での生活も馴染んでいく。早朝にティーナとの直の手合わせをし、ユニスの付き人、兼、護衛任務、そして、帰宅後の鍛錬……。
ほんの一か月前までは家に居るよりも戦場に派遣されることの方が多かったのに、同じところに足だけで通って一週間が過ぎた。
そんなある日、イオルクは再会を果たす。
「久しぶりだな」
城の中で新参者のイオルクへ、気さくに声を掛ける騎士がいた。声を掛けた騎士は若く、軽鎧が当たり前の城の中で実戦用の厚い鉄の鎧を身に付けていた。おそらく遠征からの帰りに、そのまま城を訪れたのだろう。
「本当に久しぶりだ」
そうイオルクに懐かしそうな声を出させた若い騎士は、イオルクよりも随分前に城にあがった見習い時代の同期であった。
ティーナに頼まれた書類の受け取りの帰りだったが、少しぐらいの遅れなら許されるだろうと、イオルクは鉄の鎧を着けた若い騎士に駆け寄った。
「立派になったな」
「お前は相変わらずだな。何で、城の中なのに見習い時代と同じ姿で出くわすんだよ?」
イオルクは口元で弓を引き、両手の親指で自分を差す。
「これが正装! 隊長に許可は貰ってる!」
「随分、理解のある隊長だな」
「……まあ、あれは注意するのを諦めた感じだったけど」
最後に視線をそらして答えたイオルクに、鉄の鎧を着けた若い騎士が可笑しそうに笑った。
しかし、直に妙なことに気付く。
「あれ? ちょっと待てよ? 城に入るには鉄の鎧にならないといけなかったような? それに隊長に許可を貰っているとも……」
首を捻る鉄の鎧を着けた若い騎士に、イオルクは頷いて答える。
「それで合ってるよ」
「……と、いうことは、皮鎧を着けているけど、イオルクも鉄の鎧なのか?」
「そうだよ」
「おめでとう! 同期の中で一番の手練れがいつまでも見習いっていうのはおかしいと思っていたんだ!」
両手で右手を握られたイオルクは『ありがとう』と、左手を頭に当てながら返事を返した。
「しかし、さすがだな。二階級昇進なんて」
「……え? ああ、うん、そうだね。そうなるね」
「何で、歯切れが悪くなるんだ?」
「えっと、それは……」
どうやって説明しようかと悩むイオルクだったが、事実は変に誤魔化しの効くものでもない。
観念したように溜息を吐き、イオルクはありのままを答えることにした。
「実は……俺、ユニス様の権限で銅の鎧を飛び越しただけなんだ」
「は? 姫様の? 何で?」
「四年落ち続けた見習いが見たいっていう好奇心で」
予想外の返答に、鉄の鎧を着けた若い騎士がこけた。
「そんな昇進ありなのか⁉」
「そう言われても、あれ以来、ユニス様の付き人してるし……」
「どうなってんだよ」
イオルクが城に居ることは、誰にも予期できないことであった。いきなりユニスの騎士になり、しかも、配属された部隊は、今まで多くの者が長続きすることなく辞めていく、部隊員が二人だけという特殊部署だ。
「まあ、それで正式な騎士にはなれたんだけど、急な配属だったからいろいろと大変なんだ」
「そうだろうな」
「特にさ、城に入るマナーとかを教わらずに――」
「それ、ダメだろう!」
鉄の鎧を着けた若い騎士は、イオルクの言葉を遮った。
「オレ達の中でも、一、二を争う問題児の躾をしてないなんて!」
「躾って……。何て言い草だ。俺は貰われて来たばかりの犬か」
「だけど、そうだろう? そういう奴だったよな? 好き勝手やって周りに迷惑を掛けてたよな? お前とクロトルは」
「……そ、そうだけど」
イオルクは項垂れた。
「念を押されて言われると凹むな……」
その様子を見て鉄の鎧を着けた若い騎士は吹き出した。そして、笑っていた顔は少しずつ安堵した顔になっていった。
「本当に変わってないんだな」
「……ん?」
「イオルクと話せて安心したよ」
鉄の鎧を着けた若い騎士に、イオルクは顔を向けて訊ねる。
「何でまた、安心なんて言葉が出てくるんだ?」
「イオルクは、あのまま戦場から戻って来ないかもしれないと思っていた」
「…………」
暫し言葉を止め、イオルクは頭を掻く。
「少し無茶したからな。あのまま戦場で死んでたかもしれないよな」
鉄の鎧を着けた若い騎士は首を振る。
「そうじゃない。オレ達が心配したのは、イオルク自身の心だ。あのまま自分の心を戦場に置いて来てしまうんじゃないかって、心配していたんだ」
「戦場に心を……」
思い当たることは沢山あった。見習いに入ってからの最初の三年間は、特に……。
恵まれた体であったはずの自分を酷く弱く感じ、成長途中の体に鞭を打って限界以上に無理をさせた記憶がある。自分の身体であっても、自分の身体に謝りたくなるぐらいのことをさせてしまった。
――それでも足りないものを補うために、イオルクは何をしたのか?
同期の仲間達は、それを知っているのだ。目の前の鉄の鎧を着けた若い騎士も……。
イオルクは何処ともない宙に視線を向ける。
「クロトルとの約束を違えるわけにはいかなかったからな……。周りには戦場に心を置いてきたように見えたのかもしれない。でも、クロトルの約束を守るために、戦場では自分の気持ちが一番邪魔だったんだ。戦いの最中、命の取捨選択をするのに変わらないままの理想は重過ぎたよ」
「だから、内面はそんなに大人びてしまったのか?」
イオルクは目を伏せ、首を振る。
「いや、馬鹿のままだよ。汚い大人の事情っていうのを知ってしまって、まだ捨てなくていい、色んなものを切り捨てられるようになってしまっただけだよ。だけど――」
鉄の鎧を着けた若い騎士は、顔を上げたイオルクを見る。
「――その分、自分らしさっていうものの大切さが分かったつもりだ。だからこそ、俺は自分の根っ子の性格を変える気はないし、いつまでも見習いの時のままで居たいんだ」
「そうか……」
鉄の鎧を着けた若い騎士は暫く昔を思い出しながら考えに耽り、やがて口を開いた。
「それが……クロトルの望んだことかもしれないな」
「クロトルが?」
「ああ……。自分との約束のせいでイオルクが変わってしまったら、クロトルは自分を許せないと思う」
「……そうだな」
イオルクは親友の性格を思い出し納得する。イオルクはクロトルという人間に惹かれ、クロトルはイオルクという人間に惹かれて、二人は親友になった。その惹かれあった部分が変わったら、どう思うか?
親友が変わってしまうことなど、望みはしないだろう。
鉄の鎧を着けた若い騎士を見ると、イオルクは微笑む。
「話が出来て良かったよ」
「オレもだ」
イオルクは右手を軽く上げて踵を返す。
「そろそろ戻らないと、隊長にどやされそうだ。もう、行くよ」
歩き始めたイオルクの背中に、鉄の鎧を着けた若い騎士が叫ぶ。
「イオルク! オレ達全員、感謝してる! オレ達が死なずに騎士でいられるのは、お前とクロトルのお陰だ、って!」
その声を聴いたイオルクは、振り返って、もう一度微笑む。
「約束を違えなくてよかった……。その言葉にクロトルも安心したはずだ」
背を向けて去って行くイオルクの背中に、鉄の鎧を着けた若い騎士は聞こえない声を掛ける。
「イオルク……。今度は自分の意志で、その力を使ってくれ」
イオルクが見習いに在籍していた四年間……。
その最初の三年間に何があったのかを知る者は少ない。