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序章・切っ掛けの少年  4

 翌日――。

 普段通りの皮の鎧を装備したイオルクは銀の軽鎧を装備したジェムに付き添われ、不明である勤務先と仕事内容を確認をするため、早朝の城を訪れる。

 城の門の前で腰に右手を当て、ジェムは溜息交じりにイオルクに話し掛ける。

「さて、何処から顔を出すべきなのか」

 それに対し、イオルクは腕を組んで首を傾けながら返す。

「いつも通り、見習いの修練場に行く方がいいのかな?」

「何故?」

「名簿に俺の名前があるか、確認すればいいと思って。そこに俺の名前があれば、俺はいつも通り見習いの修練場に居ればいいと思うんだ」

「そうか。では、行ってみるか」

 イオルク達は城の直ぐ外にある見習いの修練場へ向けて歩き出す。イオルクにとっては馴染みのある場所であり、ジェムにとっては随分と久しぶりの場所になる。通いなれているイオルクが案内するようにジェムの先を進む。

「城勤めになると、疎遠になるな」

「フレイザー兄さんもジェム兄さんも通っていたんだよね?」

「ああ。騎士である誰しもが修練場を訪れる。それは王とて例外ではない」

「王様と同期って、どんな感じなんだろうね?」

 ジェムは頬を緩め、フッと軽く息を吐き出して笑う。

「想像も出来ないな。しかし、きっと私達と大差はないだろう。戦場で命を供に懸ければ、上も下もないからな」

「そうだね」

 それはイオルクも実感していることだった。イオルクよりも先に騎士になった同期は数えきれないが、鎧の色を理由に態度を変える者はいなかったのだから。


 …


 イオルクとジェムは城の外にある修練場に、それほど時間を掛けずに辿り着く。

 辿り着いた修練場は修練生が五十人が入っても余裕で武器を振れる広さがあり、雨天用の年季の入った石造りの建物と修練用の武器が収められている倉庫もある。

 ただし、外での実習がほとんどのため、雨天用の建物の大きさはあまり大きな造りをしていない。

「変わらないな」

「頑丈さだけが取り柄だよ、ここの修練場の建物は」

「雨の日が最悪だったな」

「改善するように申請してよ」

 口を尖らすイオルクに、ジェムは声を出して笑う。

 ジェムにも同じ思い出があるのだ。ガタイのいい男達が押し込まれるここは、最悪の一言だった。雨が降るたびに内部は人数と広さが一致していないと文句が出続けていた。

 イオルクは両手を軽く上げて首を振る。

「何で、誰も改善しようとしないんだか」

「お前みたいに長く居つく者が少ないからじゃないか」

「……それは言わないでよ」

 項垂れたイオルクを見てジェムは軽く笑い、修練場に備え付けられている倉庫へ目を移す。倉庫から見える武器の程度は低く、錆が浮かんだり歪みの入っているものもある。見習いの扱いは低く、練習用の武器は中古の質が悪いものを使わされているのが現状だった。

「ジェム兄さん、建物の方に行こう」

「ああ」

 イオルクに促されてジェムは倉庫から目を戻し、イオルクに案内されて修練場の建物の中にに入った。入り口近くにある使い古された小さな机には雑に放られた名簿が転がっていた。

 イオルクは名簿を机の上で開き、最後に書き込まれたページまで一気に捲り飛ばすと右手の人差し指を当てた。

「新しくなってる」

「そうなのか?」

 横からジェムも名簿を覗き見る。

「この前の試験で入れ替えがあって……。今回の入隊は……人数少ないな」

 イオルクはページの真ん中から下へと目を移す。

「えっと、俺の名前は……あった。でも、二重線で消されてる」

「本当だ。隣のメモ書きは昇進を表しているな」

「ということは、連絡は入っているんだ」

 ジェムは困り顔で腕を組む。

「これは直に聞かないと分からないぞ」

「聞く?」

 ジェムは頷く。

「ここの担当の者に聞いても、イオルクが配属された部隊がどこかは分からないだろう。修練生の管理をするのが役目のはずだからな」

「そうだよね」

 当の本人にも連絡が来ていないのだから、昨日の今日で担当にすべての話が通っているとは思えなかった。

 よくよく名簿を見れば、二重線の横に昇進を書き込んだ者とそれまで書き込んでいた者との筆跡が明らかに違う。このことからも、担当の者が帰ったあとに誰かが書き込んだということが分かる。

 イオルクはガシガシと頭を掻き、『どうすればいいんだよ』と呟くが、ふと思い出す。

「そういえば……あーっ!」

「今度は、何だ?」

 何かを思い出したイオルクは、ジェムを指差す。

「ジェム兄さんがさっき言った、それ! 部隊! 姫様に仕えてるの、俺含めて二人しか居ないって言ってた!」

「先に思い出せよ……。それで部隊の名前は?」

「知らない」

「ダメじゃないか……」

 ジェムが項垂れた。

「隊長の名前は分かってたはずだ。え~と……女の人で……」

 イオルクは昨日の記憶を必死に引っ張り出そうと難しい顔になり、やがてポンと手を打つ。

「ティーナって、言ってた!」

「ティーナ?」

 ジェムは顎に右手を当てる。

「ひょっとして、兄さんの部隊から引き抜かれた娘かな?」

「知ってるの?」

「ああ、兄さんが褒めていたのを覚えている。女性だけど、男にも負けないって」

 イオルクの脳裏に、昨日の殴られた記憶が蘇る。

(確かに男勝りな性格ではあったな……)

 記憶は蘇るが……あれは男勝りとは違う気がする。どちらかというと、母・セリアに近い怒り方だった。

(まあ、女の人なんてみんなヒステリー持ちなだけなんだろう)

 などと、失礼なことを考えているイオルクの横で、ジェムが再び腕を組んだ。

「しかし、本当に困ったな」 

「俺を隊長のところに連れて行ってくれればいいだけじゃん。何に困るの? 知ってる人なんでしょう?」

 尤もなイオルクの言葉に、ジェムの歯切れは悪い。

「……いや、知ってはいるのだが、私にはティーナの居場所の見当がつかない。そもそも、二人じゃ部隊とも呼べないだろう?」

「まあね」

「部隊なら専用の部屋に区切られているから案内することも可能なのだが、一人で部隊部屋を貸し切っているなんてないはずだ」

「それもそうだね」

 イオルクは溜息を吐く。

「仕方ない……。昨日行った、姫様の部屋の前で待つよ」

「それしか無さそうだな」

 イオルクはジェムに軽く頭を下げてから、右手をあげる。

「付き添ってくれて、ありがとう。あとは自分で何とかしてみるよ」

「分かった。私は一度家に戻ってから、自分の部隊に行く」

 イオルクが空を見上げると空にはまだ霞が残り、出勤するには早い時間だった。

「また趣味の菜園? 一日ぐらい水撒かなくても、野菜は枯れないと思うよ」

「一番食べるくせに、よく言うよ。イオルクが萎れた野菜を優先的に食べてくれるのかい?」

「いえいえ、足を止めてすみません。俺のために水を撒いてきてください」

「お前なぁ……」

 ジェムは溜息を一つ入れると、イオルクを置いて踵を返した。

「オレも城門まで行くから、待ってよ」

 イオルクは小走りでジェムの後ろを追った。


 …


 見習いの修練場を後にして城の城門に着くと、ジェムはブラドナー家へと戻っていった。

 残されたイオルクは、昨日の城の中の経路を思い浮かべる。

「…………」

 しかし、初めて歩いた城の中は緊張していたせいもあって、詳しく思い出せなかった。

「俺、今度はあの部屋に辿り着けないんじゃないか?」

 と、今度は別の不安が頭を過る。しかし、これは些細な問題だとイオルクは考えるのをやめる。城に入って誰かに会って尋ねれば、場所を教えてくれるはずだ。

 そうなれば、あとは実行あるのみ。イオルクは城門警備をしている衛兵に取り次ぎのお願いをしに行く。

「あの~……ここのお姫様のところに行きたいんだけど、入っていいのかな?」

 珍妙な訪問者に衛兵は、怪しい目を向ける。

「良い訳ないだろう」

「一応、辞令があるんだけど」

 腰に付けてある皮袋からユニス直筆の辞令を見せたが、衛兵の顔は曇ったままだ。

「これがあるなら、城への入城許可証があるはずだろう? 失くしたのか?」

 イオルクは眉間に皺をよせ、衛兵に訊く。

「まだ発行されてないんだけど、上の方からイオルク・ブラドナーで入城許可とか入ってない?」

「今日、入城許可の申請が入っている者は居ない」

「じゃあ、どうすればいいの?」

「オレに聞かれても困るよ。この任務上、姫様の直筆があろうと入れるわけにはいかないし」

「…………」

 手間を掛けさせて悪かったと右手を縦にして謝ったあと、イオルクは衛兵から離れて城門の入り口近くでしゃがみ込む。

「どうすればいいんだ……。直筆の辞令を見せても意味ないし……」

 それから数分、イオルクは門の前で頭を抱えたまま蹲まり、そのイオルクを通り縋る人は、おかしなものを見るように目を向けていた。

 しかし、そんな視線などはどうでもいいことだった。まず、この辞令が下りているのに城の中へ入れないという状況をなんとかしないと、どうにもならない。

「一体、どういう状況なんだ……」

 妙な格好でうんうん唸っているイオルクに、後ろから声を掛る者が居た。

「……貴様、何をやっている?」

 イオルクが振り返ると、そこには昨日と同じ軽鎧姿のティーナが不機嫌そうな顔で立っていた。

「隊長!」

 立ち上がったイオルクに、ティーナのグーがカウンター気味に炸裂した。

「名前で呼べと言っているだろう! その見習いの騎士みたいな呼び方をいつまで続ける気だ!」

 痛みで暫く頭を押さえていたイオルクが、ティーナから視線を背けてブツブツ呟く。

「名前名前って、うるさいな……。こっちは戦場に居た時から呼び方ずっと隊長だっていうのに……。まったく、仕方ない」

 イオルクはスックと立ち上がると、キリリとした顔で話し掛ける。

「ティーナ、実は――」

 再びティーナのグーが、イオルクに炸裂した。

「 様 をつけろ! 貴様は、人を敬うことを知らないのか!」

(話が進まない……)

 このままでは本題に入れないと、自分に妥協してイオルクはテイーナに向かって叫ぶ。

「ティーナ様! 俺、どうすればいいの⁉」

「は?」

「俺のお勤め! 見習いの修練場じゃ、名簿から名前が消えてるし! 城内に入ろうとしたら、衛兵に引き止められるし!」

「ああ……」

(コイツのことなど、すっかり忘れていたな)

 どうでもいいようなものを見るような視線を投げたあと、ティーナは左手を腰に当てて右手を返す。

「許可証の申請が済んでいないのだ」

「だったら、それを教えておいてよ」

 イオルクの粗野な言葉遣いにティーナの片眉がピクリと反応するが、今はあえて流す。イオルク同様、ティーナも話が進まないと思ったからである。

 ティーナは城の方へと足を向ける。

「兎に角、付いて来い。そして、今日からは、私に付いて回れ」

「……了解」

 歩みを進めたティーナの横にイオルクが続く。

 そのイオルクの恰好を見たティーナが訊ねる。

「その鎧……。何で、皮の鎧なのだ?」

「昨日の今日で用意できるわけないでしょう。何すればいいか連絡も入れてくれないしさ」

「そんなものは習っているはずだろう」

「俺、姫様の思い付きで見習いから鉄の鎧になったから、銅の鎧の修練を受けてない」

 ティーナは額を押さえた。

「そうだった……」

「それに兄さんの話だと、部隊によって用意する鎧も違うとか」

(それもあったな)

 教え込むことが多い部下だと、ティーナは溜息を吐く。

「鎧は好きにしていい」

「何で? そういうのに寛容そうなタイプに見えないのに」

 不機嫌を顔に表し、ティーナが答える。

「私は、貴様と同じデザインの鎧など着たくもないからだ。立派な兄上達が居るのだから、知識を借りるなり、お古を着るなり、好きにするがいい」

(もの凄く嫌われてる……)

 イオルクは視線を逸らして答える。

「……好きにします」

 ティーナの一歩後ろに続いて、イオルクは城へと入って行った。


 …


 城内に入ると直ぐに突き当たりの狭い通路に入って進んで行く。入り口とそう距離のないそこには受付の小さなカウンターが見え、常時人を置いている小さな部屋があった。そこは小さくとも城の管理局の一つで、主に拾得物や許可証の発行に利用される場所だった。

 ティーナは管理局の者に自分の名前を告げ、イオルクの許可証の手続きを依頼する。

 後ろに控えるイオルクの目から見て、ティーナの行った作業はサインと簡単な書類の記入だけで、あとは管理局の者が専門の用紙に記入をして判を押し、誰に発行したのかの報告書に記入をしているだけだった。

(発行のために俺が用意する書類が必要だったり、許可を取るための審査があるわけじゃないのか?)

 そんな疑問をするイオルクに、ティーナが発行されたばかりの許可証を差し出す。

「これが許可証だ。大事にしろ」

 許可証を受け取ると、イオルクは手の中の許可証を見ながら質問する。

「手続きって、こんなに簡単なの? さっきも二言三言で門を通してくれたし、この許可証も無期限なんてものだし……」

 肩にかかる銀髪の髪を右手で払って後ろに持っていき、その手を腰に当てながらティーナは答える。

「まあな。私は姫様の直属だから、発行を行う時の審査も門のチェックも簡単に済むのだ」

「姫様の直属って、そういう権限も与えられるんだ。――ん? ということは、申請なんて存在しなくないか?」

 イオルクは許可証からティーナに目を向ける。

「ただ忘れてただけなんじゃないの?」

「…………」

 図星を突かれ、ティーナは小さく肩を竦めて本当のことを話す。

「意外と鋭いのだな。正直に言うと忘れていた」

「昨日から扱い酷くない?」

「私は、貴様が嫌いだからな」

「…………」

 イオルクは溜息を吐いて、頭に手を当てる。

「二人しか居ない部隊で上官に嫌われて、俺は、どうやって出世するんだよ……」

「そんな野心を持っているのか?」

「給金が多いことに越したことはないでしょう」

「…………」

 ティーナは眉間に右手を当て、苛立つ気分を抑える。

(『誇りはないのか』と言おうとしたが、コイツの試験の結果を見れば言うまでもない。コイツに誇りなどがあるはずがない)

 そう結論付けるとティーナは会話を止めて歩き出した。

 その後ろを腰に付けている皮袋に許可証を突っ込みながらイオルクが続く。

「今度は、どこに行くんですか?」

「黙って付いて来い」

 来た通路を戻り、今度は大きなエントランスを通って城内の奥へと進む。目的の場所はユニスの居る部屋ではないようだった。この前来た時に使用した階段を通り抜けている。ここの記憶はイオルクにも残っていた。

 歩み続けるティーナは城内を抜け、城の外れに当たる場所で再び外に出た。

 そこには頑丈そうな石造りの大きな建物と開けた場所が広がっていた。

「見習いの修練場に似てる気がする……。建物の大きさや豪華さが比べ物にならないけど」

 イオルクの独り言を聞いて、ティーナが答える。

「その通りだ。ここは城の修練場だ」

「こんなに広いのか」

「部隊訓練なども行うからな」

「へ~」

 もの珍しそうに眺めるイオルクの横を通り過ぎながら、ティーナが言う。

「鍛練していく」

「今から?」

「そうだ。貴様も来い」

(そうか。こんな早い時間に出くわしたのは、ここに寄るためだったんだ)

 ティーナを追うように、イオルクは城の修練場の建物に入る。

 基本的な造りは見習いの修練場の建物と同じだが、中の広さは倍近い。窓の数も多く換気が行き届いている。見習いの修練場の息の詰まりそうな空間と比べると、明らかに室内での使用を考慮された造りになっていた。

「俺達は、あの狭い中に押し込められていたというのに……」

 文句を垂れながら城の修練場を見回すイオルクに、ティーナが声を掛ける。

「オイ、腕を見てやる。相手をしろ」

 ティーナが自分の腰の左に携帯している剣を抜く。装飾綺麗な銀色の鞘から姿を現した剣は細身のレイピアだったが、それだけではない。剣身が淡い赤を帯びていた。

「変わった武器だな」

 レイピアは女騎士の美しさを引き立たせるアクセントのように美しい姿見をしていた。手入れが行き届いて剣身が光を反射させているだけではなく、ミスティックに淡い燐光を放っている。

 しかし、その持ち主であるティーナは自分の武器を語るよりも鍛錬をする方にご熱心なようである。

「いいから、早く構えろ」

 既にレイピアを構え、鍛錬を開始する準備を終えていた。

 しかし、一方のイオルクは……。

「俺、武器持ってないよ」

 両手を上げて何も持っていないことをアピールし、背中を向けて何処にも武器を携帯していないことをイオルクは見せた。

「…………」

 ティーナは額を押さえると、苛立ち混じりに指摘する。

「何故、騎士が武器を携帯していないのだ! ナイフ一本も持っていないのか⁉」

「見習いの修練場じゃ用意されていたものを使ってた」

「貴様は――そうか……。コイツ、銅の鎧をすっ飛ばしてきているのだった……」

 溜息を吐き、レイピアを持ちながら器用に腕を組むと、ティーナは仕方なく説明を入れることにした。

「銅の鎧からは武器の携帯を許されている」

「そうなの? でも、ジェム兄さんは槍なんか携帯してなかったような……」

 首を傾げるイオルクに、ティーナは再び溜息混じりに答える。

「槍なんて大きな武器を城内で携帯するわけがないだろう。部隊部屋に預けてあるはずだ」

「なるほど」

 ティーナは建物に備え付けられている倉庫の方を指差す。

「あそこに練習用の武器があるから、それを使え」

「了解」

 イオルクは小走りで倉庫に走っていき、倉庫の中を見回す。少し埃臭い気がしたが、倉庫なんてどこもこんなものだろうと、目を凝らす。

 暗がりの倉庫の中には、あらゆる系統の武器が揃っていた。陳列も綺麗にされており、手前から順番に小型武器から並べられているようだった。

「いい武器を使ってるなぁ。見習いとは雲泥の差だ」

 手前から奥に目を向けて眺め、特に迷うことなく一歩動いてイオルクは手を伸ばした。

「これにするか」

 イオルクの選んだ武器は練習用に刃を付けていない小型武器のダガーだ。それを両手に一本ずつ掴んで倉庫を出ると、ダガーを握った右手を振って合図する。

 ティーナが腕組みを解く。

「もう、選んだのか? 用意されている武器は少なくないはずだ」

「どれでもいいから、手前のヤツにした」

「どれでもだと……」

(ブラドナー家出身のコイツが、何故、得意武器というものを使わないのだ?)

 ティーナが不思議がるのも、当然であった。ブラドナー家の騎士が一つの武器を好んで使うのは、騎士たちの中では周知の事実だった。実際、イオルクの兄であるフレイザーは大剣術を得意とし、ジェムは槍術を得意としていた。父であるランバートが片手剣の使い手であったことも広く知られている。

 だが、その一族秘伝の技の継承が見習いを終えてからというのは、あまり知られていないことだった。

「隊長」

 そんなティーナの疑問が、イオルクの呼び掛けで霧散する。呼び方を注意されたことをイオルクは、すっかり忘れていた。

「貴様、言っても直らないのか?」

 ティーナは、また注意を入れようと思ったが、注意を入れるのが段々と無駄な努力に思えてきた。

「もういい……。それで、何だ?」

「隊長も倉庫の武器を使ってよ」

「倉庫の?」

 自分の手の中のレイピアを見て、ティーナは不思議に思う。

「何故、これではいけないのだ?」

「それ、刃が付いてるでしょう。危ないですよ」

「そんなことか」

 ティーナは肩を竦ませて言う。

「安心しろ。ちゃんと、寸止めしてやる」

「そんな余裕あるの?」

 今の言葉に、ティーナは視線を鋭くする。

「私を侮辱するのか?」

 見習い上がりが口にするには大それた言葉だった。また、自分を女であると軽んじた発言とも取れた。

 しかし、鋭い視線を向けられながらも、イオルクは態度を変えることはない。

「侮辱も何も、俺、修練で本物の武器使ったことないし」

 そう返されて、ティーナは難しい顔で額に指を当てる。

(……そういうことか。コイツには何処かのタイミングで、城に勤める騎士の常識と城内のルールを教え込まんとならんな)

 それ以外にも教え込まないといけないものが頭を駆け巡る。

 しかし、教え込まないことを全て上げるだけでも三十分は思案しなければいけないような気がした。イオルクに常識が備わっていないのは見習い上がりと言うことだけではない気がする。

 イオルクの悪いところを思い浮かべれば切りがなく、このままでは埒が明かないと、ティーナは強引に現状の事柄を進めることにした。

「これからは、これが基本になる」

「そうなの? 了解」

 ここからが仕切り直しと、ティーナがレイピアを正眼に構える。

 それに対してイオルクはダガーを両手に一本ずつ握り、脱力した姿勢で構えた。

「ナイフ術が得意なのか?」

「そういうわけじゃないんだけどね。今のところ苦手な武器がなくて、逆に得意な武器もないんだ」

「そうか」

 会話を早々に切り上げると、ティーナが先に仕掛けた。右手に持ったレイピアを突き出し、イオルクの左肩を狙う。

 イオルクの視線はレイピアの動きを確実に追い、右足を後ろに下げ、半身の姿勢で迎え撃つ構えを取った。

(手加減しているとはいえ、私の動きが見えているのか?)

 左肩を狙うレイピアに対し、イオルクは左腕を小さく折りたたみ、体を反転させながら右手のダガーを左手のダガーと同時にレイピアへと向かわせる。

「っ‼」

 ダガーの剣戟にレイピアが火花を散らして跳ね返った。

(何て使い方だ‼ ダガーを剛剣のように扱うなど‼)

 ティーナが弾き飛ばされたレイピアの方向に合わせて移動すると、そこにイオルクが走り込み、再度、両手のダガーを同時に打ち込む。

 再び火花が散るも、今度は受けの姿勢で止めたため、ティーナの体が流れることはない。

(重い……。しかし、随分と力任せな攻撃ばかりをする)

 と、ここでイオルクの攻撃のリズムが変わる。ステップを踏み、短剣であるダガーの軽さを利用して、更に連続でダガーをレイピアに打ち込む動きに変えてきた。

(……狙いはレイピアか。衝撃の伝わり易い細身の剣を相手から叩き落とすのは悪くない。だが――)

 狙いを見切ると、ティーナは受けから攻めへと転ずる。小さく細かい攻撃に切り替えることで、ダガーを打ち込ませないように切り替えた。

(――そういうものは小型武器以外でやるのだな)

 攻守が入れ替わり、今度はイオルクが防戦する番になる。ダガーとレイピアでは、レイピアの方がリーチは格段に長い。ダガーの攻撃を届かせない絶妙な距離で攻撃を始めたティーナの操るレイピアが鋭さを増す。

 しかし、イオルクは防戦一方になりながらも数ある攻撃から一つを見極め、上段に突き抜けたレイピアの一閃を両手のダガーを交差させて挟み込んだ。

 そして、お互い決め手のない状態で、両者の蹴りが中段でぶつかり合った。

「…………」

 暫しの睨み合いのあと、ティーナが距離を開けてレイピアを下げた。

「甘く見ていたな。これほどの使い手だったか」

 怪我をさせないための手加減はあったが、見習い上がりに後半の戦いには駆け引きをさせられた。

(あのダガーの速さに合わせるには、加減が難しいか)

 軽く揉んでやるつもりでいたが、手加減を誤れば怪我をさせる可能性が出てきた。

 ティーナは左手を上げて制止を掛ける。

「少し待て、私も武器を練習用にする」

 両手のダガーを下ろし、イオルクが首を傾げる。

「どうしたの?」

「このままだと、勢い余って殺してしまいそうだ」

「ころ――」

 突いて出た物騒な言葉に、イオルクは肩を落とす。

「何なんだ、その危ない発言は……」

「久しく打ち合える相手に出くわさなくてな。急所への狙いや大怪我させるところへの打ち込みは避けていたのだが――」

「はあ……」

「――貴様なら急所を狙った鍛錬をしても大丈夫だろう。盾も使わせて貰うぞ」

「構いませんけど」

 ティーナは自分のレイピアを鞘に納めて壁に立て掛けると、足早に倉庫に向かった。倉庫の中を見回し、自分のレイピアと同じサイズの練習用のレイピアに足を向ける。

「これがいい。あとは盾か」

 倉庫の奥へ足を進め、ティーナは盾が陳列している棚の前で足を止める。二つ三つ盾を手に取り重さと形状を確かめる。

 そして、最終的には小さめの丸みのある盾を左手に装備して倉庫を後にした。

「待たせたな。行くぞ」

 ティーナが倉庫を出ると直ぐ、模擬戦による鍛錬が再開された。

 優美なレイピアから練習用のレイピアに変えたため見劣りはするものの、盾があるせいか戦闘レベルは格段に上がった印象がある。

(これは気を引き締めた方がいいかもしれない)

 そう判断したイオルクの想像通りに、盾を使っただけでティーナの動きが別人のように変わる。


 ギギンッ!


 イオルクの左右の連撃が悉く盾に弾かれる。

 しかも、盾を使う効果はティーナの防御力を上げるだけではない。盾に隠された視界により、ティーナの右手のレイピアの出所が極端に分かり辛くなった。

「っ! 迂闊に踏み込めない!」

 上体を反らした先をレイピアが通過していく。

 イオルクは、先ほどのように武器を狙った攻撃は出来なくなった。

(盾で視界の一部を隠して攻撃に転じられるせいで、隊長のレイピアが蜂の針のように鋭く感じる。あれじゃ、合わせられない。武器破壊を目的にするのは無理だ。――でも、その盾が俺の視界を遮るように、盾は俺の姿も隊長から見えなくするはずだ)

 ティーナの左手に装備されている盾を意識して、イオルクは自分の姿を隠すティーナの左手側――右へ右へと回り込みながら攻撃を仕掛け直す。切り返しと同時に右手のダガーを盾の死角から突き上げる。

 しかし、ティーナにとって、その戦術は予想された一つに過ぎなかった。レイピアを己の武器に選び、長い年月を掛けて昇華させてきたのだ。長所も短所も熟知している。

 一度、ダガーの攻撃を盾で受けて回避すると、ティーナは盾を上段に構え続けることをやめ、ダガーの攻撃を見極めてから盾を使用するように盾をやや下に構え直す。これにより、ティーナの視界が塞がれている時間は減り、盾の死角を作り出そうとしたイオルクの作戦は続けても意味がないものになる。

 また横薙ぎに振るわれたダガーの軌道を丸みのある盾が変える。

「くそッ! 丸みがあるから刃が上手く突き立たない!」

 盾にダガーが突き立てば、体の大きいイオルクが力任せに振り切って体勢を崩すことも可能になる。しかし、刃が滑り受け流されれば体勢を崩されるのは自分だ。鍛え込んだ体で無理に姿勢制御を行い、決定的な隙は与えないようにバランスを取る。

 そこに鋭いレイピアの突きが迫る。ティーナの柔軟な体の身のこなしで剣戟が上下に振り分けられ、イオルクはダガーによる回避が間に合わなくなり、ひたすらにバックステップで距離を取ることを選ばされ続けた。

(逃げてばかりだと隅に追いやられる。ここは無理にでも攻撃しないと)

 再び攻撃に転ずるため、イオルクは機会を伺いティーナの周りを走る。僅かにレイピアが下がった瞬間、右手のダガーを投げつけると、ティーナは回避不可能と判断して左手の盾で防いだ。

 この時、盾がティーナの顔を隠した。死角を突いて、イオルクが走り込む。

(足音が真っ直ぐに近づいて来る!)

 音で気配を読んだティーナがレイピアを握る手に力を込める。

 一方のイオルクも注目していたのは、ティーナの足運びだった。

(隊長の踵が浮いたままで止まった……軽量武器のダガーのスピードにカウンターを合わせる気か⁉)

 最速でダガーを振るうために、イオルクの左肩が下がり余分な力が抜けて振り子のように揺れる。盾が下がり、お互いが予想した相手の動きに修正が入り、同時にレイピアとダガーが攻撃に移るために加速を開始した。

 そして、二人の最後の駆け引きが始まろうとした瞬間、邪魔が入った。

「何をしているんですか?」

 ティーナとイオルクが攻撃を止め、地面に急ブレーキを掛ける。

 お互い完全に制止すると、ゆっくりと声のする方に首を回す。

「今から我々が使う時間なのですが」

「「時間?」」

 今度は二人の顔が修練場の時計に傾いた。早朝だった時間はとっくに過ぎ、朝の冷えた空気も温かいものに変わり始める頃合いだった。

 ハッとした顔でティーナが叫ぶ。

「しまった! 遅刻だ!」

「遅刻?」

「姫様のところに行かなければ!」

「ハァッ⁉」

 修練中の駆け引きをしていた時間は思っていた以上に長かったらしく、ティーナの体内時計を狂わせたようだった。

 ティーナとイオルクは倉庫に武器を戻すと、走って修練場を後にした。

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