試験を落ちてから、二日後の夕方――。
ブラドナー家に一通の手紙が届く。
その手紙を見て、ブラドナー家の当主――ランバートは悩んでいた。
ランバートを悩ませている手紙の内容は、イオルクの城への呼び出しであった。見習いを終えていないイオルクが城に呼び出される理由など、本来、存在しない。考えられるのは落ち続けている、見習い卒業の試験ぐらいしか考えられない。
遂にイオルクの騎士への道が閉ざされたのだと思い、ランバートはイオルクを自分の部屋へ呼び出して手紙を見せた。
手紙を読み終えたイオルクは暫し黙っていたが、やがて口を開いた。
「あの……何で、俺を?」
「分からない……。しかし、度重なる試験の落第に命令が出たのかもしれない」
「命令?」
「お前の騎士への道を断念させる……ということだ」
「…………」
用件しか書かれていない手紙を呆然と見詰め、イオルクは言葉を搾り出した。
「俺、諦めたくない……。今まで騎士になるために剣を振り続けてきたんだから……」
「分かっている。明日、確かめに行ってきなさい」
「……はい」
力なく返事を返すと、イオルクはランバートの部屋を出た。その部屋の前でイオルクは立ち竦み、己の心を整理しようと考え出す。
(……何で、こんなことに……)
試験は何度受けても問題ない決まりのはずだった。
しかし、イオルクが落ち続けた期間も回数も類を見ないものなのも確かだった。
――そのせいで、新たな規則が設けられてしまったのか?
もし、そうだとしたら、試験を受ける回数や在籍年数に上限が設けられ、イオルクは見習い騎士で居ることもできず、正式な騎士になることはできないということになる。
「……でも、戦に兵士はいくら居てもいいはず。……それなのに、何で?」
多くの兵士を得る理由はあっても、減らす理由はないように思えた。
しかし、呼び出しがあったことは事実で、他に思い当たることもない。
イオルクは考えるのをやめ、同じ二階にある自分の部屋へ向かった。そして、嫌なことを考えないように部屋に入ると直ぐにベッドに潜り込んだ。
しかし、その日は中々寝つくことが出来なかった。
…
翌日――。
朝早くに家を出て、イオルクは城に向かう。見慣れた王都の町は、どこか冷たく見えた。まるで騎士になることをノース・ドラゴンヘッドの国に見放されてしまったように感じる。
やがて城に着くと屈強な城塞のような門がイオルクを見下ろしていた。
しかし、ここで門と睨み合っていても仕方がない。イオルクは大きく息を吐き出すと、門の側に立つ衛兵に面会の手続きをお願いする。
すると、話は衛兵に通っていたようで入城の許可は直ぐに取れ、イオルクは門を抜けて城内に案内された。どこに連れていかれるのかも分からぬまま、城内で引き継がれた案内役の侍女に続いて階段を上ったり、廊下を曲がったり進んだりを繰り返すうちに、他の部屋とは明らかに違う厚く重い大きな扉の前に案内された。
この奥に自分を呼び出した人物がいるらしい。案内をしてくれた侍女がそそくさと居なくなると、イオルクは緊張した面持ちで扉をノックした。
「どうぞ」
ノックのあとに聞こえた少女を思わせる返事を確認して、イオルクは扉を開ける。
「イオルク・ブラドナーです。命令により、参上しました」
挨拶と同時に頭を下げ、三秒の後にゆっくりと頭を上げた先には豪華な机を前に微笑む身なりのいい少女と、少女の後ろに控える女騎士の姿があった。
その二人を見て、イオルクは安堵の息を吐いた。
(どう見ても、試験に関することを専門に扱う人物じゃない。試験とは、全然無関係だ)
ここでようやくイオルクの頭が正常に動き出し、試験落第以外のことを考えられるようになる。
(はて? そうなると、俺は何で呼び出されたんだ? 俺を呼び出したこの人達は、一体……?)
机に座る少女は疑問符を浮かべているイオルクを観察するように眺めると、珍しいものを見た時のような感想を口にする。
「ふ~ん、貴方が例の……。割かし普通の子に見えるわね」
言葉を発した自分よりも幼い少女の言動を聞いて、イオルクは随分と偉そうな態度だと思う。
(どう見ても、俺より年下に見えるんだが、この子は誰なんだろう?)
侍女は案内だけして、イオルクをどこに連れてきたのかを言ってはくれなかった。手紙にも差出人の名前は記載されていなかった。用件だけしか書かれていないため、ここに居る理由も分からないままだ。
そんな半ば混乱している最中だというのに、少女の後ろに控えている女騎士は、さっきから自分を睨み続けている。
(あっちは、何で、俺から視線を外さずに警戒しているんだ?)
訳が分からないまま、この状況をどのように判断すればいいのか困惑する。自分が呼び出された理由をただ待つことが、とてつもない苦行に感じた。
そして、ようやく状況が進展する。沈黙を続けていた少女の後ろに控えている女騎士が口を開いたのだ。
「貴様を呼んだのは他でもない。ユニス様が貴様を気に入られたからだ」
「……は?」
ようやく睨むのをやめて言葉を発してくれた女騎士だったが、話が見えてこない。新しい疑問が追加されただけだった。
「貴様は、これからユニス様直属の騎士として仕えることになる。名誉な仕事であるため、気を引き締めるように」
やはり、話が見えてこない。
「……言ってることが分からん……」
明らかに言葉の意味が伝わっていないイオルクの反応に、女騎士が額を押さえる。更に眉間に深い皺を刻み、そのあと、そっと目の前に座る少女の耳に片手を添える。
「姫様、現状を理解できていないようです。どのような手紙を送ったのですか?」
「『ここに来なさい』って」
「……あの……それだけですか? 今日話される概要や目的を書かれなかったのですか?」
「そうよ」
「な、何故ですか?」
少女はニッコリと笑う。
「そっちの方が、面白そうだったから」
ふらりと軽い眩暈を覚え、女騎士は少女から一歩後ろに下がって眉間の皺を揉み解す。
幼いが故の無邪気な行動というものには毒がある。死にはしないが、精神をガリガリと削られる。
大きく息を吐き出し、女騎士がどうしたものかと頭を悩ませながらイオルクに向き直る。
「すまなかった。初めから説明する」
よく分からない状況に、イオルクは無言で頷いた。
「ここに居られるのは、この国の姫君で在られるユニス・チェスロック様だ」
「このガキが……」
イオルクの言動にビキリ!と青筋を浮かべ、女騎士はツカツカとイオルクに近づき、グーを炸裂させた。
「言動を慎め!」
イオルクと女騎士のやりとりを見て、ユニスはクスクスと笑う。項垂れたり突っ込みを入れたりと、いろいろと忙しそうな女騎士がおかしくて堪らなかった。
一方の殴られたイオルクは頭をガシガシと掻きながら訊ねる。
「痛いな……。あんたは誰なの?」
「あん――! 貴様、上官に向かって、その口の聞き方は何だ!」
「上官? あんたが?」
「『あんた』と言うな!」
女騎士のグーがイオルクに再び炸裂するのを見ると、ユニスは机の上に片手をついて笑い転げていた。
そんな主の状態を知ることもなく、女騎士とイオルクのやり取りが続く。
「一体、何なんだ⁉ 俺、訳分からないんだけど⁉」
女騎士は右手を振り払って、苛立ちながらイオルクに告げる。
「私は姫様に仕える騎士ティーナ・クーガンだ! そして、貴様も、その姫様に仕える騎士に選ばれたのだ!」
殴られた頭を擦りながら、イオルクは言う。
「立場は同じなんだろう? だったら、何で、俺の上官になるんだよ?」
ティーナが自分の軽鎧を指差す。
「同じではない! 鎧を見ろ! 私は、銀! 貴様は、皮だ!」
「ああ、それで上官ね。ということは、今度からあんたが隊長になるわけか」
ティーナのグーが、イオルクの頭を振り切る形で炸裂した。
「『あんた』と言うな!」
生きてきて一番激しい突っ込みを受けたイオルクは高そうな赤絨毯に額を擦りつけて突っ伏した。
その突っ伏した状態のイオルクから言葉が漏れる。
「……じゃあ、隊長で」
「ティーナ様と言えないのか?」
「…………」
顔を上げたイオルクは、もの凄く嫌そうな顔をしていた。そして、そのままティーナから面倒くさそうに顔を背けた。
それを見た、ティーナはワナワナと拳を握り締めてユニスに振り返った。
「姫様! 不適切です! こんな言動の輩を側に置いては、姫様に悪い影響しか与えません!」
「いいじゃない。腕は立つのでしょう?」
「バッチリです」
「貴様は黙っていろ!」
ティーナのグーが、イオルクに炸裂した。
「隊長……。そんなにポンポン殴らんでも……」
「私を隊長と呼ぶな! 私は貴様を認めない! この落第者め!」
「人の心の傷を抉るようなことを……。それ、凄く気にしてんだからな」
ユニスは笑い過ぎて、お腹を押さえていた。自分が思っていた以上に面白いことが起きてしまった。しかも、まだメインディッシュは取ってあるというのに……だ。
ひとしきり笑い終えると、ユニスは事態を収拾するためと話の本題へと移行するために目の前の女騎士と見習い騎士に話し掛ける。
「じゃあ、テストをしましょうか」
「「え?」」
ティーナとイオルクが、揃ってユニスに顔を向けた。
「筆記試験をしましょう。七十点以上のところを八十点以上合格に引き上げて、それでわたしの騎士にしてあげるわ」
「筆記試験⁉」
拒絶反応を示したイオルクに対し、反対にティーナは勝ち誇った顔を浮かべた。
「分かりました。それで手を打ちましょう。筆記試験に受かれば、この男の処遇に文句を付けません」
オロオロとしながら、イオルクはユニスに顔を向ける。
「あの、えっと……俺、無条件で直属の騎士になれるんじゃなかったの?」
「さっきまではね」
「どうして……」
「あなたがティーナを怒らすことなんてするからよ」
「いや、だって……。えぇ……」
イオルクはがっくりとしゃがみ込んだ。
「ううう……やりたくない……。どうせ落ちるに決まってるんだ……」
頭を抱えて蹲ってしまったイオルクを余所に、ユニスはティーナを手招きして側に呼ぶ。
「何ですか?」
身長に合わせて屈んだティーナの耳に、ユニスはそっと耳打ちする。
「実は気になることがあって」
「何でしょうか?」
「イオルクの落ちた原因……気にならない?」
「それは……」
「でしょう?」
ティーナは何かに思い当たり眉を歪めると、ユニスにジトッとした視線を投げ掛ける。
「姫様……。もしかして、そちらが本当の目的なのではないですか? 人員を増やすのが目的ではなく、あの男の落第の原因が知りたかったというのが」
「ち、違うわよ! わたしは純粋にティーナのことを想って、人員を増やしたいのよ! 決して、どうせ落ちるのだし、興味本位に原因が知りたいだけだなんて思っていないわ!」
イオルクとティーナが同時に額を押さえた。
「姫様……」
「そういうのって、本人を前に暴露しちゃダメだろう……」
「あはは……。まあ、気にしないで。早くテストしましょう! 上手くいけば、貴方も騎士になれるのだから!」
ユニスがパタパタと右手を振りながら笑って誤魔化す中、イオルクはどうでもいい気分になっていた。何より、爛々と輝かせるユニスに怒っていいのか、期待に応えてやればいいのか、自分自身でもよく分からなくなっていた。
(まあ、落ちた原因が分かれば、次から対処の仕方も分かるか)
その程度の気持ちで、イオルクはユニスの机を借りて筆記試験を受けることになった。
「せめてもの情けだ。先日と同じ試験だから、間違っていたと思うところを直すのだな」
「試験後の復習なんてしてない……」
(ダメだな、コイツ……)
溜息を吐きながら、ティーナは開始を告げた。
イオルクは試験用紙を裏返すと、直ぐにペンを走らせた。その用紙を埋めるスピードは、ユニスが行なった筆記試験よりも明らかに早いペースだった。
見直すこともなく、イオルクは書き終えた試験用紙をティーナに差し出す。
「ん」
「……貴様、問題を読んでいるのか?」
「先日、受けたばかりだから、答えが頭に残ってるんだよ。夢にも出てきたし。……結局、同じ回答になっちゃったけど」
「好都合ね。これで原因がハッキリするわ」
(もう、落第の原因しか興味ないのですね……)
ユニスの反応を見て溜息を吐き、ティーナは採点を始めた。
その横でイオルクは緊張し、ユニスはワクワクして見守る。
そして、ティーナの口から出てきたのは予想外の点数だった。
「九十八点……」
「え?」
「俺、受かってるじゃんか⁉」
「どういうこと⁉」
しかし、イオルクとユニスの反応と違い、試験用紙を握り締めるティーナの手が震えている。
「ティーナ?」
遣える姫の訊ねる言葉も耳に入らず、ティーナの手は震え続けている。
「ティ、ティーナ?」
ティーナの頭の中でプチン!と、何かが切れた。
「この大馬鹿者が――ッ!」
ティーナのグーが、イオルクに炸裂した。
「貴様! 毎回、この答えを書いていたのか⁉」
イオルクは頭を擦りながら尋ねる。
「どの問題を言ってんの?」
唯一間違えた箇所を指し示して、ティーナは音読する。
「『問十四. 騎士は、王と国に命を捧げなければならない。○か×か』」
「×」
「何で、×なのだ!」
「だって、それを理由に死にたくないし……」
ティーナのグーが、イオルクに炸裂した。
「姫様! コイツが落ちていた原因は、この問いです!」
ユニスが首を傾げる。
「どういうこと?」
「筆記試験には、点数の他に必ず正解しないといけない問いが存在します。これは騎士の心構えとして、当然、持ち合わせていないといけないものだからです。ところが、この馬鹿は、そこに×を記しています」
「……は?」
ポカンと口を開けているユニスとは対照的に、ティーナの説明を聞いてイオルクは顔に手を置いて、クククと笑いを堪えながら理由に納得していた。
「はは……。そういうことか……」
「笑いごとではない! 貴様は、何を考えている!」
イオルクは腰に右手を当て、左手の掌を返す。
「その問いの通りだよ。本当に命なんて懸けられるか?」
「普通、嘘でも○にしない?」
ユニスの言葉に、ティーナの熱が更に上がる。
「姫様、それも間違いです! 騎士として、王と国に忠誠を誓うことに誇りがあるのです!」
「隊長は、頭が固いな」
「私を隊長と呼ぶな!」
ティーナはイオルクを指差し、ユニスに言う。
「姫様、コイツは落第です!」
だが、イオルクは顔の前で右手を振って否定する。
「隊長、それ間違い」
「何がだ!」
「姫様とは、八十点以上で合格としか約束してない」
「な――屁理屈を捏ねるな!」
しかし、ティーナとは別に、ユニスは冷静にことのあらましを思い返していた。
「そうね。そういう約束だったわね、合格の点数も引き上げたし」
「姫様⁉」
ユニスはティーナに向けて肩を竦める。
「まあ、馬鹿じゃなかったのだし、今更、約束を反故にするのもね」
「しかし!」
何とかユニスを思い止まらせようとするティーナを見てイオルクはニヤリと笑い、ワザとらしくティーナに向かって言葉を放った。
「それにしても隊長の誇りっていうのも安い誇りだな」
「何だと⁉」
「一度約束したことを簡単に反故に出来るんですね、隊長は?」
「そんなことはない! ただ――」
続く言葉の途中で、イオルクがティーナを指差してユニスを見る。
「ユニス様、今です。隊長が認めましたよ」
ティーナを指差すイオルクにユニスは思わず吹き出し、笑顔で契約を結ぶ。
「ふふ……。約束通り、貴方をわたしの騎士に認めます」
「ありがとうございます」
事態は有無を言わさず進行してしまった。
ティーナだけが、時が止まったように動けない。
「あ……あ……そんな……」
こうして、姫に仕える騎士が二人に増え、イオルクは騎士としての道を歩み始めることになるのだった。