毎日夕方六時に、僕らはお母さんに呼ばれる。お母さんは何人もいる。ある時まで、それは普通のことだと思ってた。
僕らは僕らだ。
お母さんは僕らを「みんな」と呼ぶし、お母さんは僕を「あなた」と呼ぶ。
僕らが住むのは小さな白いレンガの建物。そこにはベッドと食堂がある。外は芝生の小さな庭があって、ドーム型の外壁がある。壁から天井まで綺麗な花が色とりどりに僕らを向いてびっしりと生えている。
僕たちはこれに何も疑問を抱かなかった。
最初は、地面の芝生をジッと見た。その時、芝は土の中に根を張り、土の上に葉が生えているんだと気付いた。
ならば、壁の花も同じだろうと。僕は花を掻き分け、生え際の土を見ようとした。
でも、掻き分けども掻き分けども、土は見えてこない。
そのうち、花に隠れて壁に空気口があるのに気付いた。それは僕がやっと通れるくらいの小さな土管だった。花は土に生えているのではなく、ただ茎が壁の石から突然延びているだけだった。
土管を覗くと、チラチラと向こうの景色が見えた。この距離なら行ける、と僕は花園を抜け出した。
その時、僕は『僕ら』ではなく、初めて『僕』になった。
土管を抜けると、空から水が落ちて来て僕はパニックになった。
慌てて屋根がある場所に滑り込む。明るいけれど、不思議だ。多分、上には道がある。そしてここも道だ。
そこへ一人。
僕と同じくらいの歳の子が来た。
「いやぁ。急に降って来たなぁ」
誰もいない。
僕に話してるんだ。
「うん……何が降って来たの ? 」
「え ? ……雨だよ。雨が降ってきたなって……」
この上から落ちてくる水は雨と言うんだ。急にって事は、いつもは違うんだ。
「ごめん。よく……見えなかったから」
「あ、そう。ずっとこんなガード下に居たの ? 」
「……えと……覚えてないんだ」
そう答えるしか無かった。
外は真っ暗だ。ここは明るいけど、多分あの壁の発光器があるせい。
「なんだ ? 記憶すっ飛んだか ? 酒でも飲んだのか ? 」
何を言ってるか分からない。言葉は通じるのに、まるで分からない。
それでも、土管の先から来た事を僕は言ってはいけない気がする。
「そんなとこかな」
「ぶっ飛んでんなぁ。じゃあ、一緒に行こうぜ」
そういうと、その子は隣にある建物を指差す。そこは色々な発光器があって、一番大きなものはコップから泡が出てる形をしている。多分、飲み物のある食堂だ。
「うん」
ここは素直に従う方がいい。
建物に入ると凄い煙と、ギラギラした光で吐きそうだった。
「だはは ! おめぇ大丈夫かよ ! まぁそん状態じゃあ今日は無理しねぇ方がいいかもな。最初の一杯は奢ってやるよ。駄目ならすぐ帰れよ」
訳分からず、僕は差し出されたコップを受け取る。
酷い匂いの水だ。
「こんばんは」
途方に暮れている僕のそば。
入口の近くに綺麗な髪の女の子がいた。その子はブルネットの波打つ髪を伸ばした、薄着の子。やっぱり僕と同じくらいの歳に見える。
「こ……こん……」
「それ、飲まないなら頂戴」
「うん」
コップを差し出すと、彼女は機嫌良く飲み干す。あんな臭いの水を一気に飲むなんて……。
「凄いね」と僕が言うと、彼女は少しはにかんで答える。
「何が ? 普通普通。今日はそんなに飲んでないよ。満月だからね」
「満月って ? 」
「…… ? 君、どこから来たの ? 」
「…………」
「家は ? 」
「多分、近く」
「多分 ? 分かった ! 家出ね ? 」
「そう、そんな感じ。あまりこの時間の事とか知らなくて。夜に外に出ないし」
「……」
僕の言葉に彼女は少し不審げな顔をした。
「ねぇ。もしかして子供 ? 」
「え……」
どう見てもこの人も僕と同じくらいなんだけど。
「名前は ? 」
「…… ? な、なま…… ? 」
彼女は僕の手を取ると、すぐ店を出て何処までも走っていく。
長い。息が苦しい。
僕が足を止めると、彼女は仕方なくここで話し始めた。
「あなた花園から来たのね」
「……花園…… ? 」
「国がモニタリングしてる場所よ。花に囲まれた小さな施設よ」
「……そう。花の中に通風口があって……」
「ここにいちゃ駄目よ ! 殺されちゃう !
どこか……。そうだ。マリーの家なら……」
そう言って彼女は僕の手を引きながら歩き出す。
「前にも花園から子供が逃げてきたの。でも、一度外に出た子供は花園には戻れないし、戻る意味もないわ」
「その子はどこに行ったの ? 」
「処分されたわ」
「処分…… ? 殺されるの ? 」
「わたしが産まれる前、突然人間だけが不老になったの。原因は分からないけれど、政府は完全隔離された施設を作って新生児だけをそこで育てるようにした。それが花園よ」
「じゃあ……僕がいたのが…… ? でも、どうして分かったの ? 」
「あなたのその黒い服。男女兼用のワンピースでアルファベットがある。それにね、ここには昼が無いの。
わたしはミレイ。名前はある ? 」
「僕に名称があるかって事 ? 」
「そうよ。誰でも産まれた時名前を決めるの」
「無いよ。僕らは僕らで、みんなの中の僕だから」
「……。じゃあ、Jって呼ぶわ」
そういい、僕の服に大きく書かれたJの文字を指した。
「さぁ、J。とにかくマリーの所に」
そこから二十分くらい歩くと木で出来た小さな家が見えた。
「マリーおばさん ! 」
「おや、まぁミレイ。今夜は満月ね」
ミレイを抱きしめたマリーおばさんは僕を見ると、眉を寄せた。
「まさか……」
「おばさん、助けて」
「花園の子供ね ? あぁ、可哀想に。さぁ、こっちへ」
部屋の中に引き込まれる。
「服に一文字のイニシャル。管理人はそのアルファベットで点呼を取ってるのよ」
急にバタバタしだしたマリーおばさんを見て、僕は急に怖気ついてしまった。そもそも、少しの好奇心で外へ出ただけなのに、もう戻れなくなるとまで考えてなかった。
「僕、戻ります」
「駄目よ。さぁ、これを着て。派手目な色の服がいいわ。あそこは黒い服しか着せないから」
黄緑色のパーカーに赤いパンツを合わせられる。なんだか落ち着かない。
「満月を見に行きましょう。話しながら歩くわ」
マリーはお母さんよりヨボヨボだ。杖を持ってようやく靴を履く。
「どこに行くの ? 」
「月が一番見やすい丘が裏にあるのよ」
マリーおばさんはミレイに背を支えられながら、ゆっくりと歩く。
「花園はね、子供を大人にする為の研究所。
二十年前、突然子供が成長しなくなったの。九歳〜十二歳程で成長が止まるのよ。寿命はまだよくわかってないけれど、精神年齢は普通通り成長するから、見た目じゃもう大人か子供か分からない世界になったわ。
考えられる原因は食事や水、大気、雨、病原菌、色々考えられたけれどどれも確証が無くて、おまけに地球から昼が消えた。けれど太陽が無くなったとも思えない」
「太陽…… ? 」
「太陽は昼の光よ。太陽が無ければ月は光らないし、地球は氷に覆われてしまうはずよ。寒くなるからね。でも、それが全くないの」
花園ではいつも明るかった。あれはさっき見た様な人工的な明かりなんだ。
「そして新生児だけを、雑菌を極限まで取り除いたクリーンな環境で育てる施設が出来た……いえ、そういう計画があった。
当時、みんな反対したのよ。まるで人間が人間を飼うようだって。
でも計画は遂行されていた。皆が諦めた頃になって、施設から脱走してくる子供が度々確認されたのよ」
「僕と同じ…… ? 」
道は坂に差し掛かる。
「……出来る限りは匿って来たけれど、半分も隠し通せなかったわ……。
いい ? 記憶は喧嘩をして殴られて曖昧になった、と答えなさい。今日から大人をよく観察するのよ。大人のする振る舞いを真似するの。子供でいた方が見つかる確率が何故か高いのよ」
「でも、誰が大人か分からないよ。ミレイは大人なの ? 」
「わたしは十七よ」
同じくらいに見えるけど、僕自身は何歳なんだろう ?
「さぁ、着いたわよ」
「うわ……」
小さな丘を登ると、そこには大きな月が見えた。
血のように真っ赤で、少し怖いくらい不気味に光る大きな月。
「アカツキよ。この満月の光を浴びると少し身体が成長するのよ」
「光で !? どのくらい ? 」
「うーん……毎月一回アカツキを見に来るとして、三年で一歳分くらいかしら」
「え……三年で一歳 ? 」
「わたしは二十歳くらいまでは通おうかなって思ってる。でも、最近は中々成長のスピードがあがらないのよ」
「……よく……分かんない……」
「そうだね。すぐはわからないよねぇ。少しづつ、慣れていきなさい。
そうねぇ、Jは今……見た感じ十歳くらいかしらぁ……」
僕はマリーおばさんとミレイ、三人で月を見上げる。
気付いたら、丘には沢山の子供たちが上がって来ていた。
「よ ! ここにいたのかよ」
一番最初に話した男の人だ。
「あらフレディ……。この人はJよ」
「そいつミレイの知り合いだったのか」
「喧嘩っ早いから気をつけて。最も、殴られて今は記憶が抜け落ちてるけど」
「マジかよ ! クレイジーだな !! 朦朧としてたから二日酔いかと思ってた ! 」
「そ、そうなんだ。さっきはご馳走様」
「いいって」
そう言うとフレディは更に丘の上へと上がっていく。
「大人になると……どうなるの ? なにか変わるの ? 」
「何か変わるわけじゃないけど、大人になる年になったら、大人になるのが普通じゃん 」
「大人になった事がないから分からないよ」
そんな僕にマリーおばさんは優しく微笑んだ。
「きっと、その時がきたら分かるわよ」
全く分からない。
けれど、僕はそれから毎月、アカツキを見に行った。原色の服を集め、理解出来る範囲の仕事にあり付いて必死で生きた。
ーーーーー七年後。
「フレディ準備は ? 」
『おう、いいぜ』
『こっちもOKよ』
「ミレイの施設は一番子供が多い。ミレイの施設とは二分だ。俺とフレディは二分後に出る」
『了解、ジェームス』
『準備万端。子供たちを集めるわ』
俺は通信機を机に置くと、ゆっくり立ち上がり、金庫から麻酔銃を取り出す。
「お父さん、我々も寝る時間だ」
「ああ、そうだ。お父さん、寝るぞ」
俺はその麻酔銃を管理人二人に打ち込む。
警報装置に手をかけないよう、倒れた二人の手を握り締める。
「くっ……裏切……り……」
「む……無駄……だ。他にも……し、施設は……」
「ああ。知ってる」
二人が意識を失うと、俺は宿舎に行き子供たちを叩き起す。
「整列 ! 」
ロボットのように文句一つ言わず、子供たちは眠い目をこすりながらノタノタと並んだ。
「今から講習を始める。花園のそばに暗い部屋を用意した。各自そこへ入って、見て回る」
時刻を確認。
庭まで子供を誘導する。
俺は造花を毟り、最初の子供Aを土管から外へ放り出す。
最後のZを押し込んだ時、麻酔から覚めた管理人が走ってきた。
「うおぉぉっ !! 」
元々、脱走しようとする子供の為の麻酔だ。足元はおぼつかないが、ナイフを手に俺の方へ向かって来る。
「早く行け !! 戻ってくるな ! 」
俺は急いで土管に入れるだけ自分の身体をギチギチに詰め込んだ。
XとZがこちらを覗いている。
「丘の下の小屋に全員分の服があります ! 着替えたら、ミレイとフレディと言う者を探しなさい ! 今日の勉強です ! 探し終わるまで戻ってきてはいけません ! 行きなさい ! 」
子供たちは頷くと各自、課題に取り組む為走り出す。
背後に襲い来る激痛に耐えながら、俺は子供たちを案じた。
志半ばで俺はここで終わる。下半身が何かで切り取られ、土管に血液では無い、何かの液体が流し込まれた感覚がある。
だがきっとマリーの守護が、ミレイとフレディに引き合わせてくれるだろう。
そして月を見上げ、知り、大人になったら……この不幸の連鎖を止めて欲しい。
このクソみたいな花園で育つ事を許さないで欲しい。辛くても地獄のように思えても、そこに居場所が出来る喜びを知って感じるんだ。